第十話 オーヴィルと。

【公演50日前】


旅芸人はなぜ旅をするのか――。


人は同じ芸に繰り返し金を払ったりはしないからだ。

一箇所に留まっていてはすぐに客が枯渇してしまい、芸人は場所を変える必要に迫られた。


そんな彼らにとって東アシュハ国の東端、流通の窓口『港町サンゲート』は特別な環境と言える。旅をしなくても客の方が循環してくれるのである。

一方で供給過多やネタ被りにより、あっという間に淘汰され芸人が生き残れない場所でもあった。


諸行無常、芸で飯は食えない。しかし彼らは確かに芸で食っている――。


一部を除き、彼らの飯の種は培った身軽さや手先の器用さを活かした空き巣や強盗だ。

錠前を破り、壁面を昇り降りし、見つかったとしても腕っ節や度胸がものを云う。


旅芸人の多くは盗賊であり、一般人がもっとも依頼をしやすい殺し屋でもある。

なにせ、すぐ旅立ってしまうので後腐れがないのだ。


必然的に彼らは不審がられ、見下され、芸人の地位向上が果たされない原因を作り出してもいた。



かくして、『劇団いぬのさんぽ』も生活苦に悩まされている。


演劇の稽古をしていても賃金は発生しない。

その間も日々の食費や家賃など、入団預かりのギュムを含めた四人分を工面しなくてはならなかった。


かといって、彼らは犯罪に手を染めたりはしない。

昼の稽古を終えると一座の生活費を捻出すべく、『殴られ屋』を開業するのだった。



酒場の片隅に仕事を終えた少年と大男――。


イーリスは脚本の執筆に、ティアンは諸々の手配に忙しいため、出稼ぎはギュムベルトとオーヴィルに一任されていた。


ギュムはオーヴィルに訊ねる。


「脚本ってなんなんですか?」


「演劇の設計図。って言えば伝わるか? ステージに上がる役者が次にする行動や台詞が書かれた本だ」


確認してみれば当たり前の解答だ。ただ、現物を手にしたことの無いギュムにとっては漠然とした存在ではある。


なぜそんな質問をしたのかと言えば、イーリスの代わりを自分が務めなければならなかったことへの後悔からだった。

後回しにしてこちらへ来られなかったのかと愚痴った訳だが、結論、脚本は最優先事項であると納得した。


日中は稽古、広いホールの清掃、夜間は殴られ屋。これに執筆時間を捩じ込むとなれば、現状すでに三時間に満たない睡眠時間を更に削る必要がある。


なにより公演日が迫っている――。



「なんだ、落ち込んでるのか?」


「……そりゃ、申し訳ないと思ってます」


稽古を共にして、オーヴィルという先輩が気のいい男であることは分かっていた。

分かってはいたが天を仰ぐほどの巨漢である。振るわれれば即死も必至の剛腕と、向き合うだけでも背筋が凍った。


海賊団をボコボコにした鬼神の如き活躍もそれに拍車をかけている。


「じゃあ反省会でもしとくか、明日もあるからな」


「……お願いします」


ギュムがうなだれると、オーヴィルは『殴られ屋』の基本的なことから確認を始めた――。



『殴られ屋』とは掛け金を払い、制限時間内に勝利することで賞金を獲得できるギャンブルだ。


挑戦料は庶民の昼食代程度。それ以上になると『誰でも気軽に』という訳にはいかなくなる。


賞金は掛け金の三倍から始まって殴られ屋が勝利する度に挑戦料の半額が上乗せされる。

殴られ屋の勝利回数だけ増額され、場合によっては十倍にもなって返ってきた。


たとえ敗北しても一方的に殴りかかれることからストレスが発散され、客も爽やかな気持ちで引き下がることができた。



「最低でも十戦勝たないと、その日は赤字ってことになってる」


「すみません……」


『殴られ屋』は主に酒場の店先や店内の一角で行う。場所代を払っているので当額稼いでからが商売と言える。


二十勝を目安に三人と一匹がギリギリ生活できていた訳だが、ギュムの不手際によって七勝の時点で切り上げる羽目になってしまったという話だ。


「自分のやる事はわかってるか?」


最低でも十勝はしないと赤字。挑戦者の多くは腕に覚えがあったり、そうでなくとも好戦的な連中だ。

屈強な船乗りたちの相手を家事手伝いの少年には任せられないことから、ギュムの仕事は主に『仕切り』だ。


「えっと、ルールを説明して、開始の合図をだして、煽って場を盛り上げる……」


エキサイトした客が暴れ出さないよう、注意を払う必要もある。

野次馬が店内の備品を破壊でもしようものなら、当然弁償が必要になるからだ。


「あと、俺が倒れたら即座に客の勝利を宣言すること」


一回あたりの制限時間は約三分間。挑戦料の続く限り何回でも延長が可能。

時間の管理はオーヴィルの体内時計が正確だ。三分も腕を振り回していれば挑戦者も疲労困憊で文句が出たことはほとんどない。


オーヴィルは強すぎるほどに強かった。無制限に勝ち続けることができるだろう。

しかし、それでは誰も挑戦しなくなってしまい廃業するしかなくなる。適度に負けなくてはならなかった。


そして負ける場合。倒されたオーヴィルが即座に立ち上がって終了を宣言する訳にもいかない。

そこはギュムが速やかに賞金の授与までを行う必要があった。



「……すみません」


ギュムは平謝りである。


「覚えてるだろ。イーリスがやってたようにやりゃ良いんだ」


たとえ殴り合いを開始してもギャラリーは勝手には盛り上がらない。


ルールを周知させること。

場を整備し、速やかに進行すること。

的確なドラマを演出すること。


それらを怠れば居心地が悪くなった人々は自分の世界へと帰ってしまう。そして、二度と寄り付かないだろう。


日頃イーリスが当たり前のようにこなしているそれらを、ギュムは上手に回すことができなかったのだ。


人は同じ芸に繰り返し金を落とさない。そういう意味で『殴られ屋』は同じ芸で継続的に金銭を得る一種の発明だった。


今日はなんだか盛り上がらねえな。つまらねえな。

客のそういった空気を察知し、後に響くと判断したオーヴィルは早々に営業を切り上げたのだった。



「なにがやり難かった?」


改善のために原因を訊ねた。


今日まで何日もイーリスの仕事ぶりを観てきたのだから、何をして良いのか分からなかったでは困る。


ギュムは上手くできなかった理由を言葉を選びながら説明する。


「オーヴィルさんの場合。追い込まれたり倒れたりしても、まあアレじゃないですか……」


全ては段取り上でのことであり、死闘でもなければ危機でもない。初めから払う予定の賞金をただ払うだけ。


当然、ギュムからすれば新鮮な感動も驚きも一切起こりようがない。


「――予め知っていることを、あたかも初めてのように驚き続けるだなんて、いったいどうやったらいいんですか?」


テンションを上げようと思うほど白々しく感じられてしまう。

予定調和を囃し立てるだけでもエネルギーを使うのに、それを毎日二十回も繰り返すのだ。とてもじゃないが持続しなかった。



「俺たちの仕事は決闘じゃなくて、演劇だってことだ」


『殴られ屋』は彼らにとっては一つの公演であり、求められるのは演技力だ。


生活費の工面だけが目的ならば、ニィハが治癒術を使って診療所でも開けばよかった。

より稼げる仕事ではなく『殴られ屋』を選択したのは、『劇団でいる時間』を確保する為に他ならない。


更新しない知識、使わない技術、怠けた身体。一度身に付けたものも時間とともに錆びついて使い物にならなくなっていく。


この場合は『舞台感』とでも言おうか、『殴られ屋』には人前でパフォーマンスをすることを絶やさないという目的がある。


『いぬのさんぽ』という劇団名には、演劇を日課にするという意味も込められている。


そうでもしなくては、傭兵か、商人か、はたまた英雄か、彼らはやがて『劇団』ではない別の何かになっていただろう。


『殴られ屋』は『演劇』を途絶えさせない為の繋ぎだ。

第四の壁を撤廃した上で、屈強な大男をみんなで倒す物語を演じているのだ。


オーヴィルはなかなかの名優で、程よいところで疲れている演技をし、自然な流れで敗北する。


これまでの人生において彼が肉体の疲労やダメージの蓄積などを熟知しており、どこを打たれたら人体にどんな影響があるのかをよく理解しているからこそ、その再現には説得力を伴った。



「演劇はすでに始まっている……」


ギュムは頭を打ち付ける勢いで机に突っ伏した。


「――だとしたら、おれって奴はどんだけ才能がないんだよ」


未知数のうちは期待に胸も膨らんだが、こうして出来ないことを痛感すると愕然とせずにはいられない。


「なんだ、泣いてんのか?」


「泣かねーッスよ、男だぞ!」


いけ好かないあの女と同じことができない、それがどうしようもなく悔しい。


ギュムはこれまで自分が人より劣っているだなんて考えたこともなかった。

優れているとの確信も無かったが、ここまで無力だとは知らなかったのだ。


全財産を投げ出してイーリスに直談判した時、死ぬ気になればできないことなど無いと信じていたし、腹を括ったはずなのに。



「もしかしたら、おれって落ちこぼれなのかなぁ……」


失意のどん底へと埋没していく意識は料理の匂いによって引き戻された。


「なんにしても、飯は食おうぜ」


オーヴィルが注文していた料理が運ばれ、大きくないテーブルを埋めつくす。

デカい奴の食う量は半端ねえなと、ギュムは思った。


「いや、おれのことは気にせずに食べてください」


「なんだ、腹減ってねえのか?」


「はい、まあ……」


退職金をホールのレンタル料に当てた結果、ギュムはほとんど無一文になっていた。


正直、腹が減って仕方がないのだが、自分のせいで赤字を出した以上、ここは痩せ我慢をする他にない。


しかし、腹が鳴るのは止められない――。


「……あっ」


「俺の奢りだ。いいから食え!」


若者の鳴らす腹の音を聴きながらの夕食。これほど居た堪れないことはないだろう。

もとより、そのつもりでこの量を頼んだのだ。オーヴィルは料理の皿をギュムに押し付ける。


「すみません。近いうちに必ず返します」


ギュムは恐縮しながらそれを受け取った。


「返さなくていいから、気にせず食え」


「いや、さすがにそれは悪いッス」


『殴られ屋』が儲かってない以上、余裕は無いはずだ。申し訳ないとも思ったが、オーヴィルの話はまだ途中だった。


「俺には返すな。その代わり、将来一人前になったときには食わせてもらった回数だけ、腹を空かせたべつの若者に奢ってやれ」


先輩に奢られた分は後輩に返せ――。


「なぜですか?」


「一人立ちしてすぐによ、傭兵の先輩が奢ってくれたことがある。たった一度の飯だが、それがなかったら俺は野垂れ死んでいたはずだ。

だが、あの飯のおかげで俺は生き延び、こうしておまえを助ける機会を得ることができた」


なにも自分に返ってくる必要は無い。


助けたギュムが将来、誰かを救うかもしれない。そしてギュムが救った誰かが、またべつの誰かを救うかもしれない。

その連なりの中で『べつの誰か』が偉業を達成でもすれば、この投資は人類にとっての得となって返ってくる。そういう考え方だ。



「とくに俺たちみたいな芸人はな、日の目を見ずに折れっちまう才能が山ほどあるからな――」


一食奢れば一日芸を続けられるかもしれない。そして、その一日が世界を変えるかもしれない。


「腹を空かせた若者には飯を食わせる。それが大人の使命ってことだ」



ギュムは素直に感銘を受けた。


今日まで『連なり』というものを意識したことがなく、他人は他人であり、自分の人生は自分のものでしかなかった。


しかし、ニィハと出会わなければ劇団に出会わず。

イーリスと出会わなければ覚悟を知らず。

オーヴィルと出会わなければ積極的に後輩を救おうなどとは考えなかっただろう。


いつかは自分が誰かにとってのそういう存在になっていく。

人間は一人では生きていない。影響し合って生きているのだ。



「すげえ……!」


「安い飯を奢ったくらいでやめてくれ、逆に恥ずかしいぜ」


若者の羨望の眼差しがあまりにも眩しく、無双の怪力男は頬を染めた。


「今、オーヴィルさんが大人の使命って言ったじゃないですか。

これはおれが底辺の捨て子だからなのかもしれないですけど、大人に対して良い印象がないんです」


ギュムベルトは大人に甘えたことが無い。


育ててくれた娼婦たちは無責任に入れ代わり立ち代わりして今では誰も残っていない。

マダム・セイレーンも筋こそ通してくれるが、甘やかしてくれたことは一度も無かった。


低い世界から観る大人たちは醜かった。ほとんどが正視するに耐えない醜悪さだった。


弱者を虐げ強者には媚びへつらう。正否に関わらず自分の損得にのみ敏感で、異性にだらしなく、圧倒的に不公平だ。

身内にこそ良い格好をするが、それがむしろ卑劣に思えた。


それが人間なんだと、漠然とした失望に塗れながらギュムは日々を過ごしてきた。


「――だけど、視野が狭かったなって」


上から見る世界は存外、美しいのではないだろうか。

闘って何かを勝ち取った時、世界の見え方は一変する。そんな期待が少年の中に芽生え初めていた。



「とはいえ、公演が失敗したら何もかも振り出しだからな。正直、厳しい状況と言わざるを得ないぜ」


前向きな話をしてはみたものの、オーヴィルの言う通り試練の道はまだまだ険しい。


「――とにかく飯を食え、食わせたい奴に食わせ損なうのが俺は嫌いなんだ」


明日、腹を減らしたままで今日以上のパフォーマンスを発揮できる訳がない。ギュムは厚意に甘えることにした。


期待に沿いたい。恩返しをしたい。夢を叶えたい理由にそんな動機が付け加えられた気がした。

ギュムにとってそれは新しい原動力だ。


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