13 旅立ちのエルフⅣ《外伝》
シィルは暗い部屋のなかで目を覚ました。
「う……」
前後左右、そして上下にも揺れを感じる。
「ここは、どこですか?」
意識がはっきりとしてきたにも関わらず、揺れは続いていた。自分ではなく、床が……いや、部屋ぜんたいが揺れている。
はっとして立ち上がった。
暗い部屋の、牢屋にシィルは閉じ込められていた。
「ちょっと、これは何ですの!」
シィルは鉄格子を握った。押しても引いてもビクともしない。
「だれか。だーれーかー!」
必死で呼び求めると、
「うるせぇぞ」
男の野太い声とともに、シィルの背後で物影が動いた。
「ちょっと、そこのあなた!」
シィルは地獄に仏とばかりに逆側の鉄格子に取りついた。
「ここはいったいどこなんです? 助けてください! いや、助けなさい!」
すると、男は「ハッ」とシィルを小馬鹿にしたように笑う。
「何を笑うことがあるか、この下郎!」
シィルは腹を立てた。自分がこんなに頭を下げて頼んでいるというのに、なんという無礼な態度か。
「お前を助ける奴なんざ、どこにもいやしねぇよ」
そう言って、男は自分の周囲を顎で示す。
シィルがよくよく見てみると、男もまた隣り合った牢屋に入れられていた。
ふたりが捕えられている牢屋は、もともと部屋に備えつけられたものではなく、鳥籠のような造りになっている。
「わかっただろ、エルフの姉ちゃん。オレもお前と同じだ」
「私と、同じ?」
「売られたんだよ、オレたちは」
「え、ええ?」
「もっとも、オレは自業自得だけどな。お前はそうじゃないみてぇだ」
シィルは驚く。驚いてはみたものの。
「売られたってどういうことですの? 私は商品になった覚えはありませんわ」
当然のことを言ったつもりが、男は「お前、本気か?」とかえって心配されてしまった。
「人を売り買いする
「薬か、殴られて……」
殴られた記憶はなかった。
――そう。
すこしずつシィルは思い出しはじめていた。
蛇の刺青をしている男にお礼を言われ、紅茶を奢られ、そして眠くなった。
そう男に伝えると、
「それだな」
あっさり指摘された。
「眠り薬でも紅茶に入れられたんだろう」
「眠り薬……」
シィルは茫然とつぶやく。
「私は、あの刺青の男に騙されたのですか?」
「それを騙されたと言わねぇで、他に何て言うんだ?」
「ぬ……ぬぬ……」
怒りがふつふつとこみ上げてくる。
「おのれー!」
と、シィルは肩に背負った弓に手を伸ばしかける。だが。
「あら、私の弓がありませんわ」
どこに行ったのかしら、と牢屋のなかを見回すも、どこにも見当たらない。
「弓やーい、シルヴィハールやーい」
自分の愛弓を名を呼んで探すが、牢屋にないのは一目瞭然である。
「……おおかた、上の奴らに持って行かれたんだろう」
「上の奴ら?」
シィルがまた鉄格子の前に寄っていく。
「暗殺ギルドの連中だ。ノールスヴェリアと東ムラビアを又にかけて人身売買をする、
「……ひょっとして、私は
「だからさっきからそう言ってるだろうが!」
男に呆れられつつ、ようやくシィルは理解した。
「では、ここは……」
「船だ。おそらく俺たちは東ムラビアに運ばれている」
「ぬ……ぬぬぬぬぬ……」
謎の全貌が解け、再び怒りがぶり返してくる。
「この私を攫うなど、許されることではありませんわ!」
シィルは再び背中に手をやるが、やはり弓はない。矢筒もない。気がつけば、頭に巻いていたターバンさえなかった。おまけに魔法石の原石が入った布袋までなくなっている。
「身ぐるみ剥がされましたわ!」
怒りここに極まれり、といった調子でシィルは喚き散らす。
「こんちくしょう!」と地団駄を踏んでいると、
「……そんなことより、自分の身の心配でもしたらどうだ?」
さすがに同情した口調で男が話しかけてきた。
「オレもお前みたいなエルフを見るのははじめてだが、上の連中の話によると、お前は相当な高値で売れるらしいぞ。エルフは美人で有名だからな。手籠めにしたがる金持ちなんざいくらでもいるだろう」
「まぁ……!」
シィルは頬に手を当て、恥じらいながらいやいやをする。
「手籠めだなんて……そんな」
「なんで照れてるんだ、お前は?」
男が半眼になる。
はっとしてシィルは頭をぶんぶんと振った。急いで拳を作る。
「この、エルフの皇女たるシィル=アージュを手籠めにするなど、許されることではありませんわ!」
「……さっきからお前、おんなじことばっかり言ってるな。ていうかお前、エルフのお姫様なのか?」
多少なりとも驚いた様子の男に訊かれ、ええ、とシィルは力強くうなずいた。
「でもこれは内緒ですわよ」
手の平を口元に添え、シィルは声をひそめる。
「内緒のことを、見ず知らずの俺に話してもいいのか?」
「あなたには特別ですわ、袖触れ合うのも他生の縁とも言いますし」
自身満々にシィルが告げてくる。
「……お前が攫われた理由がよくわかった気がするよ」
男は疲れたような溜息をこぼした。
「あら、あなた元気がありませんわね」
「元気うんぬんの前に、普通、攫われたら気分が落ち込むもんだろう?」
「なにを言ってるんですの? 安心なさい。どうせですから、あなたは私が助けてさしあげますわ」
「助かる方法があるのか?」
「そんなもの――」
シィルはさも当然といった口調で、
「ぜんっぜん、あるわけないですわ!」
言い放ち、声高らかに哄笑する。
「でも……えっと、あなたのお名前は?」
「サスだ」
つまらなさそうに男が名乗る。
「サス、よくお聞きなさい」
シィルは言って、
「いいですか、サス。私はエルフ族の皇女として、高貴なる役目を果たさねばなりません。たとえそれがあなたのような下賤な人間族の、見るからにうだつの上がらないおっさんだったとしても、です」
「さいですか」
サスはだんだんこのエルフの娘の性格がわかってきた。
「いいですか、サス。よくお聞きなさい」
「さっきから聞いてる」
サスが面倒そうに答えると、シィルは両の拳をぐっと握りしめた。
「スゥ、スゥ、カッ、ですわ!」
「ああん?」
「スゥ、スゥ、カッ!」
シィルは意味不明な言葉を繰り返している。
「なんだそりゃ、呪いの言葉か何かか?」
「お馬鹿!」
サスが訊くと、ものすごい剣幕で怒られた。
「これはエルフ語で『頑張ります!』という意味の言葉ですわ。ほら、あなたも言ってごらんなさい」
「はぁぁ?」
「いいから言ってみなさい!」
「……嫌だ」
サスが断ると、シィルはひとりで「スゥ、スゥ、カッ!」と連呼してくる。はじめは無視していたサスだったが、あまりのしつこさに根負けし、仕方なく、
「……すぅ、すぅ、かっ」
と、言ってみると、
「ぜんっぜんちがいますわ!」
また怒られた。
「スゥ、スゥ、カッ! は女性が使う言葉ですわ。男性の場合はスゥ、スゥ、カップ!」
「知るか!」
サスの怒声が部屋に響き渡った。
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