第16話 通じあえた想い

 事件が終結してから、二日。

 伊邪那美との戦いで負った傷や霊力の使いすぎだけでなく、封じてきた神通力を使ったことによる疲労もあって、護はあてがわれた部屋で療養を余儀なくされていた。


――さすがに二日経ったから、ある程度は回復したみたいだな……本当なら、もう少し安静にしておくべきなんだろうけど、ちょっと気になることがあるし


 本当はもう少し寝ていた方がいいかもしれないのだが、事件のその後について知っておかなくてはならないと思い、護は事件について取り上げた記事を探す。

 ふと、一つの記事が目に入り、護は文字を追いかけ始めた。


――『数ヶ月前からの失踪していた若者が無事に保護されたが、残念ながら数名は衰弱死していた。救助された若者はインタビューで「記憶がない」と供述している』か


 どうやら、救助された被害者たちは全員、記憶を失っているらしい。

 被害者たちの証言がない以上、真相はいまだ闇の中であるという認識がされるのは仕方のないことだ。

 ほかにもないか探してみると、同じような内容の記事がいくつも見つかった。

 その中には、突飛ではあるが独自の見解を述べているものもあり。


――身代金の存在しない誘拐事件に、集団家出。まぁ、その見解が現実的なところだな。宇宙人に誘拐されたってのはともかく、神隠しは言い得て妙というか……


 あまりに頓珍漢な内容に苦笑を浮かべた。

 いずれにしても今回の事件は、何も知らない人々から見たら、不可解な点が多い。

 これ以上、調査が進展することはないことがわかると、護はそっとため息をつく。


――ま、予想通りの反応だよな。記者たちは自分の目で見てきたわけじゃねぇし、理解しようなんて気持ちは最初からないんだろうし


 そんな感想を心中でつぶやきながら、静かに新聞や雑誌を元の位置に戻す。

 人間は実際に見たり、聞いたり、触れたりできない存在を認識することは不可能だ。

 理解する努力すらすることもない。

 未確認生命体や未確認飛行物体などは、伝承や映像資料からその存在を科学的に解明しようとする人々は多い。

 その一方、霊能力者を集めて霊視を行わせたり、超能力者を集めて実際に超能力を使わせたりすることはあっても、科学的に検証することはかなり少ない。

 過去に、超能力や霊視を検証する実験が行われたが、ペテンである可能性が高いことを新聞記事が報じて以来、霊視や超能力は眉唾ものとして扱われるようになった。


――有史以前は指導者の立場にもなれる特別な人間だったのに、科学万能時代を迎えたとたん、ペテン師扱い。科学に染まるなら、イギリスみたく超心理学の研究にも力を入れりゃいいのに


 そっとため息をつきながら、護は心中でそうつぶやく。

 イギリスを中心に、海外では超心理学の分野の研究が行われているが、研究に携わっていない一般人がどのような感情を抱いているのか、わかったものではない。

 一通り、片付けを終えると、護は目の前でコーヒーを淹れている友護に何の気もなしに話しかけた。


「なんというか、今の記者って、本気で真実を追おうってことはしないんですかね?」

「さてな。少なくとも、政治や経済、文化、国際問題を追っているジャーナリストは違うんだろう」

「それ以外の、芸能関係とかは?」

「あいつらは基本的にスキャンダル狙いだろ。で、オカルト記事を書いている連中は、与えられた事実を追うのが仕事だ。真実なんて、どうでもいいんだろうさ」


 護の問いかけに答えながら、友護は淹れたコーヒーを二つのカップに移し、一つを護の目の前に置きながら答える。

 友護もまた、護と同じで人間という生き物を、あまりいいものだとは思っていない。

 かくいう自分もまた人間であることに間違いはない。

 だが。


「謎のままにしときゃいいものをほじくり返して、好奇心や面白おかしく書き上げて傷つく人間や誰かの古傷をほじくり返しているかもしれないって考えないのはいただけねぇよな」

「ジャーナリストじゃなくても、知りたがりで好奇心を抑えられない奴もいますからね……しかも、そういう連中に限って、職業倫理も何もないから余計に質が悪い」


 そういうどうしようもない一面が、護に人間をあまり好ましいものではないと思わせている要因であった。

 もっとも、友護は目の前にいる弟分とは違い。


「ま、それでもそれなりに面白いからな、人間ってのは」

「そんなもんですかね?」


 友護の言葉に、護はため息をつきながら、目の前に置かれたカップに手を伸ばす。

 伸ばしたその手には、今も白い包帯が巻かれている。

 伊邪那美との戦いでできた傷がまだ治りきっていないようだ。


――母さんの話じゃ、月美って子を守るために無茶したってことだったよな。これで何とも思ってねぇんだから、すげぇもんだよ。こいつは


 ちらりと見えた包帯を見て、友護は護から聞いた話を思い出していた。

 自分が傷ついたり、危険な目にあったりすることにためらいがないのか、その時に聞いてみたが。


『名付けてくれた人の願いに応えたまでのことです』


 と、その時はあっさりと答えていた。

 その力を誤ったことに使わず、何かを護ることに使ってほしい。

 護の両親はそう願い、彼に名前をつけた。

 彼の今回の行動は、両親にかけられた願いが強く影響していることは、友護でも容易に想像できる。

 だが、その結果。


――危うくあの子は置いていかれそうになった。何より、この世界に一人、大きな可能性を持った人間が消えることになるところだった……


 今後も自分の命を投げ打ってまで、何かを護ろうとする行動をとるであろうことに、友護は少しばかり懸念の色を浮かべていた。

 だが、それもまた護の心の在り方である。


――ま、自分がどうこういう資格はないか


 改めてそう思いながら、手にしたカップを手元に置いて、友護は護に問いかけた。


「そういえば、護くんはいつ東京に戻るんだい?」

「そうですね……」


 問われた本人は、カップを持ったまま、視線を、今も湯気が立っているコーヒーに落とす。

 正直、いつ帰ろうか、悩んでいる。

 戻らなければならないことはわかっているから、その心づもりはしていた。

 しかし、この一件で色々なことがありすぎて、いまだ心の整理がついていない。

 そのためか、もう少し、ここにいたいという気持ちがあった。


――いや、心の整理がついていないからだけじゃないな


 そっとため息をつきながら、護は心中でそうつぶやく。

 現在、護の胸中には、いくつかの不安が渦巻いている。

 特に不安を感じているものが、月美が支払った対価と彼女のこれからのことについてだった。

 彼女の衣食住については、両親に連絡してあるから事情は理解しているはずだ。

 屋敷か、最悪、神社の近くに月美のための部屋を用意してくれているだろう。

 それに、転校に関する手続きもやってくれているはずだから、その点については問題ない。


――心配なのは、こっちの受け入れ態勢ができてるかどうかより、月美の心の準備が整っているかどうかなんだよな


 護としては、月美の準備ができ次第、いつ出立してもかまわないと思っている。

 だが同時に、もう少し時間が必要になるのではないかとも思っている。

 なにせ、これから月美は生まれ育った家を出ていくことになるのだ。

 慣れ親しんだ土地を離れ、別の場所に移住するということに対して、簡単に受け入れることができるとは思えなかった。


――月美自身がどう思っているかわからないけど、大丈夫な状態になるまでまだ少しかかるだろうしなぁ


 だからこそ、心の準備が整うまでの間にやっておきたい、いや、やっておかなければならないことがある。

 そのことも含めて、かかる時間はおそらく。


「三日後、くらいでしょうか」


 と、護は勝手にそう予想して、友護の質問に答えた。

 その言葉を聞いた友護は、少し悲しげな表情を浮かべ。


「そうか」


 とうなずいていた。

 だが、その表情はすぐに微笑みに変わり。


「けど、十一月にはまた来るんだろ?」

「えぇ……それができればいいんですがね」


 友護の問いかけに、護は苦笑しながら答えを返す。

 今後がどうなるかわからない以上、必ず来るという約束はできない。

 それに。


――今年は月美が慣れるまでサポートしたいし、来年は受験だからなぁ……


 向こう二年は、やることが多すぎる。

 さすがに、出雲を再訪することは難しいと考えていた。

 その考えが読まれたのか。


「まぁ、来年は受験だしな。時間に余裕ができたら、あの子と一緒に来たらしい」


 あの子、とは月美のことだということはすぐに察することができた。

 わかっていたことだが、月美の対価は亜妃だけでなく、友護にも強制されていたようだ。

 だが、二人の記憶から月美の存在についての記憶を完全に消されていなかったらしい。

 たしかに、亜妃と友護は月美の思い出はすでになくしているし、血のつながりのないまったくの他人であると認識している。

 だが、それまで過ごしてきた時間の影響なのか、月美のことを赤の他人として切り離すことはできないようだ。

 大切であるとまではいかないものの、まったくの他人とは思えないという風森家の人々の月美に対する印象に、護は切なさを感じながらも。


「えぇ。そうします」


 寂しげに微笑み、必ず、二人でこの地を訪れることを約束した。




 夕刻近く。

 月美は葛葉神社の裏にある鎮守の森に来ていた。

 森の中にある、一本の桜の巨木の根元に座っている。

 月美しかいない空間であるはずだが、まるで誰かと会話をしているかのような様子だ。


「はい。護は助かりました……ありがとうございました」


 桜に触れ、月美は葛葉姫命に礼を言っていた。

 護のうちに秘められた焔の力は、土御門家に代々受け継がれてきた力であり、葛葉姫命の神通力そのもの。

 それゆえ、人間に制御することは難しく、下手に解放すれば高い確率で命を落としてしまう。

 葛葉姫命もそればかりは避けるために、月美に対価を支払わせ、護を守るための方法を教えたのだ。

 そのことをわかっていたから、月美は鎮守の森の中で最も力の強い、この桜を通じて、葛葉姫命に礼を言いに来ていた。

 ふと、後ろから誰かが歩いてくる音が聞こえる。

 振り返ると、そこには護の姿があった。


「ここにいたのか」


 問いかけながら、護が近づいていくと、月美は微笑みを向け、うなずく。


「うん。ここはわたしたちの思い出の場所だから。それに、わたしが一番好きな場所だから、お別れを言いに行きたかった」


 月美はもう一度、桜の大樹の方を振り向き、咲き始めている花の群れを見上げ、護も隣まで歩み寄り、一緒に桜を見上げる。

 月美と初めて出会った桜の大樹。

 月美の夢殿が桜で満ちている理由は、この大樹が、彼女にとって大切なものだからなのだろう。

 そんなことを考えながら、護は、自分がここにきた目的を果たそうと、隣にいる少女の方へと視線を向けた。


「なぁ、月美。夢の中で言ってくれたこと、なんだけどさ……」


 護は顔を紅くして、月美を横目で見ながら口を開いた。

 夢殿で護に告白したことを思い出したのか、月美も護と同じように顔を紅くする。

 そのまま恥ずかしさから俯いていたが、意を決したように視線はこちらに向けていた。

 その視線には、期待とわずかな不安が込められているように感じられる。

 護は、その視線に奇妙は恥ずかしさを感じながら、言葉をつないだ。


「俺も、言わなきゃって思ってたことがあってさ」


 正面から彼女と向き合って、伝えたい。

 そう思ったのか、護は月美の方に向き直った。

 それにならってか、月美も護の方に向き直る。

 どうせなら、最初に出会ったこの場所で、この想いを伝えようと思っていた。

 この機を逃したら、今度はいつ言えるのかわからない。


――だから、今、言わなきゃいけない……いや、今だから『伝えたい』んだ


 護は少し深呼吸して、しっかりと月美を見つめる。

 月美も顔を紅くしてはいたが、護をしっかりと見つめ返していた。

 その視線のせいか、心臓は異様に早く動き、自分の耳にも鼓動が聞こえてくる。


「俺は月美が好きだ。俺を助けるために対価を支払ったからとか、命を助けてもらったからとか、そんなことは全く関係ない。俺は、お前と一緒にいたい。だから、ずっと、俺のそばにいてくれ!」


 精一杯の勇気を出して、護は月美にそう伝えた。

 対価を払ったことで、そばにいなければならないという呪いを背負っている。

 だが、それはあくまでもこの想いを伝えるためにかけられた発破にすぎない。

 護は彼女がそんな呪いを受ける前から、ずっと、この少女に心惹かれていたのだから。


「わたしも、あなたのそばにいたい。ずっとずっと、護の隣に立っていたい。代償なんて関係ない、だって、わたしは……わたしもあなたが大好きだから!!」


 月美は護の答えを聞くと、瞳に涙をため、護に抱きつく。

 少し勢いがつき過ぎていたのか、護は抱き着いてきたその衝撃を殺しきれず、押し倒される形で月美を受けとめることになった。

 どさっ、と大きな音を立てて、護と月美は大樹の根元に倒れこんだ。

 少しの間、二人は互いがちゃんと存在していることを確かめ合うように、抱きしめあっていたが、満足したのか、どちらからとなく、腕の力を緩める。

 成り行きとはいえ護を押し倒した月美は、ようやく想いを通じ合わせた青年の顔を見降ろしていた。


「えへへ……なんだか、最初に会ったころみたいだね、わたしたち」


 最初に出あったとき、寝ぼけて、目の前にいた男の子に抱き着いたことを思い出したのか、月美は涙を流しながら、微笑みを浮かべていた。


「……そうだな」


 護はそれに対して、優しい微笑みで返し、そっと月美の顔に手を伸ばし、流れ出た涙を指でぬぐう。

 だが、ぬぐったその手を離すことなく、護は月美のほほに触れていた。

 月美がそっと護の胸の上に自分の頭を預けると、護は、ほほに触れていた手を少女の頭において、優しく抱きしめる。

 二人のその様子を、葛葉姫命は桜を通じて眺めていた。

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