第六話 入団試験


ニィハに手を引かれ、キュムベルトはエントランススペースへと足を踏み入れた。


ずらりと並んだテーブルに備え付けられたランプや調度品の数々が煌めき、稼働中の厨房からは料理の匂いが漂っている。


そこだけ見れば格式の高い飲食店といった風情だが、娼婦たちが降りてくることで雰囲気は一変、独特の空間が演出される。


『劇団いぬのさんぽ』の二人と一匹は、隅の卓に陣取って食事を楽しんでいた。


人影のまばらな一角に劇団員たちの姿を発見すると、ギュムとニィハは近づいて行く。



――第一声をどうしようか。


悩みながら近づいた所、輪の中に顔見知りが紛れ込んでいたので声をかけた。


「あれ、エルフ姉さん。なにしてんの?」


「助けてくれないかしら、わけの分からない団体に勧誘されているの」


どうやら劇団への入団を迫られているらしい。

勧誘しているのはどうやら赤毛の女性の方、イーリスを名乗る狂言回しだ。


「だってボク、お姉さんにとっても興味があるんだ!」


どんな話をしていたのか、彼女はいたくエルフ姉さんに感銘を受けた様子だ。


「――ねえねえ、一緒に演劇やろうよぉ」


熱烈な誘いをエルフ姉さんは冷たくあしらう。


「ごめんなさい。新しいことを始める気はないのよ」


彼女が『パレス・セイレーネス』に居座るのは、決まったサイクルの生活に対する執着からだ。


調和と保存を旨とするエルフ族にとって変化は嫌煙するべきものだった。

長寿の種族であるにも関わらず、文明レベルが停滞している部分にその特徴がよく表れている。


故郷を失い人間社会への順応を求められた彼女にとって、ここは都合の良い避難所なのだ。


下品な客に遭うこともあるが、人間には初めからたいした品性も期待していないのでガッカリすることもない。


恩人を無碍にもできず渋々付き合ってはいるが、変化のない日々を拠り所とする彼女にとって勧誘などは煙たいだけだ。



「姫さん。仕事は終わったのか?」


「ええ、滞りなく」


海賊を追い払った大男オーヴィルがニィハを卓へと招き入れた。


「支配人の婆さんが今日一日、好きに飲み食いしていいってさ」


「まあ、ありがたいですわね」


腰掛けたニィハにイーリスが語りかける。


「売春宿なんてどんなアングラな場所かと思ったけど、とても良いスペースだね。

こんな所で演劇ができたら良いなって思っちゃうよ」


「聴いてはみたけど現実的じゃなかったのよ」


このサイズの施設をただ借りるだけならば格安な物件が他にいくらでもあるだろう。

しかし『パレス・セイレーネス』の持つ独特の世界観は他とは比べようのないものだ。


「美味い飯にありつけただけ感謝しようぜ」


オーヴィルがニィハに皿を分ける。


「あら、とても美味しそうね」


「タダだと思うとなおさら美味いな」


仲間内ではタメ口なんだな。と、ギュムは彼女の新たな一面に注視していた。



「あのねイーリス、彼が話を聞きたいって」


ニィハに促されギュムは挨拶をする。


「ギュムベルトです。この店の使用人みたいなもんです」


「締め付けがキツそうな名前だな」


「え?」


「いや、なんでもない。聞きたい事って?」


名前について弄られつつ、薦められた椅子に座る。


「失礼します。その、劇団について色々知りたいんですが……」


「物語を実演する団体」


「それは聞きました。もっと踏み込んだ話をしたいんです。その素晴らしさや、最終目的なんかについて!」


「そう言われても……」


これだけの人材が集まっているのだ、素晴らしい話が聴けると思っていた。

しかし赤髪の狂言師は歯切れが悪く言葉に詰まっている。


ギュムはこの場の年長者であるオーヴィルを振り返る。


「劇団に入れてくれませんか?」


「俺に言われてもな……」


オーヴィルはチラリとイーリスを振り返った。どうやら主導権はそちらにあるようだ。


「お願いします。劇団に入りたいんです!」


しかし、右から受けたパスをイーリスは更に左へとスルーする。


「座長、どうします?」


そこには誰もいない――。


訳も分からず虚空を手探りするギュム。イーリスはツッコミを入れる。


「いない、そこに透明人間とかいない」


いるのは与えられた肉を貪る獣が一匹。


「ボクの役職は演出家、劇団の主催者はそっち。

アルフォンスがはっきり『良いよ』って言ったら入団を認めてもいい」


「いや、言えないでしょ」


オウムでもあるまいし、イヌ科のケモノに人語を発する機能はない。


「アルフォンスが『入団を許可する』ってはっきり言ったら認めるよ」


「なぜ難易度を上げた? てか、獣が代表ってどういうことですか!」


オオカミから承諾を得ろだなんて、馬鹿にされているのかと思った。

少なくとも遠回しに却下されているに違いない。


演出家イーリスは続ける。



「ボクらの活動目的はアルフォンスの餌代を稼ぐこと――」


つまりはそれが劇団にとっての分相応という意味だ。劇団は儲かっていないのだ。


報酬を払っても払わなくても構わないなら、人はたいがい後者を選ぶ。

芸人がお金を落として貰えない時代に、路上パフォーマンスの収支は厳しいのが現実だ。


「例え十メートル先の的にナイフを命中させようと、二十メートルの高台を無傷で飛び降りようと、ボクらへの世間の評価は物乞いと大差ないんだよ」


人々は芸を楽しむと同時に芸人を見下してもいる。


「なんで『そんなの』の仲間に入りたいわけ?」


イーリスの言葉にエルフ姉さんがこぼす。


「『そんなの』の仲間に、しつこく勧誘しないで欲しいのだけど」



「なんでって、今日の皆さんの活躍を見て感動したっていうか……」


「ニィハに惚れたからでしょ? それで近づきたいんだな」


本人の前でカミングアウトされてギュムは泡を食った。


「そ、そんなことな! ……です」


「歯切れ悪っ!」


図星ではあったが、それだけではない。


熟考した訳ではなく、極めて衝動的な行動だったが、それは確かに運命めいた出会いだと思えた。

初恋と夢。たまたま同時に出会っただけで、浮ついた気持ちで切り出した訳じゃない。


赤髪の女の決めつけに、ギュムはなんだか腹が立ってきた。



「エルフ姉さんは良くて、なんでおれはダメなんだよ!」


――なにが『ボク』だ、そんな一人称でキャラが立ったつもりか!


上から言いたい放題されてムカついたのか、それとも単に照れ隠しか。

ギュムは怒りをあらわに食ってかかった。


「ボクが欲しいからに決まってんだろ。そして、おまえはいらない」


冷淡に言い放ったイーリスに対し、それ以上に冷たくエルフ姉さんが意思表示する。


「――迷惑だわ」


「大体がさ、美人がいるから混ぜて欲しいとか、そんな動機の奴を入団させる訳ないだろ!」


「わたしも演劇には微塵も興味がないわ」



その様子をニィハとオーヴィルは他人事のように眺めている。


「拒否しながら拒否されてる」


「誰一人として救われない拒絶のトライアングルだな」



「とにかく、覚悟のないやつに劇団は務まらないって言ってるの!」


「おれの覚悟のあるナシを、おまえが勝手に決めんじゃねえよ!」


「わたしには微塵も無いと断言するわ」



エルフ姉さんの主張は無視して、イーリスは立ち上がる。


「じゃあ延長戦と行こうか、勝ったら入団を認めてやるよ」


延長戦とはつまり海賊たちとやった賭けのことだろう、『殴られ屋』方式というやつだ。


ギュムは「ぐっ……!?」と唸った。


目の当たりにしたオーヴィルの強さは規格外だ。

『殴られ屋』にて一度は勝利したが、それは単にくじ引きに当たったようなものだった。


勝利は絶望的――。


「どうした、やらないのか。覚悟の意味、知らずに言葉にしちゃったかな?」


怖気付いたギュムをイーリスが煽る。


勝ち目は無い。しかし、何もしないで引き下がるのは勝負して負けるより遥かにダサい。


男が覚悟を口にした以上、踏み出さない訳にはいかない。


「やってやらぁ!!」


ギュムは威勢よく立ち上がった。



「レディース、アンド、ジェントルメーン!!」


了解を得て、イーリスが来客の関心を集め始めた。


「お立ち合い。これよりこの場をお借りしまして、『劇団いぬのさんぽ』不詳わたくしイーリスと。

こちらの少年ギュムベルトとの決闘を執り行わせて頂きます!」


覚悟も何も、相手は大男ではなく差して年代の変わらない女子。


「はあっ!? 女なんか殴れるかよ!」


「成長期終わってないひょろひょろ小僧の相手なんてな、女なんかで十分なんだよ。

さあ、ビビってなければかかって来な。ボクのこと怖くなければなーっ!」


イーリスは小馬鹿にしたような態度で挑発した。


女を殴る趣味はないし殴った事もなかったが、言いたい放題されて鬱憤も溜まっている。


「手加減しないからなッ!」


衆人監視が恥ずかしかったが、ギュムは人生で初めて女を殴る決心をした。


これは運命の一戦、勝てば人生が変わる――。



ギュムベルトは人垣の輪の中央でイーリスと対峙する。


「で、開始の合図は誰が出すんだ?」


開始の合図は気だるげな声でエルフ姉さんから発せられた。


「ふぉいと」


「姉さんかよ!?」


意外な方向からの合図に、ついそちらを振り返ってしまう。

真剣な表情のエルフ姉さんと視線が交差する。


「前を見なさい。その子、とても強いわよ」


「えっ?」


エルフ姉さんの忠告にギュムは慌ててファイティングポーズをとる。

それが間一髪、相手の攻撃を防いだ。


拳が届かないはずの距離でギュムは強い衝撃を受けて後方へとたたらを踏んだ。

イーリスの前蹴りが半身になってたギュムの前腕あたりを強打したのだ。


「蹴り!?」


ギュムは驚いた。


素人同士の喧嘩では、不意打ちか、相手の位置が低くでもない限り蹴りは出ない。


喧嘩は掴み合いなど至近距離での開始が常であり、何より転べば必死の状況で、片足立ちになるのは細心の注意がいる。


蹴りは威力こそあるが、狙って急所に当てるには技術を要した。

初手、前蹴りというだけでギュムにとっては異次元の展開だ。


パニックに陥るギュム。そして体制を整えようとする彼を追撃せず。


「よっと」


イーリスは片足立ちからのY字バランスで柔軟性と平衡感覚をアピールした。



「なんなの、あの子……」


トリッキーな立ち上がりにエルフ姉さんが困惑すると、大男オーヴィルが解説を加える。


「あいつは最適行動『以外』のことしかしない奴なんだよ」


「理解に苦しむわ」


一発目の蹴りにしてもその柔軟性があれば頭部、あるいは棒立ちの足やガラ空きの腹部を狙えた。

今の場面もたたみかければ簡単に転倒に追い込めた筈だ。


「最適行動は予測が容易ってこともあるが、何より客が飽きるからな」


無駄をするのは客向けのパフォーマンスだ。一撃で決着しては盛り上がらない。


同時にそれは対戦相手にも有効だった。


決闘中に攻撃してくる相手は怖くない。納得済みだから。

しかし、攻撃以外のことをされると困惑する。想定外だから。



「くそっ! 舐めやがって!」


ギュムはヒートアップする。


相手の奇行に加えて、衆人監視の中、女子に手玉に取られているという羞恥が頭に血を昇らせた。


これは負けられない勝負。新しい一歩に繋がる一世一代の大事な勝負。


――恐れるな、ガムシャラに攻めるんだ。


身体能力は高いようだが細身の女性。捕まえてしまえば勝ったも同然だ。


ギュムは突進し、イーリスに掴みかかる。


「うわっ、あぶねっ!?」


悲鳴をあげたのは覆いかぶさるようにして掴みかかったギュムベルトの方。

イーリスが曲芸士のようにバク転で距離をとったので、掴み所を見失ってしまった。


――遠い、仕切り直しだ。



「ギュムベルさん! 前見て、前です!」


「はっ!?」


間合いが離れたことで射程外だと脱力した所、ニィハの応援で我に返った。


離れたと思ったイーリスがスイッと左足を前に距離を詰めていた。

ギュムは反射的に身体の右側を庇う。


「くっ!」


右足から踏み込んだなら左腕、左脚による打撃が来る。そう決まっているとの判断からだ。


「あらよっと」


予測どおりイーリスの攻撃は左脚によるキックだ。左脚の攻撃は向かって右側から来るに決まっている。


「――!?」


決まっているはずなのに、半回転して放たれた後ろ回し蹴りは左側、ほぼ真下から無防備なギュムの脇腹へと突き刺さった。


「ガハッ!!?」


直後、回転の反動を利用してイーリスが宙を舞う。


低姿勢から始まる左回り空中一回転半による二連撃。

脇腹への衝撃に悶絶するギュムの顔面に飛び膝蹴りが炸裂。


イーリスの着地と同時にギュムベルトはダウンした。



「――負け、ね」


エルフ姉さんは見たままを口にし、オーヴィルは当然と言わんばかりの解説をする。


「来るのがわかってる強打には耐えても、死角からの軽い打撃で意識が飛んだりするもんだからな」


最適行動をとらないということは、リスクを負うということだ。

実行するには伴うだけの閃きと信念が必要になる。


そして、そんな闘い方がギャラリーにはよくウケた。

喝采が浴びせられ、イーリスはバク宙でそれに応える。


実力差は歴然、本来がワンパンで終わる勝負だった。

彼女はそれにわざわざアクロバティックな行動で見せ場を添えたのだ。


賑やかな歓声がゆっくりと遠ざかるのを感じながら、ギュムの意識は暗闇へと埋没して行く。


結果として、ギュムベルトは劇団の入団テストに落第したのだった。

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