第十六話 鉄の国へ


『鉄の国』は旧皇国の侵略を免れ、東アシュハ国の領内に自治を認められたドワーフ族の王国だ。


独自のルールによる統治がされており、人間の定めた法が適用されない治外法権となっている。


当然、演劇禁止令なども適用されない――。


「会場に適していないことは承知のうえで、確かめてみる価値はあると思うの」


そう言ったニィハにギュムベルトが確認する。


「適してないんですか?」


「集客が見込めるかなどの課題は多いです」


領内にあるとはいえ『鉄の国』までは馬の脚でも半日かかる。一般客のほとんどが徒歩移動になることを考えると、一時間の観劇を目的にどれだけの人が集まるかは疑問だ。


現地のドワーフたちに向けて上演するにしても人口はたったの二百人、七日と続けることはできないだろう。


それ以外にも根本的な問題がある。


「そもそも上演許可がおりるかな?」


イーリスの疑問に、かつて人間の侵略によって住処を追われたエルフが即答する。


「無理ね、異種族に縄張りを荒らされるのは耐え難いものよ」


集客するということは大勢の人間を招き入れるということ、ドワーフ側が警戒するのは当然だろう。


リーンの意見にニィハが賛同する。


「わたくしも、そう思います」


「ええっ!?」


言いだしっぺがすんなり意見を翻したことにイーリスが驚きの声を上げた。


しかし、ニィハも考えなしに提案した訳ではない。


「だからこそ、カガムさんが里帰りをしている今しかないと思うの」


知人の紹介があれば交渉の席くらいには立てる、ゆえに思いついた二案のうち『鉄の国』のほうを優先したというわけだ。


「うーん、現地の調査くらいはしてみるかぁ……」


などと考えるそぶりをしているが、イーリスはもともとドワーフに興味を引かれていたことから『鉄の国』公演にはかなり乗り気だ。


カガムの滞在中が好機と、一同はすぐに行動を起こすことにした。


体調が万全でないイーリスと拒否反応を起こしたリーンエレ、そして番犬のアルフォンスは待機組だ。


「遠出になるな、姫さんも残った方がいいんじゃないか?」


オーヴィルの気遣いはイーリスによって却下される。


「交渉をおまえとギュムくんだけに任せる方が怖いんだけど!」


そういった理由から『鉄の国』へはニィハとオーヴィル、そしてギュムベルトの三人で向かうことに決まった。



    *    *    *



翌日――。


実際どれくらい移動が困難なのかを確認するため、『鉄の国』へは徒歩で移動することにした。


「あれ、座長は留守番じゃ……」


ギュムが足元にまとわりつく気配を察知して言った。しかし、周囲を見回してもアルフォンスの姿はない。


「どうかしまして?」


「いや、気のせいっした。行きましょう」


最近はそういったことがよくある。足元や離れた場所にスルッと通り抜けるような気配を感じたり、残像が見えたりする。


――座長は自由で神出鬼没だからな。


低い位置を音もなく移動するオオカミを、蹴とばしてしまわぬようにと注意を払いすぎているのかもしれない。


道中でならず者たちに襲われる可能性を考え装備を整えての出発だ。


ギュムベルトは手斧と短剣を携行しているが、荒事はもっぱらオーヴィルの仕事になるだろう。


ギュムは護衛、交渉の両面で活躍できない自覚から積極的に雑用をこなすつもりだ。


「荷物が重かったら遠慮なく言ってください」


みんなが活躍している場所で自分だけなにもしないでいるのは心苦しい。尊敬する相手に期待されることは嬉しかったし、それに応えたい。


そうでなくては一員である意味がない。


期待されるのってプレッシャーだよな。とイーリスは言っていたが、期待されないことのほうがギュムにとっては不安だった。


――なんでもいい、とにかく役に立つんだ。


自分がここにいる意味がほしい、役者としての活躍であればそれがベストだ。



『鉄の国』を訪れるのは初めてだが、道中で通過するサランドロの屋敷までは舗装された道が続いている。


「姫さん、疲れてないか?」


「ええ、想定よりも道が平坦で余裕があるわ」


改めて、オーヴィルがニィハを気遣うたびにギュムは複雑な感情にさいなまれた。


あの人のこと、もしかして女王様かもって考えたことない――?


思えば出会ったときからオーヴィルはニィハのことを『姫』と呼んでいるが、男一人女二人のグループで片方を『姫』呼ばわりすることが定着するだろうか。


それも彼女が高貴な血筋であることを暗示しているように思える。


『女王』は戦時中『剣闘士』との駆け落ちをとがめられ処刑された、そして『劇団いぬのさんぽ』は吟遊詩人と剣闘士に立ち上げられた劇団だ。


イーリスが吟遊詩人、オーヴィルが剣闘士、ならばニィハは何者か――。剣闘士という一致は偶然か。


ありえないと一蹴した疑惑は意識しはじめてしまうと日を追うごとに信憑性を増し、振り返ってみるとどれもが彼女の正体を裏付けているように思えてしまう。


女王の死はもはや世の常識であり、その足跡が途絶えたことを世界中の歴史書が伝えているというのに――。


ギュムは悩んだ。


――女王の処刑は偽装だった、そんなことがあり得るのか?


正常な判断ができると自負するためには『ない』と断言しなくてはならないところだ。

しかし、たわむれにニィハを王女と仮定したとき、身を寄せる場所が『劇団』であることと『公開処刑の偽装』との間に接点を見いださずにはいられない。


なにより仲間が処刑されるという局面で、あの『劇作家』がなにもしなかったとは考えにくかった。


――そう、王女は剣闘士と駆け落ちし……。



「ああああああッ!!!」


なんの前触れもなく叫んで、少年は仲間たちを驚かせる。


「!?」「おいおい、どうした?」


かと思えば頭を抱えて地面にしゃがみ込んでしまう。


「……えっ、あーっ、そういうこと……?」


と、ブツブツ独り言をつぶやいているところを心配したニィハが駆け寄ってきて覗きこむ。


「……大丈夫ですか?」


もしもについて考察を続けた結果、ギュムベルト少年はひとつの結論に行き着いてしまう。


――ニィハさんの思い人、駆け落ちの相手はオーヴィルさんだ!


激しい動悸を鎮めようとするほど、ギュムの額にじんわりと汗が浮き出てくる。


自分が彼女と結ばれるとは思ってもいないし、とうにあきらめているが、いざ相手が明確になると穏やかではいられない。


「――気分がすぐれないようでしたら休憩をはさみますか?」


たしかに正常ではないが、若輩者の自分が足を引っ張るわけにはいかない。


「……ええと、距離はありますが道のりは案外快適っスね!」


不自然なりに平静を取り繕いながら立ち上がった。


――いまは劇団の存続を第一に考えるんだ……。


二人が男女の間柄だからといって自分に関与できる問題ではない。いまはじまったことでもなければ、そんな場合でもないだろうとギュムは自らを戒めた。


そんなこととはしらず、ニィハとオーヴィルは話を進める。


「とはいえ、この距離を歩かせるのは現実的ではないですね」


「よっぽど健康でもない限り、行き来しようとは思わないだろうな」


徒歩移動で得られた結論は、観客に徒歩での移動を期待するのは難しいということだった。



『鉄の国』までの道のりを半分ほど進むとサランドロ邸に差し掛かる――。


「せっかくだ、軽くあいさつしていこうぜ!」


オーヴィルがそんなことを言いだしたので、ニィハはあきれたという態度で反対する。


「無用なトラブルを起こす気でしょう?」


「んなこたねえよ。ただ、広い敷地を回り込むよりは直進した方が早いってだけだ」


近道ができるというのは事実だが、避けて通るのがしゃくに障るというのが本音だろう。


険悪な関係であるサランドロと遭遇した場合、乱闘さわぎを起こさないという保証はない。


ニィハ的には避けたいところだが、大きく迂回して足場の悪い森林地帯を進む苦労を仲間たちに強いるのは忍びない。


「ギュムベルトさんはどう思います?」


三人旅だ、ニィハはもう一人の意見を求めた。


「………」


しかし、ギュムはすっかりうわの空で話を聞いていなかった。


「ギュムベルトさん!」


「……え、あ、はい?」


「どうした、なんかボーッとしてんな」


「いえ、そんなことは、なんですか?」


改めて、直進か迂回かの意見を求められてギュムは答える。


「――屋敷前には大勢たむろしてますから、通り過ぎるだけなら誰も気に留めないんじゃないスかね」


それは一度来ている人間の意見だ。何事もなく素通りできればそれがベスト、議論は二対一で直進ルートに決定した。


しかし案の定、穏便には進まない――。



「とまれ、そこの三人組!」


あっと言う間に警備兵たちに囲まれてしまった。


順番待ちの商人たちがたむろする中庭で、侵入者と警備隊の衝突は人目を集めた。


「おっと、見つかっちまったな!」


想定外というには嬉々とした態度でオーヴィルが言った。


挑発行為と取られても仕方がないほど堂々とした侵入に対し、警備兵を引き連れたノロブが立ちふさがる。


「あなたみたいな大男が大剣さげて敷地内を徘徊していたら、見逃せるわけがないでしょう。なんです、殴り込みですか?」


オーヴィルと対峙するサランドロの付き人に、ギュムが突っかかる。


「武装くらいするさ、この辺には危険な怪物が出るからな」


当然、ノロブが人狼であることを踏まえたうえでの嫌みだ。


「……おまえ」


蹴り殺したはずの少年がすっかり全快していることにノロブは多少の動揺を見せた。


弱気になっているわけではないが、商人たちの目がある場所では本気を出す、つまり人狼になることはできない。

女子供の制圧はこのままでも容易だが、武装した大男が相手となるとリスクを考えなくてはならない。


屋敷の前を汚したくもないし、なにより主人の手を煩わせるようなことだけは避けたい。


険悪なムードをはなつ両者の間にニィハが割って入る。


「断りもなく敷地に侵入してしまい申し訳ありません。ごあいさつをさせていただこうと思い、立ち寄らせていただきました」


けんかをしに来たわけではない。と、場を取り繕った。


――この女は何者だ?


ノロブは先日の路上でのことを思い出した。


あのサランドロに暴力をちゅうちょさせた女、欲望に忠実な主が衝動を抑え込まれるなど異常な光景だった。


「主は忙しい身です。あなたたち木っ端劇団、フッ、雑魚に構っている暇はありませんよ」


ノロブの暴言にオーヴィルとギュムが殺気立つ。


「誰が雑魚だコラ、おい!」「コラおい! おいコラ、コラおい!」


役者には台本があるので必ずしも必要ではないが、それにしても二人の語彙力はひどかった。


「でしたらすぐに立ち去らせていただきます、このまま素通りすることをお許しくださるでしょうか?」


ニィハが敷地の横断許可を求めると、ノロブはそれを了承する。


「どうぞ、さっさとこの狂犬どもを連れて帰ってください」


嫌がらせに引き返せと突っぱねたいところだが、速やかに移動させたほうが得策だとノロブは敷地の横断を許可した。


「ありがとうございます」


「いいえ、みじめな負け犬にはせめてものほどこしです」


下手に出てきたニィハに安堵と軽い軽蔑を覚える。


――警戒していたが、結局は追い込みに耐えられず媚びを売りに来たという訳か。


あとはみじめに退散していく姿を見送るだけ、そう油断していたノロブに向かってニィハが朗らかに告げる。


「負けてませんよ」


「は?」


負け惜しみにしては自身に満ちた態度、意味が分からずに聞き返していた。そして、その淑女に目を奪われていた。


「すべてを手中に収めたつもりかもしれませんが、それは錯覚です。あなた方が手に入れたものは、しょせん目の届く範囲にいる取り巻きだけにすぎませんよ?」


ノロブが挑発であることを理解して怒りだすより先に、ニィハは別れのあいさつを差し込む。


「……このッ――!」


「それでは失礼いたします、あなたの主人によろしくお伝えください」


そして、去り際に男たち二人が捨て台詞を残してトドメを刺す。


「「バーカ!! バァーカッ!!」」


程度が低すぎて相手にするのもばからしい。しかし、短気なノロブに対しては効果てきめんだ。



「クソが……ッ!」


人目のある場所だ、立場のある自分が駆け出していって捕まえるのは見栄えが悪い。


「いいんですか、このまま行かせて」


「ほっとけ、なにもできやしねーよ!」


警備兵が確認したが、ノロブは深追いをしなかった。


『パレス・セイレーネス』の後ろ盾を失ったことはすでに確認済み、上演する劇場もなく、新しい食い扶持でも探している最中だろう。


――相手にする価値もない。


どんな商売をはじめようと、自分たちに歯向かう限り絶対に成功はありえない。待っているのは無様に落ちぶれて泣き寝入りするだけの人生だ。


『劇団いぬのさんぽ』は死んだ、相手をするにあたいしない。サランドロの側近はそう判断していた。

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