第039話 別離


最初にいなくなったのは、左腕の親指だった。ある夜、布団に入って寝ていると、私を呼ぶ声がする。聞けば、左腕の親指だという。親指は今まで世話になったことの礼を述べると、私から去る事に対する短い別れを告げた。布団から手を出してみると、親指がなくなっていた。同じように、次々と私の体が私を離れていった。指に続き、腕、足が去って行った。両腕、両足がなくなった私は起き上がることもできず、体をよじらせて薄暗い部屋を見渡す。窓からわずかに漏れる街灯の光が、暗い部屋の中を曖昧に映し出していた。左目が私から去って行った。私は視界を半分失った。すぐに右目も私を離れ、部屋には暗闇しかなくなった。鼻も、口も、耳もいなくなった。心臓も、肺も、腎臓もいなくなった。骨もいなくなった。脳も、神経も、血液も、いなくなった。肉体が私から離れていった。そして、最後に「私」も私から去ってゆくことを告げた。そのようにして、私はいなくなった。布団には、かすかな温もりが残っているだけだった。

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