第2章 *2*

「お前、絶対に業務員の方が向いてると思うぞ」

 セオがそうつぶやいたのは、サミルがグランディや業務主任のピナスに教わりながら、初めての窓口対応を終えた時だった。

 後ろで見守っていた先輩二人も同じことを思ったのか、しきりに頷いている。

 サミルよりも先に窓口を経験したセオはといえば、無愛想ぶあいそで固い表情がわざわいしたのか、子どもに大泣きされてしまい、ちょっとした騒ぎになっていた。

 なんでもそつなくこなせるように見せるセオには、意外なところに落とし穴があったという感じだ。

「何よー。例え業務の仕事の方が向いてるとしても、私がなりたいのは広域配達員なんだからねっ!」

 サミルがある程度、接客慣れしているのは、故郷の村にいた頃、知人の営む小さな商店を手伝っていたことがあるからだった。

 セオのせいで泣き出してしまった子どもをなだめて落ち着かせたのもサミルで、これも村で日ごろから幼い子どもたちの面倒をみていた経験の賜物たまものである。

 それでも、向き不向きに関わらず、サミルは配達の仕事に憧れていた。

(窓口で色んな人と接するのは嫌いじゃないけど……)

 その実、獣人じゅうじんであることがバレたらどうしよう、という恐れが根底にあるのだった。


 窓口で行う作業自体はいたって簡単だ。

 書簡や荷物を受け付け、大きさや重さ、送り先までの距離によって異なる料金を調べてお客さんに提示し、その金額を受け取る。基本的にはそれだけだ。

 昨日の午後、サミルたちが配達したような『時間指定便』は宛先こそ王都近郊に限られているが、仕事のやりとりなどで活用されているらしく、人気のサービスだということは本当らしい。サミルが初めて受け付けた書簡も、これだった。

 他にもこの想伝局独自のサービスが多くあるらしく、それを覚えることの方が難しいように思えた。

「じゃあ、サミルさんにはもうしばらく、この窓口でのお客様対応をお願いするわ。何かわからないことがあれば、すぐに聞いてね」

 ピナス主任に微笑みかけられ、サミルはなかば仕方なくも、やる気を出す。

「はいっ、頑張りますっ!」

「……俺は?」

「お前はもう少し笑顔の練習をしてからだな。とりあえず後ろで作業でもしながら、観察してみるこった」

 グランディにそう言われたセオは、憮然ぶぜんとした表情を浮かべながらも頷いた。

 そんなやり取りを尻目しりめに、自分の番号を呼ばれた老婆が、サミルの立つ窓口にやってきた。

「これを、隣町に住んどる息子夫婦に送りたいんじゃがねぇ……」

 ドサッと窓口に置かれたその大きなキャベツに、サミルの目が丸くなる。

(これって……そのまま受け付けちゃってもいいのかしら?)

 振り返って主任やグランディに助けを求める視線を送ると、すぐに笑みが返ってくる。

 その表情から「受け付けて良い」のだと判断したサミルは、すぐに視線をお客さんに戻す。

 わずかについている泥や、シャキっとした青々しい葉が、そのキャベツがまだ新鮮採れたてであることを主張していた。

「美味しそうなキャベツですね! おばあちゃんが育てたんですか?」

 サミルはにっこりと笑顔を浮かべて言いながら、お客さんから見えない衝立ついたての内側で、料金一覧表を探る。

(このどこかに、料金が書いてあるはずなのに……)

 焦りと緊張からか、一向に該当する料金欄が見つからない。

 すると、横からスッと立ったピナスに小さなメモ書きをこっそり渡され、サミルはが目を疑った。

 ――丁重ていちょうにお断りして――

(……ってことは、やっぱり受け付けちゃダメなんじゃない!)

 おばあさんは美味しそうと褒められ、ニコニコと嬉しそうに笑っている。

「今年一番の出来だと思ってねぇ、息子夫婦にも食べさせてあげたいんじゃよ。送料はいくらになるかい?」

「えっと……その、ごめんなさい! おばあちゃん、きっと、すごく美味しいキャベツだと思うんだけど、送ることはできないみたいなの」

「なんじゃ、ダメなのかい? どうしても?」

「は、はい。きっと、届けるのに時間がかかっちゃうから、せっかくのキャベツが傷んでしまうと思うんです。だから、その……」

 しどろもどろになりながらのサミルの説明に、おばあさんはガックリと肩を落としてため息をついた。

 街のどの辺りから来たのかはわからなかったが、きっとおばあさんは息子たちに食べさせたい一心で重たいキャベツを抱えてきたのだろう。

 再びキャベツを抱え、帰っていくその寂しそうな背中に、サミルは何とかしてあげたい気分になった。けれど、できないものはどうしようもない。

(それでも何か良い方法はないかしら……)

 次の瞬間、サミルはひらめいた考えを口に出していた。

「おばあちゃん、待って! いい考えがあるわ!」

 唐突にお客さんを引き止めようと叫んだサミルに、いきなり何を言い出すのかとピナスやグランディが目をむいた。


 ――それから数分後、笑顔で想伝局を後にする老婆の姿があった。


「種でその大切な想いを届けませんか……か。まさかそうくるとはなぁ……」

「ええ、私もビックリしましたわ」

 グランディの感嘆混じりのつぶやきに、その場にいた他の二人も同意を示して頷く。

 昼休み、休憩室代わりに使われている広い会議室で、大窓から射し込んだ春の陽射しに包まれながら、サミルはセオやグランディ、ピナスと共に食事をとっていた。

 食べているのは、それぞれ家から持ってきた果物やパンなどの軽食だ。

 サミルは、想伝局へ来る前に朝市で仕入れておいたシカプの実――握りこぶしほどの大きさの赤くて甘い春の果実にかぶりついている。

「だって、あんなに残念そうな姿見たら……そのまま帰しちゃうのは嫌だなって。なんとかできないか考えたら、ふと種のことが浮かんで。それに、想いの種を利用する人が増えたら、例の詩樹紙しきしが撤回されるかもって思って……」

 キャベツを送ることができないなら、食べてほしいと思っていることを伝えて、たまには実家に帰ってきてもらえばいい……。

 そう考えたサミルは、おばあさんに『種に想いを込めて息子さんたちに送ったらどうか』と提案したのだ。

 おばあさんは、ただの書簡ではなく使い慣れない種を使うことに躊躇ためらいの色を浮かべたものの、必死で説明するサミルの様子に根負けしたらしい。

 サミルが普段から持ち歩いている、込めた想いを一番長持ちさせることができる『詩樹しきの種』を一つ渡すと、受け取ったおばあさんは代わりにと言って、抱えていたキャベツをくれた。

詩樹紙しきしの件はなんとも言えんが、お客さんに対する真摯しんしな態度については立派なもんだ」

「ええ、私もそう思ったわ。サミルさんは怒るかもしれないけれど、私もあなたは業務員に向いていると思う……というか、ぜひともウチの局で働いてくれないかしら。ねぇ、ダメかしら?」

 ピナスに伺うような視線を送られたグランディは、渋い笑みを浮かべて答える。

「それを判断するのは局長だからな、オレに言われてもなぁ……」

「あれ? そういえば、その局長さんって、どんな方なんですか?」

 グランディの言い訳に、サミルはふと首を傾げた。

 二次審査の最終的な合否を決めるのは局長らしいのだが、サミルたちはまだ一度も顔を合わせていない。

(会ってもいないのに、どうやって審査するつもりなのかな……?)

 現状からサミルがそんな疑問を浮かべたとしても、なんの不思議もなかった。。

「そういえば、私も今週に入ってから一度も会ってないわね。どこかへ出張されてるんでしたっけ?」

 サミルに尋ねられて首を傾げたピナスに対し、グランディは無言のまま、曖昧あいまいな笑みだけを返す。

「…………」

その沈黙が何を語っているのか、サミルとセオに察することはできなかったが、どうやらピナスだけは理解したようで、わずかに苦い笑みを浮かべた。

「まぁ、色々とお忙しい方ですものね。さすがに審査期間だってことは知ってるでしょうから、そのうち会えるとは思うけど」

「そのうち……ですか」

「ええ。ところでサミルさん、食事の時くらい、帽子は外してもいいのよ?」

「――っ!」

 ピナスからの思いがけないタイミングでの指摘に、サミルは慌ててシカプの実に入っている種を飲み込んでしまい、そのままケホッとせき込んだ。

「だ、大丈夫っ?」

「……けほっ、あ、はい、種、飲み込んじゃいました……けど」

「ドジだな……」

 隣に座っていたセオは、呆れた様子でそう言いながらもサミルに水の入ったコップを差し出す。

 それを涙目になりながら受け取ったサミルは、一気に飲み干すと、深いため息をついた。

「すみません……」

 苦笑いを浮かべて謝りながら、サミルは話がれてくれることを期待したのだったが――それは次の言葉にあっさりと打ち砕かれた。

「そういえばお前、仕事じゃない時にも似たような帽子を被ってるよな?」

(もう、セオってば……!)

 唐突に思い出したように言ったセオを、サミルは内心で恨みつつ、どんな言い訳をすれば怪しまれずに獣耳を隠し通せるか、必死に思考を回転させる。

「ええっと……実は、小さい頃にケガした時の傷が頭にあって、人に見られるのが恥ずかしいので帽子で隠してるんです……けど……」

 サミルは帽子を両手で軽く押さえながら説明すると、三人の反応を恐る恐るうかがった。

(ピナスさんなら、ああ言えばきっと……)

「あら、そうだったのね、ごめんなさい。じゃあ、無理に取らなくても大丈夫よ」

(よかった……! 女性なら『人に傷なんて見られたくない』って思ってくれるんじゃないかと思ったんだ)

 期待通りの反応をピナスから得られ、サミルはホッと安堵の息をつく。

 グランディは帽子のことなど最初から気にしていない様子で、これも問題なさそうだ。

 残るセオは、わずかに怪訝そうな表情をみせたものの、一応納得はしてくれたようだった。

 常に帽子を被っている理由がこれで通用するなら、あとは転んで落としたり、風に飛ばされたりしなければ大丈夫だ。

 サミルがホッと胸をなでおろしたところで、窓の外から午後一時を告げる大時計台の鐘の音が聞こえ、昼休みが終わりを告げた。

「午後もまた窓口業務ですか?」

 セオの問いにグランディは顎に手を当てて少し考えた後、こう答えた。

「当初はその予定だったんだが……今日の午後指定の荷物と書簡の量が予想より多いみたいだからな、また配達の方を頼むぞ」

 その答えに、配達へ行けると喜ぶサミルと、窓口に出なくて済むと安堵あんどの表情を浮かべるセオなのだった。

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