第四章 渡良瀬桜
第15話
わたしが物心ついた頃、既に父と母はいなかった。育ての親はおじいちゃん。いつもなにかに怒っていたのか険しい顔をしていた。
六畳一間のボロアパート。それが私の生まれ育った家である。
幼いころ、よくそれをからかわれた覚えがある。その度に喧嘩をして傷だらけになったものだ。相手は当然男の子。女の子はもっと面倒なことしかしてこない。
その度におじいちゃんが頭を下げた。
当時はそれがすごく悔しかった。わたしは何も悪くない。それなのに、何故、わたしが頭を下げなければならないのか。
言葉の応報は言葉で行わなければならない。
知るか、くそジジイ。
そうは思ってみても、その言葉はなにより正しかったのだ。言葉に暴力ではまったく種目が違う。まぁ、男がそんな回りくどいことをする時点で、わたしの好みではなかったのだが。
目には目を。言葉には言葉を。暴力には暴力を。
同じ土俵で戦えない者は淘汰される。それは女の子に特に顕著で、母親というファクターがある男の子にも同様だった。
でもそれだけじゃない。
あのジジイが言っていたのは、決してそんなちっぽけな意味じゃなかった。
筋の話である。あるいは道理と言ってもいい。
喧嘩はとにかく一対一。集団に攻められても、人数分繰り返せばいい。一人の人間同士で戦う場合、違う土俵で戦っては卑怯である。卑怯者には誰も付いてこない。
わたしは卑怯者にはなりたくない。
だからこそ、筋を通す。
相手がどんな出方をしても相手の土俵で勝負し、勝つ。
祖父は喧嘩のやり方を叱ったが、喧嘩したこと自体は叱らなかった。無論、理由はきちんと問い質されたけれど。
そんなわけで、わたしは祖父の教えを守っていこうと決めている。
ただ、まぁ。
女の子を育てるには、少しばかり男前すぎる考え方だったようにも思う。今の自分をかんがみるに、そこらへんを少しは考えてくれてもよかったのではと恨めしい思いもあったりする。
長々と思い出話に浸ってきたが。
わたし——渡良瀬桜が何を言いたいのかと言うと。
筋は通さなければならない、と言うことである。
*
「貴女、馬鹿だったのね」
冷たい声に、わたしは思わず怯みそうになった。眼差しも同様で、いつか見たそれとはまったく違う威圧的なものだった。
それも当然か、と自己解決する。
目の前にいるのは絶対的権力者。少なくとも、わたしにとって学生生活を送る上で最も重要な地位にいる人間である。
彼女にはよくしてもらったし、決して嫌いな人間ではない。
だというのに、
「それで、一体何の目的で脱走しようと思ったのかしら?」
わたしはこの人に逆らった。
飼い犬に手を噛まれれば誰だってこんな態度になるはずだ。呆れ果てたと言わんばかりに煙管を吹かす姿は若干貫禄が足りない気がしたが、それでも十分様になっている。
というよりも、こっちの彼女の方が良いような気がする。あくまで、わたしの個人的な感想ではあるけれど。
狭い個室だった。
淡い照明が灯るのみの室内は薄暗く、厚いカーテンの隙間から零れた光が煩わしい。
来客用のソファとテーブルが手前に設置されている。奥まった位置にある窓の下で来客者を迎える形で置かれた執務机が一つあった。
そこに件の人物はいる。
革張りの高価そうな椅子に身を沈め、硬い表情を崩さない。対する私は直立不動で、お叱りを受けている真っ最中だ。
わたしは叱られた子供よろしく、正直に理由を言った。
「あんなところにいたら気がおかしくなります」
十畳を超える広さと無駄に高そうな装飾品。置かれたテーブルと椅子は何某かのブランド物のようにも見え、置かれたベッドは極上の人たらしで丸二日を棒に振った。
あれは人間をダメにする。
わたしの感想は、まったく本心そのものである。
「お気に召さなかったみたいね」
「はい。監禁されるのはまっぴらです」
「…監禁、ね。護衛のつもりだったのだけれど」
「劉堂さんにはよくしてもらっていると思いますが、それでも我慢できませんでした」
目の前の女性、劉堂さんは大仰に煙管を吹かす。
眉間に刻まれた皺が彼女の苦悩を物語っている。勿体ない、笑っとけば美人なのに。そんな無責任なことを考えつつ、わたしは言葉を重ねた。
「あれから既に三日は経っています。その間、襲撃もなければ何の進展もないんですよね。だったら、一度くらい家に帰ってもいいじゃないですか」
家ね、と劉堂さんは呟いた。
「それで三階から飛び降りようとして大騒ぎを起こした挙句、私の部下の骨を折ったってわけかしら? 彼、高所恐怖症だったのよ?」
視線を逸らす。
確かに、その人には謝らなければならない。だが、それは全て終わってからで十分である。何より、その彼が私の着替えを覗いていたことを私は知っている。監視目的か知らないが、そんな奴に同情するほどわたしは寛大じゃない。
というか、金をもらいたいぐらいだ。うん、だから気にする必要もない。まぁ、もちろん後で謝るが。
「それでも、わたしはここから出たいです。ここにいても、なにもはじまりませんから」
「桜ちゃん」
「せめて、わたしの口から飯村さんに伝えないと」
「嘘をつくのはやめなさい」
甲高い音が室内に響いた。
煙管を灰皿のようなものに叩き付けたのだ。いや、軽く叩いただけなのかもしれない。妙に響く音のせいでそう感じたのだろう。
わたしはそのせいで言葉を続けることができなかった。
間を空けて、劉堂さんは言う。
「貴女に出来ることは何もないわよ。現状、あちらが動かない限り、私達は動くつもりはないわ」
「それじゃ、静馬は」
「大丈夫よ。彼が危害を加えられることはないわ」
なぜ、とさすがに聞く気にはならなかった。
ごく当たり前の話。
私がここにいることが理由になるのだ。
「相手の狙いは人質の交換。貴方と静馬の交換を狙ってるはずよ」
もともとの標的はわたしだったはずだ。
だが、あの時。
わたしがはじめてこちらに来た時に迷い込んだあの場所で、静馬は攫われた。
静馬の印。
それが、ツバキと名乗ったあの女の狙いを変えさせたのだ。
「実は、神殺し自体はそう珍しいことじゃないの」
「え?」
「静馬君のやったことの話。確かに、紋筆家が行うのは相当に難しい。けれど、餅は餅屋っていうでしょ。そういうことを専門的にやっている人間もいる。そういう人間は、私たちにとってそう珍しい人種じゃないわ」
「ちょっと待ってください。そんな言い方、まるで」
「ええ。切り捨てるかどうかを考えているの。彼一人の命でまるく収まるならその方がいいから」
くらり、ときた。
なんという傲慢かつ冷徹な判断なのか。
限られた状況証拠から強引に解決手段を見出す姿は暴君そのものである。映画の名探偵だって、ここまで短絡的なことは考えまい。
…いや、違う。
彼女は既に選んでいるんだ。
もっとも被害を少なくする選択肢。たとえすべての状況が見えなくとも、その条件さえクリアすればあとは実行に移す。
何事も早さが肝要。その早さを生むために、真実や正確な情報すらも削っている。いや必要としていないのではないか。
冗談じゃない。
それじゃ、筋が通らない。
あの男に恩を返せない。
「もちろん今のは最悪の場合。もういくつか対策は打ってあるから、あとは私に任せなさい。次に呼び出すときは、全て終わっているから」
不吉なことをさらりと言う。対策を打ってるなんて言葉も当然嘘だろう。
根拠なんかない。
ただの乙女の勘である。
私は全力で執務机をたたいた。両腕で、身を乗り出すように。前かがみになって、劉堂さんを文字通り目と鼻の先で睨み付けた。
「…近いわよ」
「貴女は間違ってます」
劉堂さんは迷惑そうな顔をしている。だからと言って引き下がるわけにはいかない。
私は、劉堂さんから煙管を奪った。
火は、消えている。
怪訝そうな顔をする劉堂さんに、
「わたしは異世界人ではありません」
煙管を返した。
劉堂さんの表情が固まった。
煙管から紫煙が上がっている。ひどく不快な臭いで仕方がないけれど、今劉堂さんから離れるわけにはいかなった。
ここが際。
ここで引いたら、ここまでの全てが無駄になる。
「私は印を扱うことができます。はじめは使えませんでしたが、最近コツを掴めたんだと思います。ツバキさん、敵もそのことに気付いています。その上で、静馬に狙いを変えたんです」
両腕に受けた鈍い衝撃。
二度も体感したせいか、未だにその感覚を覚えている。
撃つ、と言う行為。
テレビやゲームで見たものと同じ感覚でしかなかった。妄想でやるように素手で真似る銃撃。それだけで、印は答えてくれた。
初めての印の発動。
静馬が攫われる直前、私は銃を撃った。無我夢中で行ったそれを、ツバキさんが見逃していたとは考えられない。
いや、そもそも。
その前から、標的は静馬に移っていたのだ。
「敵が私を狙わなくなったのは静馬があの化け物を倒したからです。状況が不利だったからでも、わたしを攫う手段がなかったからでもない。その瞬間から、静馬を最優先に狙う理由ができたんです」
劉堂さんが片手で額を押さえた。
「じゃ、なに。あいつらの狙いは」
「神殺し。自分が祀ってる神様を殺すために静馬が必要になったんです。理由はわかりませんけれど、それって、皆困りますよね」
*
「いやはや嘆かわしい。正しいことを言った者がどうして檻に捕らわれるのでしょうか。これも一重にあなたの人徳のなさのせいなんでしょうねえ。いや、本当に嘆かわしい」
まぁるい月が嗤っている。
夜空に散らばる星々が地上を睥睨し、見下ろされたなにかは一人堪え忍ぶ。赫赫たる炎が天に上り、列を成した無貌の人形が楽しげに揺れていた。
嗤う。
星が嗤い、風が嗤い、すべてが嗤う。
無貌に三日月が生まれ、無骨な歯が何度も打ち鳴らされる。
けたけた、けたけた。
響く音が鳴りやむことはない。
終わることのない、停滞した世界。
そこに男がいた。
のぺらとした顔つきの針金細工みたいに手足が異様に長い男。脚を組んで座る姿が洋画の俳優みたいに様になっているのが非常に不快だった。
私はさっきまでふて寝を決め込んでいた薄い布団がどこにいったのかとか、ひどくまずかった昼食の残りだとかそんなどうでもいいことを置き去りにして、男の対面に座る。
ひどく座り心地の悪い椅子とぼろぼろのテーブル。
申し訳程度に置かれた茶器に、薄緑色の水が溜まっていた。薄緑色の水、と言う言葉に偽りはない。こんな気付くか気づかないかのレベルで変化した水をお茶というほど私は人間ができていない。
そもそも、三日も監禁してくれた腐れ野郎にまともな対応をする方がおかしい。
私は足を振り上げ、かかとからテーブルの上に足を叩き付けた。陶器の割れる音と水が飛び散る音がよく聞こえた。
男は軽く肩を竦める。それだけだった。その仕草がまた気障ったらしくて、私は思わず眉間に力を込めた。
三日前、この男は突然現れた。
命からがら逃げ出し、ベッドに飛び込んだ後のことである。劉堂さんが用意してくれた部屋は、それはもう素晴らしいの一言で、疲れた私の思考を一瞬で奪いさった。
極上の羽毛布団。
身を投げ出した際の感触は想像したそれの数段は上だった。…今思い出しても素晴らしすぎる。やはり、あれは人間をダメにする。
眠りに落ちる一秒前。おそらく、私の人生で数本の指に入るであろう幸福は、この男によって台無しにされたのだった。
男は三原直衛と名乗り、私にこう言った。
静馬を救いたいか、と。
「喧嘩売ってるつもりなら、買うわよ」
「まさか。そんな暇はありませんよ」
にんまりとした胡散臭い笑顔。
…いらいらする。言葉どころか仕草の一つ一つがあまりに胡散臭すぎて、何を考えているのか、まるでわからない。
私は頭を掻き毟りたい衝動を懸命に抑えた。
何がおもしろいのか、三原は笑みを深くする。
「ただ、私としても思うところはありましてね」
「うっさいわね。そもそも、あんたが静馬を攫ったからこんなことになったんじゃない」
「嫌ですねぇ。図星を突かれるとどうでもいいことを責めはじめる。女の人はどうしてこうなんでしょうか」
三原は、やれやれと芝居がかった仕草で肩を竦める。
この男は本当に私を怒らせるのがうまい。
怒りを通り越して、馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「もういいわ。で、私はどうすればいいの?」
「これはまた。少しは自分で考えたらどうですか?」
「いやよ。そういうの、私向いてないし。そもそも、それがあんたの仕事でしょ。私はあんたの指示に従うだけ。はじめに、あんたがそう言ったんでしょ」
三原が提案したのは協力関係ではない。あくまで、主従関係である。
三原が指示を出し、私はその指示に従って動く。行動については放任されているが、目的を設定されている時点で主導権は三原にある。
なんて腹立たしい。それでも、私はこの男を拒絶することはできなかった。
劉堂さんの反応。
半信半疑の事実が、信用に足るものであることがわかったからである。
「とはいっても、それを台無しにされてしまってはね。勢い任せでは何事も為しえませんよ」
「小細工しても無駄だったのよ。どうせ根掘り葉掘り聞かれて丸め込まれるだけだもん。だったら、直球勝負でしょ」
「…その潔さは買ってもいいかもしれませんねぇ」
心底呆れた、と言わんばかりのため息を零された。…まぁ、私自身それについては反論できないことはわかっている。
だからといって、私にあれ以上できるとは思わないけれど。
「ただ、まぁ。最低限の目的自体は達成できたとみるべきですかね」
「目的?」
「…散々言い聞かせたと思ったんですが」
「冗談に決まってるでしょ」
さすがに空気を読んだ。
眼光の鋭さが半端なさすぎる。思わず素で返してしまったが、三原の迫力は一向に衰えない。
へらへらした奴かと思ったら、そうでもないみたい。
しばらく沈黙が続いたが、気局三原が折れた。折れたったら折れたのだ。何事もなかったかのように、三原は言葉を続ける。
「第三者の存在、つまりは私ですね。あなたが知るはずもない情報を教え、状況を変えようとしている何者か。それを知らせることが最も効果的なんです」
なんで、と飛び出したそうになった言葉を飲み込んだ。
思考は一瞬で十分。
薄れた記憶から、答えを掘り起こす。
「明確な敵が必要だから…?」
「そう、それは当然柱石ではありません。彼女が最も恐れるのは外敵ではなく、身内にある」
「政敵。その存在が、生徒会長にとって最も憂慮すべき存在なのです」
*
「生徒会は当然ながら選挙によって選ばれる。在学する学徒、そして、その卒業生によって行われる総選挙です。立候補者も同様。ただ、その面子が少々厄介でして。商会の息子、大庄屋の跡取り、武家の棟梁、果ては公家の本家まで。彼らは選挙の名の下に権力闘争を日々繰り広げています」
そもそもの話、生徒会とはこの地域を支配する集団らしい。らしいとは、三原の言葉を聞いた私が大雑把に抱いた感想だからだ。
正直、私の感覚ではまるで理解できない。
学校のおままごと、は言い過ぎかもしれないけれど、そんなものに政治やら行政やらができるのか甚だ疑問だからである。
それを三原に言っても、明確な答えは返ってこなかった。
当たり前かもしれない。
私だって、自分の住んでた街の政治家なんてよく知らないし、役所の偉い人なんて気にしたこともなかった。それでも世の中はうまく回っていたのだから、案外、そういうものなのかもしれない。
ましてや、異世界なのだし。
「その中にあって、学徒の絶大な支持を得ているのが今代の劉堂月歩。綺羅星のごとく現れた鉄の女は瞬く間に権力渦巻く生徒会をまとめ上げ、現在の地位に治まりました。これはまぎれもなく奇跡ですよ。十重二十重と編み込まれた利権の外から頂点を手に入れた傑物。それが、彼女です」
なにを言っているのかわからない。
あまりと言えばあまりのべた褒め具合に胸焼けを起こしてしまいそうだ。だが、その言葉を口にする三原の表情。そのアンバランスさが私を困惑させている。
憎悪と羨望。
入り混じった感情がのぺらとした顔立ちに無駄な迫力を加えている。
「だからこそ、彼女には身内の敵が有効だ。奇跡とは常人が為し得ぬ行い。冷徹な計算と凡百の偶然が折り重なって生まれた砂上の楼閣。その流れに乗ったのは何も彼女の味方ばかりではなかったということですよ。むしろ、余計なものほど取り込んでしまったといっていいかもしれませんが」
「はっきり言いなさいよ」
「文字通り、一度の失敗で全てを失ってしまうということです」
女だてらに長となる。
それも私では想像もつかない世界の話である。異世界なんてファンタジーなものではなく、もっと人間的で生々しい話。なので、想像するだけ無駄だろうと思考を切り替える。
無駄に冗長的な話であっても意味はある。
三原という男は意外に無駄が嫌いな人間なのだ。
「だから、今回のことはまずい?」
「ええ。表沙汰になり、公表されればまずいことになります。生徒会とは繋がりのない一般学徒が攫われた。異世界人を守るためでもなければ、逆賊と化した柱石討伐による犠牲でもない。己の失態で神の一柱まで失うことになれば、彼女にとっては致命的でしょう。
その状況を彼女に想定させる。
合理的ではない想像であっても、彼女は何らかの手を打つはずです。自身が夢想でしかない偶然を拾い集めた経験があるが故に、有り得もしない危険に怯える。一度の失敗も許されない状況にあって危険を放置できるのは、本物か阿呆しかいませんから」
ようは、実際には起きていない権力闘争を起きていると錯覚させるのだ。
生徒会長の座を狙う何者かが動いた。何も知らない少女に知識を与え、その上で何かをしようと画策している。
少女は無知であるが故に何者かに従うし、何者かはその従順さを欲している。
そこまで考えて、私は頭を抱えたくなった。
状況は何も変わらない。結局、監禁されてしまった。むしろ悪化しているように思思うのは気のせいじゃないはずだ。
この男の口車に乗ることこそ、最悪の事態に近づいていくのではないか。
まぁ、
「…だからこそ、よね」
最悪の事態といっても、私にとっては関係のないことである。
正直、権力闘争なんてどうでもいいことなのだ。この男が劉堂さんの敵とつながっていたとしても、まぁ、少しは申し訳なく思うけれども、どうでもいい。
静馬を救う、それを達成すればあとはどうでもいいのだ。
確かなのは、この男の情報が現時点ではもっとも信じられること。全く以って、甚だ不本意この上ないことなのだけれども。
「? なにか?」
「…別に。で、問題はそこからでしょ」
「ええ。あとは彼女の反応次第。そこから対策を立てればよかったのですが」
三原はこれ見よがしにため息を吐く。
…気のせいだろうけど、なんだか私が責められてるような気がする!
「じゃ、待つしかないのね。ああ、だからこんな無駄に長い話をしてたのか」
ぽん、と私は手をたたく。
…またまた気のせいだろうか、三原の目が厳しくなった気がする。
「本当に、何を言っても無駄なようですね。まぁ、いいでしょう。実際、貴方の潔さは彼女に有効だったようだ」
「え、それって」
「間もなく、静馬君を救出するための助っ人が現れます。貴方は彼らと同行し、静馬君を連れ戻してください」
「当然!」
いよっし、と気合を入れる。
状況は動いた。
私に何ができるのかはわからないが、それでも静馬を救う算段が付いたのだ。あとはその助っ人とやらに従うだけである。
俄然、やる気が湧いてきた。
そんな私を冷やかに、
「彼らは味方ではありません。隙あらば貴方を殺そうとするでしょう」
三原は甘いと断じた。
「…やっぱり?」
「ええ。貴方が誰とつながっているか、それがわかれば用済みとなるでしょう。言っておきますが、これは静馬君を救出してからも付いて回る問題です。異世界人ではないのに異世界人を騙った。これだけで、実刑に値します」
異常なまでの過保護、と三原は言う。
その反面、虚偽に関しては異質なまでの刑罰を科しているとも。
異世界人の保護に関する話。
私にとってはもっとも身近で、知っておくべきこと。実際、私もそれを学んだ時は同様の印象を受けた。
それだけ異世界人の知識は貴重なものだ、と教えてくれた講師の人は言っていた。
もちろん、嘘だろう。
いくら知識が大事だとは言ってもそれを実用化に結び付けるのは不可能だ。わたしは飛行機があることを知っていても実物を作ることなんてできないように。
…例えが悪かった気がするが、今はそんなことを訂正している場合ではない。
「その点がいまいちわかんないんだけど」
「なにがですか?」
「わたし、間違いなくこの世界の人間じゃないわ。あっちでのこと、ちゃんと覚えてるもん」
この男に伝えられたのは、私自身がこの世界に縁があると言うことだけだ。
印の使用については直前に理解できたし、その言葉と結び付ければすぐに結論が出た。
ただ、その上で私には元の世界の記憶しかないのだ。この世界の人間と言われても確信が持てない。
「おや、あなた自身が否定したのでは?」
「あんたが言えって言ったんでしょ」
イラッときた。
ここにきて三原はまた胡散臭い笑みを浮かべている。
それがどことなく楽しげに見えるのは気のせいではないだろう。私の疑問に答える気はゼロ。自分で考えろと言うことらしい。
つまり、この男は私にとっても最も大事なことを知っているということだ。
「でも実際、あなたは印を使える。言っておきますが、異世界人は決して印を使うことはできません。貴方が特別であるという考えも捨てた方が良い。身の程は弁えるべきです」
「誰も、そんなこと思ってないわよ」
答えはもうわかっている。
あとは確認するだけだ。
私は浅く息を吐く。
…口の中が乾いていくのがわかる。
考えまいとしていた反動か、変化は随分と急だった。動悸が激しくなる。不思議と舌先が震えているのがわかる。
私は、一息に言った。
「私はこの世界で生まれて、あっちの世界で育った」
「はい。その通りです」
三原はあっさりと肯定した。
胡散臭い笑みを消し、真剣な表情で私を見る。
そして、
「付け加えるならば貴方の母親は渡来世椿。つまり、第十七柱『渡』の今代柱石――静馬君を攫った貴方の敵です」
決して無視することのできない事実を告げた。
「は?」
一瞬、頭が真っ白になった。
母親。
突然の言葉に否定することもできない。そもそも、私にとって母親とはいない人間である。そりゃ、私だって人間だ。何も生みの親がいないなんてありえないことは知っていてってそうじゃなくて。
思考の整理が追い付かない。
三原はそんな私を厳粛な表情で見つめている。
「ちょ、ちょっと待ってよ。なにがなんだか」
「貴女は選択を迫られる。貴方は考えなければならない。なにを選び、なにを尊重し、なにをしたいのか」
まぁるい月が落ちてくる。
夜空に散らばる星々が煌めきを失い、見下ろされた何かはひっそりと姿を消した。赫赫たる炎は萎み、列を成した無貌の人形が列を成して去っていく。
笑い声はもう聞こえない。
光を失っていく世界で、私の意識が薄れていく。
声も出ない。
遠くから聞こえた声が、この夢の終わりだった。
「その答えが、あなたとあなたの未来に幸あらんことを」
なんて似合わない。
だが、不思議と優しい響きに今度こそ私は意識を失った。
*
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