第34話 遭遇、逃走、そして再会


 発見した隠し通路を、レグナムとパレットは進んでいく。

 途中で道が分岐することもなく、隠し通路はレグナムたちから見て左に緩やかな弧を描きながら伸びている。

 どれぐらいその狭い通路を歩いただろうか。ふと何かに気づいたパレットが、前を行くレグナムに声をかけた。

「ねえ、レグナム。私、今気づいたんだけど……」

「ん? 何をだ?」

「この通路……緩やかだけど登り坂になっているわ」

 レグナムは立ち止まり、隠し通路の先をじっと見通す。

「登り坂だと? どういうことだ?」

 これまで苦労して降りてきた迷宮の各階層。それを無為にするかのように、この隠し通路は緩やかながら登りになっているとパレットは言う。

 彼女は本職の発掘屋である。迷宮内における平衡感覚などは、レグナムよりもパレットの方が正確に違いない。

「どうする? 引き返す?」

 パレットのその問いに答えることなく、レグナムはじっと通路の奥を睨み付けながら考え込む。

 そして。

「……いや、このまま進もう。仮に上の階層に戻ったとしても、またこの隠し通路を使えば簡単に下の階層に戻れるからな。この通路がどこに通じているのか、それを確かめてから戻っても遅くはないさ」

 レグナムの言葉に頷き、パレットは再び歩き出す。

 すぐ前を行く、逞しい背中に複雑に揺れる視線を注ぎながら。




 しばらく歩を進めた隠し通路に、ようやく変化が現れた。

 通路を遮るように、扉があったのだ。

 先程の取っ手の罠もあり、レグナムは更に慎重に扉を調べる。そして異常がないことを確信すると、極力音を立てないようにゆっくりと扉を押し開いた。

「な──っ!?」

 生じた隙間から扉の向こうを覗き込み、上げそうになった声をレグナムは何とか飲み込む。

 パレットもレグナムと同じように隙間から部屋の中を覗き込み、手で口を押さえて必死に声を押し止めている。

 扉の向こうは広い部屋。

 そしてその広い部屋の真ん中に、どんと鎮座するものがいた。

「なに……? あれ……?」

「魔獣……だよな?」

 部屋の真ん中に鎮座するもの。それはどう見ても魔獣だ。

 大きさとしてはよろいねずみとほぼ同等か、こちらの魔獣の方がやや大きいかもしれない。

 全体の色は黒。丈夫そうな黒い体毛が体全体を覆っている。

 前肢と後肢の先には鋼色の鋭い爪。特に前肢は大きく、巨大なスコップのようにも見える。

 その魔獣は長い鼻先を体側にくっつけ、丸まって眠っているようだった。

 そしてレグナムたちは、この部屋の中に魔獣が出入りするためと思われる巨大な横穴と、魔獣の巨体の向こうに彼らが開けているのと同じような扉があるのを見つけた。

「どうする?」

「どうするって……やっぱり、あの扉の向こうへ行くべきなんだろうな……」

 レグナムは僅かに開けた扉の隙間から、向こうに見える扉を見据える。

 そのまましばらく考え、そして決意する。

「よし。あの扉の向こうへ行こう」

 パレットにそう告げたレグナムは、扉をもう少しだけ押し開けるとそこへ身体を滑り込ませた。




 部屋の中は広かったが、それでもその殆どを魔獣の巨体が占めていた。

 その魔獣を起こさないよう、レグナムとパレットは壁伝いにゆっくりと静かに、そして慎重にもう一つの扉へと近づいていく。

 二人は呼吸さえ最小限にして、魔獣に気づかれないようにじりじりと進む。

 そして二人が最も魔獣の近くを通りかかった時。もぞりと魔獣の身体が動いた。

 途端、まるで石になったかのように身動きを止めるレグナムとパレット。

 緊張と恐怖でパレットの背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 レグナムも、いつでも愛用の長剣ロングソードを抜けるよう、柄に右手を添えた。

 だが、魔獣は単に身動ぎしただけのようで、相変わらず寝入っているようだ。

 安堵の溜め息を洩らすことさえ差し控え、レグナムとパレットはじりじりとした前進を再び開始した。




 音もなく閉じた扉の取っ手から手を放して、レグナムとパレットは大きく息を吐き出した。

「はああああああ。何とか無事に通り抜けられたわね」

「ああ。だが……」

 レグナムは目の前の光景に眉を顰める。

 今、レグナムたちの前には異様な光景が広がっていた。

 彼らのいる通路を挟み込むように、巨大な檻が整然と並んでいる。しかも、幾つかは空の檻もあるものの、その大半には魔獣が入れられていたのだ。

「これって……」

「ああ。こいつらは鎧鼠だ」

 少なく見積もっても十体以上の鎧鼠が、巨大な檻の中に入れられている。

 檻の中の鎧鼠たちは、大人しく寝ている個体もいれば、忙しなく動き回っている個体もいる。中には檻の中に設置された巨大な回し車に入って走り、がらがらとその回し車を勢い良く回転させているものもいた。

「な、何か楽しそうね、あれ」

 鎧鼠が回し車を回すという珍しい光景を見て、目を輝かせながらそう言うパレット。

 まかり間違っても彼女が檻の中に入っていかないように気を配りながら、レグナムは周囲を警戒しつつ檻の間を進む。

 檻に入れられているのは鎧鼠だけではなく、その他にも様々な魔獣が檻の中にいた。

 猿のような魔獣、蜥蜴のような魔獣、猛禽のような魔獣など、実に様々だ。中には檻ではなく石造りの井戸のような穴の底にでわだかまる、真っ黒な粘塊状の魔獣までいる。

 そして、レグナムたちの前には再び扉。今度も慎重に慎重を重ねて扉を開ける。

 僅かな隙間から扉の向こうを覗き込んで危険がないことを確認し、レグナムとパレットはその中へと入り込んだ。

 やはり、扉の向こうは部屋になっていた。だが、この部屋はなぜか壁に無数の穴が開いている。

 穴の大きさは直径で約三分の一ザーム(約一メートル)ほど。その穴が部屋を囲む四つの壁のあちらこちらに開いていた。

 それ以外にはもう一つ扉があるぐらいで、部屋の中には他にはなにもない。

「何だろう、この穴……」

 穴の中を覗き込みながら、誰に問うでもなくパレットが零す。

「さあな。正直、この迷宮の中にはよく分からないものばかりだ。こいつも何なんだか──」

 そう言いながらレグナムがランタンをかざして穴の中を覗き込もうとした時。

 その穴の中から黒くて丸いものがひょっこりと現れた。

「はい?」

 思わず、ぽかんとしながらその黒くて丸いものを凝視するレグナム。

 穴から現れた黒くて丸いものも、にょっきりと生えた触覚のようなものをひくひくと動かし、複眼じみた大きな目でじっとレグナムを見つめている。

 いや、それは触覚のようなものではなく、まぎれもなく触覚であった。そして、複眼じみているのではなく、正しく複眼だった。

「あ……蟻?」

 そう。

 それは蟻だった。ただし、かなり巨大な蟻だ。

 通常の蟻をそのまま大きくしたかのような、体長三分の一ザームぐらいの巨大な蟻。

 巨大蟻はレグナムとパレットを確認すると、その牙を軋ませてきしゃしゃしゃしゃしゃしゃと耳障りな異音を発した。

「な、何事っ!?」

 巨大蟻が発した異音に、驚いたパレットがあたふたと周囲を見回す。

 すると、壁に開いた穴という穴から、次々に同じような蟻たちが姿を見せた。

「ちっ、どうやらオレたちは侵入者と認定されたみたいだな!」

 長剣を引き抜き、身構えながらレグナムは状況を確認する。

 蟻たちは次々に穴から湧き出して来る。レグナムが見たところ、蟻単体ではそれほどの脅威とは思えない。顎の力は強そうだが、動き自体は決して速くはない。身体も強固そうではあるが、粉砕の岩人形ほどではないだろう。つまり、粉砕の岩人形を破壊できるレグナムなら蟻の外殻を斬り裂くのは難しくはない。

 だが、その数が多すぎた。

 蟻たちは今も尚、穴からどんどん湧き出して来る。もう既に部屋の半分ほどが蟻たちで占められている状態だ。

 しかも蟻だけあって、床だけではなく壁や天井までも這い回っている。このままではいくらレグナムとはいえ、その物量に押し潰されるのは時間の問題だろう。

 となれば、彼らの選択は唯一つ。

 互いに確認するまでもなく、レグナムとパレットはもう一つの扉へと向かって駆け出した。




 幸い扉やその周囲に罠などはなく、レグナムとパレットは無事に扉を潜り抜けた。

 そして扉をしっかりと閉め、その向こうに伸びていた通路を後ろを振り返りつつ走り抜ける。

 どうやら蟻たちは扉を壊してまでレグナムたちを追うつもりなないようだ。

 あの巨大な顎と牙ならば、何の変哲もない木製の扉など簡単に壊せそうなものなのだが。

 しばらく通路を走り、徐々にその速度を緩めていくレグナムたち。

 やがて二人は足を止めると、思わずその場に座り込んではあはあと荒い息を整える。

「くっそ。何なんだ、あの巨大な蟻の大群は?」

「あれだけの数がいては、さすがのレグナムでも倒しきれないのねぇ」

「あたりめーだ。オレは普通の人間だっての」

 案外、カミィならあれだけの数の蟻でもあっさりと片付けかねないがな、と頭の隅で考えつつ、レグナムは通路の壁へとその背中を預ける。

 だが。

 壁がレグナムの身体を支えたのは一瞬だけ。その後は、まるで肩を透かすようにレグナムの身体に押されてそのまま外側へと開いた。

 となると、当然壁に寄りかかっていたレグナムは、開いた壁と一緒に傾きそのまま倒れてしまう訳で。

 レグナムの身体は、ついさっきも似たようなことがあったなぁ、と他人事のように考えながら倒れ込んでいく。

「れ、レグナムっ!?」

 パレットも突然開いた壁──ぶちゃけ、またもや隠し扉──に、思わず腰を上げた。

 そんな状況の中、どすんという音と共に背中から倒れたレグナムは、倒れたまま呆然とを見上げた。

 は椅子に座り、干し肉と思われるものをもっきゅもっきゅとしがみながら、花が咲いたような笑顔をレグナムへと向けた。

「おお、レグナム。思ったより早かったのだ」

 床に仰向けに倒れたレグナムと、椅子に座ったカミィの視線がしっかりと絡み合った瞬間だった。


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