第2章 *4*

 その夜、サミルは午前中におばあさんから貰ったキャベツを持って、再びリルカの店を訪れていた。

 家に持ち帰ったところで、まともな調理器具がなくて料理できないし、そもそも一人で食べきれる量ではないと判断したからだった。

 事情を聞いたリルカは喜び、すぐにそのキャベツを使って夕飯を作ってくれた。

「さぁどうぞ、食べて食べて!」

 長くつややかな黒髪をリボンでひとつに結わえたリルカは、昨日初めて会った時の暗い表情からは想像もできなかった明るい笑みを浮かべている。

「わあ、美味しそう……!」

 目の前に置かれた丸いカップからホワホワと立ちのぼるスープの湯気が、空腹だったサミルの鼻をくすぐる。

「いただきます!」

 少しとろみのある澄んだ飴色あめいろのスープには、キャベツの葉で包まれた挽き肉団子や野菜がいろどりよく入っている。

 一口含めば、野菜から出た自然な甘みと、肉汁が溶け込んだほんのり塩気のある温かいスープが、サミルの冷えた心にじんわりと染み込んでいった。

「……すっごく美味しい」

 サミルが思わず口元をほころばせていると、カウンター越しに様子を窺っていたリルカが安堵のため息をついた。

「よかった! でも、サミルちゃん、なんだか元気ないみたいだけど大丈夫?」

「えっと……」

「もしかして仕事で何かあったの? 私でよければ、いくらでも相談に乗るわよ?」

 これでも、サミルより十歳近く年上のお姉さんなんだから、と胸を張りつつ心配そうに聞いてくるリルカに、サミルはスプーンを持っていた手をゆっくりと下ろす。

「仕事とは関係ないんですけど……」

 と、口を開いた瞬間、店内に来客を告げる鈴の音がリンと鳴り響き、ひらいたドアからセオとシェルスが入ってきた。

「あら、あなたたちも食べに来てくれたの?」

「まあな……」

「お邪魔します」

 リルカに頷き返した二人は、当然のようにサミルが座っていたカウンター席の隣に腰を落ち着けた。

「ちょっと待ってて、今、あなたたちの分のスープも持ってくるわね」

「なるほど、あのキャベツはスープになったのか。うまそうだな……って、お前、まだ落ち込んでたのか?」

 セオはサミルの前に置かれていたスープに興味を示しつつ苦笑する。

「…………」

 しかし、返事がないほどのサミルの落ち込み様に、ふと真面目な表情を浮かべた。

「……シェルス、さっき調べてきたこと、早くこいつに教えてやれよ」

 セオの口から発せられたその言葉に、サミルは弾かれたように顔を上げる。

「どういうこと?」

 仕事が終った後、リルカの店に行こうと誘ったのを、セオは『用事があるから』と言って断った。サミルは『残念だけど仕方がない』と諦めて一人でこの店へ来たのだったが――。

 シェルスはセオの視線を受けて小さく頷くと、ジャケットの胸元から小さな紙切れを取り出した。

「これを……」

「……?」

「そこに書かれている宿に、フィラナさんという方が今日からしばらく滞在されるそうです。特にケガなどはされていない、とのことでした」

「えっ、わざわざ調べてくれたの!?」

「お前にいつまでも落ち込まれて、仕事に支障が出るのは御免ごめんだからな」

 驚いて目を見開いたサミルに、セオは小さく鼻をならして顔を背ける。

(フィラナ、ケガしてなくてよかった……)

 セオの言葉にわずかなトゲを感じつつも、サミルはシェルスから紙切れを受け取って頭を下げる。

「二人とも、ありがとう……」

(まさか調べてくれていたなんて……)

 胸の奥にくすぐったさを感じつつセオたちに微笑みかけたサミルは、紙切れに書かれていた宿の名前を見てそっと目を伏せる。

(うーん……これは、どうすればいいのかしら)

 その宿の名は、サミルが半月前、満月の夜に追い出された宿と同じ名だった。

「なんだ、行かないのか? お前なら、それを見たらすぐにでも飛び出していくと思ってたんだが……」

「もし場所がわからないようでしたら、わたくしがご案内しますよ?」

 拍子抜けした様子の二人に、サミルは弱々しい笑みを浮かべて首を横に振る。

「場所は知ってるんだけど……」

 サミルが躊躇ためらいの色を顔ににじませていると、セオはすぐに何かを察して苦笑した。

「なるほど、その宿なのか。お前が何かやらかして、追い出されたというのは」

「……まあね」

 あっさりと見抜いてしまったセオに、サミルは驚く反面、恨めしいような複雑な想いを抱く。

(もう、セオって本当に鋭いんだから……)

 そこへちょうどスープを運んできていたリルカが、セオの言葉を聞いていたのか目をまたたかせた。

「サミルちゃん、宿を追い出されちゃったの? もしかして、落ち込んでたのってそれが原因……?」

「あ、えっと、違うんです。いえ、宿を追い出されたのは本当なんですけど、落ち込んでたのは、友達の家が火事になっちゃったことの方で……会いに行きたいんですけど、その、色々あって……」

「そっか、そうだったんだ……」

 リルカは納得した様子で頷き、同情のまなざしをサミルに向ける。

「宿がダメなら、外で会えばいいんじゃないか?」

 そう提案したのは、セオだった。

「でも……その、宿とは関係なしに、会いづらいってのもあって……」

消極的なサミルに、セオはなおも続ける。

「だったら、それこそ、お前の『想いを込めた種』でも送ればいいだろうが。客には提案しておきながら、もう忘れたのか?」

「……!? そっか、そうだよね……」

 サミルはセオの何気ない指摘に驚き、それから恥ずかしそうにほおをかいた。

(確かにそうだよね。こんな時こそ種の出番じゃないの……)

 会いたいけど会えない時、相手に想いを伝えるのに最も適しているのが『想いの種』ではないか。

「なんなら、俺かシェルスが種を代わりに届けてやっても構わんぞ」

 セオの申し出に、サミルの胸に熱いものが込み上げてくる。

「ありがとう、セオ。でも……どうしていつも私のこと、助けてくれるの?」

(本当に嬉しいけど、会ってまだ間もない人に、ここまで親切にされたのは初めてだよ……)

 セオが優しい人というのは、十分すぎるほど伝わってくるが、誰に対してもこんなことをしていたら、身がもたないのではないだろうか。

 戸惑いを隠せないサミルの問いに、セオは何も答えないまま、ふい、と顔を背ける。

 代わりにつぶやいたのは、二人のやりとりを聞きながら微笑んでいたリルカだった。

「うーん、青春ねぇ……」

「え?」

 きょとんと目を丸くしたサミルの隣で、セオはビクリと肩を揺らし、シェルスは口元に涼やかな笑みを浮かべた。


「ところでサミルちゃん、聞き忘れちゃってたんだけど、この種って、どうしたらいいのかしら? いたら、芽は出るの?」

 リルカが不意に思い出したように、エプロンのポケットから黄色い種を取り出した。

 それは、昨夜ゆうべ、リムザンの霊が昇華された時、最後に残った唯一のものだった。

「あ、それは『宝種ほうしゅ』っていって……もう芽は出ないし花も咲かないんですけど、石みたいに固いから落としても平気だし、そのままずっと持っていても腐ったりはしないので大丈夫ですよ」

「へぇ……そうなんだ? でも、このままだと落として失くしちゃいそうだわ」

 手のひらの上で種をつつき、ころがしてみせながら不安がるリルカに、サミルは続ける。

「それなら、石屋さんでペンダントにしてもらうといいですよ。ほら、こんな風に……」

 そう言ってサミルは首からかけていたペンダントを引っ張り出して見せる。

 鮮やかな空色そらいろに輝くその小さな種は、サミルが想伝局員試験を受けると決めた時に、母親がお守りにくれたものだった。

「まあ、綺麗な色ね……」

「えへへ。これ……父さんが母さんに結婚を申し込んだ時に渡したものらしくて……私の宝物なんです」

 照れくさそうに笑い、自慢するサミルに、リルカがわずかに表情をかげらせる。

 と同時に、空色の種を見たセオとシェルスが、隣で小さく息をのんだ。

「「……っ!?」」

「わ、私、何か変なこと言いました?」

 すぐに三人の反応に気がついたサミルは、首を傾げる。

「いや、別に……俺はただ、めずらしい色の種だなと思っただけで……」

 慌てた様子でそう答えたセオに、シェルスも頷いた。

 じゃあ、リルカは? と視線が彼女に注がれる。

「私はその……ちょっと両親のことを思い出しちゃっただけなの」

「両親のこと?」

 そういえば、この店にはリルカ一人しかいなかったことに気付き、サミルはハッとする。

「もしかして、リルカさんのご両親って……」

「ええ。私が十歳の時に、流行はやり病で……両親も、おばあちゃんも。だから、私はおじいちゃんに育てられたのよ」

「……そうだったんですか。私、何も気付かなくて、すみません……」

「いいのよ、気にしないで! あ、ほら、この種、私もペンダントにしてお守りにするわね。アドバイスありがとう」

 沈んだ雰囲気を吹き飛ばすように明るく笑うリルカに、サミルはもう一度「すみません」と小さく謝った。

「それにしても、今年の『託宣たくせんの種』はどんな内容かしらね? 今年もまた豊作予想とかだったら良いけど……」

 暗くなりかけた雰囲気を吹き飛ばすかのように、リルカが話題を転換した。それに対して、聞きなれない単語を拾ったサミルは首を傾げる。

「……託宣の種? なんですか、それ?」

 種には色んなものがある。『想いの種』や『宝種ほうしゅ』、中には、『呪いの種』なんて不吉なものもあるらしい、とは知っているサミルだったが、そんな種の名前を聞くのは初めてだった。

 が、そのサミルのつぶやきに、リルカだけでなく、セオやシェルスまでもが、意外そうな眼差まなざしを彼女に向けた。

 そんなことも知らないのか、とでも言いたげなセオに、サミルは口をとがらせる。

「……本当に知らないんだな」

「な、何よ、悪い? 王都では常識なのかもしれないけど、私は田舎いなか育ちなんだから仕方ないじゃない」

「サミルちゃん……さすがにそれは、王都とか関係なく誰でも知っていることだと思うんだけど……」

 リルカにも苦笑され、サミルは肩を落とした。けれども、唯一違う考えに行き着いたらしいシェルスが、ポンと手を打った。

「どうした、シェルス?」

 サミルたちの視線を一手に集めたシェルスは、わずかに躊躇ためらってから口を開いた。

「もしかすると……サミルさんのご家族は、故意に『託宣たくせんの種』の存在を教えなかったのでは?」

 その説明に、サミルはまたしても首を傾げたが、他の二人はそれで納得したようだ。

「ああ、なるほど……」

「そっか、それは有り得るわよね! サミルちゃんは『彩逢使さいおうし』の力を持ってるんだもの。ご両親は隠したかったのかもしれないわ」

「えっと、すみません、話が全然わからないんですけど……?」

「つまりね――」

 リルカの説明によるとこうだ。

 この世界には、『託宣たくせんの種』と呼ばれている特殊な種が存在する。それは年に一度、決まった時期になると、詩樹しき大陸にある各国王家にそれぞれ一粒ずつ届けられる。配っているのは、この大陸をつくった四羽の詩樹鳥しきちょうだといわれ、古代詩樹語で『春』を意味しているウェール国では、毎年三月の終わりから四月の初め頃に種が届くという。

 『託宣の種』には、その年に各国内で起きることの予知――災害や悪天候などの警告であったり、王位継承や婚姻などの王家や国政に関することが、詩樹鳥からの想いとして込められている。

 そしてその種を芽吹めぶかせ、内容を王家の人間に伝える能力を持つ者こそ、『彩逢使さいおうし』と呼ばれているというのだ。

 むしろ、サミルの持つ『目に見えない存在から想いを受け取れる能力』の方はおまけのようなもので、すべての彩逢使がそれをできるわけではないらしい。


「そんな話、全然知らなかった……。でも、何で教えてくれなかったんだろう?」

 愕然がくぜんとするサミルに、リルカは話を続ける。

「だからそれは、サミルちゃんが『彩逢使』の素質を持ってることがバレちゃって、お城に連れて行かれるのを避けるためだったのよ、きっと」

「えっ……彩逢使だと、お城に連れて行かれるの?」

 まるで悪いことをして捕まる、というような響きに、サミルは青ざめる。

(どうしよう、私、人前で力使っちゃった……)

 小さい頃から能力を使うなと、耳にタコができるほど言われていたのはその為だったのかと、ようやく思い至り、サミルは唇をむ。

(本当のことを話してくれていた方が、使わないように気をつけたのに……)

 ――などと考えたところで、後の祭りだ。

「サミルちゃん、安心して。私はまだ誰にも言ってないし言うつもりもないから。それにほら、そっちの二人だって、まさか言いふらしたりなんてしてないわよね?」

 リルカのにらむような視線に頷き返した二人に、サミルはホッと息をついた。

「……でも、あの、もしバレて連れて行かれたら、私どうなるの?」

「まぁ、基本的にはその『託宣の種』を扱う仕事をさせられるんだろうけど……」

「けど?」

「他にも色々厳しいらしいって噂があるのは事実ね。ほら、昨日話した有名な『駆け落ち彩逢使』の人も、辛くて逃げ出したんじゃないかって言われてるし。それに、今、この国には一人も彩逢使がいないから――」

「……っ」

「おい、そいつを恐がらせるのは、その辺でやめとけ……」

 リルカの話を遮るように話に割り込んできたセオに、サミルはまるで子ウサギのようにおびえきった瞳を向けた。

「あーもう、俺は誰にも言わないっつってんだろ。大体、彩逢使なら、この国にいなくても、毎年、別の国から来てもらってんだから、問題ないだろうが」

「……そうなの?」

「まぁ、それもそうね。そういえば、今年、アエスタ国から来る彩逢使は、浅黒肌の美形青年だって噂よ。あ、別に私は、サミルちゃんを恐がらせるつもりじゃなかったんだけど……ごめんね」

「いえ……色々教えてくれて、ありがとうございました」

 サミルは何とか笑みを浮かべて、頭を下げながら、内心で深いため息をついた。

(これで、獣人だってこと以外にも、隠さなきゃいけないことが増えちゃった……)

 フィラナのことも気になるし、想伝局員審査のことも、まだまだ気は抜けない。

 胸の底に少しずつ積もっていく何かに気付きながら、しかしサミルはそれを無視して振り切るように、立ち上がった。

「リルカさん、スープ、ごちそうさまでした。とっても美味しかったです。あの……また食べに来てもいいですか?」

「もちろんよ!」

リルカは満面に笑みを浮かべて、そう答えてくれたのだった――。

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