「天と話す者」7

私達はメインビーチの浜辺を歩く事にした。



この国の海を、こんなに間近で見るのは初めて。海でサーフィンをしている少年、寝っころがって肌を焼く人達、みんな自然の中でとてものんびり過ごしている。



「あ、今度ビーチサンダル買わないと」



ふかふかの砂浜に、スニーカーがどんどん埋まっていった。靴を脱いで手で持ちながら歩いていると、日本では見たことのない鳥が人間に怖がらずに傍を歩いてくる。大きな波がやってくると、一緒に潮風が吹いた。その鳥は、波を避けるようにして大空へ羽ばたいていく。顔を上げてそれを見つめていると、メリッサが小さな声で呟いた。



「風が心地良い、海が冷たい、砂浜が熱い。全て、死んでしまったら感じられない事よね。目の前にある自然を、もっと大切に思わないとね」



そんな事を誰かの口から聞いたのは初めてだった。今まで生きてきて、そんな事を一度も思ったことがない。そんな自分が恥ずかしくて、何も言えなかった。私はいつも自分の事しか考えてなかったから、自然が大切なんて気付きもしなかった。ミシェルさんもメリッサも、日常で見落としている小さな幸せを、大きな幸せへと変えてしまう。



“我々の心がそれを幸福にも不幸にもする、唯一の原因であり、支配者なのである”

楠木マスターのノートにあった、モンテーニュの言葉をふと思い出した。



「今のメリッサの言葉で、大切な人が教えてくれた言葉を思い出しちゃった」



するとメリッサが足を止め、目を細めてじっと見つめてくる。もしかしたら、また何か見えてるのかもしれない。



彩に会いたい。楠木マスターに会いたい。そう思う事は、間違っているのかな?

よく思った、霊でも何でもいいから、もう一度会えることが出来たらいいのにって。大変な事の方が多いと思うけど、メリッサの能力を少しだけ羨ましいとも思った。



「背が高くてカメラを持った男性―― 彼が、教えてくれた事なのね?」



驚いてメリッサを見つめた。楠木マスターが傍に居るとは思わなかった。メリッサは変わらずに、私とはズレた場所を見つめている。



「エリが話をしていた時、彼がじっとエリを見つめていた。まるで愛しい我が子でも見るようにして」



懐かしい楠木マスターの笑顔が脳裏に蘇り、思わず涙が出そうになる。



さっきメリッサから、自分の能力と向き合う事は大変だったと聞いた。その大変な努力を聞いておいて不謹慎かもしれない。だけどもしも今、彩が見えているのだとしたら、彩の言葉を聞きたい。私の想いを伝えて欲しい。自分勝手だというのは分かってる。だけど、メリッサの力に頼りたいという想いを隠すことが出来なかった。



「さっきメリッサが言ってた髪の毛の長い女の子はね、私の大切な妹なの」



すると突然、メリッサが驚いた表情で砂浜に転んでしまう。



「どうしたの?」


「エリが妹の事を言ったら、彼女が突然、私に抱きついてこようとしたの。だから驚いて転んじゃったわ」



くすくす笑うメリッサに手を差し出した。



彩ったら人見知りしない性格だから、きっとメリッサにも懐こうとしたんだ。そう考えたら、一緒になって笑ってしまった。



「ごめんねメリッサ」



メリッサはロングスカートについた砂を払いながら、笑顔で首を横に振る。



「気になるんじゃない?妹の事が」



全て見透かされている気がした。そんなに気にしてる顔をしてしまっていたのかな。気を遣わせちゃって申し訳ないな。そんな思いで何も答えずにいると、優しい表情を見せてくれた。



「さっきの話を聞いたからって、気にする事ないのよ?」



その笑顔を見ていると、なんだか涙が出そうになる。人の心を読む力は、霊が見える能力によるものなのか、それとも、生きてきて培ったものなのかは分からない。

どちらにせよ、自分の想いを聞いてもらいたかった。



「私ね、妹が死んでしまって、生きる意味が分からなくなったの。それで何も考えずに、遠くへ行こうと旅に出たんだ」



メリッサの瞳を見ていると、不思議と心にしまっていた感情が引き出されていく気がした。吸い込まれそう、というような表現にも似ている。



「私にとって妹は、生きる光だった。それを失って、まるで真っ暗闇を歩いている様な気持ちになったの。こんなにも悲しくて生きるのが辛いのに、どうして私は生きているんだろうって」



気付くと涙が出てしまっていて、メリッサが肩を抱いて砂浜に座らせてくれた。

出逢って直ぐに、こんな赤裸々に自分の感情を伝えたのは初めてだった。言葉は止め処なく零れてしまう。



「誰にも言った事ないけど―― 私、自分が死ねば良かったのにってそう思ずにはいられないの」


「エリ、そんな悲しい事を言わないで。あなたの妹が―― 泣いてるわ」


「彩、が?」



もしかしたらあの頃話しように、私に何か伝えたい事があるのかもしれない。

彩の性格なら、こんな風に落ち込む私を見ていたら、黙っていられないはず。



私は彩に手紙を書き続けて想いを伝えてきた。だけど彩は、何か伝えたくても伝える術がない。自分ばかりが悲しんで辛いと思っていたけど、考えてみれば、彩のがもっと辛かったのかもしれない。



「エリ、生きる事に意味のない人間なんてこの世に居ないわ。あなたにはまだ、やり遂げていない、大事な何かがあるはずよ」


「ごめんなさい。こんな弱音吐いて」



メリッサは優しく肩を摩ってくれる。



「いいのよ。心を開いてくれて、嬉しいわ」



出逢ったばかりなのに、こんな事を聞いてもらうなんて思ってもみなかった。

彩が居てくれている、そう思ったら聞いて欲しいという感情だけが溢れていた。

それはメリッサに聞いて貰いたくて語りかけているのか、それとも彩になのか――

正直自分でも分からない。



「私はね、自分の能力を初めは酷く嫌った。だけどこれは私の運命。この力と向き合って行く事が私の運命なの。妹の死を受け入れるのも、あなたの運命なのよ」



メリッサの瞳は真っ直ぐで揺らぐ事がない。

辛さを乗り越えて、こんな風に強く生きたい。そう思った。



「言葉が分からなくても見れば分かるわ。あなたの妹は、あなたに幸せに生きて欲しいと願ってる」



私はいつまでも泣いた。



メリッサの能力を信じられない人がたくさん居たとしても、私には確かに感じる事があった。それは私にしか感じられない、見えない彩の存在だった。






                    ***





それから、あっという間に三週間の時が過ぎた。



梨香さんが学校に行っている間は、買い物に出掛けたり、海を散歩したりして、のんびりとした日々を過ごしている。メリッサとはすっかり仲良しになってしまい、しょっちゅう顔を合わせた。私に初めて出来た、外国の友達。



ダンさんのご両親にも何度か夕飯に招かれ、オーストラリアの優しい家庭に触れる事も出来た。そうやって生活を続ける内に、すっかりこの国の虜になってしまっている自分が居る。内気で人見知りな私が、まさかこんな陽気な国に馴染めるとは思わなかった。もしかしたら、また梨香さんのお陰なのかもしれない。



「あ、そろそろ梨香さん帰ってくる」



今日は3人で飲み明かそうという梨香さんの提案で、メリッサも家に来る予定だった。



夕飯の材料を調達しに、小さなショルダーバックを下げて外に出る。海を散歩しながらスーパーに向かう、それが日課になっていた。

景色を眺めながら歩くのが、私のお気に入りの時間。



空に向かって大きく伸びをした。



今にも空が掴めそう――。波の音が包み込んできて、太陽が痛いほどに照り付けてくる。その全てが心地良い。



『世界は広いんやで?きっと大きな影響と出逢いを運んでくれるはずや』



楠木マスターの言葉を思い出した。



この空も海も、香川のあの島に繋がっている。そう思うと、胸に何かが込み上げてくる。とにかく今は、感謝の気持ちでいっぱい。



「楠木マスター、私、ここに来ることが出来て、本当に良かった」



小さく呟いた。そして、目を閉じて心で語りかける。



きっと今も傍に居てくれているんだよね?お陰でまた素敵な人達に出逢えたよ。美紀ちゃんに負けない様に、私も強く生きていくね――。



「ありがとう」



心を込めてそう言った。



午後の眩しい日差しが、どんどん包み込んでくる。この旅初めて、生きているんだなぁという事を、心の底から実感した。



買い物を済まして家に戻る。からっとした外の暑さから此処に戻ると、木の香りが迎え入れてくれてホッと一息つけた。住まわせてもらってそんなに経たないのに、この家に居るとまるで自分の家みたいに落ち着く。



「よし、作るかな」



ミシェルさんに教えて貰ってから、すっかり料理を作る事にハマッてしまっていた。今ではこの家の調理道具が何処にあるのか全て把握している。夕飯を作りながら梨香さんを待つのが楽しい。気付けば料理のバリエーションが増えていった。



このままずっと、此処に住んでいたいかも――。

そんな風にさえ思い始めてきていた。



料理を作り終え、メリッサが泊まるので自分の部屋を掃除する事にした。



片していている内に気が付く。二週間の内に、物が増えている事に。

ビーチサンダルやタオルに洋服、今まで旅で物をあまり買わなかったのに、此処では日に日に日用品を増やしていっていた。此処に住みたいという思いが、無意識に行動に出てきているのかもしれない。



「あ――。」



久しぶりにボストンバッグを開けてみると、大量のチラシや請求書が出てきた。これはこの国に来る前に、ポストから引っこ抜いてきたもの。すっかりと忘れていた。



一つ一つを見ながら、作業のようにぽいぽいゴミ箱に捨てていく。すると、気にも留めない紙きれ達の中から、一通の手紙が出てきた。人の字で、丁寧に私宛で住所と名前が書いてある。封筒を裏返して、差出人を確認した。



思わず自分の目を疑う。



「――どう、して?」



名前はなかった。



だけど送付元の住所が、引き払ったはずの彩が住んでいた住所だった。

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