第五話 招待


その男が酒場を訪れ『殴られ屋』を利用したのは今日がはじめてのことだった。


オーヴィルと並べても遜色のない筋骨隆々とした体格をしており、野性味がありつつも美しく整った相貌にひと目で金持ちだとわかる身繕い、かつて絶頂期の皇国を総べていた故フォメルス王のように男性として完成されたルックスの持ち主だ。


男が入店するなり酒場はざわめいた。荒くれ者たちが困惑を浮かべながらも大人しく道を譲ったことから、彼がなにかしらの名士であることが察せられた。


この時点のイーリスたちは話に夢中で店内の異変には気づいていなかった――。


男はオーヴィルに近づくと「ルールを確認したい」と言った。


制限時間は約三分。厳密に時間を測ったりはしないが、腕を振り回し続けていればバテてしまい敗北を認めさせるのに十分な時間だ。


『殴られ屋』にヒザかシリを着かせることができれば挑戦者の勝ち。とはいえ、避けに徹したオーヴィルがクリーンヒットを許したことはない。

すなわち勝負は彼の裁量で転ぶだけのパフォーマンスであり、儲けがでるまでは相手が誰であろうと負けるつもりはなかった。


ルール説明を終え、進行役のギュムベルトが開始を宣言する。


ゆっくりとした立ち上がり、挑戦者はちょんちょんと左をさしては適当に右を振った。

回り込んだり前後したりと餌を巻いたりもしてきたが、まるで疲れるのはいやだと言わんばかりの緩慢な動きだった。


ところが、時間切れ間近になると突然のペースチェンジ。鋭くなった左に慌てたオーヴィルが右ストレートをつぶそうと前に出たが、まんまと誘導された形でショートアッパーの直撃を顔面に受けた。


普段ならばそこでダウンし決着とするところを、男は執拗に顔面への追撃を繰り返し、文字通りオーヴィルをノックアウトしたのだった。



――あれは何者だ?


「彼はサランドロ・ギュスタム、商人ギルドの幹部でこの一帯の流通を仕切る人物です」


成り行きを見守っていたイーリスに、見知らぬ人物が話しかけてきた。


第一印象は礼儀正しく長身で美しい男性。


「ええっと、どちら様ですか?」


「ワタシはノロブ、彼のボディーガードを務めています」


オーヴィルを倒した男の護衛だ。そう名乗った彼も、やはりただ者ではない雰囲気を醸し出している。


「あの人にボディーガードとか必要かな……?」


目の前のノロブも引き締まってはいるが、サランドロほどの武闘派には見えない。

それに、オーヴィルをノックアウトできる人間を誰が害せるのかは疑問だった。


「まあ、気の置けない友人のようなものです」


港町の流通を仕切っているとなればかなりの有力者だ。しかし、二人とも貴人という印象はない。

どこかダラク戦士たちを彷彿とさせる、いわゆる蛮族を思わせるような野性味を帯びている。


「ところで、劇作家のイーリス様でございますね?」


「はい、そうですけど?」


身構えるイーリスに向かって初対面の男は告げる。


「殴られ屋を利用したのは気まぐれでして、われわれの本来の目的はあなたに会うことなのです」



    *    *    *



翌日――。


劇団の腕自慢オーヴィルを打ち負かした男の招待を受けて、劇作家イーリスは弟子のギュムベルトを連れて送迎の馬車に揺られていた。


男の名はサランドロ・ギュスタム。商人ギルドの幹部である彼は港町の流通を仕切っており領主以上の存在感を持つとも言われている。

若くして絶大な権力を手にし、男の色気にあふれるルックスと何者にも劣らぬ腕っぷしを誇る、まさにすべてを兼ね備えた男だ。


「オーヴィルさん、大丈夫かな……」


ギュムが呟いた。


「まさか、あいつがダメージを残すほどやられるなんてね」


オーヴィルは決定的な打撃を何発も受けた結果、熱を出して寝込んだ。

サランドロの強さはとても商人とは思えない、戦士としても一流のそれだった。


「商人ギルドの偉い人が、いったいどんな用事があるんでしょうね?」


「これからそれを聞きに行くんじゃあないか」


町外れに建てられたサランドロの屋敷は遠く、昼過ぎに出発した馬車を降りることができたのは、すでに日が暮れ始めた頃だった――。




「お待ちしておりました。さあ、主のもとへご案内させていただきます」


到着してすぐにノロブの迎えがあった。


「ご丁寧にありがとうございます」


森林に囲われた広大な敷地を、二人は案内にしたがって結構な距離を歩くことになった。


イーリスがサランドロとノロブについてたずねる。


「よく似ていますけど、お二人は兄弟かなにかですか?」


「いえ、われわれはむかし帝国によって滅ぼされた先住民族の末裔なので見た目にその特徴があるのです。

とはいえアシュハ国民であることには誇りを持っていますよ、この国で生まれ育ったワタシたちにとって先祖の文化などなじみがありませんからね」


先祖こそ異国人であったが、彼らは純粋なアシュハ国民と言うことだろう。


「――そういうあなたこそ、異国の血が混ざっているでしょう。作法や言葉遣いに些細な違和感があります」


国交の玄関口ということもあるが、この港町には他民族が混在して生活しており、純血のアシュハ民族のほうが珍しいくらいだ。


「そうですね、出身はスマフラウらしいので」


「ほう、随分と珍しい所からいらしたのですね。では、マウ系の血筋かな。東は戦争の真っ最中だ」


スマフラウはアシュハ国の西端に面するマウ国の移民によって創設された独立都市だった。

守護竜と竜騎兵による盤石の守りが有名だったが、近年はアシュハと戦争中にあるマウ国によって吸収されたと伝わっている。


その際にアーロック・ルブレ・テオルム、マウ王国第三王子の指揮した軍がスマフラウの守護竜を討伐しており、王子は栄誉ある『ドラゴンスレイヤー』の名声を手に入れている。


地理にくわしくないギュム少年は首をひねる。


「スマフラウってどこのことですか?」


「西アシュハの先だよ」


西アシュハといえば一昨年前には皇国の首都があった場所だ。


イーリスが西の端から東の端を旅したというのならば、とうぜん首都を経由して来ただろうとギュムは考える。


女王ティアンと接点がある可能性もゼロではない。


――いやいや、そんな馬鹿な。


ギュムは妄想を振り払うようにして首を降った。



屋敷の正面口に到着すると、豪邸の周辺ではさながらパーティの最中だった。


田舎なら灯りを惜しんで就寝してもおかしくないという時分に、煌々と灯りを焚いてバカ騒ぎをしている。


「にぎやかですね、なにかのお祝いですか?」


イーリスの質問にノロブが答える。


「いいえ、彼らのほとんどはサランドロと面会するために順番待ちをしている商人の方々です」


客の途絶えないサランドロ邸では毎日のように宴が開かれている。庶民からすれば別世界であり、貴族たちのそれとも違う独特な雰囲気がある。


「――こちらへ、主は応接室でお待ちです」


ノロブは巨大な扉を開けてイーリスたちを屋敷へと招き入れた。


「わわっ、なんだなんだ!?」


玄関を潜るなりイーリスは困惑した。屋敷内では裸の女性が大勢、そこかしこを行き来していた。


取り乱すイーリスにノロブは答える。


「彼女たちは外にいる商人の奥方や娘たちです」


「なにそれ怖い、それがなんで裸でうろついているの?」


「主サランドロは興味を持った案件から取り掛かる方針なので、皆、彼の気を引こうと必死なのです」


「言ってる意味がわからないですね……」


商談はサランドロの気まぐれによってのみ行われた。商人たちは列を作ることもできずに庭に居座り、出入りを許された女性だけが屋敷内を闊歩している。


交渉できるのは彼の目に止まった時に限られ、肉親のかたわら妻や娘たちが身売りをしているというのがこの状況だった。


「――来るべきじゃなかったかもしれない」


異常な光景に萎縮するイーリスをギュムが諭す。


「うちもよそのことを言えた環境じゃないですけどね」


「そりゃ、そうだけども……」


娼婦たちが共同生活をしているパレス・セイレーネスでは、接客中の娼婦や客が裸で行き来している姿も珍しくはない。


及び腰になったイーリスにノロブが補足を加える。


「我々が売ると決めたものはなんであれ売れますし、売らないと決めたらなにがあっても売れません。商売が立ち行くかはサランドロの決定一つなのです」


商人たちにとってそれはけして本懐ではないだろう、商品の内容で勝負したいはずだ。

しかし、サランドロにとって商品はありさえすればなんでも良かった。痩せるだとか、肌ツヤが良くなるだとか、付加価値を与えてそれを吹聴すれば商品は売れた。


付加した効果がある必要すらなく、個人差とでも言っておけば問題はない。その商品自体はいつか廃れるが、また次のなにかをはやらせるだけのことだ。


「――彼女たちの場合、裸になることくらいしか主の気を引く術がないのです。もちろん、あなたは違います。ですから率先してお会いになられるのです」



秘書ノロブが応接室の扉をノックする。


「イーリス様をお連れいたしました」


「おお、待っていたぞ!」


屋敷の主から許しを得て扉を開く、すると裸の女性がぞろぞろと応接室から廊下へと追い払われた。


「さあ、入ってくれ!」


招かれて入室すると、彼は肉体美を見せつけるかのようにして仁王立ちしていた。立っていたし、勃っていた。


「よく来てくれた、美しき劇作家イーリス。それと……!」


全裸の男はのしのしと歩み寄ってくると腰が引けているイーリス、そしてギュムと固く握手を交わす。


「劇団員のギュムベルトです」


「よろしく少年。では、さっそく要件に入ろうか!」


何事もないかのごとく交渉を開始しようとする全裸男をイーリスがとがめる。


「まず服を着てください、直視するにはあまりにもエグいので」


「まあ、気にするな」

「まあ、気にするわ」


しかし全裸男はソファーに着地すると大股で放り出す。


「恥ずかしい部位など一つもない、オレはこの素晴らしい肉体を自慢したくて仕方がないんだ。

どうだ、娼館を拠点にしているおまえたちでもこれほどのモノは見たことがないだろう」


「ええ、ご立派です。とにかく服を着てください」


冷淡にしかしハッキリ拒絶すると、サランドロは「そうか……」と言ってようやく身支度を整え始める。


「意外とウブなんですね」と、ギュムが茶化した。


「かわいいくらいのサイズなら鼻で笑ってスルーもしたけどさ、あそこまでいくと恥ずかしいを通り越して恐怖を感じるよ……」


それは捕食者と対峙した被食者が感じ取る信号に近いものだ。


相手の縄張り、非日常的な環境で、あの腕っぷしの相手と対面してどんな危害を加えられるかもわからない。

股間の話をしているわけではなく、彼の瞳のおくにある残虐性をイーリスは警戒していた。


オーヴィルとの対戦からもわかる。サランドロのそれは、いざ相手が死ぬとわかっていたとしても平然と拳を振りぬくことができる者の暗さであると。

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