第十六話 開演


受付を済ませた客から順次ホールへと案内されれていく。

ぼんやりとした照明に規則的に並べられた客席、見慣れない配置には常連ほど新鮮な困惑を覚えていた。


「混雑が予想されますので、奥の席から詰めてご利用ください」


客が不安を感じるより早く、娼婦たちが駆け寄って座席へと誘導する。

足りない人手は参加を断念したAや失恋から立ち直ったCが手助けしてくれていた。


『パレス・セイレーネス』のブランド力が発揮されてか客入りは上々だ。


そのほとんどが娼婦たちの宣伝なり街角の広告から、伝承語りらしき催しが行われるとの認識でここに来ている。

サーカスや大道芸すら祭事の添え物にしかならないご時世だ。退屈にこそ違いないが、一度くらいは付き合ってやろう。その程度の期待感で足を運んでいるのだ。


吟遊詩人の真似事に時代遅れ感こそ否めなかったが、美女揃いで鳴らした店だ。

友情か下心か、ご機嫌取りから暇つぶし目的まで、けっこうな人数を集客することができたという訳だ。


無名の劇団が独自に呼びかけただけではこうは集まらなかったに違いない。



「受付の娘、とんでもない美人だったな」


「それだけでも来た甲斐があったってもんか」


開始まですることがないため、雑談を始める者が出てくる。

それでも最低限、席に着いているのはそれなりの入場料をとった成果だろう。


そうでなければ行動を制限されるストレスに勝てず、舞台に乗り上げたり、舞台袖を覗き込んだり、大声で不満を訴えたりする者が出たかもしれない。


客席が円形に歪曲しているため、舞台を挟んで対面に客の姿が見えることも自制を働かせたかもしれない。

密室であることも手伝い、観客に傍観者以上の何かであるという錯覚を与えた。まるで会議かなにかの参加者に近い感覚だ。



バタン!! ガチャガチャガチャ!!


全ての観客が席に着くと、それを追うかのようにして入口から鎧姿の屈強な男たちが押し入ってきた。


兵士たちの乱入に観客たちは騒然とする。


「なんだ、何事だ!?」

「取り締まりか!?」


摘発にでも巻き込まれたのではないか、各々に罪状などの心当たりを思い描く。


彼らは国軍ではなかった。威圧的な巨体は北方のダラク民族のもので、掲げているのは旧帝国旗とちぐはぐな一団だ。

しかし咄嗟にそれに気づける者は少ない。権力が介入してきた。とても強そう。それらの第一印象が先行し、観客たちを驚かせた。


彼らは『殴られ屋』に完敗した『偉大な陰茎海賊団』だった。

暴動鎮圧用の客席係としてイーリスが招集し、公演開始の演出として組み込まれていた。


彼らの仕事は衣装を着て旗を持ち、黙って一時間立っていることのみ。

威圧的な見た目はそれだけで騒ぎを起こす気を奪うし、少人数で軍隊を想起させる演出としても効果的だ。



「誇り高き勇者たちよ!!」


観客がパニックを起こすのを遮るように、第一声が場内に響き渡った。

一階通路側から舞台中央へと黄金の鎧を身にまとったオーヴィルが威風堂々と歩みでる。


「これより第六回魔王討伐作戦を決行する。


永きに渡る魔王軍との生存闘争に今日こそ我らイブラッド隊が終止符を打つ時だ!!」


一目で強者と判る。その圧倒的な存在感は無視しようにも視線を引きつけた。

混乱して立ち上がろうとする者に向かっては「おい、貴様!」と一喝して制する。


「鎮まれ、既にここは敵地である。身勝手な単独行動が全員の命に関わると心得よ」


オーヴィルの身振りに合わせて、海賊団がその場でダンダンダンと足を踏み鳴らした。


何が起きているのか、彼らは何者なのか、状況は飲み込めないが逆らっても勝ち目はないので黙っていよう。

観客たちは彼に注視し、一切の物音を立てなくなった。それを合図に室内を照らしていた灯りが一斉に消える。


ガタッと誰かが椅子を倒しかけたが、オーヴィルが人差し指を口の前に立て円形舞台をぐるりと観客に沈黙を指示しながら廻った。


狼の遠吠えが鳴り響き、都会の密室をまるで山深い別のどこかと錯覚させる。

舞台上をぼんやりと照らし出す最低限の灯りだけがオーヴィルを浮き上がらせている。


ここに来てやっと、ああ、始まっているのだなと観客たちは理解し、安堵することができた。



「魔王オベロン討伐を果たす為にはまず、その側近たる『闇の三姉妹』を打倒しなくてはならない――」


観客たちをイブラッド隊の兵士に見立て、オーヴィルは状況説明を続けた。


舞台上の照明が絞られ、三つの光球が空中を浮遊し始める。


「敵はこの森を根城とする不老長寿の怪物、ダークエルフだ!」


光球はすいすいと空中を移動し、その一つが暗闇に三女リーンエレに扮したユンナを浮かび上がらせる。

そして暗闇に溶けるかのように弾けて消えた。


「我々は二百年にわたり、実に数千にも及ぶ同胞の命を奴らに奪われてきた!!」


続き光球は階段、二階デッキと飛来し、シエルノーを経由メディレインへと登場人物を紹介していく。


それらの照明はエルフ姉さんの精霊魔法によるものだ。

火の精霊は自在に松明を灯し、光の精霊はより自由に舞台にスポットを当てられた。


操作は客席の最後列、全体を見渡せる照明席から行われている。

室内に風を吹かせ、役者の姿を隠匿し、音の操作も自在なのだから。イーリスが熱心に劇団へと勧誘するはずだった。



舞台上では、兜で顔を隠した役者たちがイブラッド隊の兵士に扮して三姉妹に蹂躙されている。

火柱が上がった場所からは役者が消えて焦げた甲冑だけが残り、水しぶきが上がった後には白骨体が散らばっている。


初めて見る手品の数々に観客は圧倒された。


「ひぃぃぃぃ!! つ、強すぎるぅぅぅぅ!! 撤退、撤退だぁぁぁぁ!!」


イブラッド隊は無様な敗北をし、舞台は転換する。

煌々と照らす灯りにより、薄暗い森のシーンから見慣れた娼館のエントランスへ。



「アニキ。ここが例の店なんだね!!」


舞台中央へとギュムベルトが歩みでた。


そして冒頭からトラブルが発生。


「あれ……、アニキ?」


同時に登場するはずだったユージムの姿が舞台上に見当たらない。

ギュムは一瞬ヒヤリとしたが、取り乱さずに演技を続ける。


「アニキーーッ!!」


おい、何やってんだ。と、どこかに居るはずのユージムを大声で読んだ。



「ごめっ、すまんラドル! オレのズボン知らない?」


こともあろうにユージムは露出した下半身をタオルで隠しながら登場した。


わざとではない。イブラッド隊兵士役からシェパド役への衣装替えがあり、見失ったズボンを発見できずに出ざるをえなかったのだ。


裏では三姉妹役の娼婦たちが大慌てで彼のズボンを探している所だ。


この展開は台本に無いが、触れずに進めるのはあまりにも不自然。

なんでズボン履いてないんだよ! と言いかけたギュムは咄嗟に――。


「なんで、もうズボンを脱いでるんだよ!」


そう言い替えた。


前述の台詞では、ユージムが『探したけど見つからなくて!』などと失敗を告白しかねないからだ。


その意図はうまく伝わったようだ。


「我慢できなくなって脱いじまったぜ!」


ユージムのセリフに観客が笑う。その一言で女を買いに来た若者という設定を理解したのだ。


そこに台本の指示を無視して娼館の支配人が登場する。

代役はセリフの入ってないままのイーリスだ。


「おやおや、いくらウチが大陸一を誇る娼館だからって気が早すぎるんじゃあないのかい?」


当然、正確な台詞を言えるか怪しい。


言えるかもしれないが、台本に沿うと決めて大きく脱線した場合、そのリカバリーを自然にやるのは難しい。

そこでイーリスが選択した苦肉の策は、即興劇で一場面凌ぐ――。


場面のカットに踏み切らなかったのは、『行きつけの店から始まる物語』が感情移入を意図した演出だからだ。



「……あの、あなたは?」


衣装のトラブルからユージムの台詞が大きく飛んだため、不自然な間を埋めるべくギュムが進行する。


「このパレス・セイレーネスの支配人さ」


「あ、意外と若い……」


急遽出演を決めた都合、雑な老人メイクでチープになるくらいならそのまま行こうという咄嗟の判断だった。


支配人が老女であることは観客たちの共通認識だったので、「意外と若い」は狙った以上にウケた。


客席を和やかな笑いが包む。


「おいババア! オレ様が来てやったぜ!」


「帰んな。お前みたいな貧乏人にそうそう施してやるほど安い店じゃないんだ」


「これまで散々っぱら踏み倒してきたが、金の心配はもういらねぇ!

なんたってオレたちは、魔王を討伐して時代の英雄になるんだからな!」


台本から逸脱はしているが、必要な情報を提示し次のシーンへと繋げられれば問題はない。

遅延した脚本作業中、即興劇中心の稽古をしてきた成果が出ていた。


「可愛そうな子だよ……。まあ、冥土の土産と言われちゃあ仕方ないね――」


スムーズに行き過ぎた芝居の中で一瞬、イーリスが頬の内側を吸った。

それが何を意図した仕草なのか、誰も気にしないようなさり気ない動作だ。


しかし、これは緊急事態のサイン。


――あれ、ボクなにか忘れてね?


そういう時の仕草だった。


ギュムは咄嗟に訊ねる。


「マダムはきっと事情通でしょうね。前回の作戦についてなにか知りませんか?」


それがイーリスの忘却していた台詞を呼び起こす。


「さあね。ただ、兵隊の動員が多かったから、皆、誰かしら知り合いを失ったってことくらいか……。

そういや、魔王オベロンを倒したって触れ回ったガキがいたっけ。誰も信じやしなかったけどね」


その子供がシェパドであることを今後、コンビや三姉妹がほのめかす訳にはいかない。

後になるほど唐突になるため、ここで提示しておく必要があったのだ。


――紙一重だった。


ギュムは胸を撫で下ろす。


もし、二人が連日ベタベタと寄りかかり、探り合いを繰り返していなかったら、間違いなく気付かずに流れてしまっていただろう。



「いいよ、存分に楽しんで行きな」


役目を終えてイーリスは舞台袖へと向かう。そしてすれ違いざまにギュムの尻を叩いた。


よくやった。のサインだ。


ファインプレーを褒められたことは嬉しかったが、自然なリアクションを取らなくてならない。


「な、何です!?」


ギュムは初対面の老婆に尻を撫でられた反応をした。


「そっち方面の商売にも手を伸ばそうと思っていたところでね。いい尻だ。うちで働かないかい?」


そっと肛門をかばうラドルの仕草は爆笑を誘った。



呪いの指輪を受け取るシーンをエルフ姉さんがキッチリとこなし、義勇兵を率いたイブラッド隊は再び魔の森へと向かう。


森のシーンになると放たれたアルフォンスが舞台を横切ったり、客席の間を縫って移動した。


娼館のシーンに客たちは既視感を覚え、エルフ姉妹の濡れ場は没入をより深めた。


リーンエレがラドルに協力を求めるシーンで三十分が経過し、『いぬのさんぽ』は劇団史上最長の上演時間を記録することに成功した。

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