◢四幕三場 深化の果て


轟音を伴い三姉妹の居城が大きく振動した――。


類するものの例えすら思いつかない。あまりにも強い衝撃にラドルが一瞬、死を覚悟したほどだ。

なんの前触れもなく発生した謎の爆撃に血相を変えながら、最上階にあるレインの自室へと駆け上がる。


「これは、どういうことだ……!?」


信じ難い光景に唖然とする。階段を駆け上がった先、上階の壁や天井、その全てがいまの衝撃によって消し飛んでしまっていたのだ。


ラドルは周囲をざっと見渡した。



――彼女がこの大破壊を起こしたのか。


件の犯人は一階低くなってしまった屋上で、何事もなかったかのように佇んでいる。

実験の失敗か、深化による何かしらの暴走か、ラドルはエルフの長女に状況を確認する。


「――レイン、大丈夫か?」


変質の進んだ彼女の姿を見て、接近を戸惑わずにいられるのはもはや姉妹とラドルくらいのものだろう。

人型を保ってはいるが、人と認識できる範囲はとうに越えていた。


不穏さを感じながらもラドルは安否確認を優先し、その問いかけに対しメディレインはいつもの冷めたトーンで返答する。


「人間の子よ、喜べ。どうやら私たちの見解は正しかったぞ」



――何の話だ?


落ち着いているというよりは意気消沈したといった様子で、口調とは裏腹に深い焦燥が感じ取れた。

体調に異変を訴えていた彼女を気遣い、ラドルは支えに使えと腕を差し出す。


「触れるなっ!!」


しかしレインは怒りをあらわにその手を振り払った。

硬質化した表皮が少年の柔らかい皮膚をザックリと裂き流血させた。


ラドルは痛みに呻いたが彼女はそれを気に止める余裕もなく、頭を抱えながら怒りもあらわに叫ぶ。


「どこまで!! どこまで!! どこまでッ!! アアアアアアッ!!!」


それはまるで巨大生物の咆哮の様。


尋常じゃない様子に事態の深刻さを察すると、ラドルはもう一度神妙に原因を訊ねた。


「いったい何があったんだよ……!」


振り返ったレインの顔は深化の影響が末期であることと、抑えきれない殺意によって完全な怪物となり果ててしまっている。

怪物の頂点に君臨せし魔王と呼ばれる異形の魔人がいたとすれば、それは彼女の姿こそが相応しい。


「人間どもが大軍を率いて森の入口に陣を敷いている。どうやら徹底的にやるつもりらしい。いいだろう、望むところだ」


その声は破壊を禁忌とするエルフと殺戮の魔人との間で震えていた。


――おれがエルフじゃないからだろうか。


それがどれほどの怒りからくる感情なのか人の身からは計り知ることはできない。



「リーンたちと行き違いがあったのか……」


次女、三女が和平交渉に出掛けたきりだ。


大部隊による行軍が数日前に出て行ったリーンたちの会議に左右されるはずもない。

会議とは別に準備されていた軍が和平交渉の可否を待たずに動き出したとしか考えられなかった。


しかし、レインの視点からは一目瞭然だ。


「くくく……あはははは……。ああ、めでたい!

交渉に向かった愛する妹ならば、剥製よろしく軍の先頭に見せしめとして掲げられているよ!」


挑発に使われている妹の遺骸が、自分たちへの悪意以外のなんだというのか。


「――実に人間らしいセンスだ」


「…………え?」


ラドルはその光景を想像することができずにいた。


『精霊の通り道』はエルフが護っており、破壊されればすべての生物が死滅する――。

それを知った上で攻撃するだなんて、どう考えてもありえない。いくらなんでも人間がそこまで愚かなはずはない。そう信じていた。


しかし、それは人間に対する買い被りだ。


実感を伴うまで人の思考感情は機能しない。それゆえに人間は体験から得る教訓を知識では補えないのだ。

目の当たりにするまでは受け入れない。願望が理論を上書きする動物なのだ。



「交渉の席など初めから無かった。すべては戦力を精霊に依存する我らを森から引き剥がすための策略だったのだ」


会談を開くと騙しておびき出し、森の外で待ち伏せし、弱体化したところを討ち取った。


「――権謀術策と言うのか、人間はこれを英雄的行為と呼ぶのだろう? まったく理解に苦しむよ」


「そんな……」


エルフたちの死、兄貴分の安否、非道に対する憤り、同族に対する失望。感情の置き場が定まらずにラドルは混乱するばかりだ。


「リーンだけでも里に帰すべきだった……」


レインが後悔を吐露した。


可能なように深化こそを許さなかったが、結局は可愛い妹をいつまでも手放すことができず、最悪な結末を迎えてしまった。


後悔しても仕方がない。シエルもリーンもそれを望まなかったのだから、どの道必然だったのだろう。

誰一人が欠けることも耐えられない。そういう三姉妹だ――。



「さあ、思い知らせてやる。私が力尽きるまでに果たして何匹残っていられるか。

ここで討ち取らねば、更にどれほどの代償を払うことになるか――」


レインは玉砕を覚悟した。どの道、独りぼっちでは生きていけない。

その命が尽きるまで、視界に入る人間を殺し続ける。


森を攻撃する者を、

妹を殺した者を、

人の王を、

その指示に従う者を、

異議を唱えなかった者を、

疑問を持たなかった者を、

耳を傾けなかった者を、

知ろうとしなかった者を、


以外は見逃しても構わないが、それらは同罪とみなして必ず殲滅する。

それで潰える種族ならば滅びてしまった方がいい――。



レインは最後の戦いに赴こうと屋上の縁へと足をかけた。


「待って!」


声を掛けて引き留めた。しかし、ラドルには説得の言葉が思いつかない。

本音も、嘘も、何一つ、一切、一言すら搾り出せない。


レインの為でも同胞の命の為でもない。何が正しいのかの判断もつかない。

何に味方すべきなのか、何を行動に移せばいいのかも判らない。


ただ、最悪の結末へと導かれつつある現状への漠然とした恐怖に叫んでいた。


「――それ以上の力を使ったらどうなるか!!」


すでに捨て身を覚悟している者に対して、それはあまりにも軽い。


「……フッ」


最後の説得があまりにも無力だったゆえの哀れみか、レインはラドルに向かって微笑みかけた。


「――深化の進んだエルフがどうなるのか、死ぬか、または精霊になるか。


解ったよ――。私は『竜』になるのだ。


見よ、力が漲っている。ありがたい、これで思う存分やつらを蹂躙できる」



深化の影響でエルフは別の生物へと変化する。滅ぶどころか新たな力を得ることになる。

しかしそうなったとしても、大地の支配者たる人間を滅ぼすに足ることはない。


人間はまた勝利するだろう。


だからレインの仕事は礎の一石だ。人間に対しエルフへの攻撃がいかに割に合わないかを思い知らせる。

千人死んでも万人死んでも改まらない人間がいつか他者への攻撃を思いとどまるように、エルフを蹂躙したことを後悔させる為の一石となるのだ。


――私は石ころだ。


「できることならば、人間など一人残らず滅ぼしてしまいたいよ」


それはレインなりのラドルへの決別の言葉だ。

定めた使命に殉じていく彼女をもはや誰にも止めることはできない。


感情論も、理屈もない。ただ、ラドルは別れの言葉を絞り出す。


「……おれは、おれはエルフに産まれてきたかった!」


「ははは、馬鹿なことを言う人間だなあ」


レインの最後の言葉は不思議と和やさを含んでいた。



――さらばだ、異種族の友達よ。


その言葉を発したか飲み込んだのかも曖昧なまま。城の最上階、破壊した壁からレインは飛び降りた。

人間との最終決戦を迎えるべく、魔軍の姫が出撃する。


それを追いかけて身を乗り出すと、突如突風に襲われラドルはその場にしがみ付いた。


「レイン!!」


見失ったメディレインを探して周囲を見渡す。するとエルフの姿は消え、空の彼方に飛翔する竜の背が見えた。

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