三幕

一場 絶体絶命


ヒグマやライオンによって村ひとつが壊滅する逸話もあるくらいだから、上位の闘士たちが負けてしまったことに疑問はなかった。

『魔獣』と呼ばれるくらいだから常軌を逸したサイズに違いないと、全長三、四メートルもある肉食獣の登場だって覚悟してきた。


しかし、どうしたことだろう。目の前の箱はそんな獣が十頭は詰まっていてもおかしくないほどに巨大だ。

いっそ箱のサイズと中身にはなんの関係もなくて、開けてみたらチワワがちょこんと座っていてドッキリ大成功。なんて、そんな想像をしている時点で脳が現実逃避をはじめた証拠だった。


未知への恐怖からボクらはその場に立ちすくんでいた――。



「おおっ!! わが友イリーナよ!!」


そして頭上から投げ掛けられた御機嫌な声でわれに返る。声の主はVIP席のフォメルス王。相変わらずよく通る美声。そして芝居がかった態度。


――なにが、わが友だ……。


声をかけられたとはいえ、会話をするような距離でもなければ話したい相手でもない。ボクはそちらにお辞儀だけして王様への義務を果たした。


「さあてっ!! 皆も待ち望んでいたであろう女剣闘士の再登場ぞ!!」


王様の煽りに乗って観客が喝采を上げる。それはもう大喝采だ。そして轟音はピタリと止まる。

ボクの人気というよりは調教が行き届いているといった感じだ。王様の合図で騒ぎ、王様が喋るときには収まる。


「何を隠そうこのイリーナ嬢!! 余と、あのウロマルド・ルガメンテの眼前でコロシアムの頂点を取ると宣言した勇者である!!」


王が観客に向かって余計なことをカミングアウトした。


――やめろ、馬鹿だと思われるだろ!!


ウロマルドはつい先日、その圧倒的な力を見せ付けて三度目の頂点に輝いたばかりなのだ。ボクは笑いものになることを覚悟して身構えた。

しかし、箸が転がってもおかしい年頃か、盛り上がるための材料になれば中身はなんでも良いのか、失笑をかうどころか観客は大いに盛り上がった。


「勇者イリーナの活躍!! とくと期待しようではないか!!」


さすが娯楽王、今夜の食事の献立を言っただけでも喝采をあびれそうな勢いだ。だけど勇者だけはやめてほしい、某大魔術師の言い草も相まって馬鹿にされているとしか思えない。



――いじめだ! これは公開処刑だ!


観客が盛り上がっているのに反して頼れる仲間たちは真顔だ。心の声が饒舌なまでにみんなの顔面に張り付いている。


「その場しのぎの冗談だってばっ! 見ないでよっ、そんな顔でボクを見ないでよっ!」


恥ずかしさのあまり顔を隠した上で背を向けた。仕方ない、逆の立場でもそうなる。辛辣な言葉を浴びせたまである。


「身の程をわきまえろ! なにがコロシアムの頂点だこの雑魚キャラが!」


案の定、ゼランがボクを罵倒した。


「気を引き締めろ。相手はどうやら想定していたよりも遥かに危険そうだ」


「そうだぞ、まえを見ろまえを!」


危機感の欠落したボクらにクロムが喝を入れ、ボクはそれに便乗した。


置かれている状況を再確認する。直径二百メートル程度のコロシアムの中央、ボクたちから七十メートル先に位置する箱、その中に魔獣とやらがいる。

それは檻でもあり、登場時のインパクトを演出する仕掛けでもある訳だ。箱の四方からロープが伸びていて、王の合図で解体し中身が登場する仕組みのようだ。



「勇者イリーナよ!! こんなところで終わってくれるなよ!!」


フォメルス王がボクを挑発する。しかし、向上心のないボクには効果もない。ただ、生き残りたいとは思う。


「――いでよ!! 魔獣キマイラ!!」


王の指示に従い兵士たちが何重にもなっている箱の錠を取りはずした。四方の壁がまるで空気を押し退ける様に開放し、地面に滑り込むように接地すると闘場の砂を巻き上げた。


そこに魔獣が一頭。漆黒の毛皮に覆われた巨大な獅子、その背からいびつにも山羊の頭部が生えており、尾は大蛇の姿をしている――。


「うおぉぉぉぉ、デッケェェェェ!!?」


遠間にあるそれを見上げるようにしてボクは叫んだ。


「な、なんだよあの化物は!! 聞いてないぞ!!」


「命令系はどれかな。それとも、三つあって独立してる?」


抗議するチュアダムとは対照的にジェロイは標的の弱点を探し始めた。この対比が前衛と後衛との差か、やおもてに立つ役割のチュアダムが取り乱すのは理解できる。


魔獣キマイラはのそりと立ちあがると獰猛なうなり声を発しはじめる。戦いが始まるのだ――。


「想定より三倍デカイだけだ、やることは変わらねぇよ」


ゼランがおそらくは自らを鼓舞すると外周にそって歩きだした。クロムはゼランとは逆にむかって移動を開始する。


「各自、ゆっくりと散開。走ると追われるぞ」


ジェロイは気配もさせずにとっくに後方へと移動を完了させていた。


そして、次の行動が明確でないボク、アルフォンス、チュアダムの三人はその場に取り残されたかのように立ち往生していた。

ボクに限っていえば単に相手の迫力に臆してしまったのだ。ライオンの咆哮も恐ろしかったけど、山羊の嘶きが不気味でそれが神経に障って仕方がない。



――頭がおかしくなりそう。


キマイラはまだ前方六十メートル先で足踏みをしている。すでにこちらに気付いていて様子をうかがっているように見える。

起き抜けなのか、突然太陽の下にでて戸惑っているのか、どちらにしてもあの筋肉ダルマな巨体はドン臭そうだ。


「……と、とりあえず、動こうか?」


ボクは左手側の二人に提案した。


「そうですね」「お、おう!」


アルフォンスとチュアダムが応じると刹那、視界が真っ黒になった――。動き出した。そう察したと同時に視界は魔獣の巨体で塞がっていた。


「ヤバイ、逃げてッ!!」


そう言いかけた。でも、刹那だ。次の瞬間、ボクの目の前はキマイラの黒い巨体で一杯になっていた。

瞬間移動、そう錯覚するほどの加速。距離六十メートルを二歩、人間ならば四十歩の距離を二歩で通り過ぎた。


間近で見るそれはまるで悪夢だ。直立で五、六メートル、全長十メートルはあろうかという怪物が秒速百メートルの速度で突進してきたのだ。


――なんだ、なにが起きた。


魔獣の跳躍を察知した直後、風圧に足がもつれて地面を転がってしまったボクは立ち上がり、周囲を確認する。


「ぎゃああああ!! ぎぃ、ひひあああああッ!!」


横にいたアルフォンスたちの姿が漆黒に飲み込まれて消えた。絶叫だけがすぐ真横で鳴り響いている。


「チュアダム! アルフォンス!」


「ひぃいいい!! あぎぃあああ!!」


姿はなく叫び声だけが耳に、身体に突き刺さる。循環する血液がまるで針にでも変わったかの様に心臓を傷めつけた。

キマイラが激しく頭を地面に擦り付けている。激しく、磨り潰す様に。


「――!!?」


喰われている。いままさに魔獣が人間を捕食している。魔獣がアルフォンスとチュアダムを咥え込んで咀嚼している。引き千切っている。細切れにした肉片を体内に取り込んでいる。



「離れろっ!! イリーナァァァッ!!」


クロムが叫んだ。しかしそれを不快な山羊のいななきが妨げた。交錯する獣の臭いとむせかえるような血の臭い、仲間の断末魔。ボクはパニックになっていた。


――助けなきゃ! 早く助け出さなきゃ!


眼前にあるキマイラの前足に向かって、ボクはグラディウスの切っ先を突き立てた。なんど突いても刃は分厚い皮膚を貫通せずに、肉食獣の食事を邪魔する程度にもいたらない。

不快な音がグチャグチャと鳴っている。グチャグチャ、バキバキ、ブチリブチリ、ペチャペチャと水音が聞こえる。


悲鳴はすでに鳴り止んでいたが、ボクはキマイラを退かすことに必死だ。


「アルフォンス! 返事をしろ、アルフォンス!」


キマイラという圧倒的質量の前に、役に立ちもしないだろう盾を投げ捨てた。グラディウスを両手で構え、身体ごと切っ先を叩き付ける。渾身の一撃はわずかに傷を付けることに成功した。


「お姉ちゃん、危ない!!」ジェロイの声。


キマイラの尾がボクの横を凪いだ。大蛇の速度は眼で追うどころか反応すらできないほどに高速だ。

けど、ボクは無事だった。キマイラの前足に接近し過ぎていたために大蛇の攻撃は逸れていた。


「下がるんだ!!」


クロムがボクの横からキマイラの前足にハルバードによる鋭い突きを打ち込んだ。その一撃は深く突き刺さり、キマイラは雄叫びをあげた。

間髪入れずにジェロイの放った矢が獅子の顔面に突き刺さり、クロムへの攻撃を妨害した。その間にクロムはボクを引きはがしてその場を離脱した。



「……クロム、アルフォンスが!」


キマイラの足元には人間だった物の欠片、真っ赤な食べカスだけが散らばっていた。


「自分の仕事を忘れるな、冷静に観察するんだ!」


クロムは落ち着かせようと力強くボクの肩を揺すった。ジェロイの矢はキマイラの固い体表を貫通できずにいるし、ゼランは遠巻きにして近付けずにいる。


「あの蛇が厄介だ。やつの食事中も蛇がずっと邪魔して近づけなかった」


クロムがぼやいた。獅子の跳躍速度にも増して大蛇の動きが速い。しかも高所からこちらを見張っていて隙がない。

あの跳躍で荒らされたらあっという間に全滅させられる。だのにキマイラはまたその場で足踏みを繰り返している。


「すぐに飛びかかって来ないね……」


別にこちらを警戒している様子はない。瞬発力はあるけれど、やはりあの巨躯を動かすのは億劫なのだろうか、単に走るのが嫌いなのかもしれない。


ジェロイが弓に矢を番える。その矢の先端がなんの前触れもなく発火。燃え盛った。

「魔法だ!?」と、ボクは見たままを口にだした。ジェロイは魔法も使えるのか。


『炎の矢』は獣を仕留めるのに最適な攻撃に思えた。しかし、炎はキマイラに触れると、まるで毛皮が湿ってでもいるかのように容易く消火してしまった。


「クソタレッ! 炎が効かねぇじゃねえか!」


ゼランが怒鳴った。最高の相性だと思っていたに違いない。しかし目論見通りにはいかず苛立っているようだ。


「脚を狙え!! 機動力を奪わないと話にならない!!」


クロムが指示を飛ばしたが、ゼランの態度が険悪になり言い争いに発展する。


「俺に指図するな! できたらとっくにやってんだ、まずは蛇だろうが!」


「蛇は捉えられない、脚が先だ!」



――様子がオカシイ。


ジェロイの矢の精度が落ちたような気がするし、クロムの汗の量も尋常ではない。オカシイ。絶望的な状況、唐突な仲間の死に取り乱しているのは解る。


それにしてもこの眩暈は、具合の悪さはなんだ。突然、ジェロイが嘔吐して倒れた。


「なんで!?」ボクは困惑する。


緊急事態にクロムが対応、前にでて魔獣を引き付けた。寸でのところで二度の突進を躱すと距離を詰める。

足元にいることで機動力を奪いながら戦っているけど、攻撃に転じる余裕はないみたいだった。


「クロム、後ろ!!」


ボクの声に反応して大蛇の攻撃を躱す。喰らって吹き飛んだけれど、牙による負傷を上手に避けていた。

クロムの動きが精細を欠いて行く、ゼランが隙を突いては撃ち込んでいる槍はあのサイズに対してどれだけの成果をあげられているだろう。


勝ち筋が見えない。終始、無駄吠えを止めないあの忌々しい山羊、山羊の鳴き声が耳障りだ――。


「ああ、そうか……!」


この違和感だらけの体調不良の正体にボクは気づいた。先に倒すべきは獅子でも蛇でもなかった。

獅子の背の上にいびつに乗っかった、一見無駄なパーツにしか見えなかった、あの『山羊の頭部』だったんだ。



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