4 イスラの策《外伝》

 泣けと言われて泣けるほど自分は器用ではない、と思った。

 ティアはおそるおそるといった足取りで城門に近づいていく。

 立ち止まり、城門を見上げた。

『何をしておる。早く泣け』

 イスラが頭のなかに直接話しかけてくる。

『わかってる。けど、そんな都合よく泣けるわけがないだろう』

『フリでもよい。早くせよ、策が無駄になる』

『……くっ』

 せかされ、ティアは仕方なく両手を持ち上げた。手のひらを顔に押し当てる。その姿勢でしばらくそうしていると、

『たわけ。なんじゃそれは? 新手の宗教か? もっと声を出せというに』

『うるさいな!』

 ティアは声を上げて泣き出すフリをした。

「うっ……うっ……!」

 やっているうちに本当に泣きたくなってきた。自分は何をしているのだろう。

「うああん、うああああん」

 やけくそになって言っていると、「どうした!」と、衛兵らしき男があわてた様子で飛び出してきた。

『どうすればいい?』

 イスラに尋ねると、

『極めて激しく泣け』

「うあああん、うああああああん!」

 ティアは泣きじゃくるフリをした。もうどうにでもしてくれ、という気分だ。

 衛兵は困惑しきった様子で、「何があった」と重ねて訊いてくる。

『イスラ?』

『いちいち聞くな。泣け』

 そのままティアが泣き続けていると、衛兵は弱りきった表情で、

「泣くな。わかった。とりあえずこっちに来い」

 そう言いながら、ティアに手を差し出してくる。迷ったが、ティアがうつむいたまま衛兵の手を取ると守衛室に入れられた。

 部屋の椅子に座らされたティアはただひたすらに泣き続ける。

 その一方で、

「いったい何があったんだ?」

 ティアにそう訊いた衛兵だが、大方の予想はつく。何しろこんな夜更けにうら若い娘がひとり、城門の前で泣いているのだ。しかも服は無残に切り裂かれ、乙女の白い柔肌があらわになってしまっている。服に付着した大量の血痕が何を示しているかまでは量りかねたが、すくなくとも尋常ではないことが起きたらしい。

「名前は? どこの家だ?」

 訊かれ、ティアは「う、く」と言葉を詰まらせる。

『極めて、極めて激しく泣け』

 イスラから言われ「うああああああああん!」とティアはいっそう激しく泣いた。というか、絶叫した。

「わかった、わかったから!」

 ティアを落ち着かせようと、衛兵は優し気な声をかけてくる。それから「おーい」と、城壁を挟んだ扉越しに声をかけた。するとすぐに「どうした?」と、奥からもうひとりの衛兵が現れた。

「この娘が、門の前に立ってたんだ」

 もうひとりの衛兵ははっとしたように、泣きじゃくるティアを見下ろす。

「そりゃ、お前……」

 とにかく羽織る物を、と後から来た衛兵は奥からマントを出してきて、ティアの肩にかけてくる。

『ほう、なかなか男気があるではないか』

 イスラが感心したように言う。

 勝手なことを、と思いながらそのままティアが泣きじゃくっていると、ほとほと困り果てた様子の男たちが話し合いをはじめた。

「おい、どうする?」

「どうするったって……」

 ふたりでティアを見下ろしながら、

「隊長に相談してみるか?」

「こんな時間に呼ぶのか?」

「なにか問題があったら呼ぶのが規則だろう?」

「まあ、そうだが」と、衛兵が口ごもる。ひょっとすると、隊長である上司は気難しい人物なのかもしれない。

『隊長なる者を呼ばれては面倒じゃ、ここで一気に決着ケリをつけるぞ』

『わ、わかった』

『面をゆっくりと上げよ。泣きながらじゃ』

 イスラから言われるままに、ティアは泣きながら顔を上げた。途端、衛兵のふたりともが硬直したように全身を緊張させる。

『こう言え。お家に帰らせてください、と。そしてまた顔を伏せよ』

「……お家に帰らせてください」

 言ってからティアは顔をうつむかせて泣く。

「しかし……」

 ふたりは「どうする?」と目配せをしあう。

『次は?』

『待て。此奴こやつらは今はげしく揺れておる。正念場じゃ。様子を見る』

 ティアは顔を伏せたまま、「うっ、うっ」と泣き真似を続ける。

 それでもふたりはどうするか決めかねる様子で、またもや隊長を呼ぶかどうかの話をはじめた。

『イスラ、まずいぞ』

『わかっておる。おのれ此奴ら、なんという優柔不断な連中じゃ。先ほどの男気はどこへやった!』

 忌々しそうにイスラは吐き捨て、

『こうなったら最終手段じゃ。身体を揺すって激しく泣け』

 言われるがままにティアは激しく泣いた。身体を揺すると、肩にかけられたマントがはらりと落ちた。

『もっと激しく揺すらんか!』

『嘘だろう?』

『いいから言う通りにせよ!』

 切羽詰まった口調で言われ、ティアがさらに泣き声を強めながら身体を揺らすと、肌どころか胸元までもがあらわになった。衛兵たちの視線を感じ、ごくりと生唾を飲む音まで聞こえた。

 ――いっそ殺してくれ。

 泣きたいどころではない。死んでしまいたい。

 だが、狼は容赦がなかった。

『ここじゃ! もう一度顔をあげ、そして言え。どちらか様のお名前を教えてください、後日お礼にうかがいますので、と』

『……つらい。言いたくない』

『ここで根を上げてどうする? いままでの努力が水泡に帰すぞ!」

『うう……』 

 もはや脅しである。ティアは絶望とともに顔を上げた。

『ど……どちらか様のお名前を教えてください。後日お礼にうかがいますので」

 ティアが言葉に、部屋の空気が一変した。

 これまでの逡巡が嘘のように、衛兵たちは我先にと自分の名を名乗り、ティアを城内へと引き入れてくれた。挙句、自分たちの当番の日と時間まで教えられた。

 衛兵たちと別かれ、マントを頭からすっぽりとかぶったティアは情けなさに押し潰されそうな気分で、瞳を自分の影に向ける。

「絶対に忘れないからな……馬鹿狼」 

 こんな想いを味わうくらいなら、大人しく次の黄昏まで待つべきだった。

 ティアが恨みがましく言うも、イスラからの返事はなかった。

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