「罪から逃げる青年(後)」1
『彩、何?その手首の傷』
『――めんなさい』
『彩――。』
『ごめん、なさい』
『どうしてこんなこと』
『わかんない。彩にもわかんないの――。』
『変な事、考えてないよね?』
『死にたい訳じゃない―― なのに、止められない』
『二度としないで。お願いだから』
『声がするの』
『え?』
『おまえは必要じゃないから、死ねって――。』
『彩?』
『変な薬とかやってないよ。ああいうの大嫌い』
『うん、わかってるよ』
『上手く説明出来ないけど、その声がすると―― 辛くて苦しくて、痛みで紛らわさないと眠れないの』
『何か悩み事でもあるの?』
『……』
『辛いことがあるの?』
『辛いって一体、何処から何処までが辛いって言うんだろう』
『え?』
『生きる事は辛い事だってわかってるのに、なのに、どうして彩は生きてるんだろう?』
『彩――。』
『だけど死ぬことも出来ない。いつもこうやって、中途半端に自分を痛めつけるだけなんだよね』
『ねぇ―― 今度一緒に、病院に行こう?』
「おい――。」
耳に入ってきたのは、私を呼ぶ声と電車の走る音。
ゆっくり瞼を開くと、池上君が私の肩を揺らしていた。
どうやら電車の中で眠ってしまったみたい。
彼は表情を変えずに、じっと見つめてくる。
「どないしたん?」
声のトーンがいつもと違う気がする。
私の事を、心配してくれている様な声だった。
「なんで、泣いとるん?」
そう言われて、そっと自分の頬に触れてみる。一筋の涙ではなかった。何度か流れていたようで、たくさんの涙が頬を濡らしていた。 何事もなかった様にその涙をさっと拭う。
「いいの、いつもの事だから――。」
「怖い夢でも見とったん?」
「ううん―― 妹の夢をね、よく見るの。思い出の夢を」
「――そうか」
涙って出しても出しても減らない。
どのくらい流せば、泣く事を止められるのだろう?
泣いたって何も変わらない。どんなに涙を流しても、彩はもう戻らない。
なのに、こんな風に現実だけではなく夢の中でも泣いているなんて、私の涙腺はもうどうかしてると思った。
車内の窓から外を見ると、辺りはすっかり暗くなっていて、気付けば見慣れた最寄駅に到着していた。
「着いたで」
ぼーっと放心状態でいると、彼が腕を掴んで引き上げてくれる。
「ありがとう」
そしていつもの様に、私が寝泊りするホテルへと向い出した。もしかしたら送る事が癖になってしまったのかもしれない。そう思ったので、何も言わずに好意に甘え後ろを付いて歩く。
線路沿いを距離を取って歩く私達は、いつもと何も変わりはない。
彼の告白を聞いても、何の違和感も持たずに接する事が出来た。
目的地に到着したその時、池上君がゆっくり振り返る。
「なあ――。」
そのまま次の言葉を言わず、お互い沈黙の時が流れた。
その沈黙を裂くかの様に、電車が側を走り抜ける。
生ぬるい風が私達の髪を靡かせた。
それによってはっきり現れた、池上君の冷めた瞳。その瞳を逸らさずに見つめた。
私はこの人の陰を知った。だけどまだ全てを知った訳ではない。
何かがまだ、埋まっている様な気がした。
それはきっと、彼の心の声。
言葉を待ってじっとしていると、やっと私に目を移し口を開いた。
「警察に、連れていかへんの?」
「え?」
「執行猶予まで、まだ七年もあんねん」
さらっとそう言い放ち、再び目を逸らしてしまう。
“人を殺した” その言葉に驚き、詳しい事を聞けなかった。
掘り下げて聞いていいものなのか戸惑う気持ちもある。
少し考えてから返事をした。
「――私にはまだ、よく分からないから」
彼は目を伏せたまま、こちらを見ようとしない。その様子を見て、まだ詳しく話すつもりじゃないのかもしれない、そう感じ取った。
「また明日、バイトでね」
そう言うと池上君は、いつも通り挨拶せずに帰って行く。
去り行く彼の背中を見つめずにはいられなかった。
人を殺したと言われたのに、何故か恐怖心を抱けない。
詳しい事を聞いてないからかもしれないけど、それよりも、私に告白した事でよからぬ事を考えないかが心配だった。
池上君がいつも楽しくなさそうなのは、あのお墓で眠る人の為なんじゃないかと思う。 誰とも接さないで一人で居るのは、自分が幸せになってはいけないと思っているから――。それが、許されない事だと思っているのだと感じた。
翌日の仕事中、自ら池上君に話し掛けた。
「池上君、このCD聴いた事ある?」
周りのスタッフは、やめとけよと言わんばかりの渋い表情で見ている。
気にもせず、アリシアキーズのCDを見せ彼の反応を待った。だけど、私の事すら見ずに無表情のまま。 店内で流れる流行のJ-POPが、空しく私達を包み込む。
池上君は少しすると、何事もなかった様に立ち去ってしまった。
――無視か。予想範囲内だけど。
そう思い、あまり間も空けずに再び池上君の後をついて回る。
「さっきのCDね、アリシアキーズっていう人のアルバムなの。この間話した歌手してた友達―― その人から貰ったんだ、知ってる?」
彼は相変わらず表情を何一つ変えない。
ついでに言うと、まるで私が空気かの様な対応をしている。
いつもだったらへこたれるんだけど、この日はめげずに話し掛け続けた。
「ねぇ池上君、このDVDって何処に返却すればいいんだっけ?」
や、
「この映画面白いかな?」
や、
「池上君って何で頭金髪なの?」
など、意味の分からない質問まで投げかけた。
凡そ三日間――。
こんな具合で、しつこく彼に話し掛けるという事を日課にしていた。
自分にこんな勇気があったとはと、思わず関心してしまうほどだった。
こんな事をしてしまっている理由はただ一つ。 池上君の事が心配で仕方なかったから。墓地に行ったあの日、私に過去を告白した、あの日から――
なんだか、居ても立ってもいられなくなった。 話し掛け続けて意味があるのかは分からないけど、彼に孤独感を与えてはいけないと思った。
話し掛け攻撃を続けたある日の帰り道、池上君は痺れを切らした様にようやく口を開く。
「なんやねん」
思わず目を丸くさせて口を閉じた。
さっきまで1人で取り留めのない会話をしてた。
返事はないものだと思って話していたので、反応があった事に驚いてしまう。
ホテル前に到着し、彼は明らかに不愉快そうな表情で振り返った。
「だからなんやねん、ここ何日か」
逆にストレスを与えたのかもしれない。そう思うと苦笑いするしかない。
「突然お喋りんなっても、無理あるで」
「え」
「見てて痛々しいわ」
そこまで言わなくても。その思いを表す様に、つい肩を落としてしまった。
私はいつもの自分に戻って、何も言わずに黙り込む。既にこの時間には電車が走ってないし、人も少ない。シーンと静まり返る中、微かに聞こえるのは電柱から聴こえる電子音だけ。
こんな状況だけど、やっぱり静かな方が性に合う。
今日でお喋り日課は止めにしようと思った。
そんな中、珍しく池上君から近付いてきた。
「自分、恐ないん?」
長めの前髪から見える彼の瞳。それを逸らす事無く、真っ直ぐに見つめた。
「恐いって―― 何が?」
「だから、俺が恐ないんか?」
最初は恐い人だと思ったけど、一緒に時間を共有していく中でその考えは次第に薄れていった。それ所か最近では、お互いの沈黙が心地よく思えるくらい。
正直に小さな声で告げた。
「――恐く、ない」
「おまえ頭おかしいんとちゃう?人を殺した言うたやろ」
確かにそう聞いた。ずっと気になっていた池上君の心の陰。
だけどそれを知ってしまっても、彼に対する思いは変わらない。
いつだって孤独で、だけど何処か悲しそうにしている人。
俯いていると、池上君はきつめの口調で言い放った。
「もしかして自分、美化しとるん?」
「え?」
「せやったら残念やな。正当防衛で殺してしもたとか、そんな事ではないからな」
何も返す言葉が出なかった。何故彼が苛々しているかも理解出来ない。
「警察突き出したいんやったら、はよせえよ」
ますます池上君の考えが見えない。
なんだかよく分からないけど、胸がギュッと締め付けられ苦しくなった。
「池上君―― そうして欲しいの?」
恋愛感情、友情、同情心、何の情なのか分からない。ただただ悲しかった。
しばらくの沈黙の後、池上君は何も言わずに去っていく。痛くなった胸を押さえながら振り返った。 去り行くその背中に、何か大きな重みを感じる。
胸が痛くて息苦しかった。
そんな中、部屋に入ったのと同時に携帯電話が震え出す。
池上君だったりして――。 番号を辛うじて知ってはいるけど、お互い連絡を取った事はない。有り得もしない事だけど、もしかしたらという思いで電話を取り出した。 画面を見てみると、メールが届いた事を知らせるマークがある。慌てて受信BOXを開いてみて、つい力が抜けてしまった。
送信してきたのが慎だったから。内容はこんな物だった。
受信:星野 慎
―――――――――――――――
恵利ーオィッス★
最近何やってんのー?
俺は鬼忙しいぜ!!
やっぱ人に才能はあるらし♪
ホストは俺のまさに天職(*´Д`)
俺今店でNO.2ダゼ(≧∇≦)b
女の客なんてチョッレェなぁ(´3`)
―――――――――――――――
添付画像あり
相変わらずの絵文字満載メールだった。 呆れ顔で添付画像を開くと、何処から見てもホストだという外見の慎が現れた。手にお酒のボトルを持っていて、ウィンクをしている。 撮影後に自分で編集して付け加えたであろう、“ドンペリペリいっちゃてぇ↑↑”なんて文字も添えてあった。
――ピピピ、ピー(削除しました)
思わず深いため息を吐いてしまう。
世の中には大変な人も居るのに、慎は気楽で本当呆れる。そんな思いのため息。
携帯電話を力無く手から離し、花瓶の水を交換しようと立ち上がる。あの花は枯れちゃったけど、あれから池上君の代わりにと菊の花と
小さなビジネスホテルの一室で飾った所で、誰にも届かないかもしれない。
だけど、花を持っていく事の出来ない不器用な彼の代わりにと、密かにこんな事を続けている。
花瓶をバスルームに持っていき、水圧の弱い水の音を聞きながら考えた。
池上君は一体、どうして欲しいのだろうと。そして私は、どうしたいのだろう?
心の鍵を開けてみたいのかもしれない。だけど、何故そんなにも知りたいのだろう?
“自分に似ているから”
ただそれだけの理由ではない気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます