第02話 07
『続き……、ですか……』
『そうよ、ちさとさん』
『あっ』
耳朶がお姉さまの
時折わたしの名前が紡がれます。煮立てられ、ゼラチン状になった脳細胞は、耳もとでささやかれているはずなのに、それを巧く処理できません。今言われたのか、それとも反響しているだけなのか、判断できません。ですのでわたしは、返答を諦めます。夢うつつの
そして結局、わたしがお姉さまから解放されたのは、相当な時間が経ってからでありました。
焦点を喪い、ぼやけた視界に、人影が出現なさいます。それが椿お姉さまであることは、疑問の余地を持ちません。いくら正常ではなくとも、それくらいはわたしにも判ります。
わたしは椿お姉さまに呼びかけようと試みます。ですが形をなしません。言葉ひとつ発せられません。
そんなわたしに、温かな波動が降り注ぎます。お姉さまが、お
『やはり可愛いですわ、ちさとさんは』
わたしの額に
『ねえ、ちさとさん』
お姉さまはおっしゃいます、半睡から脱しきれていないわたしに。
『ちさとさんが、心身ともに円熟したいと望んでおられることは、わたくしも理解しておりますわ。そしてそれに反対するつもりもございませんわ。むしろ“姉”であるわたくしは、ちさとさんがそうなれるように、援助しなければなりません、この学園の、方針に従って。ですからわたくしは、ちさとさんが日日成長できますよう、労を惜しまぬつもりです。そのことは、ちさとさんにも、了承していただきたいの。
……ですが、お一つだけ、わたくしと約束していただきたいの。宜しくて、ちさとさん』
微笑を保ちつつも、真摯な声音を用いるお姉さまに、わたしはただ頷くしかありません。
その肯定の合図に、椿お姉さまは雰囲気を和らげます。そしてお顔をお寄せになり、ささやくような声量で、ですが
『ありがとう、ちさとさん。
……でしたらね、ちさとさん、……わたくしに、
わたくしに、余計なお気づかいは、しないでいただきたいの。
もちろん、お
……ですが、ですがもし、もしちさとさんが、何か悲しまれたときや、困られたとき、また寂しくなられたときには、それを遠慮しないでいただきたいの。感情のやり場に窮されたときには、わたくしを頼っていただきたいの』
『…………』
『わたくしに対して、余分なお気づかいは不要ですわ。なぜなら、わたくし自身、そうされることを望んでおりませんもの。ですからたとえ、ちさとさんが良かれと思ってそうしてくださったとしても、そのお心づかい自体につきましては、大変素晴らしいものとして受けとめますが、それでもわたくしは、少し寂しくなってしまいます。ちさとさん、わたくしには、胸襟を開いて接してくださらないのね、って』
『…………』
『ねえ、ちさとさん。“姉妹”って、そういうものではございませんわよね。“姉妹”の間に、他人行儀なお振る舞いなど、存在しませんわよね』
『…………』
『でしたらちさとさんも、“姉”であるわたくしに、距離を置いたようなよそよそしいお振る舞いをなさることなんて、ございませんでしょう。ね、そうでしょう、ちさとさん』
凛凛しかった当初のそれは、今や消失しておりました。椿お姉さまは、もはや哀願に近いお言葉で、わたしを揺さぶろうとなさいました。……いいえ、実際わたしは、椿お姉さまに劇しい共感をいだきました。椿お姉さまの裡に存在する、孤独の念に共振しました。
(椿お姉さま、お寂しかったのだわ……。)
誰もがそのあまりの完成度から、完璧な存在だと信じて疑わなかった、椿お姉さま。ですがお姉さまだって、当然の感情を有する、一個の人間なのです。他者を必要とされても、それはまったく自然なことなのです。ほかの誰かの支えを欲したとしても、それは果たしていけないことなのでしょうか。非難に値するようなことなのでしょうか。
(そんなはずっ、そんなはずないじゃないっ!)
全身が、灼熱に侵されました。烈しい感情に呑まれました。椿お姉さまの抱えておられるご心痛を想って、わたしは胸が張り裂けそうになりました。ご自身の願望を圧し殺して、他人のそうであってほしい理想像を、そのとおりに反映しておられるお姉さまに、わたしは哀切の情をいだきました。そして、わたしは先ほど感じた決意を、今一度表層に浮き上がらせました。
(お姉さまのお心をお慰めできるのは、わたししか居ないのだわ!)
そうです、一番お姉さまと出逢って日の浅いわたしが、最も適任なのです。ほかのお姉さま方には、今さら態度を変えることは、難しいでしょう、なぜなら、椿お姉さまという像が、すでにお心の中に形作られているからです。そしてきっと、それは聖人君子のようなものであることでしょう。完全に完結しておられる、他人に依り頼む必要など微塵も感じない、菩薩さまのような像を想い描かれておられるのでしょう。それを知らず知らず、椿お姉さまに圧しつけてしまったのではないでしょうか。自身の理想像と、齟齬を来すことのないように。
その無言のご期待に、椿お姉さまは首尾よくお応えになったのでしょう。ほかのお姉さま方のご期待を裏切ることをせず、皆のお心の支えとなってこられたのでしょう。
ですがそこには、椿お姉さまご自身のご欲求は、含まれておりませんでした。
椿お姉さまだって、お辛く感じられるときや、お苦しみに泪を流されることだって、あるというのに。
でしたら。
でしたらこのわたしが。
椿お姉さまの“妹”である、このわたしが応えなくては!
『……椿、お姉さま』
わたしはお姉さまの名をお呼びします。甘えた声音を用います。今までは、礼を失すると思い、そのような態度は控えておりました。ですがこれからは、そうはいたしません。“姉妹”にふさわしく、気心が知れた、睦ましい間柄を築こうと、わたしは心の壁を取り払いました。
『わたし、甘えっ子ですよ。甘やかされて育ったので、とっても手のかかる、“妹”ですよ。椿お姉さまに、ご迷惑、おかけしてしまうかもしれませんよ』
言外に伝えました。それでも構わないのですかと。
それに対するお姉さまの反応は、わたしの想定を遥かに凌駕するものでした。
『っっ!』
どんっ、と心臓が飛び跳ねました。まるで直接、臓器に
――椿お姉さまのお顔、でした。
椿お姉さまは、わたしの胸の上に、お顔をお沈めになりました。そしてそのまま静止なさいます。まるで意識を失ってしまわれたかのように。
お姉さまという圧が加わって、呼吸が困難になりました。
細胞が抗議を叫びます。酸素が足りないと要求します。深呼吸しろ、深呼吸しろとせっつき ます。わたしもできるならそうしたいです。ですがそうはまいりません、なぜなら、お姉さまがわたしの上に乗っていらっしゃるから。椿お姉さまのお邪魔をするわけにはいかないのです。……でも、でももう、もうわたし、限界――――。
『――良くってよ、ちさとさん』
『えっ』
白濁の色がいよいよ濃くなり始めた意識を、その声はまるで間を縫って通したかのように貫きました。えっ、とわたしは顔を向けます。お姉さま、起きていらっしゃったのですかと。
果たして視線の先には、お顔を横向きになされた椿お姉さまが、お
そしてそのままのご姿勢で、お姉さまは再びお声を奏でられます。
『ちさとさんが、なさりたいように、どうぞなさって。わたくしは、まったく構いませんわ』
『……お姉、さま』
『好きなだけ甘えても良いのよ。わたくしは、遠慮されるよりも、そちらのほうが、よっぽど嬉しいですわ』
お瞳を閉じられたまま、まるで独り言をつぶやいておられるかのように、お姉さまはお言葉を紡がれます。ですが、お耳をそばだてる気配が、それを否定します。椿お姉さま、視覚に頼らずに、わたしと対話しておりました。
『…………』
それでは、せっかくですので――、お姉さまのご許可をいただきましたので、わたしはおずおずと、ですがちからいっぱい、呼吸を再開いたします。新鮮な酸素を全身に送ります。それはどんな美食よりも満足感をもたらします。胸いっぱいに吸い込んで、堪能し尽くします。
お姉さまの、お笑い声を聴くまでは。
ふふ、とお姉さまは笑みをこぼされます。はっとわたしは覚醒します。お姉さまの存在を思い出します。視線を二たび転じます。するとそこには、童心に返られたかのような笑みを浮かべる、楽しそうな椿お姉さまが居りました。
『あら、どうなさったの?』
小康状態に戻ったわたしの上下運動に、お姉さまはお瞳を開かれ、無邪気にそうおっしゃいました。あ、いえ、もう充分ですと、わたしは答えます。とりあえずの息苦しさは解消されましたから、と。
『そう……、それは残念ですこと』
『残念、ですか?』
『ええ、わたくし、大変たのしんでおりましたのに』
『そっ、そうですかっ、ならもう少し――』
もう少し続けましょうかとのそのせりふは、でも椿お姉さまにさえぎられてしまいます。わたしの胸からお離れになった椿お姉さまは、そっと人差し指を差し出され、お指の腹でわたしの唇をお塞ぎになりました。お姉さまに触れられて、わたしは上方を仰ぎます。新たに坐りなおされたお姉さまを見上げます。わたしと視線がぶつかると、椿お姉さまはお目を細められます。しいっ、と唇の形だけでお伝えになります。それを受けて、わたしは唇を結びます。分かりましたと瞳で頷きます。
椿お姉さまは、またもや笑みの質を変えられます。わたしの了承をお認めになって、
と。
再び耳がわたしの名を捉えます。鼓膜がお姉さまのお言葉を捕捉します。わたしも再度、網膜に意思を注ぎます。理性を宿した瞳で、お姉さまを映します。
『ちさとさん……、――動いてはいけませんよ』
椿お姉さまは、そうわたしに釘をお刺しになりました。こくこくと、二たびわたしは頷きます。目顔で了承の意をお伝えします。ですがこのたびも、お姉さまのご心中には至れません。お姉さまのお考えの、その影さえも、わたしは踏めずにおりました。
お姉さまの片腕が、わたしの上をなめらかに滑っても、それでもまだ。
ふっと浮き上がるような感覚を覚えました。でもそれは錯覚でしかありませんでした。本当に浮き上がったわけではもちろんありません。開放感からそう勘違いしただけでした。開放感――? と、わたしは思いました。この状況で、どうしてそんな感想をいだいたのかしら、と。
ですが肌寒さを感じる段になってようやく、一連の疑問が、まるで絡まった紐をほどいたかのようにして、一斉に解を与えられました。
椿お姉さまが、わたしの服を脱がしておりました。
片腕でご器用に、ブレザーのボタン、そしてワイシャツのボタンを、お外しになっておりました。それら拘束から解き放たれて、わたしは錯覚をいだいてしまったのです。
(――お、お姉さまっ?!)
いつの間にか、すっかり前がはだけています。首もとのループタイを残して、白いワイシャツも左右に押しやられています。子供っぽい下着があらわにされています。そして外気にさらされたわたしの素肌のその上を、お姉さまは五つの絵筆を用られ、心のおもむかれるままに、文様をお描きになりました。
お姉さまの五指が、自在にわたしの上を跳ね躍ります。ときに強く、ときに優しく。あたかも楽器を奏でるかのように。……いいえ、奏でる、というよりは、いまは調律のほうが、しっくりといたします。すうっと素肌の上をなぞられては、わたしが敏感に反応するところを探しておられます。んんっ、と思わず声を挙げてしまうと、お姉さまはその一帯を集中的にお責めになります。くすぐられたり、たん 、と弾かれたりなさいます。もとが弱いところですので、巧みにそうされると、我慢ができません。いまだお姉さまの人差し指によって封をされている唇から、くぐもった声を洩らしてしまいます。
椿お姉さまは、わたしという楽器を、実に巧みに演奏なさいます。わたしの横に坐し、お指を用いて奏でられるそのお姿は、ちょうどお琴をお弾きになっておられるかのようです。(わたしの歓迎会をお姉さま方が催してくださったときに、実際にお弾きになっておられるお姿を、わたしは見ておりました。それはなんと雅で、お美しいお姿だったのでしょう。初見のわたしはもちろん、居並ぶほかのお姉さま方も、皆一様に、うっとりと瞳を潤ませておりました。)
お姉さまの愛撫に、わたしはすっかりと息が上がってしまいます。外気に触れた素肌も、今では逆に、より熱を帯びています。そんなわたしに、お姉さまはご自分の
と。
『ちさとさんの
椿お姉さまがそうおっしゃいました。宛がう
唇の封が解かれました。ずっとそうされていたお手を、今度は頬に添わせます。慈しむように撫でられます。真心の込められた所作に、わたしは陶酔いたします。熱い溜め息を洩らします。
それをご覧になって、お姉さまも笑みをこぼされます。そして、卓抜したお指づかいで、わたしをより 深い快楽へと導かれます。お姉さまに
そうして二人、じゃれ合って時をすごしました。双方とも、存分にお互いを堪能し合いました。
……やがて、椿お姉さまは、ご自身の動きを止められます。再び
『……最初から、こうしていれば良かったのですわ』
椿お姉さまはつぶやかれます。しみじみと、感慨深く。
『相手に求めるのではなく、まずこちらから、行動を起こすべきでしたわ』
『お姉さま……?』
椿お姉さまの独言に、不穏なものを嗅ぎ取ったわたしは、それを声色に織り交ぜます。どうかされましたか、そうお尋ねいたします。
『なんでもありませんわ、ちさとさん』
迷子の子猫みたいな表情のわたしをお瞳に映されて、お姉さまは
『今さらしても、詮なきこと、気に病んでも仕方ありませんわ』
『…………』
『ただわたくしが、愚鈍でしただけ。それだけですわ』
そうおっしゃってから、お姉さまはふっと表情をお和らげになりました。そして、頬に当てておられた
(ちょ、お姉さま――。)
真面目なお話をしておられたのに、急におふざけになるお姉さまに、わたしは抗議しようといたします。お話を逸らされないでくださいと、お諫めしようと試みます。ですが、躰は正直です。お姉さまの絶妙なくすぐりに、尖った感情は丸くなっています。気がつくと、まるで本物の猫のように、わたしはごろごろと、
『……ちさとさん』
『……はい』
『……わたくしは、あなたに、遠慮はいたしません。わたくしのしたいように、いたしますわ』
『…………』
お姉さまはわたしの頬をお撫でになりながら、そう紡がれます。
『ちょうどあなたがわたくしに、そうおっしゃってくださったのと、同じように』
まるで肩の荷を下ろされたかのような、そんな穏やかな表情で、そう紡がれます。
(そんなっ、したいようにするだなんてっ?!)
そこまで不敬なこと申し上げたわけではございませんと、わたしは慌てて弁明いたします。ですがお姉さまは動じません。宜しいのですよと、馬耳東風に聞き流されます。ちさとさんも、お望みでしたら、同じこと、わたくしにしても、構いませんのよ、にっこりと微笑んで、そう付言なされます。
『そのようにして歩み寄れば良いと、ほかでもないちさとさんが教えてくださったのですから、ご遠慮する必要はなくってよ』
さあ、と椿お姉さまはご誘惑をなさいます。わたしの胸に当てていた腕をお引きになり、片腕でご自身を抱きしめられます。ただでさえこぼれ落ちそうな豊満な膨らみを、さらに強調なさいます。思わず釘づけになりました。一緒にお風呂に入っておりますので、お互いの裸は見慣れておりました。でもそれは、衣服を脱ぐのが当然の場でのお話です。今みたいな状況には、まったく当てはまりません。昂奮に呑まれ、全身が紅潮いたします。造形美の極致にあるかのようなお姉さまのお躰を、白日のもとで観賞したくなる欲求に包まれます。お麗しいお姉さまの肢体を、心ゆくまで瞳に納めてみたいと、そんなよこしまな願望が萌芽します。
(それに、そう、それに――。)
わたしがお姉さまみたいにできるかどうかは分かりませんが、わたしがしていただいたみたいに、わたしも椿お姉さまをお悦ばせできたら、そんな想いに貫かれました。“受けるより与えるほうが幸福である”という、聖書のある一句を思い出しました。それは間違いなく、正鵠を射た格言であることしょう、先刻のお姉さまの、ご満悦なお
(だからきっと、椿お姉さまはわたしにもお譲りくださったのだわ――。)
与える幸せをご存じである椿お姉さまは、その特権を、わたしにも下げ渡してくださったのです。……“姉”であられるお姉さまは、それを独占なされたとしても、まったく不思議ではありません。“姉”であることをご理由にすれば、“妹”は押し黙るしかありません。それが年上であるお姉さまの有する当然の権利なのです。
ですがお優しいお姉さまは、ご自分の有している賜物を、寛大にも分け与えてくださいました。わたしにも、同等の権利をお与えになってくださいました。自分が相手を心地好くさせているという喜びを――それは自負心と置き換えられるかもしれません――それをわたしもまたいだけるよう、機会を与えてくださったのです。他人に必要とされている、そのことを確信できるよう、能動的に動く機会を差し伸べてくださったのです。
『…………』
寸時、葛藤が涌き起こりました。椿お姉さまの甘いささやきに、これ幸いと乗ってしまおうかとも思いました。お姉さまの心身と、より親密になれる誘惑は、抗しがたいものがありました。椿お姉さまという美酒に酔いしれたくもなりました。それでも寸前で思いとどまります。わたしがお姉さまにするべきことは、それではないような、そのような気がしました。もっとほかに行なえそうなことがあるように思えました。でもそれは、一体どのようなことなのでしょう、思考にもやがかかったように、明晰な解はその姿を浮き上がらせはしませんでした。
結局
瞬間、天啓が閃きました。
答は分かってみますと、拍子抜けするほどに単純なものでした。難しく考える必要なんて、少しもありませんでした。そうです、今わたしが、一番していただきたいことを、お願いすれば良いだけでした。屈託なくお姉さまに接すること、それを何よりもお姉さまは、お喜びになるはず――、その一念に衝き動かされ、わたしは咽喉を震わせました。
『でしたらお姉さま、わたし、お姉さまに、一つお願いがあるのですけど』
言いながら、弛緩させていた両腕に、ちからを込めました。頬に寄り添っている、椿お姉さまのお手を取りました。両の
『先ほどの……、先ほどお姉さまが、おっしゃってくださった、あのお言葉を、わたし、もう一度、お聴きしたいのですが――、』
お願いできますか、そうわたしはしなを作りました。
『…………』
媚びる視線の先には、予想外のせりふに、お瞳を丸くしておられる椿お姉さま。返す言葉を喪って、ただただ固まっておられます。ですが直ちにお姉さまは、言葉の意味に至られます。ぽっと紅葉を散らします。双眸に意思を注ぎ込み、上目づかいのわたしを、軽くお睨みになりました。意地の悪い――このたびは完全にそれを意識しての発言です――わたしのお願いに、椿お姉さまはお強い視線を作られて、抗議の意を示されます。ですがわたしは怯みません。まったく意に介しません。子供特有の、残酷な無邪気さを遺憾なく発揮させて、己の望みへとひたすら
『……それはあえて礼を失したことを申し上げていると、そうちさとさんはおっしゃりたいわけですの?』
釈然としないお
あまりといえばあまりのせりふに、再度お姉さまはお口を噤まれます。ふふ、と自嘲ぎみにその端を持ち上げます。するりとみ腕を、わたしが懐に仕舞いこんでいたその手を、引き抜かれます。そのまま重ね合わせていたわたしの両手を摑まれます。そしてお姉さまは、
『きゃっ?』
わたしの両手首をお摑みになったまま、それを頭上――畳の上に、お縫いつけになりました。
『~~~~!?』
声にならない叫びを挙げました。全身が熱湯を浴びたかのように、真っ赤になりました。
……恥ずかしさは、今までの比ではありません。お姉さまの五指に緊縛され、身動きがとれません。手首を
『まあ、ちさとさん、お顔が真っ赤ですわ』
さらにお姉さまが追い打ちをかけられます。羞恥に染まっているわたしをまじまじとご覧になり、言うまでもないことを、わざわざお声に出して述べられます。そのお言葉に退路を塞がれ、(椿お姉さまのお瞳には、それほど常軌を逸した状態ではないと、そう思っていただけているかもと、わたしは一縷の希望をいだいておりました……。)いよいよ進退きわまります。できることなら、顔を
『あら、そうですの?』
『はい、ですからぁ……』
『どうしても?』
『はい。どうしてもです』
わたしの即答に、椿お姉さまは思案顔を作られます。どうしましょうかとご検討をなされます。ですが素振りなのが ばればれです。真剣に考えていらっしゃらないことは、わたしにも明白です。それを悟ってわたしは、さらに哀願の度を強めます。お姉さまぁ、と憐れみを誘う声を用います。
『ちさとさん、そんなにお嫌ですの?』
その問いに、すぐさまこくこくと頷きます。……正直、感情がすでに麻痺していて、もうどちらでも構わなかったのですが、解放されるなら、それに越したことはありません、わたしはそう判断いたします。
そう……、椿お姉さまはお声を洩らされます。落胆なされた響きを、隠そうともなさいません。ふいと横を向いてしまわれます。そのお姿に、はっと我に返ります。椿お姉さまのご機嫌を損ねてしまったと、戦慄します。刹那、脊髄反射で言葉がほとばしります。わたしの反応は、音速を超越します。お姉さまにご不快な思いをさせてしまった、それはわたしの中では、あってはならない出来事なのです。
『すっ済みませんっ、お姉さまっ!』
わたしは最速で赦しを願います。
『わたしっ、とっても恥ずかしいですけど、それでもお姉さまがそうお望みでしたら、全然かまいませんっ! どうぞ、お姉さまのお好きなようになさってくださいっ!』
そして制御を失った舌は、それだけにとどまりません。まさに今、明確な形を現わした本心もまた、お姉さまに吐露しておりました。
『本当はわたしも、そんなには嫌なわけではありません! お姉さまに優しくされるの、嫌いではありません! でもやっぱり恥ずかしくて、だから、だからわたし、――――』
――と、そこまでしゃべってようやく意識が追いつきます。自分がとんでもないことを口にしていることに気づきます。しかもそれだけではありません。正常さを取り戻したまなこは、しっかりと捉えておりました。それ、つまり、――椿お姉さまが、くつくつと双肩を震わせていらっしゃることに。
『ひ、非道いです、お姉さま』
思わず非難の声を挙げました。そう、わたしをお謀りになった、椿お姉さまに。
『ごめんなさいね、ちさとさん』
応えて謝罪を述べられたお姉さまはですが、おもてには会心の笑みを拵えていらっしゃいます。予想どおりの結果が得られたことに、至極ご満悦のご様子です。そんな悪びれないお姉さまに、わたしは重ねて抗議いたします。
『本当、非道いですわ、お姉さま。わたし、お姉さまに幻滅されてしまわれたかと思って、必死でしたのに』
頬を膨らませてお姉さまを見据えます。……ですが内心は反対です。言を紡いでいるうちに、実感が身に沁みてきたのか、わたしは緊張をほどきます。安堵に胸をなで下ろします。良かったぁ、偽らざる本音が、ころりと転がります。お姉さま、本気ではなかったのだわ、と。
……実際はそのような心境でしたので、お姉さまが再度
ゆっくりと、感触を確かめるように、お姉さまの
わたしたちは再び至近距離で、お互いを見つめ合います。お姉さまが身を屈めて、わたしへと被いかぶさります。わたしはそれを、熱い眼差しで迎えます。結ばれているお姉さまのみ手を、握りしめます。痕がつくほどに強く。それを感じて、お姉さまが微苦笑を浮かべられます。困った子ね、そんなお姉さま的なお瞳で、わたしを映されます。
『ああ、ちさとさん、』
あなたは本当に可愛いですわ、そうお姉さまは慈しんでくださいます。
そして。
『そんなちさとさんを、わたくしは大変、愛しておりますわ』
にっこりと笑顔の花を綻ばせ、椿お姉さまは最良の贈り物を、二度にわたって贈ってくださいました。
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