第十七話 続・暴走する少年少女


今宵『劇団いぬのさんぽ』の手で歴史の影に埋もれていた物語が甦る。

それは誰一人として興味を寄せることのなかった、魔族と恐れられた三姉妹の顛末劇。


開始すら危うかった公演は、いま順調に終盤へと向かいつつあった――。


客席最後列の照明席にはエルフ姉さんとニィハがスタンバイしており、舞台上の役者を見守っている。


「はい、ゆっくり証明を上げてくださいませ……ストップ」


稽古中、ニィハは役者がセリフを忘れた時の助け舟役をやっていたため舞台の進行を熟知しており、効果のオンオフを担当するエルフ姉さんを補佐するのに適していた。


舞台外でのトラブル対応も任されているが、今のところ問題は起きていない。


「――このまま場面転換まで待機です」


「了解」


終幕の最終決戦を控えて、舞台効果にはしばしの休息ポイントだ。

リーンエレが妊娠を告白しクライマックスまで一直線といった所で、待機時間のできたイーリスが照明席へと避難してくる。



「ふぇぇ、ちかれたぁぁ……ぶわっ」


ニィハの背もたれになっていたアルフォンスに倒れこもうとして、尻尾で顔面を叩かれた。拒絶の態度だ。


ニィハは声を潜めてイーリスを労う。


「おつかれさま。この調子なら問題なく完走できそうね」


「うん」


軽く相槌を打ったイーリスだが、思い描いていた舞台が完成に向かいつつあることには深い感動を覚えていた。


これまで成し得ることが叶わなかったのは、演奏から始まりすべての芸事が世間にとってはまだ宴会の添え物でしかないからだ。


物語の先に感動があることを人々はまだ知らない――。


苦しかったらやめる。不満があれば文句を言う。ムカついたら暴れる。それらは生理的に自然な行動だ。

動くな。黙れ。従え等々、ご褒美を確信していない人々に、我慢を強いるのは非常に困難なことだ。


騒ぐことでストレスを発散するのが当たり前になっている人々を長編に引き込むのは無謀な挑戦だった。



「もうひと踏ん張り、よろしくね」


イーリスに声をかけられ、エルフ姉さんは素朴な感想をこぼす。


「今更だけれど、こんな苦労に見合わないことをよくもやる気になれたわね……」


終わりが迫ってきて改めて思い知る。


脚本の執筆、小屋の確保、数ヶ月に渡る過酷な稽古、人材と道具の準備、失敗の許されない本番。

稽古期間中、収入は発生せず出費だけが積み重なっていく。たとえ今日、百人から入場料を取り立てた所で到底すべてを賄えない。


今回に限りギュムベルトが身銭を切って成立させたが、普段ならばこの規模の公演は打てない。


「――こんなことをしてなんの意味があるのかしら?」


嫌味ではなく素朴な疑問だった。割に合わない以上は酔狂としか言いようがない。


「どういうこと?」


エルフ姉さんの質問にイーリスは首を捻った。


「確固たる目標がなければこんなことはとても続かないでしょう」


「んー、どうなんだろう。深く考えたことないかも……」


「本気で言っているの……?」


エルフ姉さんは拍子抜けした。こんな大掛かりな挑戦をすることに大した目的もないと言うのだ。


「まずは人を殺さずに食べていこうって事になって、それくらいしか選択肢がなかったんだよね」


戦闘員としてならば彼女たちは引く手数多であっただろう。同時に、それ以外の選択肢が多くなかったのも事実だ。

吟遊詩人が下火ということで見切りをつけることもできたけれど、旅芸人が気質に合っていたという理由で踏みとどまっていたに過ぎなかった。


確固たる理由はないが、それでもせっかくの質問なのだから何かしらの解答をと、イーリスは言葉を紡いだ。



「異種族の三姉妹が魔族と呼ばれたように、人間は自分の意に沿わないものはみんな悪者扱いするんだよね」


「なんの話?」


唐突に無関係な話が始まったかのように思えたが、すぐにそれが演目の話だと気付いたのでエルフ姉さんは黙って耳を傾けた。


「人間の判断基準ってさ、自分にとっての都合の善し悪しでしかないんだよ。気分が良いなら有り、気分が悪ければ無し。

だから善悪は些細な問題でしかないし、ましてや他人のことなんてどうでもいいんだ――」


身内となれば話も変わってくるが、自分さえ痛くなければ他人がどうなろうと知ったことじゃない。それが当たり前だ。


「でも見て、ほら、あの人泣いてるじゃん?」


イーリスはふと、なんてことだ……。と言って塞ぎ込んでいる客を指した。


「自分の損得と関係ないところで、他人の不幸を悲しんだり、幸福を願ったりしてる。それって物語の魔法だと思うんだよ。


人間とエルフは歩み寄れていない。けど、千年後には和解しているかもしれない。


物語の力は、それを一日か二日くらいは縮めてくれるんじゃないかって、ボクはそう思ってるんだ」


物語の力が、千年を九百九十九年三百六十三日にするかもしれない。物語の無い世界より、二日分程度は人を優しくするかもしれない。

それすら幻想の可能性はあるが、物語に感化される人の姿を彼女は愛していた。


「……そんなの、ほとんど誤差じゃない」


呆れるエルフ姉さんの肩をニィハが叩く。


「そろそろ場面転換です」



舞台上はラドルが和平交渉の使者を放棄して逃げ出すシーンだ。

ギュムベルトが二階デッキを経由して誰もいなくなったステージに駆け下りてくると、ユンナが追ってきたようにして回り込む。


「まって、ラドル!」


そこで予期せぬトラブルが発生――。


「もういいだろ!! おれのことは放っておいてくれッ!!」


使命の放棄を咎めるリーンをラドルが突っぱねるシーン。

本番の空気に没入しすぎたせいか、ギュムの語気が稽古のときと比べて強かった。

そのセリフは予期せぬカウンターのようにユンナへと突き刺さる。


「!?……ふっ、くっ」


――ん、どうした?


セリフが返ってこないことにギュムは戸惑った。

想定していたよりも強い当たりにショックを受けて、ユンナは頭の中が真っ白になっていた。


――怖かった。驚いた。わたし、何してたんだっけ?


そして、緊張に耐えられずに泣き出してしまう。


「え、おい……」


「そんな言い方しなくたって、いいじゃな……びええええっ!!」


金銭をとって舞台に立っている以上、あってはならない事だった。

しかし、ユンナはまだ十二の子供だ。決壊してしまった感情を自力で鎮める術がなく、完全にブチ切れていた。


「わたし、あんたのこと好きなの!! なのに、ちっともこっちを見てくれないし、もう分かんないっ!!」


もはや舞台の体を成していないといった状態で、どさくさに紛れて告白が始まってしまった。



「――――!!?」


これまでの積み重ねが一発で吹き飛ぶ大惨事に、照明席ではイーリスが顔面を蒼白にしていた。

今日までエルフについて懇切丁寧に演技指導をしてきた姉さんは、あまりの展開にむしろ笑いを堪えきれない。


「あははははははっ!!」


「笑い事じゃない!!」


この地獄をいったいどうしたら救えるのか。


舞台上のトラブルはその場にいる役者にしか挽回することができない。

そして二人しかいない舞台上で、現在それが可能なのはギュムベルトただ一人。



――どうすんだ、これ?


しかし、ギュムの頭は真っ白だった。


場面的にはラドルがリーンを拒絶しなくてはならないのだが、ユンナから仕掛けてこなくては逆ギレもできない。


――これ、突っぱねたら悪化するよな……?


とにかく彼女が泣き止まなければ話にならないのだが、なだめるとなると決別のシーンが台無しになり台本との齟齬を挽回不能に追い込みかねない。


――ええっと、なんだっけ?!


ギュムはぶつ切れにならないよう配慮しながら、演技の続行を試みる。


「ちょっと待ってくれ、それは愛の告白か、エルフが人間を相手に?」


――おまえはいまエルフだ、分かるな?


種族違いをこれみよがしにアピールすることで、今が演技中であることを再確認させようとした。


「うん、好き。大好き!」


しかし、彼女はすでにただのユンナだ。


――くそっ! 伝わらない!


「……言われるまで、おれはその可能性を否定していた。人間とエルフの間に恋愛が成立するはずがないと決めつけていたんだ」


着地点を完全に見失いながらも、ラドルは辛うじてセリフを発し続けた。

なんとか決別に漕ぎ着け、ユンナを退場させ、次のシーンに繋がなくてはならない。


しかし、少女はそれを許さない。


「立場とかしがらみとか、そんなもので目隠ししないで!! ちゃんとわたしを異性として見てよ!!」


――これ、ぜったい退場しないやつだ!


じゃあ、なんでアニキを受け入れたんだよ! とでも言えば修羅場にできるか。いいや、ダメだ。

今のユンナがリーンとして上手い切り返しができるとは思えない。何より、ラドルがそんなことは言わない。



「もーっ、めちゃくちゃだぁぁぁ!!」


イーリスは声を殺して悲鳴を上げた。


何故だろう。修羅場の場面なのに二人が互いの気持ちを確認しあっている。


「ふふっ、そんなの、まったくエルフらしくないわ」


顔面蒼白のイーリスとは対照的に、積み重ねた芸術品を豪快に破壊する少女の姿にエルフ姉さんは爽快感を覚えていた。


半ば投げやりになってきた姉さんの肩をニィハがつつく――。



もはや絶体絶命か、混沌とする舞台上ではギュムが針のムシロ状態だ。

次のセリフを待ちわびる百人の視線が凄まじい圧力を彼に浴びせている。


全責任が自分にかかっていて、間違えれば大勢に失望される。そんな局面に思えた。


――もうダメだ。一度、舞台から捌けよう……!


プレッシャーに潰れかけたギュムの耳に、ニィハの声が響く。


『本心を伝えてくれてありがとう。でも、今はまだ――』


精霊魔法を介したその声はギュムにだけ届いていた。


「――今はまだ、その気持ちに答える訳にはいかない」


縋るようにして、ギュムは流れ込んでくるセリフを音にした。

気持ちに寄り添った返答をしたため、パニックだったユンナもようやく言葉に耳を傾け始めた。


「……どうして?」


「きっと、おれもずっとキミのことが好きだったんだ。

でも、それを認めることで大義を侮辱することが怖かった。だから使命に殉じることで気持ちを葬ろうとしていたんだ――」


エルフ姉さん越しに届くニィハの声を、ギュムはラドルを通して発信した。


「今はまだ、キミの気持ちに応える訳にはいかない。

人間とエルフの和解は自己満足なんかではなく、同胞たちを救うために行われるべきだと思うから」


ギュムの言葉をユンナは涙を拭いながら神妙に聴いていた。

恋に胸を焦がす少女の姿に観客は心を奪われ、その結末に注視する。


「……だから、諦めろってこと?」


「おれたちが本当に理解し合うためには、きっとまだ沢山の障害を乗り越えなくてはいけないんだ。

それはあまりに険しい道のりで、今のおれにはそれを越える勇気がない……」


平和を望む気持ちは一緒だった。しかし価値観の違いに直面したことで、お互いの理解が全くの不十分であることを思い知らされた。


表現は変わってしまったが、ラドルの挫折を提示することには成功した。あとはユンナを舞台かる退場させるだけだ。


二人の再会を示唆した上で離別する。ラドルは演技を続行する。


「――でも、もし全てが終わったら……」


「全てが終わったら?」


「和平が成立してキミが戻ってきたら、その時は改めて未来について語り合おう。

もし、世界が一歩前進したなら。その時には何度も何度も繰り返し、解り合えるまで」


ラドルはそう言ってユンナの髪を、そして

頬を撫でた。


望んだ結末へと導かれるかは分からない。それでも約束という形で希望を残すことで、少女を納得させることができた。


ユンナはギュムの手を掴むと、一息ついて真っ直ぐ視線を交わす。


「約束して、きっとまた話し合うって」


それは台本上にあるリーンエレの退場台詞。


舞台はなんとか軌道修正に成功することができた――。


舞台袖ではメディレイン役のEが大量の汗で衣装を湿らせ蹲っている。大惨事の尻拭いを意識するあまり胃痛に苦しんでいたのだった。



照明席では裏方の三人が安堵していた――。


咄嗟の判断で窮地を救ったニィハの胸に顔を埋めて、イーリスは叫ぶ。


「もがもがもがーッ!!」


「息が熱い……!」


豪快に逸れていく展開に脚本家の精神は崩壊寸前だった。


「肝が座っているのね。アルフォンスがあなたに服従している理由が解った気がする」


エルフ姉さんはニィハを称賛した。彼女の機転がなければ、なにもできない子供たちを舞台上に放置するしかなかった。


「あなたの魔法があってこそです」


そう言って笑う少女を、これまでに会ったどんな人間とも違うなとエルフの娼婦は感じていた。

それは、劇団の三人全員に言えることかもしれない。


ふと後悔を口にする。


「――ユンナのようにはできないけれど、あなたがあの子にしたように、わたしもラドルにしてあげられたら良かった……」


現状の保存を旨とするエルフにとって変化は嫌煙すべきものである。

そんな彼女が家族を失い、集落を追われ、生きる意味を失ってからはより居心地のマシな場所へと流れ着くだけだった。


――エルフであることを誇らしく感じられたのはいつ以来だろう。


演劇をする意味はまだ理解できていない。ただ、集団の中にいて役割を担うことは実にエルフの性分に合っている。


「ねえ、イーリス」


「なに?」


演劇というものが、千年を九百九十九年三百六十三日にする魔法だというのなら。その魔法に夢を見ても良いと思えた。


その答え合わせができない彼女たちと違い、自分は結末を見届けることができるのだから。


「さんざん侮辱してきたけれど、わたしをあなたの劇団に入れて貰えないかしら?」


「もちろんさ。歓迎するよ、リーンエレ」


その名で呼ばれるのは何百年ぶりか。


「……涙を止めないと、作業に支障が出てしまうわ」


リーンは頬を拭いながら二人から顔を背けた。



どうか、キミが歩む苦難の道のその先に、いつか光が差し込むことを――。



イーリスが締めのナレーションを語り、舞台は無事一時間半を完走し終えた。

役者たちが次々と舞台に登場し、観客に礼を伝える。


左右から登場したラドルとユンナが中央で手を繋いだ時には大喝采が巻き起こり、しばらく拍手は鳴り止まなかった。

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