5 山岳の村-シズⅡ

 入り組んだ路地を当てもなく歩くと、一軒の宿が見つかった。

 灯に照らされた看板には『香露亭こうろてい』と書かれている。

 ドアを叩いて入ると、一階が酒場になっていた。脚の高い椅子とテーブルがいくつか置いてあり、隅にはちいさな炉がきられ、薪がくべられている。

 給仕の姿はない。

 仕方なくタオが呼び声を上げると、「はぁい!」と、二階から明るい声とともに若い娘が下りてきた。白い布を頭に巻き、村娘らしい裾の長い服を着ている。

 イグナスが嬉しそうに口笛を吹いた。

「掃き溜めに鶴だな」

「黙ってろよ」

 イグナスを注意しつつ、タオが宿泊の旨を伝える。安心してもらうため、宿賃を先に支払うと、娘は満面の笑みで「ありがとうございます」と頭を下げてくる。

「食事はどうしますか?」

 うん、とタオはうなずき、

「できればお願いしたい」

「用意します。先に荷物を二階の部屋に置いて、また下りてきてください」

 二階は大広間になっていた。共用だが他に客はいないようだ。壁や仕切りはなく、寝台が五つほど、無造作に置かれていた。寝台といっても木で作った箱のようなもので、そのなかに干し草を敷き、わらを詰めた枕が置いてある。

 さっそく着替えた。

 タオもイグナスも上衣はチュニックだ。タオの着ている方が型は古く、袖がゆったりとしており、長い裾を腰布で結んだ男女兼用の作りになっている。一方のイグナスは袖と裾が短い、男性専用の作りである。どちらもズボンを穿いていた。

 再び一階に下りて席に着くと、娘がひとりで食事の用意をしているところだった。店主はすでに眠っているのかもしれない。

「景気はどうだい」

 酒を片手にイグナスが声をかけると、娘は「あんまりです」と困ったように笑う。

 料理は豆と大根を煮込んだスープと、それにつけて食べるパン、メインは豚の腸詰めにアスパラガラスを添えたものだった。

 スープはふたりで一皿である。

「ここは、なんていう名前の村?」

 食事を平らげ、ようやく人心地ついたタオが訊くと、

「シズ、といいます」

「シズ村?」

 はい、と娘はうなずく。

「ここは東ムラビア? それとも聖ムラビア?」

 続けて訊くと、娘は「たぶん、東ムラビア」と答えた。それぐらい国への帰属意識が弱いのだろう。

「おふたりは軍人さんですか?」

「オレはそうなるかな。こっちのイグナスは傭兵」

 なぜか聖騎士見習いと答えるのはためらわれた。

「聞いてくれよ姉ちゃん、実は俺たち、ボロ敗けしちまってなぁ」

 言葉とは裏腹にイグナスが快活に笑うと、娘は「まぁ!」と気の毒そうな顔を作った。表情の豊かな娘だ。

「それは、残念でしたね」

「だろう? 残念なんだよ、俺たち。だから姉ちゃんにゃ優しく慰めてもらえると嬉しんだが」

 イグナスがこれ見よがしに大仰な溜息をつく。娘は顔を真っ赤にしてエプロンを握りしめてしまった。純朴な性格らしい。

「からかうなよ」

 タオがたしなめると、「これくらい、かわいいもんだ」とイグナスは上機嫌に笑い声を上げる。

「さっき広場で教会を見たんだけど」

 タオは話題を変えた。

「ここではどんな神様をまつっているの?」

「えっと、イースラス・グレマリー様です」

「イースラス・グレマリー?」

「主神のバアルパード様の眷属けんぞくと聞いています。とても、とても古い神様だって」

「そう……」

 神の名は多い。タオの知らない神がいても不思議ではないが、すくなくともイースラス・グレマリーという名を聞いたことはなかった。

 ひょっとすると、とタオは思う。異教の神なのかもしれない。わざわざバアルパードの眷属だと娘が言ったのは、そうした方が角が立たないためだ。こういった辺境の村々ではその土地固有の神を崇めるのは珍しくないが、下手をすると異教徒と呼ばれ、断罪されかねない。

 娘が本当のことを言っているのか、それとも嘘をついているのかはわからないが、タオに詮索するつもりは毛頭ない。自分は異端審問官ではないのだ。

「君たちに大切にされているんだね」

 手入れされた教会を思い出して言うと、娘は嬉しそうな表情を作った。

「この村の守り神様なんです。困ったことや悩みごとがあると、みんな相談したり、お願いをしたりするんです」

「俺も寝台の上で姉ちゃんに相談されたいもんだ」

「しつこいぞ、イグナス」

 タオは思い切り冷たい視線を投げてやった。

 

 

 その深夜。

 唐突に異変は訪れた。

 二階でタオとイグナスが寝ていると、階下で扉が打ち破られる音が聞こえた。

 タオが飛び起きると、イグナスも「何だぁ」と、もたもたと身体を起こしてくる。

「わからない」

 あわてて剣を引っ掴んで壁に背をつけ、窓から建物の正面を見下ろした。

 人影が群れを作っている。

「追手か?」

 同じように外の様子をうかがっているイグナスに訊くと、

「まさか。俺たちの首にそんな価値があると思うか?」

 たしかに、とタオは納得するしかない。

 その時、激しい物音とともに女性の悲鳴が聞こえた。

「賊か!」

「おい、待て!」というイグナスの制止を無視し、タオは階段を駆け下りた。

 椅子やテーブルなどの調度がそこかしこに倒されている。

 室に、鎧兜をまとった男たちが群れ集っていた。その隙間を縫って、床に宿の娘が倒され、男が娘に乗りかかろうとしている姿が見えた。スカートから娘の白い脚が露わになっている。

「やめろ!」

 タオは男の横顔めがけて蹴りを放った。床に叩きつけられ、男は動かなくなる。

「なんだ、てめぇ!」

 他の男たちからの罵声を浴びながら、タオは剣を構えた。

「お前たち、何者だ」

 そう言ったタオの目が大きく見開かれた。

「東ムラビアの……!」

 彼らは、賊などではなかった。男たちの鎧に刻印された紋章は、タオの鎧のそれとまったく同じものだ。

「お前たち、自国の民に手を出すのか!」

 タオが怒鳴りつけると、一瞬、男たちの顔に動揺が走った。

「栄えある我が国の戦士のやることか!」

 さらに怒鳴る。

 すると、人ごみからひとりの士官らしき男が短槍を片手に進み出てきた。

「若造、名を言ってみろ」

「タオ=シフル」

「所属は?」

「聖騎士見習い。トッド=ポールマン大将の遠征に参加していたが、大将が敵国に寝返ったため帰る途中だった」

 なるほど、と中年の男は含み笑い、

「なぜ、その聖騎士見習いがここにいる?」

「それは……」

 言われてタオは戸惑う。つまらない見栄と知りつつも、疲れたから故郷に寄ろうと思った、というのはためらわれた。本来であればすぐに王都に直行しなければならない身なのだ。

「脱走兵か、もしくは叛意ありといったところか」

「ちがう!」

 タオは大きく頭を横に振り、

「お前たちこそなぜ自国の村人を襲う?」

「話を誤魔化したな。いいだろう、教えてやる。我々は謀反を起こしたトッド=ポールマン及びそれに賛同した者たちを粛正するために派遣された討伐隊である。この村にもそういった者が潜伏している可能性があるため、こうして取り締まりを行っている」

「村人とは関係がない」

「それを判断するのは我々だ。お前が脱走兵なのか敵国に寝返った不逞者ふていしゃかはわからんが、事実としてこの娘はお前を隠していた」

「客として宿に泊まっただけだ。彼女は何も知らない」

「ほう」

 と、男は得意げに歯をのぞかせた。

「馬脚を現したな。つまりお前は何かを知っている、ということか?」

「あげ足取りだ」

「よくわかった。――お前たち、こいつを捕縛しろ」

「ちがうと言っている!」

 だが、タオの声に耳を貸す者は誰もいなかった。

 剣を収めようかとも迷った。申し開きの機会があれば、誤解を解く自信はある。

 しかし――。

 娘が、助けを求めるようにこちらを見上げている。いったいその申し開きはいつになる? それまで、この兵士たちが娘に手をかけない保証があるのか。

 タオが動きを止めたのを降伏と思ったのか、兵士たちがにじり寄ってくる。

「この人の安全は確保してもらいたい」

「それは我々が判断すると言った」

 男の眼が、酷薄な光を帯びるのをタオは見逃さなかった。

「下衆が!」

 タオは心を決めた。剣の柄を握った拳を、一番近くの兵士の鼻面に叩き込んだ。

「貴様、抵抗するか!」

 その言葉を合図に、男たちが一斉に襲いかかってくる。タオは素早くしゃがみこみ、娘の腰帯を掴んだ。

「ごめん!」

「え? ――きゃっ!」

 謝りながら娘を店の奥へと放った。そうして自分は反対に転がる。起き上がりざま、足を払って前の兵士を転倒させた。タオは反転して背後から迫る兵士の剣を横にかわし、剣の峰で頭を打った。昏倒してふらつく男の腕を掴んで身を入れ替え、迫る兵士たちからの盾にする。

 兵士たちを次々と薙ぎ払いながら、つとタオの背筋に冷たいものが走った。見ると、先ほどの士官の男が持つ短槍の穂先が、青白い光の粒子をまとっている。


 付与魔術エンチャント・マジック……!!


 自身の魔力を武器に移行させ、破壊力を増す対人攻撃魔法の一種である。


 槍が突き出された。タオと槍の間には、男の部下であるはずの兵士が立っているにも関わらず、である。

「馬鹿な!」

 タオはとっさに盾となった兵士を蹴り、槍の軌道から外してやる。

「バアルパードの加護よ有れ!」

 祈りの言葉とともに、タオの剣身もまた光をまとう。が、その集中が足らず、剣が槍を弾いた瞬間、粉々に砕け散った。

 弾かれた男の槍が振り子のようにタオを打った。

「ぐぁっ!」

 痛めた腹部に槍の柄が直撃し、タオは横薙ぎに壁に叩きつけられた。同時に頭を打ち、その場にずるずると倒れ込む。

「レジストしたか。あながち聖騎士見習いという話もホラではないのかもしれん」

 もうろうとする意識のなかで、男がタオの前に立つ。

「だが、軍規違反は明白だ。いますぐ引導を渡してくれる」

 男が再び槍を構えた。

 タオは抗おうとするも、指に力が入らない。

「死ね」

 男が言った、その時だった。

 室の窓を突き破り、黒い影が飛び込んできたのは。

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