063 慰めと提案
地震の影響は大きかった。
首都直下地震にも耐え得るように設計されているため、都営大江戸線は平常通りの運行を続けた。が、そこに至るまでの路線がダイヤ乱れや運転見合わせを連発していた。教師が一限の授業に間に合わず、急遽休講が決まるクラスも珍しくなかった。
中三αは問題なく授業に入ったものの、遅刻者が続出。どうせ後で消されるからと遅刻の確認すら行われなかった。渚に欠課はつかなかったが、渚が授業を確信犯的にサボったと知っているのはただ一人、聖名子だけであった。
中休みになって、悠香たち五人もようやく揃った。地震による変電所の故障で、麗の乗ってくるつくばエクスプレスが運転を見合わせていたからだ。
悠香の机の周りに、陽子、亜衣、菜摘、麗は集まって座る。簡単な会議の場ができた。
「結局、壊れてたのはほぼ基盤だけだったみたい」
悠香はスマホで撮影した写真を見せる。ロボットそのものは既に、解体できるものは解体して仕舞ってあった。
陽子が苦々しそうに笑う。「しかし、怪我の功名ってヤツなのかね……。基盤ならあたしたち、昨日までに全部の予備を用意してたんだもん。交換すりゃいいだけでしょ?」
写真を見た麗が頷き、一同ほっとする。麗の見立てなら間違いはあるまい。これなら、ロボコンには問題なく参加できそうだ。
「他はタワー部の歪みだけど、これもネジを締め直せば大丈夫だと思う」
「ラッキーだったねぇ、私たち」
「……それにしても、石狩さんはこうなる事を知っててあんな指示を出したのかなぁ」
「もしかしてドレークの
「お、押してないよっ!」
「地震兵器ってたちの悪い都市伝説の一つじゃん……」
気楽になったせいか妙に賑やかな五人。もはや会議ではなく、雑談の場と化している。
その時、背後でガラッと扉が開いた。
「あ、ナギサだ」
菜摘が呟く。入ってきたのは、さっきまで姿の見えなかった渚であった。
目が赤く腫れているが、さては何かあったのか。心配になった悠香は何となく立ち上がり、駆け寄った。
「遅かったねナギ──」
「近寄らないでよっ!」
渚が吼えた。
「!」
びっくりして立ち止まった悠香を睨み付けるその瞳から、じわりと涙が溢れ出す。渚はそこに立ち尽くしたまま、泣き出した。
「うっ……く……、ひっ……」
何がなんだか分からずにおろおろする悠香。突如響いた怒鳴り声からの展開に、周りの目が『ハルカが泣かせた』と責めている。
──と、とにかく、落ち着いてもらわなきゃ!
焦った悠香は言った。「その、わ、私でよければ聞くよ? ナギサちゃんが泣いてる理由……」
拭う手の間から、渚が鋭い目付きでこちらを窺っている。ね、と笑ってみせると、喋る合間の嗚咽がさらに大きくなった。
「ロボっ、コンに、っ──」
「えっ?」
「ロボコンに出られなくなったからだよっ──!」
悠香と、その後ろで成り行きを見守っていた四人の頭が真っ白にリセットされるまでに要した時間は、僅かにコンマ数秒であった。
「……そっか……」
ようやく泣き止んだ渚の口から何もかもを聞き終えた悠香は、あまりの情報にそれしか口には出来なかった。
「笑ってよ」
自嘲気味に渚は薄ら笑いを浮かべている。
「笑いなさいよ。あんなにデカい口ばっかり叩いてたあたしたちが、リタイアするんだよ。これ以上の笑いのネタなんてある?」
誰も応じない。渚はまた鼻を啜り上げると、机に突っ伏した。そこは悠香の机だが、既にその上にはかまれたティッシュの山が積み上がっている。
「いいよね、ハルカたちは……。その雰囲気だと無事だったんでしょ……? ロボコン、出られるんでしょ……?」
「いや、さすがに無事じゃなかったけど……」
そこから先を言うのは憚られたのか、亜衣もそこで口を閉ざしてしまった。
このチームに負けないくらい、物理部の面々も苦労を重ねてきたに違いない。その想像は、近い経験をしてきた悠香たちにとっては何ら難しい事ではなかった。
だからこそ、『元気出して』なんて月並みな励ましの言葉は、簡単には言えそうになかった。
「……何て言うか、ごめんね、ナギサちゃん」
悠香は、頭を下げた。
「私たち、そんなに被害は出てなかったからってはしゃぎすぎてたかもしれない。そういうの、口に出していなくても雰囲気でバレバレなんだよね。それがナギサちゃんを傷付けたんだとしたら、その、ごめん」
「なんで謝るのよ、バカ……」
渚はまた泣き出している。完全に逆効果だった。
「あたしが悪いんだよ……。楽しそうでいいな、未来があっていいなぁって勝手に羨ましがってる、あたしが全部悪いんだからぁ……」
渚は自虐に走っている。悠香にはそれが、痛いほどよく分かった。自分も同じことをした自覚が、誰よりも深くあるからだ。
だから、励ましなんて何の慰めにもならないことも知っている。悠香は微笑んだ。
「……そんなに卑下しないでよ、自分を。私だって一度、物理部に対して同じ気持ちになったもん」
「……嘘だ」
「嘘じゃないよ」
声色に変化は無かったが、何かを知覚したのか渚は目を上げた。
「私たち、一度だけみんなバラバラになっちゃったんだ。その時、私も同じように、物理部はいいなぁって感じた。だからナギサちゃんがそう思ったって、何も不思議はないと思う」
「…………」
他の四人は押し黙っている。渚はその顔を見回し、次いで悠香の顔を見た。
「本当?」
「うん、本当」
「……この気持ちが、分かるの?」
鼻声の渚の頭を、答える代わりに悠香は優しく撫でる。亜衣が、陽子が、菜摘が麗が、次々に手を伸ばして撫で始めた。
こつん、と机に額を打つと、渚はすっと宥めるように目を閉じたのだった。
離れた席から一部始終を見ていた聖名子の頭に、豆電球が点ったように一つの考えが浮かんだのは、その時だった。
──前に部長が言ってた事って、まさか、この事だったの?
聖名子は目を閉じる。瞼の裏にフラッシュバックした六日前の光景と共に、北上が部室の窓際で放った言葉が耳元で蘇った。
──『そういう時期』が来れば協力も有り得るって、部長は言ってた。それの意味するところがもし、『片方のチームが何らかの事情で危機に陥った時』だったとしたら?
ばっと見上げた時計は、まだ休憩時間が十五分もあることを示している。山手女子の中休みは、三十分と長いのだ。
今から行けば、間に合う。部長のところに聞きに行こう。
聖名子は椅子から立ち上がり、廊下に走り出た。北上は普段、何事もなければ中休みには部室にいるはずだ。フロアを二つ下りて渡り廊下を駆け抜け、理科棟に渡る。
物理関係の部屋が集中する四階目指して、階段を一段飛ばしに駆け上がった聖名子は、部室のドアを思いきり開いた。
「しーっ」
北上の声がした。
薄暗い部室の奥の窓から、白色の陽射が日溜まりを作っている。そこに置かれた椅子に、北上は座っていた。
「…………?」
近付いていった聖名子は、すぐにその理由を知った。
北上の膝の上に、長良の顔があったのだ。それも、すやすやと寝息を立てている。
「ごめんね。この子、寝てるからさ」
北上は苦笑いした。
「この部室に入ってくるなり私に泣き付いてきてね。泣き疲れたのね、多分。だから寝かしておいてあげたいの」
言われてみれば、長良の頬には涙の通った跡が何本も確認できた。聖名子は思わず、目をぱちくりさせる。この光景、もしかしなくても激レアではないか。
「……長良先輩って、あんまり感情を表に出さない人だと思ってました」
「普段は我慢してるのよ。この子、とっても頑張り屋さんだから」
「そうなんだ……」
「ロボコンを断念したのを一番悔しがってるのは、きっとリーダーの長良さんなんじゃないかな。私にしか言えないって前置きして、色々と思いの丈を語ってくれたよ」
瀬田さんもおいで、と北上は聖名子にも手招きしている。暖かそうだから行きたかったが、何となく気を削がれてしまった聖名子は曖昧に首を振った。
「いいのよ、取って喰ったりしないし」
「で、でもせっかく寝てるのを邪魔しちゃったら、悪いですよ……」
「そんなちょっとやそっとで起きやしないって」
でも、と口の中でモゴモゴ吃る聖名子に、北上は笑った。
その目線は的確に、聖名子の心を射抜いていた。
「大丈夫、分かってるよ。瀬田さんが何を言いたくて、ここに来たのかはね」
その後、聖名子と北上は五分ほどかけて、とある話し合いをしていた。
その最中に起き、途中から話を聞いていた長良によって、その日の活動がなくなったはずの物理部ロボット班は放課後に再度集合をかけられた。
神妙な顔つきのメンバーに、長良は一つの提案をする。
その過程を物理部以外に知る者は、誰もいない。
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