第1章 *3*

 王都ユウファは坂が多い街で有名だ。街の中央、ウェール城のある場所が一番小高く、そこから離れるほどに土地は低くなっていく。

 サミルが配達を任されたのは、比較的坂道の少ない商店街一帯だったはずなのだが……なぜか彼女は今、急な階段や坂道の多い住宅街の真ん中に来ていた。

 腰に鎖でぶら下げられた懐中時計は、午後三時五十分を指している。

 サミルがふと立ち止まって見上げた空は、淡いだいだい色やくれない色に染まり始めていた。

 しかし、明日もきっと晴れるんだろうな……などという呑気なことは考えていなかった。

 指定された二通の書簡はほぼ時間通りに届け終わり、残るは一通。

 しかし、その一通の配達指定時間までは、あと十分を切っている。そしてその書簡の配達先は、サミルが今いる場所から絶対に十分では辿りつけないような場所が指定されていた。

「どうしよう、間に合わない……」

 数分前にも通った覚えのある道に、サミルはため息をつく。

 何かあったら、近くの想伝局に――と言われたが、付近に想伝局は見当たらない。かといって、中央想伝局に戻ろうにも現在地がよくわからず、動きようがなかった。

 どうしたものかと困り果てたサミルは天を仰ぐ。

 すると、背後から突然、「おい」と声をかけられ、サミルは驚いて振り返った。

「えっ、なんでここに……!?」

 サラサラの黒髪を風になびかせ、そこに立っていたのはセオだった。

 助かった――と思う反面、その険しい表情にサミルは顔をひきつらせる。

「なんでって、それはこっちのセリフだ。お前が配達を頼まれた地域はココじゃねぇだろ。こんなトコで何やってんだ?」

「えーと……迷子?」

「はぁ? お前、局を出る時にグラン指導役に借りた地図はどうした? まさか、地図が読めないとか言う気か?」

「よ、読めるわよ。ただ、その……ちょっと迷子になって泣いてる子を見つけて、一緒にお母さんを探してあげてたら、現在地がわからなくなっちゃって」

 現在地がわからなければ、地図はなんの意味もなさないではないか、と反論するサミルに、セオは心底呆れた様子で空を仰ぐ。

「……バカか。わからないなら、そこらの通行人に聞けばいいだろ?」

「うっ……だって、想伝局員が道に迷ってるなんて、恥ずかしくて聞けなかったんだもの。それに、想伝局はどこを探しても見つからないし……」

「見つからない? なら、あそこに見えてるのはなんだ?」

「え?」

 セオが指さす方向を見やれば、入口脇に春詩樹はるしきの木が植えられた小さな建物――想伝局のひとつがそこにあった。

「あれ?」

 この道はさっきから何度も通っていた気がするのだが……それはきっと気のせいだ。

「ホントだあ……」

サミルはひたいにじんだ汗をぬぐいながら苦笑した。

「で、一応聞くが、配達はもう終わってるんだろうな?」

「……それが、実はその……」

 サミルがそろりと鞄から取り出した書簡を、セオは驚いてひったくった。

 表に書かれている宛名と、指定された日時を素早く確認して絶句する。

「これは………」

「どうしよう、もう間に合わな……」

 肩を落としてつぶやきかけた瞬間、セオはサミルの手を取り、坂を勢いよく下り始めた。

「お前、諦めんの早過ぎ!」

「ちょ……ちょっと、セオ!? 場所、わかるのっ?」

 走り出したからには、きっと知っているんだろう。しかし、今から全力で走って向かったとしても、指定時間には到底、間に合うわけがない。

愚問ぐもんだな! 例え間に合わなくても、一分でも一秒でも早く届けるのが仕事だろ! クソッ、お前に関わるとロクなことねぇな!」

「……ごめんなさい」

「謝るのは俺より先に、客にだろ!」

「はい……」

 怒鳴どなりながらも走り続けるセオを追いかけながら、サミルは自己嫌悪におちいっていた。

 結局、お客さんの家に辿り着くことができたのは、指定された時刻から二十分近く過ぎた頃だった。

 家の前で書簡の到着を待っていた壮年の男性に書簡を手渡し、サミルとセオは深々と頭を下げる。

 けれども、怒りを通り越してあきれた様子の男性は、無言のまま家の中に入っていってしまい、とうとう許してもらうことはできなかった。



「――ということがありました。すみませんでした!」

 とっぷりと日が暮れてユウファ中央想伝局へ戻ってきたサミルは、すぐにこのことを報告して、頭を下げた。

 再び怒鳴られるのを覚悟していたサミルは、しかし頭をポンと軽く叩かれただけだったので、驚いて顔を上げた。

 グランディに怒っている様子はなく、優しげな笑みを浮かべていたのでさらに驚いた。

「反省してるんだろ?」

「はい」

「時間厳守の大切さも、わかったろ?」

「はい……」

「なら、もういいさ。誰だって一度や二度の失敗はある。ほら、今日の終業時刻は過ぎてるから、もう着替えて帰りな。明日もまた頼むぞ」

「はい、頑張ります。ありがとうございました!」

「おっと、礼を言うならセオにしな。助けてくれたんだろ?」

「いえ、俺は当然のことをしたまでです」

 サミルが頷き、すぐにお礼を言おうとした瞬間、それまで黙って隣で聞いていたセオがポツリとつぶやいた。

「あー、お前も素直じゃねぇなぁ。ま、仲良く二人で頑張れや。お疲れさん!」

 グランディはセオの頭もポンポンと軽く叩くと、まだ仕事が残っているのか、集配室へと入っていってしまった。

「……ありがとね、セオ」

「……」

 無言のまま二階の更衣室へと歩き去っていくその背に、サミルは感謝の想いを込めて頭を下げたのだった。

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