拾冊目

汐理しおり先輩に、伝えなければいけないことが有ります」


 つづらがそう言わなければ、すぐにでも汐理は母校の図書室へと駈け出してしまうだろう。


(それじゃあ……今までの行動が全部、無駄になってしまう……!)


 綴の声に、司書室の出口の扉に手を掛けていた汐理が振り返る。「なぁに?」とでも言いたげな顔をして、首を傾げて綴の方を見ている。


「汐理先輩に、伝えなければいけないことが、有るんです」


 もう一度、ゆっくりと、綴は汐理にそう言う。

 そして、鞄から、淡い青色の文庫本を取り出す。文庫本の表紙には相変わらず「Tudura」と表紙が書かれていたが、綴はその表紙に掛けられている淡い青色のカバーを外してしまう。すると、その下に書いてあったタイトルは、「Tudura」ではなく「Siori」に変わっていた。色は相変わらず淡い青色のままだ。

 まるで操られるように、汐理も自分の持っていた紫色の文庫本のカバーをはぎ取ってみる。カバーの下から出てきたタイトルはやはり「Siori」ではなく「Tudura」に変わっていた。

 「図書館」の地下書庫で、自分の持っていた方の文庫本の内容と、綴の持っていた文庫本の中身を確認していた汐理は、そういうことか、と合点がついた。


「汐理先輩の持っているその本は、『先輩の本』ではありません」

「うん」

「……『図書館』の事務室で本を修繕した時に、実はこっそり入れ替えていました」

「……うん」


 綴は鞄に再度手を入れ、花柄のブックカバーを取り出した。


「おそらく、先輩はもう、このブックカバーの事を思い出せるはずです……以前もそうでしたから」


 意味深長に付け加えられた綴の言葉の意味は解らなかったが、汐理は綴が差し出したブックカバーの事を詳細に思い出すことが出来ていた。そして、もう一つの「事実」も――。


「……綴が僕の受験に気を使って、早めにくれたバレンタインのチョコのお返しにプレゼントしたものだったね。まだ使ってくれていたなんて、嬉しいよ」


 淡い水色に小さなピンク色の花の模様の刺繍が施されているデザインのそれは、汐理が綴をイメージして、慎重に選んだ品だった。慣れない雑貨屋の店員に、顔を覚えられるまで通い、クールだが女の子らしい一面も持つ綴に合わせて、ようやく見つけた品だった。

 同じ高校や、通っていた図書館の勉強部屋の女子で、汐理の受験にまで気を使ってバレンタインの贈り物をした女子は、綴以外に居なかったため、汐理は綴だけに特別に「お返し」のプレゼントを用意したのだ。「他の子には内緒だよ」と付け加えて。


 汐理の言葉を聞いた綴は、ここで初めて、汐理の前で表情をあらわにした。嬉しそうでいて、泣きそうな、そんな表情だった。


 綴は汐理に近づくと、自分の持っていた文庫本とブックカバーを汐理の手に握らせ、代わりに汐理の持っていた方の文庫本を受け取る。


「『せい』の本を持っていれば、この高校の図書室から、外に出ることが出来るはずです……先輩の持っていたのは『』の本だから……これは本来私が持つべきだった」


 綴の言葉を、ただ無言で聴いている汐理。……地下書庫で感じた違和感はこれだったのか、と。


「そのブックカバーは、どうか持っていてください。それが有れば、『七つ目の七不思議』を知ってしまった先輩でも、問題なく過ごせるはずですから」

「……それは、肩代わりってこと?」

「どう受け取ってもらっても構いません。私の目的は、『ここ』から先輩を出すことだったから」


 泣きそうな表情で、それでも口元には笑みを浮かべる綴に、汐理は再度問う。


「その……事務室で、僕の本と綴の本を入れ替えた理由は?」

「単純に、私の鞄の中に入れていた方が、先輩の本が無事になる確率が高いからです。……統計的に」


 紫の本を、抱きかかえるように持つ綴と、両手に青の本とブックカバーを持った汐理。

 何となくだが、悟っていた問いを、汐理は綴に投げかける。


「それで……もし僕がここから出たら、綴はどうなるの?」


 その問いにも、綴の表情は変わらないまま、ただ答える。


「別に、どうにもなりませんよ。……もう私の『時』は、終わっているはずのモノだったんですから。ただ、先輩を助けたかった、それだけだったんです。二人が同時に出ることは、絶対にないんです」


 そう静かに告げる綴に、そう、とだけ呟く汐理。恐らく、自分がこの司書室から出てしまえば、今夜の怪異からは逃れられ、全ては終わるのだろう。そして、自分を助けるために来たという綴は、そこからの「救済」は望んでいない。いや、望んでもきっと出来ないのだろう。


 何度彼女はあの「図書館」を巡ったのだろう。それも、他でもない、汐理自身のためだけに。自分の止まったはずの時間を無理にでも動かしてまで。

 けれど、その疑問も、今はもう意味をなさないのだ。全ては彼女の計画通りに進んだ。そのおかげで、自分は「生きて」、この「時間」から出る事が出来る。


「そういえばね、綴」


 ふと思い出して、汐理は綴に声を掛ける。もしかしたら、これが最後の会話になるかもしれない。


「僕が今日、あの地下書庫で探していた『資料』は、本でもあったし、本以外の資料もあったんだ」


 図書館が収集する資料は、何も本だけというわけではない。新聞や雑誌に加え、その地区から出される刊行物やパンフレットなどを収集しているところもある。二人の通っている図書館も、特に地域の情報に関しては力を入れて収集していた。


 その、汐理が探していたと言う資料の内容を語ろうとすると、綴は制止するように手を振った。


「思い出してもらえたなら、それでいいんです。……もう、あんな場所へは迷い込まないでくださいね」


 もう、私は助けには来られないから。


 そう付け加えて、綴は汐理を司書室の出口に押しやった。


「先輩、もう時間です。私も、先輩も。在るべき場所に戻るときが来たんです」

「えっ、でも……」


 抵抗しようとする汐理に対して、綴は容赦なく汐理の身体を押す。

 司書室の扉を開けて汐理を図書室側に出し、最後に扉を閉める時、綴は初めてその瞳から泪を零しながら言った。


「最期に会えて、本当に良かった。……さよなら、汐理先輩」






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