第7話

 静馬が通う、第五教育部十二学科は郊外のさらに外れにある。山を切り取った土地に無理やり建てられた敷地は無駄に坂道が多く、あちこちから塔のように細長い校舎が天に昇っている。その数二十四棟。小、中、高等部全てを合わせた学徒数はのべ数千におよび、飲食店から書店、雑貨屋などの数々が敷地内で商売を行っている。

 巡回車両の本数も多く、ある種、この市内の中心ともいえる場所である。

 静馬と桜は巡回車両に揺られながら、教育部へ向かっていた。

 昨日、桜は飯村と共に教育部への編入手続きを行っていたらしい。役所の方でいくつかの書類を記載し、面接まで行ったという。

 教育部の概要についてもそこで教わったらしく、悪い印象は受けなかったようだ。

 むしろ、気に入ったようである。

「楽しみだなぁ」

「そこまで面白くないぞ。基本勉強するだけだしな」

「でも、友達も作れるでしょ」

「そりゃあな」

「じゃ、いいじゃん」

 そんな益体もない会話を交わしているうちに、目的地に着いた。

 大きいが、作りは荒い校門。

 木製の看板に書かれた文字は消えかけ、石造りの壁や石畳で舗装された道はボロボロだ。季節柄、木の葉は豊かで山風が強い。

 その独特な空気に、静馬はため息を吐いた。

 またここに通わなければならない。無駄に長い坂道を見上げ、感慨深さと憂鬱とが静馬の中で混ざり合った。

 桜もどこか呆れたように言う。

「…本当にこれ、毎日上るの?」

「な、辛いだろ」

 静馬がからかうように言うと、桜はげんなりとした顔をした。

 二十四棟のうち、高等部は四棟。静馬達一年が南棟を使用し、二、三年はそれぞれ西と東。北の棟は講師と生徒会が使用している。

 静馬達が向かっているのは北棟である。

 桜の入部届を持っていかなければならない。既に連絡はいっているはずだ、と飯村は言っていた。

 坂道を上り、北棟に入る。

 作りはさきほど目にしたそれとはまるで別物だった。白を基調とした壁にぴかぴかに磨かれた床。受付台では顔を見たこともない女性の職員が満面の笑みを浮かべている。それ以外はなにもない。

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 完璧な笑顔と抑揚。静馬は簡潔に目的を言う。

「編入生の手続きを行いたいのですが。連絡は既に先方に伝えてあるといわれまして」

「畏まりました、渡良瀬桜様ですね」

「はい」

 受付の顔が桜に向いた。

 桜は返事をしてから、眉根を寄せる。受付は相変わらず笑みを崩さない。声の抑揚は更に大きくなった。

「おめでとうございます! あなたは今日から第五教育部の学徒となりました。これからこの学び舎で友人と語らい、学問に精を出し、輝かしい未来へと向かうことを期待しています」

 どうも、と桜は呟くように返事をした。

 ほめられた態度ではないが、静馬は特に何も思わなかった。

 受付は桜の所属する組とこれからの日程の説明を行う。予想通り、桜は静馬と同じ組に編入されることになった。今日から授業にも参加する。教科書などは後日配布されるというので、それまでは静馬と共用することになるだろう。

 ひとまず、これで手続きは終わった。

 始業まではまだ時間がある。教室に行くにはまだ早いので、静馬は桜に敷地内を案内しようと考えていた。

 が、

「しばし、お待ちを。これから少しお時間を頂きたく思います」

 受付は急にそんなことを言いだした。

 嫌な予感がした。

「きゃ……っ!」

 がだん、と部屋に振動が走る。

 一回、二回、三回と続く。

 立っていられないほどではないが、無視するには大きすぎる揺れ。桜は目を丸くしている。静馬はため息を吐いた。

 予感は確信に変わる。

 どうにも、最近この手の展開が多すぎるなと静馬は思った。

「じ、地震?」

「いや、もっとひどいな」

「えっ?」

 桜の疑問に答える前に、振動は収まった。

「会長がお待ちしております」

 受付は言う。

 満面の笑みはなりを潜め、感情の宿らない鉄面皮がそこにあった。まっすぐに遠くを見つめる姿は凛々しくも見えたが、それ以上ではない。瞬きひとつしない眼には何の感情も宿ってはいないように、静馬には思えた。

「ねぇ、どうなってんの?」

「ようは、だ」

 静馬は入口に向かう。桜も後を付いてきた。

 扉の取手に手を掛ける。

 深呼吸を一度して、扉を開いた。


「厄介な奴に目を付けられちまったってことだ」


 狭い小部屋だった。

 来客用のテーブルと黒皮のソファ。

 照明を落とした室内は薄暗く、カーテンの隙間から差し込む光が目に痛い。窓の下に来客を迎える形で設置された執務机が見える。そこに座る人物は逆光でよく見えなかったが、どんな表情をしているのか静馬にはよくわかっていた。

 柔和な笑顔。

 隙一つ見えない完璧な笑顔でもって、彼女は言うのだ。


「初めまして。ようこそ、私の学び舎へ」


                  *


 枝毛一つないであろう長い黒髪と裾の短いスカート。しなやかな曲線には黒いストッキングとハイヒール。薄い唇には朱色の口紅が塗られ、眉毛はきっちり整えられている。

 もともと端正な顔立ちしているのだろうが、それ以上に手入れを施しているのがよくわかる。パリッとしたスーツも静馬の俸給では決して手の届かない代物だ。

 彼女は執務机に肘を乗せ、桜を見ている。

「私の名前は劉堂月歩。女性らしくない名前だけれどれっきとした女性よ。よろしくね」

「は、はい。えっと、私は」

「渡良瀬桜さんでしょう? あなたのことは聞いているわ。こっちに来て一人で何かと大変でしょうけれど、頑張ってね。困ったことがあれば何でも相談してくれていいから」

「…はい、ありがとうございます」

 なんともまぁ、そつがない。人の良さそうな笑顔も言葉も抑揚も全てにおいてそつがない。あくまで静馬の印象でしかないが、桜にはどう映ったのだろうか。

 悪印象は受けなかっただろうな、と静馬は思った。

 そこが、この女の上手いところなのだ。

 桜も、わずかながら緊張が解けたようだ。

「あなたも災難ね。突然見知らぬ土地に来て、慣れない場所に放り込まれるなんて」

「いえ、来てしまったものはしょうがないですし。こんな経験、一生できるものでもないですから」

 楽しみたいと思います、と桜は言葉をつなげた。

 劉堂が目を丸くした。

 まじまじと桜を見つめた後、くすりと笑みを浮かべる。

「強いのね、あなた」

「根が単純なんで。それに、いい人に面倒見てもらってますから」

 ね、と桜は静馬を見た。

 劉堂は面白そうにこちらを見ている。

 この流れはまずい。静馬は直感的に理解したが、劉堂の方が一歩先をいった。

「随分と信頼されてるわね、黒賀屋君」

「…いえ、私は当たり前のことをしただけです」

「わぉ、かっこいい。…誰かさんのときは、ここまでしてくれたかしら?」

「いや、誰かさんのときは私の出る幕はなかったので。なんでも一人でできるってのも大変そうですよね」

「ほんと、誰も助けてくれないんだもの」

「助けもいらないんでしょうからね」

「ふふふ」

「あははは」

 胃が痛い。

 不思議そうにやり取りを見ている桜に救援は望めない。静馬は努めて平静を装い、話を逸らした。

「それで、今回はどのようなご用件で?」

「あら、用事がなければ人と会ってはいけないのかしら」

「茶化さないでください。授業もあるので」

「…ま、最初は肝心だものね。遅刻した転校生なんてかっこ悪いか」

 悪戯っぽい笑顔を引っ込め、劉堂は桜を見た。

 

「渡良瀬桜さん。あなた、生徒会に入らない?」


                *


 講堂には全学徒が並び、静馬も檀上を見守っている。周囲には半年ぶりに顔を合わせた級友がいたが、雑談などはしなかった。級友達もただ壇上へ視線を向けている。

 既に始業式も終盤だった。

 学徒代表の挨拶も終わり、いよいよ以って生徒会長の出番を待っている。

 新学期へ向けての訓示。

 静馬にとっては退屈極まりない行事である。だが、信じられないことに大多数の学徒にとってはそうでなかった。級友たちは、食い入るように檀上へ向けている。

 静馬は深く息を吐いた。

 司会の声が響く。

 滑舌が悪く、叫んでいるため何を言っているのかよくわからない。だが、意味することはすぐに理解できる。

 壇上に、劉堂月歩が現れた。

 国旗に向かって一礼し、こちらを見下ろした。

「今年もすでに半分を過ぎました。初等部の方は勉学に励んだことでしょう。中等部の方も勿論勉学に励み、将来への展望を見据えていることでしょう。高等部の方は自分の将来の選択に向けて、一日一日を懸命に過ごしていることでしょう」

 語り口はやわらかに。

 そのくせ、声は妙によく響いた。

「これからの半年は様々な行事が控えています。学園祭、体育祭、紅祭。採用試験から適性試験まで。それぞれの学年、学部において勝負の時期となります。貴方達が日々の中で培い、励んだ事柄全てが結果に結びつくことでしょう。


 励み、努力し、備えてください。

 これからとこれまでの日々の全てが貴方達の将来を輝かせることになるでしょう。これをもちまして、訓示とさせていただきます」

 言葉は簡潔に。

 劉堂は一礼して壇上を降りた。

 拍手が響く。

 なんともソツがない。熱狂的ではなく悲観的でも楽観的でもない。至極当たり前のことを言葉にしているだけである。

 これまでの努力は裏切らないし、これからの努力は結果を良い方向に導くでしょう。

 なんともありがた過ぎて耳が痛くなるな、と静馬は思った。

 退場が始まった。

 沈黙が解かれ、周囲が騒々しくなった。

 聞こえてくるのはこれまでのこととあいさつの言葉。時折、訓示の話題になったが、すぐにほかの話題に塗りつぶされる。

 生徒会長。

 お飾りの役職にしがみ付くことに意味があるのか、静馬にはよくわからなかった。


                  *


「おはよう、クソガキども。半年ぶりになるが、少しは乳離れできたか?」

 真顔で暴言を吐かれると反応に困る。

 静馬以外の級友も同様なようで微妙な空気が教室に流れた。暴言を吐いた本人、静馬が所属する組の担任である岡田昭三はなぜか満足げにうなずいた。

「そうだ。お前らがすべきことはそうやって黙って聞き流すだ。授業も朝会も中身なんてあってないようなもんだからな。恙無く進めばそれでいい。仕事もおんなじだ。お前らも社会を知ったようで先生はうれしいぞ」

 さて、と岡田は言う。

 教檀の上に置かれた書類を配り、その書類をぱんとたたいた。

「これがこれから半年の予定と一週間のくそったれな授業の予定だ。社会に出ても何の役にも立たない知識だがお前らの評価に関わる大事な勉学だ。要領良く頭に叩き込んで雇い主を満足させることを期待する」

 静馬はざっと内容に目を通した。

 うんざりする。

 授業は朝から夕方までびっちりと時間が組まれている。それ自体は構わなかったが、週休一日というのはどうだろう。飯村の事務所は週休二日だった。その上、授業が終わった後に業務を手伝わなければならい。

 相変わらず非効率だな、と静馬は思った。

「それでは、これからこの半年の成果をお前ら自身に発表してもらう……と、言いたいところだったが、その前に伝えておくことがある」

 入れ、と岡田は声を上げた。

 がらり、と扉が開く音がする。

 おぉ、と周囲から反応があった。

「渡良瀬桜です。今日からこのクラス、じゃなくて組で一緒に勉強させていただくことになりました。色々と至らないところがあると思いますが、よろしくお願いします」

 一礼。

 桜は顔を上げると満面の笑みを見せた。

「というわけだ。お前らもわかると思うが、彼女はこの世界の人間ではない。だが、これから同じ学び舎で学ぶ者同士だ。仲良くするんだぞ。それと、静馬」

「はい?」

「お前がちゃんと面倒を見るんだぞ、いいな」

 言われなくてもわかっている。

 岡田の指示で、桜は静馬の隣の席になった。級友達がからかうように口笛を吹く。意味ありげな視線も無視し、静馬は桜の席を用意した。

 桜はありがとう、と言って笑みを浮かべる。周囲がさらに色めきだった。

 クソどもが、と静馬は心中で罵った。

「それじゃ、発表を始める。いいか、お前ら。彼女はこっちに来てから日が浅い。少しでもこの世界について知ってもらう必要がある。彼女に恥ずかしくない発表をするように」

 いいな、と岡田は檄を飛ばす。

 発表者は岡田が指名した。どうやら無作為に選んでいくつもりらしい。

 静馬は荷物を机の上に置いた。

「ねぇ、静馬」

 小声で話しかけられる。

 桜ではない。

 左隣を見ると、随分と化粧の濃い女がいた。白い白粉と真っ赤な口紅が特徴的で、派手な着物を着崩している。色気は皆無で、何か大道芸人を見ているようだ。

 静馬は、なぜかとても悲しくなった。

 三崎唯。

 静馬の級友である。

「…なんて恰好してんだ」

「ん? はっはーん、どうよ? 静馬君にはちょっと色っぽ過ぎた?」

 胸元を寄せて、唇を尖らせる。

 確かに胸は目を見張るものがあったが、それ以外で台無しである。静馬は視線を前に向けた。壇上では級友の一人が、これまでの体験を生真面目に話している。

「なんの用だよ」

「いやさ、桜ちゃんのことなんだけど」

 静馬は横目で桜を見る。桜も桜で生真面目に話を聞いている。

「なに、あんたが保護したの?」

「ああ。偶然な」

「へー、あんたらしいわね」

「何がだよ」

 返事を聞く前に拍手がわいた。

 一人目が終わり、二人目が教壇に上がる。

 今度は黒板に大判用紙を張り付け始めた。可愛らしい絵とわかりやすい文字。色とりどりに飾り立てられたそれを前に、明るい調子で発表を始める。

「でさ、でさ。どんな感じ?」

「あ? どんな感じって…普通だよ」

「うっそぉ。男と女が一つ屋根の下でしょ。色々やってんじゃないのぉ?」

 唯はにやにやと笑みを浮かべて言う。濃い化粧もあってか、ひどくイラついた。

「なわけねえだろ、阿呆か」

「いやいや、静馬君のことですから? 何気ないところで? 良い目をみてるんじゃないかな?」

「あのなぁ」

「お風呂とかお約束よね。ん? なるほど」

 にやりと唯は笑みを浮かべた。

「さては、着物の着方とか手とり足とり教えてあげたな?」

 一瞬、言葉に詰まった。

 何気ない言葉。カマをかけられたのはわかっていたが、それ以上に強力な記憶が静馬の脳裏によぎった。

「え、ほんとに?」

「いや、ばっ、違っ…!」


「黒賀屋静馬」


 低い声が聞こえた。

 見ると、岡田が鬼の形相で静馬を見ている。

 思わず大声が出てしまった。隣の美紀は素知らぬ顔で前を向いている。桜は驚いたようにこちらを見ていた。教室中の視線が、静馬に集まった。

 にこり、と岡田は笑う。

 静馬も笑う。ひきつっているのが自分でもよくわかった。

                 *

 

 頭頂部が痛い。

 静馬はずきんずきんと訴えてくる痛みを無視して教壇に立つ。鬼のような形相で睨む岡田の他にも教室中の視線が集まっているのを感じた。

 大半は無関心だが、なぜか目を輝かせてみている人間もいる。

 桜である。

 理由はわからないが何かを期待しているらしい。静馬は努めてそちらを見ないように、準備を始めた。と言っても、荷物を取り出すだけなのだが。

 布の包みを外そうとして、止めた。

 生半可な発表だったら、わかっているな?

 岡田は厳しい。げんこつもくらっていたので、これ以上は勘弁してほしかった。少しでも誠意を見せるために、小細工の一つでもする必要がある。

 静馬は教壇に手を付いて、言葉を発した。

 まずは挨拶からだ。

「黒賀屋静馬です。半年ぶりに顔を合わせた方も最近会ったばかりの方もこの場所で再会できてとてもうれしく思います。私が選択した職業は紋筆家で、今回の研修で印の復旧を実際に行わせていただきました。本来の仕事とは少々異なりますが、これも紋筆家の業務に当ります」

 ちらりと桜を見る。

 静馬はどこから話すか考え、結局初めから話すことにした。

「私たちの日常には印と呼ばれる様々な紋様が使用されています。天井の灯り、空調、冷蔵庫に車。農具や装飾品などにも使われている場合もあります。これらの印は使用が制限されているものもありますが、日常で使用されるもののほとんどは書店で売られている目録、あるいは教育部の授業で取り扱われているものです」

 静馬は黒板にいくつか印を描く。

「見た目が似ているものからまるで違うものまで。種類は百十八種。それぞれを組み合わせるか、あるいは重複させることで目的の効果を生み出す。この全体式を印図と呼び、私はこれをもとに修理を行ってきました。さて、そこでこちらの印を見てください」

 それぞれを指さし、視線がそちらへ向かったことを確認する。

 間を意識して、静馬は言葉を発した。

「これらの印は全て同じ効果を発します。見た目は異なりますが、その意味では全く同じ印と言えるでしょう」

 三角形、四角形、五角形、六角形。

 多種多様に見えたそれらは全て合一であり、まったく異なる印図である。

 無関心の視線が少し変わったような気がした。静馬は言葉を続ける。

「見てわかるようにこれらばそれぞれ全く違う工程を経て製図されています。最短はもちろんこの三角形。最長は五角形の組み合わせです。最短という基準を使うと三角形のみを使用すればいと思われがちですが、実際に使用されるのは五角形の方が多い。なぜかと言えば、印図において汎用性が高いからです。つまり、より多くの印と組み合わせることができる。ただし、だからといって複雑にしても運動効率の悪さから出力が思い通りに出ません。様々な長所と短所を考えて組み合わせることこそが紋筆の神髄であり、基本中の基本となります」

 まずい、と静馬は思った。

 視線が先ほどとは別の意味で変わっている。もちろん悪い意味だ。夢中に話し過ぎたせいで、関心がどんどん薄れている。

 ここからがおもしろいのに。

 静馬は思考を切り替える。自分の希望だけで話を成立しても仕方がない。なにより、ここは成果を見せる場である。

 静馬は包みに手を置いた。

「その組み合わせは無数にあり、可能性は無限にある。この言葉は研修先の先生から教えていただいた言葉ですが、半年の研修で私なりにその片鱗を感じることもできました。その成果が、これです」

 包みを開く。

 取り出したのは、模型である。

 高い建物を中心に、四方にそれぞれ町と住宅地、そして山が設置されている。はじめは疑問符が浮かんでいた級友も間を空けてから察したようだ。

 そう、これは、


「私たちが住む街です」


 山城市の模型である。

 中央の建物は教育部、中心街から住宅街まで。細かな造形はごまかしているが出来はいい、と静馬は思っている。

 教室の反応も上々である。担任の岡田も感心した顔をしている。だが、すぐに怪訝そうに眉根を寄せる。

 そりゃそうだ、と思いながら静馬は笑みを浮かべる。おれは模型屋ではなく、紋筆家なのだ。

 やるべきことはわかっている。

 内心では不安でいっぱいだった。

 それでもここまできたら引き返すことはできない。

「繰り返しますが、印は我々の生活に深く関わっています。紋筆が一般に公開されてから早十年。至るところにこれらが用いられ、またこれからも彼らはその関わりを深くしていくことでしょう。

それは、たとえば」

 印を起動する。

 ヴゥウン、と低い音と振動が静馬の手に伝わった。

 念ずる、あるいは思いを込める。

 中空にとある風景が現れた。

 うまく出来た。

 静馬は一人歓喜する。教室の反応はない。わけがわからないといった表情がひどく心地良かった。

 中空に映る光景は、山間にある開けた土とそこにあるいくつかの建築物が並ぶ光景だった。見て取れる数は二十四。徐々に拡大していく画面に、教室が騒がしくなった。

 ちらりと岡田を見る。

 画面を食い入るように見ている姿に、静馬はしてやったりと思った。静馬はそっと囁くように言う。

「我々の目になるかもしれません」

 視点が切り替わる。

 映ったのは多数の人間が覗き込むように視線を向けてくる光景。

 次いで、目の前の級友が初めて一斉に反応した。と同時に、画面に映る誰かも反応する。

 その反応は全く同じで、映る姿も当然同じだった。

 印の発動を止める。

 静馬は一礼して言った。

「これで私の発表を終わります」

 間。

 ぱちぱちとまばらな拍手が徐々にひとつになっていく。

 思いの外長く続いた拍手に静馬はまた一礼した。


              *

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