51 港にてⅢ
「我々の要請に応じていただき、感謝いたします」
「いえ」
言ってから、我ながら愛想のない返事だと思った。
それを誤魔化すように、ファン・ミリアは護送車を見やる。
鉄の格子が組まれた馬車の荷台に、中年の男がひとり、腕組みをして座っている。きつく眼を閉じ、瞑想に耽っているように見えた。
けっして身なりはよくないが、この状況においても取り乱すことなく、どっしりと落ち着いた様子は、なるほど相当の人物のように思えた。
――この男も、暗殺ギルドの者なのか。
十日ほど前に、同じギルドの長をファン・ミリアは捕縛していた。
――たしか、レイニーという名だった。
彼女は、強かった。
卓抜した
あの女に加えて、いま目にしているこの男。
――やはり、野にはまだまだ自分の知らない傑物が潜んでいる。
ファン・ミリアはゆっくりと男から視線を離し、
「しかし、かなりの人数ですね」
と、周囲を見渡した。護送車を中心に、二十人ほどの兵士たちが隊列を組み、左右前後を固めている。
「この男を捕まることができたおかげで、王都により一層の平和が訪れることでしょう」
信じて疑わない口調で、文官の男は言った。
名を、ハズクという。
会うのはこれで二度目である。軍の治安部に所属しており、前回のレイニー捕縛の件にも、この男が関わっている。
職位、身分ともに高くはないが、中央に人脈を持っていると聞いていた。ベイカーを通して聖騎士団を動かせるくらいだから、なかなかの影響力を持っているのだろう。
ふたりが軽い
それに合わせて、入場門がゆっくりと開かれていく。
「では――」
ファン・ミリアは鞍に差した長槍を抜くと、脇に挟んだ。
部下を率いて手綱を打つ。あえて、詳しいことは聞かない。自分が課された任務は囚人を王城まで送ること。それ以上でも、それ以下でもない。下手に首を突っ込んだところで、ハズクは答えないだろうし、わざわざ厄介事に首を突っ込みたいとも思わない。
――いつから、こんな自分になってしまったのだろう。
ファン・ミリアは自問する。
ウル・エピテスは王を頂点とした、厳然たる縦割りの構図ができあがっている。ファン・ミリアが仕官するずっと昔から、その風土は変わっていない。
いま、現実に目の前にしている軍港の門が、かつて、はじめて見たウル・エピテスの王門と重なる。
――あの時の自分は、国を良くしようとする志に溢れていた。
軍港を出てしばらく進むと、森のなかに入っていく。北の崖まで続く森は、王家とその賓客のためだけに許された御猟場にもなっている。
いや、とファン・ミリアは誰にも悟られぬよう、ちいさく頭を振った。
理想は消えることなく、ファン・ミリアの胸に燃え続けている。
悲しみのない世界を。
争いなく、誰もが笑い合える世界を。
――そう思うのに、なぜこうも身体が重いのか。
流水が川の淵に溜まり、停滞して色を濁していくように、自分もまた、腐っていってしまうのだろうか。
だから、自分を変えたかった。
そんな心からだろうか。ルクレツィアからの「余裕がない」という言葉に、正面から取り組もうという気になったのは。
――きっと、彼についても……。
タオ=シフルについてもそうなのだろう。
自分が忘れかけていたものを、彼は思い出させてくれたのだ。
人が人たらしめるものを、彼は示してくれた。(あくまでルクレツィアに言わせれば)自分はタオ=シフルに心惹かれているらしいが、あながち間違いではないのかもしれない。
むしろ、よくよく考えてみれば、浮世のこととして悩む必要がない分、死人に恋した方が気が楽でいい、とさえ思った。
――それはいいが。
自分に女子としての慕情が残っていたのだと思えば嬉しいが、それが尾を引いてカホカの件を棚上げしているのなら、実によくない。
ルクレツィアと話してからもう二日経つにも関わらず、団長のジルドレッドにはまだ何も報告をしていなかった。あえて避けたわけでも、言うまいとしたわけでもなく、たまたま会って話をする機会がなかったというのもあるが、率先してファン・ミリアのほうから切り出し、時間を取ってもらわなかったのも事実だ。
一行は、いくつも分岐した森の小道を進んでいく。
「……よくないな、本当に」
溜息まじりにつぶやくと、愛馬が円らな瞳をこちらに向けてきた。
主人の心に敏感で、よく意を汲んでくれる白馬である。
ファン・ミリアはそっと手を伸ばして、馬の首筋を撫でた。抱きついてやりたかったが、任務中の上、人目もある。兵のなかには、さりげなく彼女に視線を送る者もすくなくない。
「……お前の瞳に、いまの私はどう映っているのだろうな」
訊くと、愛馬は尻尾をぱさぱさと振る。
ファン・ミリアは微笑みを浮かべた。
ずいぶん長い間、この賢い白馬はファン・ミリアの足となってくれた。そろそろ、現役を引退させてやらなければならない。
――私は。
もしシフル領を
東ムラビアに限らず、国中に名を轟かせた英雄が、何の前触れもなく身を退いてしまうことがある。
彼らもまた、自分と同じように鬱屈した心を抱えていたのだろうか。
何かを成そうとするほど、不自由な鎖に縛られていくようなこの感覚を。
――理想はある。けれど、道がわからない。
そうして森の中の夜道を進んでいると、馬を横につけ、部下のヒュロムが話しかけてきた。いまファン・ミリアが率いている部下三名のうち、もっとも腕が立つ男である。
「筆頭は、どう思われます?」
「何がだ?」
ファン・ミリアは前方に顔を向けたまま訊き返した。
「ひとりを護送するにしては、あまりにも護衛の数が多すぎるかと」
「その上、私たちが呼ばれた。そう言いたいのだろう? であれば、想像するのは難しくないな」
「やはり、襲撃があると?」
ファン・ミリアはかすかにうなずいた。
「軍は何らかの情報を掴んでいる、ということだろう。他のふたりにも伝えてやってくれ」
ファン・ミリアが命じると、ヒュロムは無言のまま、後方へと下がっていく。
――とにかく、いまは任務だ。
気を引き締め、ファン・ミリアは脇に挟んだ長槍を強く握りしめた。
じき森を出る。
そう思った時、一行の正面に、何かの影が走った。そう思う間もなく、眩しい光が炸裂する。
「
突如として浴びせかけられた光のなか、ファン・ミリアは腕で
「言った傍からこれか……」
周囲の
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