打ち上げ

番外編 約束を果たした日


「陛下、着きました」


 護衛の者が目的地への到着を告げる。

 首都をたって数日――。


 そこは小さな集落だった。

 沢山ある有り触れた村の一つだ。


 住人の質素な生活が想像できることから。

 その風景には去来する想いがある。



 一団に待機指示を出し、俺は下馬する。


「まさか、お一人でお出向きに?」


 身の危険を案じられるようになった辺りに自らの衰えを感じる。

 たとえそれが、彼らの任務であるとしてもだ。

 

「良い、そういう約束だ」


 以前ならば、足を引っ張らぬようにと護衛の方から引き下がったものだった。



 臣下達を入口に待機させ。

 村の奥へと俺は歩き出した。


 この先で、『ある人物』と待ち合わせている。


 さて、勇んで護衛を置いてはきたものの。

 どうにも足取りが重い。


 約束を取り付ける時、大勢の前で言葉を交わしたが。

 こうやって会うのは実に八年ぶりか。


 あまりの多忙に時間を感じている暇もなかったが。

 それでも随分と懐かしい。



 指定の場所に着くと目当ての人物が待機していた。

 周囲にどれだけ人がいようと、不思議と視線を惹き付ける。


「オッサン!」


 彼女がこちらへと手を振っている。


 その呼称も懐かしい。

 王になってからはそのように呼ばれることなど皆無だった。


 相変わらずよく通る声だ。

 娘ほども年の離れた戦友が、こちらに手を振っている。



「美しいな、イリーナ」


 俺は第一声、そんな言葉を掛けていた。


 口説き文句ではない。

 剣士として成長した佇まいを褒めただけのつもりだった。


 しかし、イリーナは怪訝そうな表情をする。


「いつの間にそんな歯の浮くようなセリフが出るようになったんだよ。

 弱気? もうおじいちゃんだな」



「口の悪さも相変わらずだ」


 弱気を指摘されれば、実際に気負いはある。


 俺が王として良きスタートを切れるようにと、彼女らは無実の罪を被った。

 今日までの苦労を思うと、負い目を感じずにはいられない。


 否、常に気に病んでいた。



「噂によると、炎竜ロードエヌマの巫女をやっていたらしいじゃないか」


 諜報部のスタークスから得た情報を口にする。


「情報が古いよ。即効、解雇されたし」


 戦時中のことだったか。

 イリーナの言う通り、既に数年前の話しであることは承知している。


 しかし、話題のスケールから優先して口をついていた。


「またぞろ厄介事に首でも突っ込んだのだろう?」


 俺たちは雑談をしながら、さらに村を奥へと進む。



「奥さん、若かったね。スケベかよと」


 イリーナはそう言ってからかった。


 婚姻自体はすぐに周知されたはずだが、実物を見たのは初めてだったか。


「俺が高齢だからな。後継の健康を考慮した結果だ」


 ティアン様に選り好みを許さなかった自分が、時間をかけては不義にあたるだろう。


 条件を満たしている相手をその場で妃にし。

 開戦前には一子が誕生していた。



 妃は良くできた人物で。

 使命を理解し、不平のひとつも言わずに尽くしてくれた。


 今にしてみれば正しい選択だったのだろう。


 終戦までろくに彼女のことを振り返ったことも無かったが。

 これからどうにか、彼女の献身に報いていきたいと思っている。



「なんか、縮んだ?」


 思いに耽る俺をじっと観察したかと思えば。

 不可解な問いをかけてくる。


 俺は答える。


「背丈や体格が萎んだ様子はないが」


「いやさ、昔のオッサンはもっと迫力があったから。

 戦争が終わって気が抜けちゃったのかなって」


 どうだろうか。戦時中は人がよく従ってくれた。

 やるべきことも明確だった。


 むしろ、戦争が終わってからの方が遥かに定まらない。

 人々は勝手ばかりで従わない。何をしたら良いかの判断もつかない。


 気を抜ける暇などない状況だ。


 無軌道な民衆を再び束ねるために、元老院と教会を建て直し。

 そして、娯楽として闘技場の再開を行った。


 優勝者には希望の褒美を与えるとして。



「お前が自信を付けたからではないのか?」


 実際は老いによる外見の変化に戸惑っているのだろうが。

 そんな不景気な話をしても仕方ない。


 俺は再開させた闘技場について話した。


 それが今日。イリーナと再会するに到った原因だからだ。



「まさか、閉鎖させた本人が再開させるなんてねぇ」


 イリーナが手をひらひらとさせる。


「まさか、お前が出場しているとはな」


 驚いたのはお互い様だと俺は応えた。


 本質的に暴力を嫌悪しているイリーナだ。

 自主的に参加するなどと、考えもしていなかった。


 それは誰にとっても全くの想定外だったろう。


 八年前に処刑されたはずの英雄が、再び闘技場に立った。

 殆どのものは存在を失念していたが、それ故に反響は凄まじかった。



「戦争も終わったし。今更、王様の評判も変わらないかなって。

 それに、以前と違って出場しやすかったからね」


 アシュハはあの頃とは違う。

 侵略した先で奴隷があぶれるなんてこともない。


 出場はエントリー制だ。


 腕っ節で成り上がりたい猛者が。戦後、行き場を失い溢れかえっていた。


 出場を強制する必要もなかったのだ。


 選手の監禁などもなく。審判の判断で勝敗を決定。ギブアップも有効だ。


 治癒術師も十分に配備した。


 それでも、即死などの事故は免れなかったが。

 二百人からの猛者が衝突したにも関わらず。

 死者は一桁に抑えられた。


 結果として、闘技大会は大成功。


 それにしても、イリーナの登場が無ければ。

 これ程の話題性、盛り上がりを獲得するには至らなかっただろう。



「俺はどこかでフォメルスを見下していた。実績と実力は別だと言い聞かせてな。

 しかし、俺が勝っていたのは腕っ節の強さだけだったらしい」


 復興に向けて、俺が独自に打ち出せたものは何もなかった。


 結局はフォメルスの後追いをしているだけ。

 それすらもままならない。凡庸な王だ。


「戦争、負けなかったじゃん」


 負けなかった。確かに占領を許しはしなかったが。


「敵の将が謎の死に見舞われたおかげだ。そうでなくても負けに等しかった」


 敵は恐ろしい軍略家で、何度も敗北を覚悟させられたものだった。


 イリーナが敵の将について語る。


「アーロック王子ね。彼、僕の劇団の理解者でさ。

 忙しいのに頻繁に足を運んでくれてたよ。死の直前にもね」


 皮肉な事に、自分が遠ざけていた間。

 イリーナ達の後見人はアーロック・ルブレ・テオルムだった。


 あの悪魔のような男がだ。



「そんなことより、大いに盛り上がったね」


 彼女なりの慰めか、そう言ってイリーナはニコリと笑った。


 その闘技大会。決勝でインガ族族長のマハルトーを倒し。

 王者に君臨したのが、なんとこのイリーナなのだ。


 あの非力で、逃げ回るだけが戦術だった剣闘士が。


「しかし、マハルトーはつまらんフェイントにまんまと引っかかっていたな」


 俺は所感を述べた。


 イリーナは確かに強くなった。だとしても、その直前まで誰もが彼女の敗北を確信していた。

 それくらいに出場者の中でマハルトーの強さは突出していたからだ。


 そしてイリーナは、再び下馬評を覆した。


「あいつとやり合うのは四度目なんだ。

 まえ三回は勝てなかったし、三度とも同じ負け方をした」


 言葉の終わりにイリーナは、「わざと」と付け加え。

 舌をペロリと出す。


 勝敗に頓着しないために、普段は負けておく。

 そしてここぞと言うタイミングで勝つために。

――嘘の弱点を刷り込んで置いたわけだ。



「なるほど、それでマハルトーは勝利のイメージに引きずられ。

 まんまと同じ動作をしてしまったのだな」


 必要な時に勝つ為、負けておくという発想。

 相変わらずというところか。


「一勝三敗だけど、もう二度と闘ってやらないから。僕の勝ち逃げさぁ」


 意地の悪いことをおどけて言うので、俺は「ふははっ」と笑った。


 何はともあれ、ついにイリーナは剣闘王者の称号を手に入れてしまったのだ。



「あの日、お前を見限った五千人を見返しに来たのか?」


 楽しませている時は応援し、不快になれば手のひらを返した客席の観衆たち。


 言い換えれば、アシュハの民全てに。



 しかし、イリーナは「ちがうちがう」と首を振った。


「別に、他人にどう思われようと構わないよ。

 どちらかと言うと、あの日僕を信じてくれた五十人に恩返しに来たんだ」


 手のひらを返した五千人じゃない。

 それでも信じた五十人に報いに来た。


「嫌ってくる人に配慮したって仕方ないじゃん。

――好いてくれる人のために頑張りたいよ」


 イリーナは少し照れくさそうにしながら続ける。



「いろんな人の前で、頂点を取るって約束してたからね。

 まあ、十年経ってるからズルっ子か」


 十年前。彼女が闘技場に現れた時。


 初めはフォメルスから恋人を守るために。

 そして大舞台で、彼女は宣言した。


――コロシアムの頂点を取ると。


 俺は「ハッタリだったろうに」と、呟く。


 当時は、フォメルスを煙に巻く為の手段でしかなかったはずだった。



「でも。あの時に信じてくれた人達を喜ばせたいって、ずっと思っていたんだ。

 あとは、亡くなった仲間たちに遅ればせながらの弔いかな」


「……そうか」


 そうしてやりたいと思ったから、そうした。

 そういうものかもしれない。


「それと、根に持ってるから何度も言うけど。

 会ってくれない王様を引っ張り出す為だよ」


 それを言われては返す言葉もない。



 そう、俺は今日まで再会を拒んでいた。


 主君を欺いて王位を強奪した事実。

 例えそれが忠義による行動でも、とても顔向けできる心境ではなかったからだ。


 国の復興を。侵略からの防衛を。


 全てを完璧にやりきるまではと言い聞かせ。

 再会を先送りにしていた。


 何度もイリーナからの催促があり、言い訳をしてはぐらかしている内に。


――ティアン様の訃報が届いた。


 そのショックで俺は一切の連絡を断ったのだ。


 しばらくして、イリーナは剣闘士として姿を現した。

 そして王者に上り詰め、褒賞として要求したのだ。


『――ティアンの墓参りをしろ』と。


 ようやく俺は折れたのだった。



 地位でも名誉でも、ましてや富でもなく。

 この偏屈な老人にきっかけを与える為。


 剣闘王者にまでなられてしまっては。


 もう、お手上げだ。

 こうやって、俺は主君だった女性の墓を参ることが出来る。



「もはや俺ではお前に敵わないだろう」


 全盛期をとうにすぎている老人に言われても仕方がないかもしれないが。

 言葉にしてそれを伝えれば本望だろう。


 師匠超えは弟子の誉れだ。


 そう考えたのだが、イリーナの反応は予想外のものだった。


「……そんなこと言うな」と不貞腐れ。


「僕をあんなにコテンパンにしてくれたオッサンがそんなこと言うな!」


 そう繰り返す。


 喜ぶどころか気分を害してしまったようなのだ。


 その態度は何故か俺の心を喜びで満たした。


 そうだな。事実がいつだって正解ではない。


 フォメルスが勝っていようが、アシュハを護り抜いたのは俺だ。

 そして師匠を超えようが、イリーナにとっての俺は、怖いオッサンであって良いのだ。




 程なく、一軒の小屋に辿り着く――。


 ここが現在、イリーナの生家ということらしい。


「今は、一人か?」俺は訊ねた。


 あんなにも仲間に囲まれていたイリーナが。

 今は小さな村で、墓を守ってひっそり暮らしているのか。


「うん。来る者拒まず去るもの追わず。最後は皆、一人きりさ。


 いや、今日はティアンとオッサンと三人が良いだろ」


「こっち来て」と誘導され、小屋の裏手に回り込む。



 そこには墓があった。

 簡素でこぢんまりとした物だ――。


 俺はそれ以上すすめなくなってしまい。その場に立ちすくんだ。


 唇を噛み締める。


「魔力の循環は正常化したと聴いていたが……」


 その報告は、二人と別れて程なくされていた。

 黒騎士を討伐し。循環不全は完治したと。


「まあね。でも、それまでの負担が無かったことにはならなかったのかもね」


 愉快そうな珍道中の報告を聞く度に、立場もなく羨ましく思うことがあった。

 俺のいない所で、ずいぶん楽しそうじゃないかと。


 ティアン様が笑顔であられることを想像しては。

 日々の活力を得ることができた。


 それにしても、あまりに早い。


 人生の半分が囚われの身だった彼女にとって。

 あまりにも短い人生ではないか。



 今年で息子が七歳になる。


 ティアン様がコロシアムに幽閉され。

 俺が世話を始めた頃と同じ歳だ。


 今でも、あの頃の幼い姿を鮮明に思い出せる。

 無愛想で、ヒステリックな。

 手の施しようのない猛獣のような子供だった。


 我が子の手の掛からなさに驚いた程に。


 それでも。あれほど苦悩した七年が、愛おしくて仕方ない――。


 

 俺はてのひらで顔面を覆った。


「オッサン……?」


 イリーナの呼び掛けに返事を返そうとした。

 しかし、止めどなく流れ出る涙を拭うので手一杯だ。


 絞り出そうとする声は全て嗚咽に飲み込まれた。


 ティアンという人生を想う。


 自らを律し、気高くあろうと気品ある振る舞いを心がける姿を。

 胸を張って生きようと、必死に知識を吸収する姿を。


 自由を謳歌することさえ許されなかった少女が。

 国を背負って民の幸福に務めたこと。


 その無力に打ちひしがれ嘆く姿すら、尊く誇らしかった。


 これからではないのか。

 あんなにも不憫だった子供が、不幸を精算するべきは。


 俺は憎悪した。

 不幸な少女一人救えない自らの無力を呪った。


「……ティアン様。……おおっ、ティアン様!!」



 名を呼べば、その朗らかな声が返事をするような気がした。


「はい!」


 幻聴か。確かに、我が主君ティアンの声が聴こえた。

 俺もとうとうそこまで老いたかと自嘲する。



「イリーナよ。どうやら俺は耳が酷く衰えているよう……だ?」


 顔を上げて硬直する。

 小ぶりな顔が二つこちらを覗き込んでいた。

 イリーナと――。


「ヴィレオン。どうしました、イリーナに酷いことを言われたのですか?」


「ティアン様……?」


 確かに、我が主君の姿が目と鼻の先にあった。


「はい、私ですよ?」


 十年前も、二十年前も。その姿が焼き付いている。

 八年ぶりだろうと、見まごうはずのない姿がそこにある。



「ご無沙汰しています。ヴィレオン陛下」


 スカートを摘んで礼をした。


 ティアンは確かにここに存在する。より洗練された姿で。


「……では、この墓は?」


「愛犬のお墓ですわ」


 反射的に俺はイリーナを睨みつけた。

 否、既に親指と人差し指の間にイリーナの顔面を捕らえた後だ。


「だ、だって!? 連絡を無視するから。死んだ! って言ったらリアクションあるかなと思って!」


 これから下される制裁を想像し、イリーナが怯え、取り乱す。


「悪いが、握力は衰えていないぞ」


「ちょっ!? ごめんなさい! 許し――オ、オオオオッ!!」


 俺は指先に渾身の力を込めた。



「もう、イリーナったら。嘘の訃報で呼び出すだなんて、非常識にも程があるわ」


 ティアンが咎めたが、イリーナにはもはや聞こえてはいないだろう。

 俺は動かなくなった剣闘王者を捨て置くと、主君へと向き合う。


 彼女はニコリと微笑み返した。


「ご覧の通り、私は元気です――」


 俺は言葉に詰まってしまう。


「イリーナはあれでも私達のためにしてくれたのです。

 一度ちゃんと会って、お互いの無事を確認しておかなくては、きっと心の安寧が訪れないからと」


 確かに、それが気がかりで一日たりとも安らげる時はなかった。

 だからと言って、その手段がより俺を苦しめては意味が無いだろうに。


 しかし、もう良い。

 今、目の前に我が主君がいるのだ。


 俺は自然とその前に跪いていた。


「おやめ下さい。今はあなたの方が立場が上なのですよ?」


「いいえ。どうか、今日だけは以前のように振る舞わせてください」


 俺が彼女の臣下たることはもうない。

 再びその責を負わせる訳にはいかないからだ。


 ティアンは同じ目線に降りてくると、俺の手を取って言った。



「私が追放されてから八年が経ちます。閉じ込められていた時間に追いつきました。

 あとは追い越していくだけ。自由な時間の割合いが増えていくのです。


 私を自由にしてくれて、ありがとう。私は、幸せになりました」


 その言葉で全ての気掛かりが霧散したように。

 俺は心が軽くなっていくのを感じていた。


「勿体無いお言葉です……!」


 この時、俺は使命の達成を確信することができた。


 カゴから逃がした鳥は、大空を自由に羽ばたくことが出来たのだと。





  『Re:Actor・オブ・グラディエーター』END

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