第四話:『揺れ動く森』



 気に喰わない。

 何が気に喰わないかというと、それはもうなんか色々だ。表立って見えるやつとか、隠そうとしていて実は全然出来てないやつとか、隠す気はないけど良く解らないやつとか、何がどうなっているのかさえ不明なやつとか。そういうのを丸々ひっくるめて、もういっそ何もかもが気に喰わなかった。

 こういう空気も嫌いだ。放っといてもみるみる重くなっていくし、何かやったところで益々重くなるだけだからだ。結局、方策としては放置せざるを得ないというのがまた気に喰わない結論だった。

 前を行く背を見る。

 葡萄えび色の女の子は前だけを見続けていた。先頭だからという理由ではなく、前方へ注意を傾けているという理由でもなく、単に後ろを視界に入れたくないだけというのが華奢な背中にありありと滲み出ていた。他なんて居ないかのように隣にだけ話し掛ける。視線の動く範囲と言えばそれくらいだ。

 話し掛けられた男の子はというと、隣の幼馴染みのように他の者を無視したりはしない。ただ明らかに一人に対してのみ接し方がよそよそしく、また本人もそれを隠そうとはしていなかった。頼りなさそうな渋紙色の瞳は、決してその人物を直視しようとしない。その癖、話し掛けはする。……意味不明だ。

 そのぎこちない態度を向けられた少女に至っては、もう壊滅的にダメダメだった。心の許容量などとっくに超えているのだろう。何もかもの反応がいちいち遅れる始末で、それ以外は心ここに在らずという風に視線を下げており、危なっかしいったらない。しかも本人はそれを隠せていると勘違いしているのだ。どう考えても呆れるくらいに隠せていないというのに、しかし誰もそれについて指摘しようとはしなかった。

 葡萄色の女の子と同じくらいの背丈の緑髪の友人もそれは変わらない。同じ寮に住み、新入生クエストでも同じ班だった分自分よりも彼女と接している筈なのに、陰鬱な表情をした友人を気に掛けている様子は見られない。いつもの弛い顔は彼の胸の内を推測させなかった。

(う~、イライラする~)

 そんな周囲にいい加減うんざりしていたミリーは、据わった目付きの間で皺を作った。

 ここ数日、ディノ達と会ってからはずっとこんな調子だ。しかも別行動を取っていた二人が合流した所為で余計にギスギスした空気に取り囲まれていた。

 詳しい事情を、ミリーは知らない。訊きたいとは思ったが、ステラから話さない限り訊くつもりはなかった。ただあの廊下での一件を見た限り、脳内で描かれた大まかな相関図を纏め上げるとこうだ。


・ステラとディノ達は幼い頃からの知り合いである。

・三人の間で何かがあり、それが原因でデルフィナはステラを嫌っている。いや、憎んでいる。

・ディノはそうは見えないが、何か後ろめたさのようなものをステラに抱いている。しかしそれは行動と一致していない節がある。

・ステラは二人に対して明らかに負い目がある。

・ミリーとリオンは蚊帳かやの外。とばっちりでデルフィナから嫌われている。ただ、嫌われていること自体はミリーはどうとも思っていない。

・リオンは基本無関心。のように見えるが、ぶっちゃけそれさえも判らない。

・ミリーは現状がすこぶる不満である。


 以上がイライラの原因だ。纏め終えた後で思ったのだが、最後の項目だけで良い気がした。

 ぶっちゃけてしまえば、ステラ達三人の事情はどうだって良い。部外者が首を突っ込んだところで余計ややこしくなるだけだろうし、ディノやデルフィナとは知り合ったばかりなのだ(しかも確実に悪いと言える知り合い方だ)。入学からの付き合いであるステラはともかく、そんな彼らの為にあれこれ奔走するようなお人好しではミリーはなかったしなりたくなかった。

 またそういった理由から、デルフィナからの一方的な嫌悪もたいして気にしていない。こっちだって別に彼女に好かれたいなんて思っていないのだし、嫌うならどうぞといった感じだった。

 ともなれば、何がこれほどまでに気分を害しているのか。答えは至って簡単だ。

「そろそろ少し休もうか。結構歩いたし」

 誰に言うでもない言葉に真っ先に反応したのはデルフィナだった。すぐさま辺りを見渡し、休むのに適当な場所を探し始める。

「ねぇあそこ、いいんじゃない?」

 指差した先には周りより一際太い木があり、根が地面から唸るように顔を出していて、良い具合に腰掛けのようになっていた。

 良い場所を見付けたとばかりに得意げになった顔は、

「あー、あそこはやめといた方がいいと思うよ」

 というリオンの言葉でしかめっ面に変わってしまった。

「……あんたに話し掛けたんじゃない。勝手に返事しないで。っていうか聞くな」

「いやでもさ……」

「うるさい」

 少し困ったような弛い顔でした制止を一蹴して、デルフィナは足早にその木へと近付いていった。

「リオン君、なんかあるの?」

「うーん、まぁ見てればわかるよ」

 ポリポリと頬を掻く少年に、ミリーとディノは首を傾げる。

「――キャアアァアアアッ!!」

 ぼかされた答えは、甲高い悲鳴となってすぐに現れた。

「フィーナ!」

 慌てて駆け寄るディノに続いて、ミリーも訝しげな表情で歩み寄る。木の根元に居たデルフィナは、両膝を着いて小刻みに震えていた。

 一体何が起きたのか。ミリーもディノもその瞬間を見ていた。影だ。デルフィナが木へ近付いた途端、幹や隆起した根から剥がれるように影が立ち昇っていったのだ。

 いや、あれは影ではない。上昇する時に風が舞ったし、葉の揺れる音と一緒に不気味な音の塊が届いた。あれは実体を持っていたのだ。

「フィーナ、大丈夫?」

「…………ぃ…………ぃ………」

 伏せるように蹲ったデルフィナは、ディノの声には耳を傾けず、頻りに何かを呟き続ける。一瞬とはいえあの影に包まれた彼女の瞳には、その正体がしっかりと映った筈だ。

 一体あれは何だったのか。今ある問題そっちのけで、ミリーの頭は好奇心で埋め尽くされた。

「ん?」

 ふと、視界の隅から虫が一匹入ってきた。はねをバタつかせて素早く宙を進み、幹へと辿り着く。ところが、一度瞬きをした次の瞬間、その姿を見失ってしまった。

 キョトンとしたミリーは、すぐさま幹の上に目を走らせた。

 飛んでいった? いや、それなら瞬きを終えた瞬間にちらりとでも映る筈だ。まさしく瞬く間に見失うなど、余程素早くなければないだろう。

 だとすれば、必ず幹のどこかに居る。白い紙へ落ちた点のように、背景との違和感がどこかにある筈だ。

 目を凝らす。まだ魔力を集中する術を持たないミリーは、目を細めることで焦点を定めた。

 乾いた樹皮に違和感はない。しかし白紙と違い色に差異がある為即座に断定することも出来ない。もっと良く見る為に、デルフィナの呪詛のような呟きを背景音として木に近付く。

 一歩踏み出した途端、樹皮の一部が欠けた。

 何の前兆もなく剥がれ落ちた樹皮は、そのまま地面へと落下するのではなく、翅音はおとと共に宙を舞った。それを目で追うミリーの脳裏に擬態という単語が浮かび上がり、同時に耳へ呪詛の内容が届いた。

「――嫌い虫嫌い虫嫌い虫嫌い虫嫌い虫嫌い」

「だから言ったのに。この木は幹から根まで大量に樹液が出るから、さっきの虫が群でいることが多いんだよ」

「うるさいっ! もっと早く言いなさいよばかぁっ!」

 弛い顔にやれやれといった表情を乗せたリオンに、デルフィナは力いっぱい噛み付いた。が、目に溜まった涙がその威力を削ぎ落としていた。

「どうしようか。他の木も似た感じなのかな?」

 周囲を見渡すディノの表情は声と同じように困った風だった。彼からすれば、やはりデルフィナに無理はさせたくないのだろう。虫が大量に居るところで休憩など、ミリーも御免被りたいところだ。

「そうだね。なるべく少ないとこなら探せるけど……どうする?」

 やはり弛いままの表情に少しだけ意地悪い声色を加えて、リオンが訊ねた。

 受けた少女は、これ以上ない屈辱を味わったかのように唸る。ここでリオンに借りを作るのを躊躇っているのだろう。首を何度も捻り、眉根に皺を集め、歯を食い縛ってようやく勢い良く立ち上がった。

「…………案内しなさい」

 命令口調がせめてもの意地だということは、誰が見ても明らかだった。

「それじゃ、付いてきて」

 それで満足したのか、リオンはそれ以上意地の悪いことはしなかった。結構苛めたがりだと思うべきか、案外心が広いと思うべきか実に判断に困ると思いながら、ミリーは先を行く三人の後を追う。

 追おうとして、振り返った。

「ステラ、行くよ」

「あ、はい……」

 四人とはまるで別世界に意識を置いていたステラは、そこでようやく歩き出した。声を掛けなかったらそのまま取り残されていたかもしれない。

 ゆっくりと追い越していった枯れ木のような背中に、ミリーは再び顔を曇らせた。



        †   †   †



 中央大陸――光と闇の大陸は、一辺倒な自然環境を持つ他の四大陸とは違い、全体で見れば角の少ない土地柄であると言える。北へ行こうが南へ行こうが気温にはあまり変化がなく、東へ行こうが西へ行こうがそれなりに山林や平地があるのがこの大陸の特徴だ。

 このようにある程度均等化された自然環境があるということは、世界を循環する自我なき精霊とは別に、自我を得た精霊が偏りなく棲んでいるということでもある。またその結果の一つとして、この大陸には四季があるのだ(ただし、殆どの人間は自我なき精霊という存在そのものを知らない為、自我を持つ精霊のみが点在していると考えている)。

 とはいえ、大陸の端と端でそれなりに環境差があるのも確かだ。北端では雪山が海の向こうを隔てており、南端の平野を越えた先では浜辺に蓄えられた熱が陽炎を生んでいる。下地的な部分を自然環境が多く担っていると考えると、精霊はそれぞれの属性に応じた環境を変化促進させるといった影響を与えているというのが、その筋の研究者達の見解だ。 

 その中心に位置する『学びの庭ガーデン』は、殊更丸みのある環境に囲まれている。

 ほど良く野があり、ほど良く森が広がり、ほど良く山がそびえ、ほど良く川が流れる。魔物の強さも街から離れるにつれて強くなっていき、まるでガーデンそのものがそうであるように、学生達を鍛え上げるのに適した環境を誰かが用意したかのようでさえあった。

 ガーデンから北へ数キロ。その森の先にある湖での魔力資源採集が、ステラ達の指示された学部別実習の内容だった。

「この辺りなら虫も少ないし、休むにはちょうどいいんじゃないかな」

 深緑のトンネルを抜けた先に流れる透き通った水面みなもが、一行に清涼感を与える。浅めの小川が流れていた。

 確かにここなら周囲を見渡せる為魔物の奇襲の心配はないし、川辺に敷き詰められた石や岩の上なら森の中よりも虫は少ないだろう。おまけに手持ちの水筒に水を補充出来る。およそ休憩処としての条件は整っていたので、反対の声は上がらなかった。

「この辺りには詳しいの?」

 手頃な岩へ腰掛けたディノが、遅めの昼食を頬張りながらリオンに訊ねた。予め用意しておいたおにぎりだ。

 同じくおにぎりを手にしながら、リオンは事も無げに肩を竦める。

「いや、僕は風の大陸出身だし、この辺りは初めてだよ」

 それにしては、視線こそあちこちへ向いていたものの、森を進む足に迷いは見られなかった。とても他所者の為せることとは思えないと、ミリーも思った。

「別に、水場を探すくらいなら土地勘がなくてもできるよ。木の育ち方とか風の動きとか、そういうのからある程度はわかるし。ここへ来るまでに見た森の様子から、水の得意な虫は少ないだろうっていうのも推測できるからね」

「へぇ~……」

 締まりのない表情から忘れがちだが、そういえばこの少年には学年トップの成績で入学したという噂があったのだ。そして授業中の小テストなどから判断して、その噂がデマではないことが裏付けられてもいる。しかも、実技に関しては手を抜いているというのがミリーでも解るくらい明らかなのに、それでもクラスの誰よりも魔法に長けているのだ。

 そんな彼だからこそ、初めて訪れた森の中から迷いなく小川を見付けられたのだろう。少なくとも自身を凡人と認識しているミリーには出来ないし、ディノとデルフィナもここまでの言動から見てそうだと考えられる。ステラがどうかは判らないが、仮に彼女が出来たとしても不思議ではなかった。ステラもリオンと同じく、非凡な才の持ち主なのだ。

「この川を上流に向けてまっすぐ行けば湖まですぐだよね?」

「そこまですぐってわけにはいかないけど、夕方までには着くと思うよ。でもやっぱり一泊はしなきゃだろうね。帰る頃には陽も完全に落ちてるだろうし」

「そうなると、採集より先にテントを張る場所や食糧を確保した方が良いんじゃないかな」

「けどさ、それだと採集する前に夜になっちゃわない?」

「まぁ、採集は明日に回してもいいかもね。二手に分かれて朝からやれば昼には終わるだろうし、何ならお昼を食べてから帰ればいいよ」

 ようやく実習らしい会話が飛び交う。本来ならここへ来る前に話し合っておくべきことではあるが、内部事情で全員が再び顔を合わせたのが今朝なのだから仕方がない。この会話にしたって参加しているのはミリー、リオン、ディノの三人だけであり、ガーデンを出発して数時間経ったというのにこれなのだから、眠気を押し退けてまで話し合う気になれなかったのは無理のないことだった。

 実際、この三人だけで会話する分には何ら問題はなかった。確かにリオンとディノにもそれぞれ思うところはあるが、それはミリーが一人で勝手に思っていることだし、二人との間で、或いは二人の間で何かがあった訳もないのだから、問題があろう筈がないのだ。

 問題が起こるとすれば……

「やっぱSクラス成功者はスゴイねぇ。なんか慣れてるって感じ」

「いや、そんなことないって。ミリーだって野宿はしただろ?」

「いやまぁ、そうなんだけどね」

 憂鬱げな顔をしたミリーに、リオンとディノは小首を傾げる。

「そういえばみんなはどうだったの、新入生クエスト?」

 Sクラス成功者としてクラスメイト達から良く話を訊かれる所為で、リオンとステラはあまり他の班がどうだったのかを訊く機会がなかった。

 げんなりと、ミリーは項垂れる。

「もう最悪だったよ。誰か誘うのめんどかったから叔父さんにおまかせコースにしたんだけどさ」

「叔父さん?」

「あぁ。攻魔Ⅰのクライヴ先生、ミリーの叔父さんなんだって」

「へぇー。それで、どうだったの?」

「どーもこーもないよ。よりにもよってバカドリルと組まされてさぁ」

「……もしかしてそれって、ラフォレーゼさんのこと?」

「他にそんな特殊なあだ名の似合う奴がいると思う?」

「いや……」

 あだ名に特殊もへったくれもないと思ったが、質問に返された質問にリオンは何故か首を縦に振れなかった。

「内容自体はたいしたことなかったんだけどさ、魔物が出たら騒ぐわぬかるみに滑ったら叫ぶわ、もうなんかある度にうるさいのなんのって。オマケに毎晩毎晩耳元で……」

 ミリーは両手を祈るように組んで目を輝かせる。

「『あぁ、今頃アレン様もこの星空を眺めていらっしゃるのかしら! この満天の夜空に輝く星々を遠く離れた地で同じように眺めているなんて、なんてロマンチックなのでしょう! まるで物質的な距離などこの想いの前では無意味なのだと教えてくれているかのようではありませんか! ねぇミリーさん、そうは思いませんこと? あぁですが、叶うものならこの星の海を渡って今すぐにでもアレン様に会いに行きたいですわ!』……知らんわそんなの! アタシがアンタを星にしてやろうか!?」

「ま、まあまあ。落ち着いて」

 怒り心頭といった風に声を荒らげるミリーに、リオンとディノは苦笑いを浮かべた。一言一句間違えないほど聞かされたのだろうと思うと、クラウディアを庇う気にはなれなかった。

「セルヴァたちはどうだったの? 二人共同じ班だったんだよね?」

「うん。僕とフィーナともう一人一年の子に、先輩二人の五人。簡単な資源採集だったし、良い人達だったから楽しくやれたよ」

「へぇ~、なんか意外」

 ディノ以外の人物と仲良く接するデルフィナというのがちょっと想像出来なかったので、ミリーは膝に頬杖を突いてそう漏らした。

 その感想について、ディノは微苦笑を浮かべるだけで何も言わなかった。ただ、少し離れたところでこちらへ背を向けておにぎりを頬張るデルフィナの眉が一層寄ったのを感じた。

「僕はやっぱり、君達の話が聞きたいな。Sクラスなんて滅多に受けられるものじゃないし、興味あるね」

「メンバーも豪華だったもんねぇ」

 頬杖を突いたままミリーは思い出すように言った。実際魔法学部の四年生だけで見れば、名実共にトップクラスの人物達だと思っていた。

「確かイグニス先輩って〝火の一族〟なんだよね。それにレディアント先輩とレヴィウス先輩は入学式の模擬試合に出てたし。……あれ、そういえばイリス先輩って人とアクア先輩って人、その二人と同じファミリーネームじゃなかったっけ? 前に班員表見た時そうだったような……」

「イリス先輩はアレン先輩の妹なんだよ。歳的には僕らと変わらないけど、飛び級してるから四年生ってわけ。アクア先輩はノア先輩と同じ施設出身らしいよ」

「飛び級って……そんな人までいるの?」

 自分と同い年の女の子が学年の垣根を悠々と飛び越えている事実に、ディノは目を丸くした。

「あの人は特別だよ。魔法だけなら五人の中でもダントツだって本人たちが言ってたし」

「そうなんだ……それで、クエスト自体はどうだったの? やっぱりきつかった?」

「まあそれなりにね。けど僕らの場合先輩たちが凄かったし、僕はたいしたことはしてないよ」

 実際、リオンがしたのは道中で遭遇した魔物をステラと二人掛かりで倒したことくらいだし、それにしたって殆どステラに任せっきりで、せいぜい彼女の死角から襲い掛かる敵を弓で射るくらいしかしなかった。特別何かをしたのは、山へ入ってすぐ現れたガルムの群れからアレンとノアを助けたことだけだ。

 そんなことまでは知らないミリーは、しかしリオンの自身についてのは当てにならないと思っていた。本人は卑下とか謙遜ではなく本当にそう思っているのだろうが、非凡な才を持つ彼の基準がまずおかしいということを念頭に置いていないからそんな風に考えられるのだ。事実、その行動は二人の命を救っているのだから、ミリーの考えは的中していた。

 だから話半分に聞いていたのだが、

「ああでも、ステラは結構活躍したんじゃないかな。ねぇ?」

 何気ない台詞につい眉が反応してしまった。

「……え?」

 突然話を振られたステラは、呆けた声を返した。

「新入生クエストの話だよ。ステラ、シャル先輩と崖から落ちた時に先輩を助けたんだろ?」

「あれは……いえ、最終的にはシャル先輩に助けて頂きましたし……」

「けどシャル先輩、ステラがいなかったら死んでたって言ってたよ?」

「マジ……?」

 真っ先に二人から話を聞いたミリーにとってもそれは初耳だった。まさか入ったばかりの一年生がガーデンでも超が付くほど有名なあの先輩の命を救ったなんて、とてもじゃないが信じられなかった。

 そして更に(別の意味で)信じられないのは、この少年だ。よもやこの状況でステラへ話を振るなんて一体何を考えているのだ。

 ちらりと視線を移動させる。

(ああもう……)

 こちらを向いた小さな背中から、物凄い殺気みたいな何かが噴き出していた。折角この二人を放置することでイライラを抑えていたのに、これではまた振り出しではないか。

 げんなりしながら視線を戻し、なんて余計なことをしてくれたんだとリオンを睨み付けたが、弛い顔は相変わらず何を考えているのか解らなかった。

 その傍ら、

「へぇー。やっぱり凄いね、ステラは」

「……いえ、そんなことは」

 ディノがそんなことを言い、ステラが僅かの間と共に返した。

「…………」

「…………」

 会話終了。

(だぁ~っ!)

 場をすっぽりと包み込んだ沈黙に、ミリーは心中で頭を掻き毟った。

 どうしてそこでディノまで話し掛ける? 一言しか続かない癖にッ。目を泳がせる癖にッ。朝から何回同じパターンを繰り返すつもりなのか問い質してやりたかった。

(ああもう、どーしろってのよ……)

 休憩を終えて川辺を進む中、ミリーは他を気にする余裕もなく項垂れた。まるでこの重苦しい空気が全てミリーにだけ圧し掛かってきているかのようだ。

 やはり自分がなんとかしなければならないのだろうか。流石にそう考え始める。

(でもなー、キャラじゃないしなぁー)

 自分の性格と周囲からの印象を把握しているからこそ、それは気乗りしなかった。そもそもこういうのはステラの役回りの筈なのだ。あぁ、友人達のこじれた仲を取り持とうとする姿のなんと似合うことか、と奔走する本人の気などそっちのけで納得するように何度も頷いた。

 とはいえ、今回はそのステラが取り持つべき対象なのだ。何を考えているか解らないリオンは当てにならないし、ともすればやはり自分にお鉢が回ってきてしまうのだろう。このイライラを解消するにはそれしかなさそうだ。

 そうこうしているうちに陽が傾き、傍を流れる川幅が一段と拡がっていった。湖だ。

「この辺りでいいかな」

 湖のほとりのなるべく平坦なところでディノが提案した。テントを張るには問題ないし、リオンの確認で周辺の木々も先程のようなのではないと判ったので、一行はそこを拠点に決めた。

「それじゃ、テント張りと食糧、たきぎ集めの組に分かれようか」

「テントはわたしがやるわ」

 真っ先に手を挙げたデルフィナへ視線が集まった。てっきりディノと一緒に行動すると思っていただけに意外感は否めなかったが、

「森は虫がいるから嫌」

 という理由でみな納得した。あれだけ怯えていたのだから当然と言えば当然の選択だろう。ちなみに最近のテントは組み立てが非常に簡易化されていて一人でも短時間で組み立てられ、折り畳めば易々リュックに入ってしまうほど持ち運びに優れている(ステラ達が新入生クエストで使わなかったのは、凹凸の激しい火山には適さなかったからだ)。

 という訳で全員分の組み立てをデルフィナに任せ、ミリーとステラ、リオンとディノの男女ペアで食糧と薪集めをすることになった。

 夕陽に焼かれ始めた森を進みながら、ミリーは後ろから付いてくる少女へ意識を傾ける。

 さて、考えが決まったら次は行動に移さなければ。問題はこういった経験が皆無に近いことか。

(うーん、どーしよっかにゃー)

 口元へ人差し指を当てて困ったように猫目を細めながら、脳内で色々とシミュレートしてみる。



「ステラ、元気出しなよ」

「ミリーさん……」

「ほらほら、そんなしょんぼりしてると……」

「み、ミリーさん……?」

「くすぐりの刑だぁーっ!」

「ミリーさん!」



 ……却下。

 何だこれは。何で擽りの刑? いやだってステラ笑わないし。にしたって擽りの刑って……。ステラ「ミリーさん」しか言ってないじゃん。いやだって何喋るかなんて分かんないし。

 まさかここまで酷いとは。仮にも魔導師(の卵)だというのに自分の想像力に畏れ入った。

 とりあえず状況をもう一度整理しよう。話はそれからでも遅くはない。筈だ。多分。うん。

 当事者はステラとディノ、これは間違いない筈だ。ステラがディノに何かしたというのは先日のデルフィナの口ぶりからも推測出来るし、デルフィナは横槍を入れている感じだろう。

 となれば、先に解決すべきはステラとディノか?

 いや、しかしディノがデルフィナの心情を無視するとも思えない。幼馴染ということもあるし、何よりあの頼りなさそうな少年に、あそこまで自分の為に怒ってくれている者の気持ちをないがしろに出来るとは思えなかった。そう考えると、デルフィナが先かもしれない。彼女の憤慨を取り除けば残りもやり易くなるだろう。だが……。

 先日の葡萄色の少女の様子を思い出す。

(うーん、をなんとかする……?)

 あの冷え切った嫌悪を? 燃えたぎる憎悪を?

(いやー、ムリっしょ)

 動作には出さず、心の中だけで手を振った。

 今日二度目の顔合わせをしたばかりの正真正銘の赤の他人に、あんな激情をどうしろと言うのだ。無理難題だしお節介にもほどがある。

 いや、お節介と言うのならステラとディノに対しても同じだ。これは本人達の問題であって、ミリーは毛程も関わりがないのだから。

(あぁ~もうっ、やっぱあたしじゃムリだよぉ……)

 やはり自分には荷が重過ぎる。結局は振り出しに戻ってしまった。

 そもそもこうやってゴチャゴチャ考えること自体、性に合っていないのだ。全部を全部曝け出す訳ではないが、基本的に思ったことはスパッと言うのが自身の性質たちというものであり、それ以前にあの鬱陶しい空気をなんとかしてイライラをなくすのが目的であって、その為にこんな風に頭を悩ませてストレスを溜めるのは本末転倒だと思った。

 木々の隙間から覗く茜色の空を見上げる。

(……お姉ちゃんなら、こういう時も上手くやれたんだろうなぁ)

 短い溜め息と共に浮かんだ思考は、次に息を吸った時には消えていた。



        †   †   †



 ディノ達と再開して以来、夢を見るようになった。

 昔の夢だ。こちらへ来てからはあまり見ることのなくなった、ほんの一年ばかり前までの夢だった。

 近年稀に見る才覚に溢れた姉兄を持つステラは、幼少の頃より何かと比較され続けてきた。それは勉学のみならず魔導師としての資質に於いても同じであり、寧ろ〝火の一族〟と並ぶ大貴族ティエラの末娘としては、そちらの方が風当たりは厳しかった。自身の生まれ持った〝力〟の所為でしょっちゅう物を壊してしまっていた為、〝力〟の制御もろくに出来ない未熟者以下と見做みなされてきたのだ。

 まだ幼いからという言い訳は出来なかった。優秀な姉と兄は同じ年頃でもきちんと〝力〟を使いこなしていたのだから、そんなことは口にさえ出せなかった。そんな姉達を尊敬していたし、古来より人々を導き、他者の生命いのちを救うことを生業としてきた一族を誇りに思ってもいたからこそ、ステラに出来たのは唯一、家名に恥じぬ人間となるよう努力することだけだった。

 一般科目に関しては、元々勉強することが苦でなかったのと、毎日の予習復習をきちんと行っていたおかげで、姉達と同じく常に学年トップという立ち位置にいられた。勿論成績という上限の決められた枠の中で同じだったからといって、それで姉達と本当に肩を並べられた訳ではないので、比較されることはなくとも褒められることもなかった。

 問題だったのは、四年生から学ぶ魔法と武術だった。〝力〟を上手く制御しきれないステラにとって魔力のコントロールは意気込み虚しく困難を極め、武術に至っては授業用の模擬武器自体が加護によって強化された腕力に耐えられずすぐに使い物にならなくなってしまい、またちょっとしたことで鍛錬相手に大怪我を負わせてしまう為、満足に組み手も出来なかった。結果、授業の殆どは独り空手のまま型の練習といったものばかりで、最初の一年の総合成績は下から数えた方がまだ早いという微妙な――本人にとっては散々な――ものだった。

 問題があったのは勉学だけではない。日常生活では物に触れるのに細心の注意を払わなければならなかったし、それでも頻繁に学校の備品を壊してしまって、一部のクラスメイトからは「怪力女」だとかそんな風に呼ばれていた。自我のしっかりしてくる十歳頃になると、備品と同じようになってしまうのが恐ろしくて他人と触れることさえ出来なくなり、その所為で他者と関わることそのものを避けるようになってしまい、元来少し内気な性格だったことと相俟あいまって、家庭でも学校でも孤独な時間を過ごすようになった。

 変化が訪れたのはその翌年、五年生へ上がる年の休暇中に、行きずりの男と出逢ってからだった。

 一年が過ぎようとしているのに未だに初歩中の初歩の魔法さえ上手く使えないことに頭を悩ませていたステラに、男は当面の対処法としてコツを教えてくれた。

 難しいことではなかった。ただ気持ちを落ち着けて、感情を心の水底に沈めるだけという男の言葉を半信半疑で実践してみると、あれだけの苦悩はあっさり解決してしまった。

 練習すれば感情を完全に殺さなくても出来るようになると言った男は、

「これはあくまでも対処法だけど、君ならいつかちゃんと扱えるようになる」

 続けてそう言うと、初めてきちんとした魔法を使えたことに感激のあまり泣いてしまったステラに、どこからか取り出したその大人の男さえも隠してしまうような巨大な剣を譲り、出し入れの仕方を教えて去っていった。剣身に薄っすらと赤と茶の入り混じった輝きを纏う大剣は〝力〟を抑えたままでは持つことすら適わなかったが、これまでの物と違い、ステラが扱ってもヒビ一つ入らなかった。

 それからというもの、ステラは色々な物に触れる喜びを押し殺した感情の内に秘め、次々と新しい魔法を覚え、身の丈に合わない大剣を扱う為の動きの研究に明け暮れるようになった。

 感情を殺さずに〝力〟を制御するのは難しかった。特に初めの頃はちょっとしたことですぐ沈めた感情が浮き上がってしまうので、まずは抑え続ける訓練をし、それから徐々に感情を解放していくようにした。その為最初の内は感情の希薄なままで過ごさなければならなかったが、孤立していたステラの変化に周囲は訝しげに眉を寄せるか、或いはからかってくる男子が幾らやっても反応を示さないのでつまらなそうにするくらいで、不都合はなかった。感情を殺すことで孤独やプレッシャーにも堪えられたし、いつかきちんと〝力〟を制御出来るようになればまたクラスメイト達とも話せるようになると思っていた。

 これとは違って、魔法の習得は飛躍的な成果を上げた。元々〝力〟の制御だけが問題であった為、まじめで魔法構成理論や創造力に長け、ルナ曰く千年に一度あるかないかの才能を秘めたステラがクラスのトップとなるのは時間の問題だった。特に一族の代名詞である治癒魔法は、それこそその名に恥じぬ実力を発揮していった。

 譲り受けた大剣を扱うには、授業で学ぶ武術はあまり意味を成さなかった。初めての授業で選択出来る武器の種類は豊富で一学年ごとに替えられるが、男子が主に選ぶ剣術ではあの大き過ぎる刃を操るような動きは取らないし、また授業で模擬武器ではなく自分の武器を使えるようになるのは六年生からだったし、そもそもステラが最初に選んだのは大多数の女子と同じく棒術だったからだ。

 五年生で武術の選択を棒術から剣術へ変えたステラは、授業が終わると校内の誰も来ないような場所で人知れず剣を振るった。魔法と違い大剣を扱うには〝力〟を解放しなくてはならず、誤って誰かを怪我させる訳にはいかないので、独りという状況は寧ろ好都合だった。図書室でより専門的な剣術の本を調べ、授業中は無為な型の練習をしながら想像だけで復習し、放課後になると実際に手に取って試していった。

 そうした弛まぬ努力と、(本人はそうは思わずとも)持ち合わせていた才能の助力もあって、その年の終わりには魔法の成績も一番となり、ある程度なら感情を殺さずとも〝力〟を抑えることが出来るようになった。また身の入った鍛錬のおかげか、感情を殺したままではあるものの、武術の授業では武器を壊さずに組み手が出来るようになり、大剣の動きを応用することで遊び半分でやっていた多くのクラスメイトと差を付けていった。僅か一年足らずという、驚異的な速度の成長だった。

 総合成績も学年トップになり、まだ興奮したり動揺したりすれば制御は難しくなるが、日常生活での支障がなくなってクラスメイトともまた普通に話せると安堵したステラは、これでようやく周囲も少しは自分のことを認めてくれるだろうと思っていた。

 だがその淡い期待は、成績表を一瞥した父の眼を見た瞬間粉々に打ち砕かれた。

 一般科目と違い、魔法と武術には通常の成績とは別に細かい能力数値が割り振られる。成績評価上は同じだが、その中身を見比べるとステラと姉達の間には大きな差があったのだ。

 また認めて貰えなかった。その事実が重く圧し掛かる。努力の質が濃厚だった分、一時の安堵で緩んでいた心に亀裂が生じた。

 それでもステラの心は折れなかった。明確な成長が成績に表れたおかげで、また頑張ろうと思えたのだ。六年生になれば授業でも大剣を使える為、武術の成績はさらに上がるという見込みもあった。

 案の定、六年生へ上がって最初の実力テストで、ステラはその実力を遺憾なく発揮した。身の丈に合わない巨大な剣にざわめくクラスメイトの眼前で、稽古相手を圧倒してみせた。

 ――それが間違いだった。

 その翌朝登校すると、教室が異様な空気に包まれていることに気付いた。ステラはいつも以上によそよそしいクラスメイト達に首を傾げたが、気にせず席へ着き、隣の者に話し掛けた。〝力〟の制御に慣れてきた最近は、低学年の頃程とはいかないまでも他人と接するよう努めていた。

 ところが、そのクラスメイトは一言返すだけでそそくさとどこかへ行ってしまった。やはりよそよそしいと思いながらも深く追及はせず授業が始まり、昼休みになったところで異変が起きた。

 手洗いから戻ると、直前まであった筈の次の授業で使う教科書が見当たらなかったのだ。

 前日にきちんと鞄へ入れた記憶はあるし、朝も確かに教室へ来てすぐ机に入れた筈だ。だが近くの子に訊いても分からず、結局見付からないまま授業が始まってしまい、仕方なく失くしたと担任に説明したステラは、当然叱られた。そしてどこからか聞こえた息を潜めた笑い声で、ようやく理解した。ステラをいつもからかってくる男子達が隠したのだ。

 だが腑に落ちない。何故、他の子達は何も言ってくれないのだろうか。昼休みにほんの数分席を外した間の出来事なのだ。誰もそれを目撃していないなんてことはありえない。何故ステラが訊いて回った時、居心地悪そうに言葉を濁したのか。

 その理由が判ったのは、男子達の行いがみるみるエスカレートしていった後だった。

 彼らは、怖かったのだ。ステラの味方をして自分も被害者となることが。そして、巨大な剣を操りクラスメイトを圧倒した、ステラのことが。その〝力〟が。あの異様な雰囲気は後者から来るものだったのだと理解した。

 訪れた変化の結末は残酷だった。

 からかいを越えていじめとなった行為は日を追うごとに酷くなっていき、衣服や身体が傷付くのも珍しくなくなった。誰かが助けてくれることもなかった。皮肉なことに、周囲に認めて貰う為の必死の努力がステラをより孤立させていたのだと、その時になってようやく気が付いた。気が付いた時には、もう遅かった。

 それでもステラは、汚れた衣服や擦り傷だらけの身体に眉を寄せる家族や使用人達に真実を話せなかった。弱いところを見せて一族の恥だと見放されることが怖かったのだ。ただ必死に耐え、忍び、そして孤独は深まっていった。……泣き叫ぶ心は、もう限界だった。

 夢の最後に出てくるのは、決まって笑い声だった。愉快そうに響く声から逃げるように走り、蹲り、耳を塞ぐ。独りの世界に閉じ籠る。どこか遠くへ行きたいと願う。暗闇の先に助けを乞う。あの男子達が追い掛けてきたのか、不意に肩を掴まれた。

 その瞬間、ヒビだらけの心が砕け散り、視界が真っ赤に染まった。

 極限状態に陥った防衛本能が過剰反応した結果に、ステラの意識は追い付かなかった。気付けば例の男子達が大人達相手に喚き、目の前で横たわっていた男の子が慌ただしく担架へ担ぎ込まれていた。ふと頬がべとべとする感触を覚え、重みを抱いた右手へ視線を下ろすと、いつの間にかあの巨大な剣が握られていた。大きな刃も、柄を握る小さな手も、男の子が横たわっていた場所と同じく、鮮やかな赤色に彩られていた。

 担架に乗せられた男の子が運ばれていく。苦しげに呻くその少年の顔が、ちらりと瞳に映った。

 嫌に速い心臓の鼓動が、内側から殴られ続けているように大きく鳴り響いた。



 血塗れで痛みにもがくその男の子は、いじめとは何の関わりもない、ただのクラスメイトだった。



        †   †   †



 食糧班のディノとリオンは、ステラ達とは真逆の方角を進んでいた。

 薪はともかく、当日の食糧なら街から持ってくれば手間が省けるし、密閉された空間に水の魔石や氷の魔石を一緒に入れておけば、ある程度は保存方法にも困らない。さらに言えば、空間拡張と重量軽減の魔導技術が導入されたリュックを担いでいるのだから、他の荷物も含めたうえで、数日分の食糧を入れても邪魔になることなどない。

 にも拘らず彼らがこうして森を散策しているのは、別に食糧を用意する代金を渋ったからではない。彼らはただ学園側から指示された内容に従っているだけなのだ。

 ガーデンの野外実習では、それぞれの内容に沿って荷物の制限が課せられている。持って行こうと思えば幾らでも持って行けるだけに、そのままでは将来的に手元に食糧がない状況下に対応出来なくなってしまうからだ。その為、大概は街から移動する当日一日目の朝昼食のみ携帯が許されており、後は全て自給自足を原則としていた(長期間の実習や道中に寄った街での補給はこの限りではない)。また食糧制限の他に、荷物の重量制限などもそれぞれ指定されている。

「んーっと……」

 燃え上がる夕陽に包まれた森に、ディノは目を行き渡らせる。

 道中の主だった食糧としては、木の実や非魔法生物の肉は勿論、獣型や魚介型の魔物などもその範疇はんちゅうに含まれる。肉質的な意味では、大半の魔法生物と非魔法生物の体構造にそれほど差はないのだ(無論、新入生クエストの時のストーンガルムのように食用に適さないものもあるが、それは通常の動植物とて変わらない)。

 それらの種としての違い以上に明確な差は、当然ではあるが、魔力とそれに要する体内器官の有無だ。またその他に強靭な肉体を持つことなども魔法生物の特徴として挙げられるが、逆に言えば、それらを除けば非魔法生物との差は殆どないとも言える。もっとも、上位種ほど言語を介せられる知性と理性を兼ね備えているというのは、非魔法生物では決して持ちえない特徴なのだが。

 肉体的な強さでは遥かに勝る魔法生物だが、彼らは非魔法生物を己が生きる糧とはしない。人間と違い、彼らの空腹を満たせるのは同じ魔法生物の肉であり、その魔力なのだ。極論を言ってしまえば、彼らは食事を摂らなくても、大気中の魔力を取り込むだけで長期間生きていけるということだ。故にこそ、彼らと非魔法生物との間に縄張り争いといったいさかいはなく、互いに不干渉を貫くことで共存しているのだった(非魔法生物側からの争いがあるかどうかは、魔法生物の戦闘能力を以てして、推して知るべしという結論に達するだろう)。

 さておき、ディノはどこかに手頃な獲物が居ないものかと目を配っていたのだが、視界に入るのは虫、虫、虫の三択一解で、ガルムどころか小リスさえも見当たらなかった。

 虫にも魔力を持つ虫と持たない虫がおり、そしてどちらに限らず食用の虫というのも勿論居る。が、

(フィーナ、絶対怒るだろうな……)

 今頃一人テントを組み立てているであろう少女のことを考えると、その選択は死刑宣告に等しかった。デルフィナへのものなのかそれともディノへのものなのかは、敢えて考えないでおく。

 それでなくとも、「虫を食べる」という行為は街育ちの彼らの一般常識の枠からは外れているのだ。捕獲という選択肢を採らなかったディノを責める者が居たとしたら、そいつの口に翅虫はむしを無理矢理突っ込んでも構わないと取って然るべきだと、デルフィナが憤慨しそうなものだと苦い顔をした。

「どうかした?」

 リオンが小首を傾げた。

「……いや、何でもないよ。それより、全然見付からないね」

「虫ならいるんだけどね」

 同じことを考えていたのだろう、リオンもそれを食糧にしようなどとは言わなかった。

「けど、さすがに手ぶらで帰るわけにはいかないし……」

 虫を持ち帰っても怒られるが、何も採らずにおめおめと帰っても怒られてしまうことは明白だった。何より、それでは自分達も空きっ腹で朝を迎えなければならない。

 どうしたものかとディノが思案していると、

「うーん……仕方ない、肉は諦めようか」

 リオンがそんなことを言い出して、前を歩き始めた。

「ウィンジア?」

 眉を寄せながらディノも後を追った。

 しばらくして立ち止まったリオンは、傍にあった木へと歩み寄り、何かを確かめるように幹へ触れる。

「……うん、これがいいかな。ちょっと待ってて」

「え?」

 ディノが一方的に告げられて戸惑っている間に、暗い緑色の光がリオンの身を包み込んだ。

 リオンは木の上方を見上げると、

「っ」

 少し膝を曲げ、高く跳躍した。

 一足飛びで枝葉の中へ突っ込んでいったのをディノが呆然と眺めていた先で、葉が数度ガサゴソと揺れる。

「セルヴァ」

「え? わっ……!」

 突然飛び出してきた何かを、慌てて受け止めた。拳大ほどの大きさの果実だった。色からして柑橘類だろうか。

 そんなことを考えているうちに、次々と果実が放られてきて、全てを慌ててキャッチする。腕に抱えなければ持てないくらいの数になると、最後に枝葉の中から一際大きい影が落ちてきた。

 言わずもがな、それは飛び降りたリオンだった。

「ふう。あともう二、三種類くらいあればいいかな」

「……ウィンジア、君って森の中で暮らしでもしてたのかい?」

「いや? まあ都会ではなかったけど」

 驚いたというよりはどこか呆れた顔をしたディノに、リオンは不思議そうな声を返した。こんな風にすぐ見付けられるのなら、最初からやってくれれば良いものを。

「とりあえずさっさと残りも集めようか。種類はあんまりないけど数でごまかしちゃえばいいだろ」

 持ってきた皮袋に果実を詰めて、リオンが僅かに前を行く形で再び歩き出した。

「そういえば、セルヴァはどうしてこっちに来たの?」

「ん?」

「ほら、ステラと同じクラスだったってことは医療学院付属の基礎学校だったんだよね? なのにどうしてそのまま進学しなかったのかなって」

「ああ……」

 自分達の通っていた学校が医療学院付属のところだったということは知っているのか、と思いながら、ではこの少年はどこまで知っているのだろうかと少し答えを躊躇する。

「そうだね……後悔っていうのは先に立たないものなんだなって思い知らされた。だから僕はここにいるんだと思う」

「それは、ステラが落ち込んでたり、オリソンテさんが怒ってるのと関係あるんだよね?」

「…………」

 口を閉ざす。この状況でのそれは肯定を意味すると解ってはいたが、ディノは右腕をきつく掴むだけで答えなかった。

 その理由を知ってか知らずか、リオンは続ける。

「一応言っとくと、ステラとはこっちに来てすぐからの付き合いだけど、別に肩入れするつもりはないよ。君たちの事情は知らないし。もちろん、一方的に嫌われてるからってオリソンテさんといがみ合うつもりもさらさらない」

 あの態度はちょっと面倒だけど、と困ったように付け足した。

「ただ僕は知りたいんだ。ステラが何かした相手だろう君は、何故かオリソンテさんみたいに怒りを覚えてはいない。彼女の怒り具合を見てたらよっぽどのことがあったんだと思うけど」

「それは……」 

 自分は元々怒るのが苦手なのだ。それに自分に近い人があんな風に憤慨していたら、逆にこっちは冷静になってしまうというものだ。

 そう言おうとしたディノは、

「どうして君は、ステラと同じような顔をしているの?」

 喉元まで出掛っていた言葉が胃へと引っ込んでいったのを感じた。

 ステラと同じ顔。それはつまり、「罪」の意識に苛まれている表情ということだ。確かに今日の自分は明るい表情ではなかっただろう。だがそれでも、あれほどまでに沈んだ表情はしていない筈だ。それをどうして、この少年は同じ表情だと確信を持って言えるのだ?

「……何言ってるんだよ。僕が暗かったのは、ただステラとフィーナの雰囲気に当てられただけだよ」

 そうだ。その通りだ。ディノは心の中で頷いた。

 数千分の一の一乗目は、自分とステラが同じ班になること。二乗目はデルフィナとステラが一緒になること。そして三乗目は、三人揃って同じ班を組むこと。

 入学式の日から予想していた最悪の状況がものの見事に的中してしまって、少し憂鬱になっていただけなのだ。

「まあ君がそう言うのなら、そういうことにしておくよ。人に言えないことっていうのは誰でも抱えてるものだしね」

 だから違うんだと言ってやりたかったが、ここでムキになると図星を突かれたみたいになると思い、止まった。

「ところで話は変わるけど」

 何の気なしに、リオンは空を仰いだ。

「剣や刀につばって部分があるだろ? あれってさ、敵の攻撃から手を護る役割もあるけど、元々は柄を握った手が滑って刃で怪我しないように止めるための、所謂いわゆるストッパーなんだって」

「?」

 本当に何の脈絡もない台詞に、ディノは顔を顰めた。

 顰めてすぐ、気付いた。

「まさか……!」



        †   †   †



 大きくなったら、お嫁さんになってあげる。

 そんな微笑ましくも恥ずかしい約束をしたこともあった。大きくなるにつれてそういう直接的なことは言わなくなったし、そもそもそんな物心付く前の約束に拘束力などがあるとも思わないし、してやその為に何か行動を起こそうなんて考えもしなかった。

 けれど歳を重ねるごとに、代わりにもっと具体的な、明確な意志を擁した約束が増えていった。

「医者になって互いの両親の跡を継ぐ」。これ自体は約束というよりただ漠然と抱いていた未来だったが、「一緒に医療学院へ通い、卒業しても互いに助け合っていこう」という約束は、どちらからともなく言い出し、指切りまでした、幼い決意を乗せた確かな約束であり、大切な夢だった。

 幾ら医療学院付属の基礎学校とはいえ、卒業生の誰もが形だけの試験を受けるだけで入学出来はしない。だからその未来の為に苦手な座学も頑張って、ようやくあと半年ちょっとすれば卒業というところまで来た。

 そしてそこで、夢は壊された。

「…………」

 一人テントを張るデルフィナは、一旦手を止めた。

 簡易化が進んでいるとはいえ、一人で五人分はやはり疲れる。とりあえず二人分張ったところで小休止することにして(勿論真っ先に済ませたのは自分とディノの分だ)、畔の先に広がる湖を見やった。

 微かに波打つ湖は、茜色に輝く太陽の光を眩しく反射する。日没まであと一、二時間ほどといったところだろう。日没後に森を歩くのは危険なので、ディノ達が戻ってくるのもそのくらいだ。それまでにはテントを全て張り終えて、夕食の準備をする為に水を汲んでおかなければならない。

「なんでわたしがあいつらの分まで……」

 不満げに漏らしたが、自分で言い出したことでもあった。何よりやらなければディノに本気で叱られるだろうし、それは嫌だ。

「ディノってば甘いんだから」

 思い浮かべた馴染み過ぎた顔に、文句をぶつけた。

 頼りない癖に優しいのは昔から変わらない。いや、あれは優しいというより人が善過ぎると言った方が正しいだろう。良心の呵責かしゃくにすぐ音を上げてしまって悪いことなど一つも出来ない、損な性格なのだ。

 別にそれ自体がいけないなんて思っていない。それはディノの悪いところ以上に良いところだし、そういう部分に惹かれたのも事実だった。

 しかし、今回ばかりは納得いかない。とその友達に親切にしてやるなど反吐が出る。

 あの夏の日、まったく唐突に、二人の夢は失われた。デルフィナが病院へ駆け付けた時には手術を終えたディノが右腕に包帯を巻き付けて、病室のベッドから外を眺めていた。

 息切れしたデルフィナに気付いた彼は、ただ弱々しく微笑んで、謝った。

「ごめん、フィーナ」と。

 彼が何に対して謝罪したのか、デルフィナにはすぐに解った。

 ディノの右腕は、切断とまではいかずとも重傷だった。特に魔力を集め、操る為の神経――魔力神経が破壊されてしまい、それが肉体を巡る他の魔力神経にまで影響を及ぼし、魔導師として致命的な欠陥を負ってしまったのだという。幾ら治癒魔法が自己治癒力を高めるとはいえ、死んでしまった神経を治すことは出来なかったのだ。

 それはつまり、魔導医としての未来が壊され、二人の夢が奪われたことを意味していた。

 信じたくなかった。微笑んだまま困ったように説明するディノの言葉が無理矢理脳に叩き込まれるのを防ぐ為に、デルフィナはその場から逃げ出した。逃げ出しても、彼の言葉は締め出せなかった。

 心に降り頻る豪雨の中で考えた。どうしてディノがこんな目に遭わなければならない。悪いことなんて何もやっていない、出来ない彼に、何故運命はこんな仕打ちをするのだと、呪いの言葉を吐き続けた。

 ……いや、違う。

 豪雨が、湧き上がる灼熱で蒸発した。

 運命なんかじゃない。これは、人の手による罪だ。誰かがディノを、あんな状態に陥れたのだ。

 では、裁かれるべきそいつは一体どこに居る。その罪人は誰だ。

 ほどなくして、デルフィナはその正体を知った。あの成績と家柄ばかり優秀な怪力女が、その優しさから声を掛けたディノを傷付けたらしい。

 知ってすぐに、デルフィナは復讐してやろうと彼女へ挑んだ。ディノと同じ目に遭わせて、彼女にも絶望を味あわせてやりたかった。だがそれは周囲に止められてしまった。無理矢理振り切ってやろうにも、大人まで出しゃばってきたので出来なかった。何度もそうしているうちに目を付けられたらしく、罪人の周りには常に監視の目が付き纏うようになってしまい、何も出来ないまま月日はどんどん流れていった。

 それからしばらくして、退院したディノがガーデンへ行くと言い出した。デルフィナには良く解らないが、なんだか偉い人のおかげである程度は回復したらしく、リハビリも兼ねているのだという。ただし、繊細な魔力操作を必要とする治癒魔法は将来的にも使えないと、僅かに抱いた希望を打ち砕かれた。

 それでもディノを支えたくて、デルフィナは一緒にやってきた。親同士の付き合いがあるおかげか、幸い両親は納得してくれた。新しい生活の中で、ディノが少しでも早く新しい道を探せることを心の底から願っていた。

 そしてつい一週間ほど前、新入生クエストを終えた折に、は耳に届いた。

 何やら、Sクラスを受け、達成した班が居たらしい。中間試験もあるというのに、学年中その話で持ち切りだった。デルフィナ自身多少は興味があったものの、それよりも目先の試験の方が重要だと割り切ろうとした。

 ところが、聞き覚えのある名前が飛び込んできて意識を占拠されてしまった。

 まさかと思い、デルフィナはすぐ話していたクラスメイトへ訊き返した。ある訳がないと心の中では自嘲していた。

「だから、ステラ=ユィ=エル=ティエラさんだよ。すごいよね」

 もう一人はリオン=なんたらと言うそうだが、新入生クエストで知り合った友人のまるで憧れでもするような声は、頭の中に入ってこなかった。その時の思考は疑念に満たされていて、それ以外を考える余裕がなかった。

 何故、ここでその名を耳にする? あいつはいけしゃあしゃあと医療学院へ通っているのではないのか。それとも、あんなのと同姓同名の奴が居るというのか。だとしたらそいつは生まれながらの不幸者だ。心底同情する。

 そんな願望とも言える考えを余所に、疑念はみるみる確信へ変わっていった。極め付けは今回の実習の通知だった。疑いようのない事実が、手に持った用紙に滲んでいた。

 それから間もなくして、デルフィナは二度と見ることも、見たくもなかった顔を、再び見ることになる。

 衝撃だった。何が衝撃だったかというと、ステラが友達なんてものを作って普通に学園生活を送っていることが信じられなかった。他人の夢を奪っておいて、よもやそんな資格があると思っているのか、あの女は。

 不意の光景を目にした瞬間、自身の中で氷に覆われていた一年前の憎悪が、再び沸騰したのを感じた。

 ――雑に組み立てた二つのテントから、視線を移す。

 案外、ここで再会したのは自身にとって良かったのかもしれない。ここなら、事情を知る者は当事者同士しか居ないのだ。

 ディノは怒るだろう。何故だか知らないが、彼はステラを妙に庇っている。それが持ち前の人の善さから来るものなのか、何か思うところがあるのかは解らない。

 解らないから、デルフィナはそれ以上考えるのをやめ、決断した。



 放り出された組み立て前のテントが、湖畔へ打ち寄せる波の音を無言で受けた。


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