本編

第2話 四月 入学と理由

 突然だが、俺は大学生が嫌いだ。


 もっと言うなら大学生という生き者が嫌いだ。

あの姿を見ると体中に虫唾が走り、想像するだけで殺意が湧いてくる。


 その嫌いな理由はいくつもある。

奴らは、自堕落で、常識知らずで、無節操。


 生活面においても、社会面においても、学習面においても、その全ての面におよそ褒められれる点がない。好むべく点が存在しないといっても良い。

出来る事なら、その存在を抹消したいほどに有害な存在だ。とりあえず、俺は大学生を見たらいつも持てる限りの恨みと怨念でもって接するようにしている。


 しかし、だと言ってこれは断じて俺が浪人生故の嫉妬という意味で意味で行っているわけではない。俺は純粋にピュアな気持ちで大学生が嫌いなのだ。心の底から大学生が嫌いなのだ。

 おそらく大学生になっても大学生を嫌いでいるだろう。だから断じて浪人は関係ない。


という訳で俺は、今日も今日とで大学生への恨みつらみを念じながら勉強に没頭する。

 いつの日か、奴らを打ち滅ぼすために。


 「いやどうやって、滅ぼすんだよ」

 と隣からの冷静な声に俺は正気を取り戻した。

目をやるとそこには、いかにも知的でインテリそうな眼鏡男、師道 光太郎がノートからは目を離さず口だけを動かす。ちなにみこいつも二浪だ。

 

 「思考が一回一回駄々漏れだたぞ、もしそれを自習室でやったら即退室だからな」

 「いいんだよ、俺の思想は聞くだけでIQが上がるんだよ。むしろこっちが金を取りたい位だ。ほら金払え」

 「バカもここまで行くと、最早殺意を覚えるな」

 と非常に朗らかな会話が部屋に響く。


 俺達は今現在、ここ磐台予備校の最上階のリラクゼーションルーム、通称『堕落の間』にいる。そこでやるのはもちろん勉強。浪人には勉強しかないからね。

ふむ、しかし師道の意見も一理ある。

 どうやら、俺の熱き感情が外に漏れていたらしい。大学生のことを考えるとどうも自制が聞きづらくなる。これはいけない。


 浪人は常に冷静であるべし。

 予備校生の格言である。浪人をしてるという事は、それすなわちそれだけ経験を積んでいるということ。そもそも受験とはトラブルの連続だ。

 出題問題の急な改変

 試験当日での受験票の紛失

 センター試験の消滅

 そんな不足のトラブルには日々の生活から余裕を持っていれば、受験でも変に緊張したりもしない。つまり受験戦争は既に幕を切っているのだ。胸の中の邪念全てを敵だと思い、気を引き締めなくては。


 「ふっ、俺もまだまだ青いな」

 とニヒルに答え、再びペンをとる。

 口を動かしつつも、手は絶対にとめることはない。なんだかんだで、やっぱり集中は保つのだ。

 それから二時間、ばっちり最高に集中して数学の問題を解き終えると特に示し合せることなく俺達二人はペンを置いた。

 こうして気持ちが切れると自然に口も開く。


 「それで、どうだったんだ? ここの入学試験は?」

 「んッ、まあまあだな」

 「あー、ダメだったか。仕方ないな、ここは数ある予備校の中でも敷居が高いから」

 「誰もダメとは言ってないだろ。そこそこペンは動いたぞ」


 しかし、中々に手ごたえはあった。様々な模試を受けてきたこの俺を唸らすとは称賛に値するといってもいい。

 「あれは入学試験だぞ、そこそこじゃダメだろ」

 「まあ、それを差っ引いても50万は固いだろ」

 「言ったな、結果が楽しみだ」


 どこの予備校もそうだが、入学する前に試験を受けさせその結果次第では学費が一部免除されることがある。もちろん、金銭的な事が関わっているため誰もが本気で受けてくる。

 かくいう俺も今日はその試験を受けてきたわけだ。

 詳細に関しては、ノーコメントだが……


 「でもいいよなお前は、何もしなくても50万免除だろ」

 「それは、まあ去年もここだったわけだし、俺は成績も良かったからな」

 師道は眼鏡をくいっと持ち上げつつ答える。

 そう、この学費の一部免除制度は出身高校や志望大学、はたまた二浪であればリピーターという理由でも適用されるため師道みたいな二浪は試験を受ける必要がないのだ。


 ちなみに、五十万免除とはここ磐台予備校では最高免除額である。

総額が90万前後だと考えるとこの金額は結構な額と言える。

 現金な話ではあるが、親の脛をかじっている以上はもちろん無視などはできない。


 「ところでだが、入学試験を受けたって事は、お前はホントにここに入学するんだな」

 確認するようなその口調。

 昨年とは違う予備校に入ろうとする俺に気でもかけているのだろうか。


 「一応、あっちのチューターとは相談した。その上での判断だ、今更変える気もねえよ」

 と素直に話した。その理由は色々あるが、俺はその中で一番のものを口に出した。


 「それに目の前にいい感じに使えそうな情報源があるからな。お前も少しは人のためになるような人間になりたいだろ」

 「そのセリフを同じ浪人にだけは言われたくないな」

 予備校の知識に精通した人間がいるというのは、その予備校で過ごす上でかなり大きいアドバンテージとなる。

 予備校とは高校と違って様々なルールや暗黙の了解がいくつか存在する。

例えば入学して早々にクラス別のキックベース大会(公式)をするようなところもあるのだ。


 そういった風潮は、事前に聞くか感じ取るかしないと中々に察することが出来ないし、察せないと馴染めないこともある。しかも俺は二浪だ。周りからはどうしても浮いてしまう。


 それ以外にも穴場の自習スペースや夏期講習や直前講習での講師の選び方など何かとためになる情報を気軽に聞ける人間は近くにいると非常に助かるのだ。

 友達は利用するためにある。

 以前の予備校で俺が教わった金言である。


 「本当にそれだけか?」

 何だか、今日は妙に粘着質な師道に俺は答えあぐねる。

 本音話すとそれがすべてという訳でもない。

 磐台を選んだもう一つの理由、それは気の知れた友人、つまり師道がいるという事実に他ならない。浪人とは孤独だ。


 一年365日、勉強に明け暮れ常に受験の事のみを考えて生きていかなくてはいけない。

ただ勘違いはしてもらいたくないが浪人と言えど所詮は人間だ。

 普通に一人ではしんどい時も、やってられない時もある。


 そんな時に、支えになるのがやっぱり同じ境遇にある友人と言う名の戦友になる。同じ浪人であれば、互いにその悩みも共有できるし励まし合うこともできる。進路相談や多朗の愚痴などもストレスの解消には立派な効力を持つのだ。別段、特別な事ではないがこれが意外にも大きな要因たりうるため、あまりバカには出来ないのも事実だ。


 しかし、俺の古巣、つまりは前の予備校では、本当に、それはもう本当におめでたい事に俺の周囲の人間は合格をし予備校を去って行ったのだ。という訳で真の意味で孤独を味わいそうになった俺は旧知の仲である師道のいるこの予備校に越してきたわけだ。

 ただ、


 「それに、まあ、なんだ。新しい環境の方があれだろ。ほら新装開店的な」

 「心機一転だろ」


 流石に恥ずかしくて本音は漏らすことはせず、それっぽいことでお茶を濁した。

いや、別に照れているわけではない。単純に言うのが気持ち悪いのだ。

 浪人同志の傷のなめ合いなど見ても誰も得しない。

 結局は理由などどうでも良い。

 閉ざされた環境では、気軽に話せる奴がいると良い。

 つまりはそう言うこだ。以上。


 「はあ、それにしてまた一年か。しんどいな~~」

 といつもの愚痴をこぼし話題を無理やり転換させる俺に師道も賛同する。

 「そうだな、まぁあの地獄も今年で打ち止めだ」

ややポジティブな返答をする師道は、平然と眼鏡を持ち上げた。

 愚痴も聞く相手がいるからこそ、意味がある。多分こんなやりとりを俺達は一年間は続けるだろう。過酷な日々のほんの小さな息抜きとして。

 そんな当たり前のことを実感しながらも、束の間の休息は少しずつ過ぎていった。




 「おっと、もう時間だな」

 不意に師道がそうつぶやく。

 言葉につられ壁の時計に目をやると、時刻はすでに一時間ほど経っていた。

体感では十分程だったが……これも人と話す機会の少ない浪人の性なのだろうか……


 「なら……っと、そろそろ帰るかな……」

 俺はその場で大きく伸びをして肩の凝りをほぐす。

 久しぶりに人間とまともに会話した気がする。

 今まで、問題とばかり対話していたからな……いい刺激になったはずだ。

浪人生は全てのことに意味を含ませるから、どうも言い訳っぽくなる。


 「授業は来週からだからな、まあ今週位はゆっくりしてもいいだろ」

 師道はそう言いつつ、鞄を取り上げる。

 「でも、あんまり油断はすんなよ。特にお前みたいな一郎でやり切った奴は二浪目で燃え尽きやすいって言うからな」

 その言葉に少し、ドキリとする。脳裏に映るのはどこまでもストイックだった一郎の日々。

そんな前科のある俺にとっては燃え尽きるというのはない話ではなかった。


 「ば、バカ言え。俺はそこら辺のビギナーと違って根性が座っているんだよ。受かるまで終われねえよ」

 「……まあ、それもそうか。なんせお前を待ってる人間がいるからな」

 という師道の目は少し冷たいような気がする。それは少し嫉妬が混じったような……

 なんだろう、こいつ。

落ちたショックで少しおかしくなったのかな。


 「なら、なおさら今年は受かるように頑張らないとな」

 そんな当たり前のセリフと共に席を立つ師道に俺も続く。

 結局、師道の言葉の意味は今いちピンと来なかったが、それでも燃え尽きやすいというのはホントの事だ。

気を抜きすぎると堕落という暗黒面に落ちてしまう。

 そうなってはニートと言う名の暗黒卿になってしまい、二度と俗世には戻れなくなるだろう。

 それはまずいな、社会的にも、浪人的にも。

如何せん、そんな人間を少なからず見てきた俺にとってはあまり冗談で済まされない話でもある。ここは気を引き締めなくては。

 

 「そんじゃ、俺は帰るけどお前はまだ用事とかあるのか?」

 「あっそう言えば、受付でクラス申請の手続きがあったな。ちょっと行ってくるわ」

 危うく忘れるところだったが、まだ手続きが残っていた。

 この時期は色々と面倒なことが多くてちょっと忘れがちだった。

 「なら、俺は先帰るぞ」

 「じゃあの」

 そんな適当な挨拶を終え、俺達はバラバラになる。

 少し味気ない気もしないでもないが、楽しい時間は少ないくらいでちょうど良い。


 なんせ俺達は浪人なのだから。


 やるべきことを受付で済ませて、ようやく俺も帰路に着こうとする。

予備校は基本、遅くまで開いているが受け付けはその限りでもないため、この時間の受付には駆け込みで多くの人がいた。

 どいつもこいつもみんな無邪気な顔をしているが、これから一年でホントの地獄を経験することだろう。はてさて、何人が正気を保ってられるか……フフフ

 とそんな事を邪悪な笑顔を浮かべて考えていると、思わず人とぶつかってしまった。


 「おっと……」

 「ああ、すいません」

 「あ、いえ、こちらこそ」

 相手は抱えていたパンフレットのようなものをいくつか落としてしまう。

 「これは、これは……」

 ゆったりとした穏やかな口調は、それでも聞いていて妙に安心感を覚えるようだ。


 その相手は老人だった。

 白い髪を綺麗に掻き分け、白い髭がうすっらと伸びるまさに好々爺と言った感じの気の良さそうな老人。

 俺はすぐにその場にしゃがんで、紙の束を拾い上げそして目の前の老人に渡した。

 

 「これはこれは、ありがとうございます」

 「いえ……」

 適当に相づちを打ちながら、その子供か孫を探すも姿が見当たらない。

 「では、これで」

 と丁寧なお辞儀をして立ち去る老人の姿を見送りながら、俺は講師か関係者なのだろうと


 勝手な憶測を浮かべ、その日は予備校を後にした。なんとも不思議な出会いであったが、その正体を俺はいずれ知ることになる。


 ちなみに後日、帰って来た減額通知書には『三十万減額』の文字があった。世知辛え。



 センター試験まであと……285日

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