お見合い


瑞希の家から自宅へと戻る。

広い玄関は人気が無く、ただ冷たい印象だけを与える。



「あ、すみれちゃん。お帰り」


自分の部屋に戻る途中、廊下で恵理佳とバッタリ会った。


「うん、ただいま」

「うん……あのね。話があるんだけど」

「話し?」

「あ、でもお父さんが書斎で待ってるって言ってた。それが終わった後でいいから」



いつに無く、しおらしい恵理佳に少し戸惑う。

後で部屋に行くと恵理佳に伝え、自室に荷物を置き、父の書斎へ。


父の書斎は二階の一番奥。

ちょうど、母の寝室の真上にある。


ドアをノックすれば「はいれ」と父の声。

そっとドアを開ければ、父の煙草の匂いが部屋の中に充満していた。


「加賀さんとの結婚は無くなった」


良かった。

知ってはいたけど、父に会い、直接聞く事により、本当なんだと実感した。



「来月の五日、見合いをしてもらう」

「え?」


その話は寝耳に水で。


「この話はオマエが生まれた時から有った話だ。先方がソロソロお前たちを会わせようと言ってきたからな」


ちょっと、ちょっと待ってよ。

そんな話、初耳なんだけど。

父の口から思いもしない言葉が次々と出てくる。



「会社には退職届を出しておけ」


父はそれだけを言うと、私を部屋に残し出て行ってしまった。

全く持って、意味が分からない。


私には生まれた時から許嫁がいて……。

父の口ぶりからだと相手は伊波よりも力がある家柄。

そんな話は初耳だし、ガマガエルとの件は一体なんだったの?

そんな疑問をぶつけたいけど、父はもう家にいない。


頭の中がグルグルする。



「すみれちゃん?」


父の書斎から出れば、恵理佳が待ち構えるように立っていた。



「えっと、ゴメン。話はまたでもいい?」


今、恵理佳の話を聞ける状態じゃない。



「すぐ、終わるから……ちょっとでいいから」


恵理佳の顔を見れば、それは緊急を知らせている。

そんな気がした。

でも、今の私は話を聞く処の騒ぎじゃない。


「ほんとゴメン、またにして」


恵理佳の表情が落胆へと変わる。



「本当にごめん」


そう伝え自室へと戻った。

帰宅して早々、またお見合い話。

そして恵理佳の話。


今は無理。

なんとか支えている心がポキっと音を立てて崩れそうになっている。


瑞希が恋しい。

今朝まで一緒に寝ていた瑞希を思うと胸が張り裂けそうなくらい痛い。


でも、私は伊波を捨てる決意をしたんだもん。

瑞希にこれ以上迷惑はかけられない。


あと、一日頑張れば会社は休みになる。

恵理佳の話は明日聞いてあげよう。



一カ月ぶりに寝る自分のベッド。

それはまるで他人のモノの様に感じる。


大きくってシトラスの香りがする、あのベッドが恋しい。




翌日。

会社から帰り、真っ直ぐに恵理佳の部屋へと向かった。




「すみれちゃん。本当にごめんなさい」


開口一番、恵理佳はそう言い、私に頭を下げた。



「すみれちゃんが悪い訳じゃないのに。今まで意地悪ばかりしてごめんなさい」


驚いた。

父の話以上に、恵理佳の言葉に驚いてしまった。



「実はお願いがあるの……」


恵理佳のお願いは飛んでも無かったけど、それを飲んでしまう私はやはり妹の甘い姉なのかもしれない。

そして、これが最後の甘さ。


父からお見合いの話がまた出た。

伊波から出るには今しかない。


だから恵理佳のお願いを聞くのはこれが最後になるんだと思う。

恵理佳の話は簡単で、実の母に送るお金を貸して欲しいとの事だった。


父から沢山の小遣いをもらっている恵理佳。

でも、それ以上の金額を要求する母親。



「もう、無いって言ったら、借金してるから。って」


恵理佳の涙腺は崩壊し、泣き崩れながら今の状況を語った。


恵理佳が毎月渡しているお金、それは多いほど。

でも、恵理佳の母は全て使ってしまう。

そして足りない分を借金で賄う。


でも、自分で働く事などしない。



「学校に知らない男の人が来て……」


借金取りが学校にまでやってくるようになったと恵理佳は言った。



「もうどうしたらいいのか……」


恵理佳は声にならない声を上げ、初めて私の前で号泣した。

まさか、自分があげた小遣いが全て母親の元に行っていたと父が知ったら恵理佳を勘当してしまうだろう。


かと言って、このまま放置は出来ない。

学校にまで借金取りが来た事が恵理佳を窮地に追いやったのは目に見て明らかだった。


母に捨てられた恵理佳。

行くあてもが無くなった時に伊波に引き取られた。


「すみれちゃんが羨ましかった。いつも伊波の家の宝物で」


恵理佳の目にそう映っていたんだ。

囚われの娘なのに。


「お父さんはいつも、すみれすみれ。って。椿さんも何かある度にすみれに言えって。家族の中心にいるすみれちゃんが羨ましくって……」


恵理佳の心が露見する。

そんな風に思っているなんて知りもしなかった。


「それに、この間の人。あの人凄い剣幕で私に怒鳴って。すみれちゃんの気持ちを考えろって。すみれちゃんは幸せだとばかり思っていたの。まさか政略結婚させられるなんて知らなかった」


瑞希がどこまで恵理佳に話したかは分からない。

でも、ガマガエルとの事を言ったのは確かで。


でもその話が恵理佳の心を変えた。

そして、今本当に困っている現状を相談してくれたんだと思うと、なんだか嬉しい。


「お母さんの借金はいくらあるの?」

「たぶん三百万くらい」

「恵理佳はお母さんの書類にサインとかしてないよね?」

「うん。この間の人が持ってきた書類くらいにしかサインしてない」


瑞希がサインさせた書類の事を言っているんだろう。


「恵理佳はお母さんと一緒にいたい?」


そう、これが重要だと思う。

今後、どうゆう形になるにしろ、恵理佳の気持ちが一番だと思うから。



「……分からない。私が渡すお金にしか興味を示さないお母さんだから」


恵理佳も親には苦労させられているんだ。

それが私たち姉妹の共通点なのかもしれない。



「そっか」

「ごめんね。すみれちゃん」

「ううん。仕方ないもんね」


私の貯金の半分を恵理佳に渡そう。

今の私に出来る事はそれくらいしかない。


他にしてあげられる事は、何もない。

そして、私はココを出て行く。

恵理佳を残して。



「お金は用意してあげる。ただ、それ以上は恵理佳がどうするか決めるんだよ。お金をお母さんに渡しても良いし、自分で使ってもいい。私が助けられるのはこれが最後だからね」



姉として出来る最後の事。

月曜日、会社帰りに貯金を全額下ろす。

半分を恵理佳に渡し、半分をユーロに替える。


私はドイツへと行く事を決めたから。

スペインにいた筈の久美教授はそろそろ日本に帰ってくる。

そして十二月にドイツへ行くと聞いている。

私は一足先にドイツに渡り、いくつかの城を見て回ろう。


渡独するのは来月。

お見合いのある五日。


その日までに準備を終わらせなくちゃ。


スペインにいる久美教授と連絡が取れたのは日曜日。

年末に訪れるドイツでの予定を聞く。

ドイツの有名な城といえば、ノイシュヴァンシュタイン城。ヨーロッパ屈指の美しいお城。

そして世界遺産にも登録されているサンスーシ宮殿。珍しい平屋造りの宮殿は規模が小さいものの、丘の斜面を利用し作られた階段状のブドウ園。一段一段の棚はガラス張りの温室になっている。

他にも中世時代の名残を深く残した数多くの城が健在している。


ドイツの城を調べると、ロマンティックな王様や城主が多い気がする。

ファンタジー色が強いお城ばかりが目につく。



久美教授は十二月の半ばから二月にかけてドイツに滞在すると言っていた。

どこで話が漏れるか分からないから、私が先にドイツに行く事は黙っている。


久美教授が「一緒に行ければいいのにね」そう言ってくれた。

「そうですね」っとだけ返事を返した。

一足先に行ってますね。そういえたらどんなに良かったか。


私がいなくなり、真っ先に連絡が行くのは久美教授の所だと思う。

嘘をつかせる訳にはいかない。


落ち着いた頃、連絡を入れるようにすればいい。

今持っている携帯は置いて行かなきゃならない。

とにかく伊波に関係するものを全ておいていく。

父が把握しているモノは全部おいて行かなくちゃ。


あと二十日ちょっとでお見合いの日。

それまでに出来る事は限られている。


昔取った国際免許の書き換えや、ビザの手配。

時間は無限じゃない。


月曜日、会社に退職届を提出する。

有給が残っているからそれを消費しての退職。


日比野さんが辞めてからの補充がない今、私まで辞めてしまったら部署の皆に迷惑がかかるのも分かってる。


でも、仕方がない事。

全てが中途半端になってしまう。


全部を投げ捨て、私は伊波を捨てる。

それで、誰に迷惑がかかるのか、見当はついているけど……。


背中を押してくれた人。

私の大好きな人。



一番欲しいモノが手に入らないのであれば、全部を捨ててしまっても構わないのかもしれない。








「で、何も私に言わないってどういう事?」


ランチプレートに手を付けた瞬間、梅ちゃんの冷たい声が正面から私を凍りつかせた。


「えっと……」

「私とすみれはそんな軽い関係だったっけ?」

「ご、ごめんなさい」


出社して早々、斉藤課長に退職届を出した。

事前に相談もなにも無い中、斉藤課長は一言「どうせお家(いえ)の事情なんだろ」そう言った。

その一言で、私は伊波すみれとしてではなく、伊波物産の娘として見られていたんだと。


分かっていたけど、面と向かって言われるとは思わなかった。

でも、そう言われてしまうのにも納得がいく。

私自身、仕事に対して、私でなきゃダメだ。と言われる仕事をしてこなかったから。


辞める今になってそれに気づく。

もっと真剣に仕事に向き合って、向上心をもって……。

でも所詮『たら』『れば』になってしまう。


「申し訳ございません」


斉藤課長は他に何も言わなかった。

四日が最後の出社。そして給料の締日二十日までの十六日間を有給扱いとしてくれる事になった。


そして梅ちゃんにランチに呼び出され、今に至る。



「なんで言ってくれないの?」

「迷惑がかかるかもしれないから」


梅ちゃんと仲が良い事は父も知っている筈。



「でも、言ってくれてもいいんじゃない」

「そうだけど」

「言いたか無いけど、紀人さん経由でジュニアから聞いてるんだよ」


梅ちゃんは「すみれの口から聞きたかった」そう言ってくれた。



「ごめんね。自分で精一杯で」

「だと思ったけど。会社辞めるにしても海外に行くにしても、ちゃんとすみれの口から聞きたかった。どれだけ心配させれば気が済むの?それに準備も一人じゃ出来ないでしょ。私を頼ってよ」


梅ちゃんの言葉に涙腺が崩壊しそうになる。

私にも友達がいたんだと。



「あり、ありがどう」

「あぁーあ。別に泣かせたい訳じゃないんだけどな」



梅ちゃんは苦笑いをしながら、ティッシュをくれた。

目元を押えるように、流れてくる涙を拭きとる。

擦ってしまうと化粧が崩れてしまうから。



「さ、とりあえず食べて、作戦会議しなくちゃね」


冷めてしまったランチを頬張りながら、どこに行くのか、何をするのか、残りの時間で手続きしなければいけない事を説明した。


「口座はどうするの?」

「それは悩んでて」


ドイツは€(ユーロ)。

そして持ち出せる、持ち込める現金は€1,000。それ以上は課税がかかってしまう。


「海外でも口座の開設は出来るんだけど、やっぱり日本の銀行の方がサービスがいいし、手数料が低いんだよね。だから父の知らない銀行口座。それを作るしかないかな。って思ってる」

「そっかぁ。でも本人以外、口座情報の開示って出来ないんじゃないの?」

「私が使ている口座は伊波のメインバンクなんだよね」

「ああ、それじゃ裏の手が入っちゃうのね」

「うん」


どんなに個人情報云々って言っても、伊波物産のメインバンクに私の口座がある限り、情報は筒抜けになってしまうだろう。


「口座かあ」

「うん、口座なんだよね」


結局銀行の話でランチ時間は終わってしまった。

梅ちゃんと会社へと戻る。

受付にそのまま座る梅ちゃんに手を振り、エレベーターへと乗り込んだ。




「あ、ヤバい」


そう、ヤバいよ。

恵理佳に渡すお金を下ろしてこなきゃ。


ランチの時間は終わってる。

三時までに窓口に行かないと。


月曜日の今日、仕事は山積み。

仕事を抜け出し、銀行に行く事なんて出来ない。


恵理佳のメールしなきゃ。

お金は明日になるって。




「すみれさん、悪いんだけどコレ内容証明で送って来てくれる」


先輩からの鶴の一言。

郵便局に走りながら銀行を回れる。


「はい、行ってきます」


何かが私に味方してくれている様な気がした。


郵便局は空いていて、いつもより早く手続きが終わった。

でも、銀行は金額が金額なだけに、随分時間がかかってしまった。


三百万。


それが今、私のバッグの中に入っている。

入社三年。コツコツ貯めてきた。

そしてハタチの時に貰った、伊波物産の私名義の株、それの配当金。


口座に残る半分は、ビザの準備が出来たらユーロで引き出す。

とりあえず、この手持ちのお金は恵理佳に渡す。金額にドキドキする。



かなり挙動不審になりながら会社に戻り、郵便局が混んでいたと言い訳をしながら今日の業務を終えた。



日中は会社、夜は準備に明け暮れる。





そして金曜日の今日、瑞希からメールが入った。



『明日、空いてる?』


メールを見ただけで、胸がドキドキと音を立てる。

居るはずもないのに、瑞希のシトラスの匂いを感じる。


震える手で『空いてます』そう返すのが精一杯。

一カ月一緒に住んでいた筈なのに。

こんなにもドキドキするなんて。


送信ボタンを押してすぐ、また携帯が鳴る。


『朝十時に迎えに行く』


明日、瑞希に会える。

嬉しい。

素直にそう思う。



まだ瑞希にはお見合いの話をしていない。

でも、見合いの話はするつもりない。

見合いの当日、私は渡独する。


その予定を変える気はない。

一度変えてしまったら、また変えてしまいそう。


自分の意志の弱さは知っているもん。

瑞希の傍に居たい。

そう思ってしまう自分を胸の奥に沈めて、これからの人生を一人歩いていく。そんな覚悟を持たなくちゃいけない。



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