60 カホカの悩みⅡ(前)
「むぅ……」
脇腹に痛みを感じながら、カホカは眼をこすりこすり開き――がばりと跳ね起きた。より強い痛みが走るのを、顔を歪ませながらも構えを取る。
顔を左右に振り、周囲の様子をうかがう。
「どこだぁ、ここ……?」
見知らぬ部屋は、薄暗い。たよりない蝋燭の灯りのなかで、正面の寝台に、バディスが寝息を立てている。
「バディス?」
ゆるゆると構えをほどきながら見ると、どういうわけかファン・ミリアに斬られた腕が元通りにくっついていた。顔の腫れもひいており、こうして見ると、性格どおりの純朴そうな顔立ちをしていた。
――どうなってんだ?
自分は、ファン・ミリアに捕まったのだろうか。
しかし室内はごく一般的な内装で、牢獄らしさは微塵も感じられなかった。
「はてな」
首を傾げていると、足元から苦しそうなうめき声が聞えてきた。
「……げ」
見ると、自分が寝ていた寝台に、ティアが横になっていた。ゆったりとした男物のチュニックを、帯も巻かずに着流している。
その、横向きになったティアの頭の上に、自分の足が見事に乗っていた。踵が頬にめりこんで、非常に残念なことになってしまっている。
「花を手折ってしまったか……」
神妙ぶってカホカがつぶやくと、
「……どけてくれ」
眼を覚ましたティアが、抗議するようにこちらを見上げている。「ういうい」と、足をどけ、カホカは傷をかばいながら寝台の上に座り込んだ。
「アタシ、どうなったの?」
黒装束の、胸から下が裂かれていた。包帯が巻かれている。軽く触れただけで、鋭いような、鈍いような痛みが響いた。
「……オレが来た時は、すでにカホカは意識をなくしていた」
ティアは眠そうに言うと、壁にもたれかかり、自分の頭との間に枕を挟んだ。チュニックの裾からすらりと伸び出た足をポリポリとかいている。髪も、さすがに寝癖がついてそこかしこが跳ねてしまっていた。
「ディータも事情はよく知らないらしい」
「そりゃそうだよ」
カホカがかいつまんで事情を伝えると、話を聞いているうちに覚醒してきたのか、ティアの表情が引き締まってきた。
「なるほど」
それからティアは一度、大きく息を吐くと、
「バディスの、血を飲んだ」
打ち明けるような口調に、カホカは半眼になった。
「……なんで飲んだ?」
「実は――」
と、次はティアが話しはじめる。昨夜のレイニー発見と、銀髪の化け物の話をされ、カホカは渋面を作った。なんとも言葉が出てこない。
「訊きたいことは山ほどあるんだけど、とりあえず」
ややあって、カホカはそのままの表情で訊いてみた。
「バディスはどうなったの?」
「バディスは、人ではなくなっていると思う」
ティアは寝台から立ち上がると、眠っているバディスに瞳を向けた。
「オレの一部である蝙蝠を分け、バディスに向かわせ、血をもらった。彼がカホカを助けに行ったのはその後だ。仲間の危機を感じ取ったからだと思う」
「てことは……前にイスラが言ってた『群れ』ってやつに、バディスも入っちゃったてこと?」
そうだと思う、とティアはうなずきつつ、「でも」と続けた。
「カホカの血を飲んだときのことをぜんぶ覚えているわけじゃないが、間違いなく言えるのは、飲んだ血の量はバディスの方がすくない、ということだ」
その根拠としてティアが語るところによれば、血を飲み過ぎて自制が効かなくなるのを避けるために、あらかじめ蝙蝠に飲む血の量を制限させていたからとのことらしい。
「そんなことができるの?」
カホカが訊くと、「できた」とティアははっきりと答えた。
「蝙蝠が受け取れる器の大きさを決めておいた。限界までバディスの血を飲んでも、カホカの時の量を超えないようにした。問題は、傷ついたバディスを助けるために、さらに血を飲んでしまったことなんだ」
悄然とティアは肩を落とた。
「なんとなく、としか答えられないんだが、吸血の量に応じて段階があるらしい。――まず第一段階が、カホカの時のように、吸われた方にほとんど変化が起こらない状態。そして第二段階が、変化が起こる状態。これがいまのバディスだ。この状態にすれば、バディスは助かるという確信があった。ちなみに最後の第三段階は、相手が事切れるまで血を飲み続けること」
以前、リュニオスハートの洞窟で、カホカの血を必要以上に飲むのをイスラに止められ、『それ以上飲めば、その娘、死ぬか、人ではなくなるぞ』と言われた、その言葉とも合致していた。
「だから、いまのバディスには、何らかの変化が起こっている。実際、斬られた腕も傷口に重ねただけでつながってしまった」
「じゃあ、バディスはティアと同じ吸血鬼になっちゃったってこと?」
「ちがう気がする」
ティアは自信なげに首を振った。
「バディスの中でどういう変化が起こっているかまでは、オレにもわからない。自分の仲間だという感覚はあるから、すくなくともオレやカホカに危害を加えることはないはずだが」
言いながら、ティアはバディスの寝台に腰を下ろした。
「ぜんぶ、オレのせいだ」
憂いのある瞳で、寝息を立てるバディスを見つめている。
カホカはふたりの様子を見比べながら、寝台の上でぽりぽりと頭を掻いた。
なんとなく居心地の悪さを感じつつ、
「ま、死ななかっただけマシだと思うしかないんじゃない?」
声をかけてから、カホカは自分の服をつまんで鼻を寄せた。くんくんと匂いを嗅ぐ。
「汗くっさ!」
昨夜の襲撃に着ていた服のままで、ひどく寝汗をかいていた。間違っても心に花咲く一四歳である自分が発散させていい匂いではない。どこをほっつき歩いているかは知らないが、もしいまイスラが帰ってきたら、絶命させることもできそうだ。
「水浴びしてくる。話はまたそれからってことで」
「傷は大丈夫なのか?」
「ダイジョウブくない。でも、耐えられない」
部屋から出て、扉を閉めた。その扉の前で、
「はぁ……」
と、カホカは深く溜息をこぼした。
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