四場 勝算なし


    *    *    *



初めての殺し合いより後――。


くしゅん! ぶべっぇくしゅ! ……がはっ、げぼぁっ!?


そんな女子のクシャミ音でボクは目覚めた。いや、これはボクのクシャミだ。



「おおっ! お目覚めですか勇者様!」


まただ。起き抜けに不愉快なテンションで天才魔術師が語りかけてきて、それが頭にガンガン響く。


「……あっ、ループ物?」ボクは呟いた。


ループ物。条件を達成するまで延々と同じスタート地点に戻される定番のジャンルが思い浮かんだ。

ボクはまず、ガシリッと自分の胸部を掴む。うん、やはり女の子だ。つまり、これからボクは最愛の少女を悲劇から救うべく魔法少女として――。


「頭を打っているので、起き上がらない方が良いですよ」


「……ん?」


魔術師アルフォンスに思い違いを訂正された。どうやらボクはループなんかしてないし魔法少女でもなかったらしい。


「選抜試合を生き残ったわれわれは待機場へと戻ってきたのです」


頭の痛みと手首のダルさ、それに全身の筋肉痛が闘いの痕跡として残っている。

そうか、頭痛の原因はアルフォンスの大声じゃあなかったのか。ボクは魔法少女ではなく剣闘士で、鉄の塊を振り回してガンガンやって、ボカンとやられたんだった。


「――頭部を裂傷していたので九針ほど縫いました」


蹴りの一発くらいで随分と派手に割れた。これが手加減なしの暴力なのか。


どうやらアルフォンスが治療してくれたみたいだけど、ほこりまみれの待機場に水桶、その傍らに血を吸ったボロ布が積んである様子には衛生的な不安が拭えない。


「うええ……」ボクは吐き気を覚えた。「おまえさ、攻撃魔法は専門外って言ってたクセに回復魔法も使えないのかよ……」


魔術師を自称しているけれど、ここまで一度も魔法を使っている姿を見ていない。

自分が異世界に召喚されたという事実はいまさら疑わないけれど、こいつが天才魔術師であるかどうかには懐疑的だ。


「使えないというか、チャチャッと縫ってしまった方が『コストが掛からない』んです」


「コストを気にして回復魔法を使ってもらえない勇者ってどうなの?」


――薄々気付いていたけど、コイツ、ボクを敬ってないな。言葉使いが丁寧なだけだな。


しかし、そんなことはどうでも良かった。


「ボク、生き残れたんだ……」ぼんやりと呟いた。


この感情は安堵だろうか、死を確信していたせいか拍子抜けした感すらある。ただ、その瞬間を思い返すと背筋が凍った。

凶器を振り回して人の命を奪おうとした事実も苦痛だけれど、力尽きたときに見上げた殺人鬼の顔が鮮烈に記憶に残っている。


あの鋭利な悪意がトラウマに刻まれている。



「――ていうか、おまえはなんで死んでないの?」


アルフォンスは抗議する。


「死んでいてほしかった。みたいな言い方やめていただけます?」


死んでいてほしかった。なんてことはないが単純な疑問だ。

戦闘力が全てであるあの地獄で、たった五人の生き残りの中に自分とコイツが含まれている。そんなのってあまりにもミラクルじゃないか。


「どうやって生き残ったの?」


ボクの追及にアルフォンスが答える。


「序盤は与し易そうな人物を援護する形で乗り継ぎまして、極力多対一の状況を作り出しながらやり過ごしたってところです」


常にグループで戦っていたってことらしい。


「えっ、えっ、なんで誘ってくれなかったの、なんで!?」


どうやらボクはハブられていたのだ。それってイジメじゃん?! ボクの抗議に対してアルフォンスは心外と言った反応。


「ヤダなあ、お誘いしたじゃありませんか。そしたら勇者様が、一人でも余裕だぜってジェスチャーをなさるから。私はもう、さすがは勇者様だと感心して――」


「ああっ!!」叫んだ。


確かに、開始直前アルフォンスからそんなアクションがあったし、それをボクが無視した。

だって騒音がひどくて何も聞こえてなかったし、絶対に悪い報告だと思ったんだもん。


「どうしました?」


「……なんでもない、続けて」


自業自得。ボクは自分の愚かさを呪った。


「終盤は相性抜群の相方を見つけて二人で生き残りました。勇者様が助かったのは、相方のクロム氏が敵を打ち破った時点で脱落者が二十五人に達したからです」


なるほど、トドメを刺される直前に試合は終了した。そういうことか。つまり、猿顔男と交わしたあの一分足らずの雑談が功を奏したのだ。


しかし、あの無理ゲーからよく生還できたもんだ。


神がかり的に有利な状況で、身体能力をフルに使って、最大限の工夫を凝らして、運も抜群に巡っていた。それでもまったく歯が立たなかった。

十回やっても十回負けるに違いない。それが現実、身の程を知るのに十分な一戦だった。



「すると? ボクとおまえ、そのクロムシって人とウータン……」


現状を理解したボクは選抜試合の通過者を指折りして数える。


「ウータン?」


アルフォンスが疑問符を浮かべた。それはボクが猿顔男に付けたニックネームだから本名は違うのだろうけど、とにかくそれで四人だ。


「あと一人は……ああ、『皆殺しのランカスター』」


すっかり記憶から飛んでいたけど大物がいた。これでめでたく五人という訳だ。

ボクが勝手に納得していると、アルフォンスは首を横に振った。


「いえ、彼なら脱落しましたよ」


「脱落した!?」ボクは耳を疑う「えっ!? あれで終わりっ?!」


あれだけ思わせぶりな登場をした人物がすでに退場しているというのだ。さすがはバトルロイヤル、なにが起こるか分からない。

しかし、何たる見掛け倒しだろう。ボクは肩透かしをくらった気分だ。


「開始と同時に取り囲んで、二十人がかりで袋叩きにしてやりましたよ。そんなのありかよぉぉぉって、半ベソをかいていましたね」


それはご愁傷様。弱いやつが無視されたように、強いやつは注目を集めたのだ。


「これは皆殺しから『皆殺され』に格下げせずにはいられないな……」


「事前に誰も勝てないと刷り込んでおいたのが効きましたね。一人で勝てないなら皆でやろう。ということで満場一致でした」


なるほど、開始時の密集状態はランカスター包囲網だったという訳か。しかもそれがアルフォンスの誘導による成果だと言うのだ。


「おまえ凄いなっ! すごく性格が悪いっ!」


あの徹底的なヨイショがまさか罠だったとは。


「いやいや、本当に最悪の強敵でしたからね仕方がありません」


「ドン引きですよ、天才魔術師!」


強い奴から倒そう。前もってそんな空気ができていたおかげでボクは見逃されていたってことらしい。

まさかボクが通過者の五人に残ってしまうとはなぁ、絶対に死んだと思ってたよ。



「そんなことより、一体どうされたのですか?」


「なにが?」


質問の意味が分からずに聞き返した。


「私たちが戦闘している間、勇者様だけが完全に別の競技だったじゃないですか。戦場で一人だけ鬼ごっこ。遊びじゃないんですよ!」


「遊んでねぇよっ!!」必死だよ!!


「いいですか勇者様? あなたの使命は『闘技場で頂点を取る』ことです。それは言いましたね?」


言われはしたが了承した覚えはない。まったくもって不本意ではあるが、ふてくされたところで状況が好転するわけでもない。


「なんで頂点なんか取らなくちゃいけないのさ、そこになにがあるっての?」


取れる取れないはひとまず置いといてだ。そこに重大な『なにか』があるから、わざわざボクを異世界に召喚したんだよね?


アルフォンスは答える。


「このコロシアムは言わば監獄です。一度入ってしまえば出ることは容易ではありません。

収監者たちは剣闘士として闘いを強いられ、脱出するには死体になるかあるいは闘士たちの頂点に立つ他にないのです」


外に出る方法はコロシアムの頂点に立つしかない――。


「うん」ボクは神妙に頷いた。ついに納得のいく説明が得られる気がする。


「剣闘士の頂点は罪人や奴隷でありながら、国の英雄でもあります」


その理屈は分かる。最強であるということは、罪科や身分を覆す程の名誉だってことだ。倫理もなにもない。皆、最強が大好きだ。

底辺の人間にとって、コロシアムは『英雄になる可能性を秘めた夢への階段』とも言える訳だな。


「――英雄ともなれば、コロシアムから開放され自由を与えられるとともに、王が一つだけ願いを聞き入れてくださるのです」


景気の良い話になってきた。そして、アルフォンスは本題に入る。


「勇者様の使命は一つ、最強のグラディエーターを倒すことでコロシアムの頂点に立ち、王への願いを使って私をコロシアムから出すことです」


ボクは自分の耳を疑った。「……え?」


「コロシアムの頂点に立って、王様からのご褒美で私を、ですね――」


繰り返すアルフォンス、それを手を振って遮る。


「まてまてまてっ! えっ? それって、おまえの個人的なお願いだよね?」


愕然とするボクとは対照的にとぼけ顔の魔術師。


「そうなります?」


「そうなります? じゃねぇよ、それしかねぇだろ。ざっけんな! ボクはおまえのママでもなければ、ランプの精でもないんだぞ!」


勇者の使命とかじゃないじゃん。おまえ個人のお使いじゃん。しかも、難易度が超絶高くて絶命必至!! 誰がやるんだ、そんなもん!!


「ええっ、駄目なんですかぁ?」


駄目なんですかぁ? じゃねえっ!! 驚いているのはコッチだよ?!


「駄目とか以前に、初対面の相手にして良いお願いのレベルを軽く超えているよね?」


アルフォンスは「ええっ……」と言って、しゅんとしてしまう。


「落ち込みたいのはこっちだよね?」


なんで見知らぬ他人だったおまえ一人のために、ボクが命を賭して闘わなけりゃならんのよ?


「勇者というのは、無償で危険を冒してくれる人の事だと思っていました……」


「最低だな、おまえ……」


ボクはもう呆れっ放しだ。無償で危険を冒してくれる人って、それはもうただの馬鹿でしょ。そして、それに期待するやつは卑怯者だ。


「…………クッ!!」


アルフォンスが胸を押さえて蹲った。顔面は蒼白で異常事態を訴えている。


「えっ、あれ、どうした?」


「私って、最低だったんですか? 胸が苦しい……」


「まさかの無自覚っ!?」


卑怯者で繊細ってどういうことだよ……。


でも、分かってる。コイツの他力本願を責めたところでコロシアムにいる以上、抜け出す方法がそれ以外にはないってことは。


「で、ここを出ないと元の世界には帰れないって言うんでしょ?」


「はい、ここでは帰還魔術は使えません」


残酷な事実をしれっと言い放った。


「そうだと思ったよ、自己中バカッ!」


傷ついたフリをしていても、自分のしていることのなにが悪いのかをけっきょくコイツは理解していないのだ。


「……さっきから辛辣すぎません?」


おまえがボクにしたのよりもひどい事があるとでも?


でもまあ、選抜試合とやらを生き残ったおかげで状況が把握できた。そして助かることがどれほど困難なのかも。



「だとして、わざわざ異世界から召喚する意味が分からん」


その世界の戦力を持ち込めたのならばともかく、この世界の肉体を使ってこの世界の競技で競うならば、適任者はここで選出すべきではないだろうか?


「剣闘士の頂点と言えばこの世界ではほとんど最強の称号。同じ世界でそれより強い人間を見つけるのは困難なのです」


言葉の意図を正確に掴むと的確な答えを返してきた。人の気持ちは分からなくても思考は読める人なのか。

だからといって、ボクみたいな雑魚を召喚しているようでは完全な失敗だ。それを今更になって説明しなくてはならない。


「ああ、そう……。じゃあ、はじめに言っておくけど、ボクじゃあコロシアムの頂点は取れないから」


「なぜです?」


まず根本的な問題として「召喚魔法の弊害か、記憶喪失なんだよ」


「……は? 記憶、ええっ!?」


終始とぼけた様子だったアルフォンスが、今日一番の驚きを見せた。

それだよ、ボクはその混乱と危機感をずっと抱えて闘っていたんだ。


彼は恐る恐るといった様子で確認する。


「冗談でしょう?」


「冗談なもんか。得意技能どころか年齢や性別すら定かじゃないんだ」


一変、アルフォンスの穏やかな佇まいが鬼気迫ったものに変わる。


「それではなんの役にも立たない!! なにしに来たんですかアンタはッ!!」


――いや、できることなら来たくなかったし完全におまえの過失だろ。


「そういうことだから、監獄からの脱出は諦めてね」


「まったく、どうしてくれるんですか……」


この世の終わりとばかりに魔術師は頭を抱えてうなだれた。


「――あなたを呼び出した秘術はきたる世界の危機に備え、一族八代が三百年かけて完成させた術式と、その間に蓄積させてきた膨大な魔力を必要とする一回限りの大変貴重な大魔術だったのです」


先祖が三百年かけて完成させた一回限りの大魔術――。

つまりそれって、大魔王復活の際に本物の勇者を呼び出して人類を救うだとか、そういう大事のために準備していたってことじゃないのか?


「そんな大切なもの、よく自分のためだけに使えたな……」


やっぱすごいなおまえ、信じられんやつだ。目ん玉飛び出るわ。


「『異世界転移魔術』はそれ自体が世界に多大な影響を与えうる大禁術です。それゆえに術者は限られており、現在の使用者は私だけです」


「いま禁術って言った?」


よりにもよってその権利者が、人の心が分からない上にルールを守らない人間であることを呪う。


「どの道、私が死んだら潰えてしまう魔術なので、残せずに死ぬよりは使ってしまおうかと」


「ああ、そう……」


きっと、自分が死ぬ日になったら核爆弾のスイッチを押しちゃうタイプに違いない。



「しかし、失敗してしまったものは仕方がない。勇者様の記憶が回復しさえすれば問題ないのですから、それまでに死なないための立ち回りを考えましょう」


信じられんポジティブ思考。


「記憶が戻ったところでなぁ……」


そもそも、なにを根拠にコイツはボクを呼び出して、その上過剰な期待を寄せているのだろう。


「千の魔人と百の竜を打ち倒し! 神をも殺した大英雄! 震天動地、天下無双! わが剣に斬れぬもの無しッ!」


「……な、なに?」


アルフォンスが突然大声を張り上げたのでボクはキョトンとした。


「勇者様を選ぶ決定打になった、あなた自身の言葉です」


「うそだろっ!? 絶対に人違いだ!!」


ボクの世界でそんな事を言っていたら精神病棟に隔離されるに決まってる。



「さあ、まずはこの不慣れなコロシアムについて情報収集でもしましょうか」


選抜試合の参加者ってことは、彼もここではルーキーに違いないのだろう。


「その前に一つ訊いていい?」


「一つと言わず、答えられることならいくつでも」


行動に移す前に解決しておきたいことがある。この世界でのボクの依り代? とされる『体の本来の持ち主』について知っておきたい。


女性にしてはかなり動けた。しかし、コロシアムを生き抜くのには明らかに不利なこの肉体をどうして選択せざるを得なかったのか。

実際そのせいで死ぬ思いをしたし、勝ちにこだわるなら、あの『皆殺され』辺りを懐柔した方が遥かに可能性があるのは分かりきった事じゃあないか。


そうしなかったからには、なにかしらの重大な理由がある筈だ。この女の子の素性に関わる重大ななにかが。


「どうしてボクを非力な女子の体に憑依させたの? 彼女はいったい何者なの?」


確信を突いた質問だったに違いない。アルフォンスは物憂げに息を吐き、真っすぐにこちらを見詰める。

そのまなざしの真剣さと、明かされるであろう謎を待ち構えてボクは息を飲んだ。


「彼女のことは、なにも知りません」


「……知らない?」


どういうことだ?


「ただ、これだけは言えます」


アルフォンスがボクの肩を掴み、ジッと瞳を覗き込んで来た。その緊張感からボクの体にも力が入る。じんわりと汗が滲んだ。


「……な、なに?」


よほどの事情か。もしかしたら、聞かなければ良かったと後悔する事になるかもしれない。そんな予感がする。


後悔しても遅い。アルフォンスは真剣な表情で真相を告げる。


「どうせ二人で行動するなら、男子より女子の方が良かったのです」



次の瞬間、ボクの渾身の拳がアルフォンスのテンプル(コメカミ)に炸裂し、豪快にダウンを奪った。石造りの硬い床はさぞや彼にキツイ罰を与えたことだろう。


それでも気が済まずに彼に馬乗りになると、マウントからのパウンド(パンチ)をしつこく叩き込み続けた。


――2発ッ!! ――3発ッ!!


全ての理不尽に対する憤りを込めて――。



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