第三夜 王家の事情

1:お茶会

「それでは、スティラーアさま。今日はここまでにしましょう」

「ありがとうございました」

 美衣歌は広げていた紙をまとめ、インク瓶に蓋をする。

 ファリー夫人は開いていた本を閉じた。

 それを合図に、イアが紅茶の準備を始めた。

 勉強机と別に、ソファが置かれたテーブルが部屋にある。お菓子の置かれたプレート、カップにソーサーが手早く置かれ、質素だったテーブルの上が華やかになっていく。

 美衣歌はファリー夫人とソファに腰掛けた。

「スティラーアさま、明日お茶会が庭園で開かれるとお伺いしましたが、参加なさるそうですね」

 今朝、クレストファから聞いたお茶会の話をどこで聞いてきたのだろう。

「は、はい。そうです」

「ニコジェンヌさまが主催され、ニコジェンヌさまのご友人方と、第二皇妃さまのご息女さまが来られるそうですね?」

 主催者と参加する人まで知ってるとは。どこで耳にしてきたのだろう。

「そのようです……」

 婚約式の夜のパーティーで、アルフォンをけなした勝気な少女の顔が浮かぶ。

 美衣歌のもっとも苦手とし、積極的に関わろうとしたくないタイプでもある。

 女性同士の集まりで気が進まない上に、ニコジェンヌの友人がいるとなると完全に美衣歌は、場違いなところへ迷い込んだ気分になりそうだ。

 お茶会の参加を断ろうと、イアに向き直る。

「すでに参加しますと返事してあるそうですよ、スティラーアさま」

 イアはにっこりと満面の笑みを見せた。

「そうですか……」

 美衣歌か断ると知ってなのか、イアに先に先手を打たれてしまった。

 後から参加できませんと断るにも理由がいる。魔法で自由に動ける範囲を縛られている美衣歌は城を出ていけない。そうなると参加できない理由がなくなってしまった。断れず、了承する以外の返事は返せない。

「では、お茶会のちょっとした気遣いをお教えしましょうか」

 ファリー夫人は一度口をつけたカップをソーサーに戻した。

「よろしくお願いします!」

 美衣歌は縋る思いで、お願いをしたのだった。


 ファリー夫人の教えは的確で、作法はかろうじて他人に見せられる程度までになった。優雅さ、気品さが全く欠けているものの、徐々に身についていくだろう。

 明日のお茶会に誘ってきた相手はニコジェンヌ。

 とても優雅にお茶を楽しむ余裕なんてありそうもない。




 身体の線が細く見えるように、コルセットをきつく締め、薄い青のドレスを着る。ドレスは五分袖になっていて、腰が引き締まるようになっている。ドレスの下にペチコートをはくと、スカートがふんわりとひろがった。

「うう、緊張する……」

 美衣歌はアルフォンの婚約者として、お茶会に参加する。

 お茶会に出る準備の時点で、緊張して手足が震えている。

(落ち着かなきゃ)

 深呼吸をして身体の緊張をほぐしていく。

 とにかく、無事にお茶会が終わってくれればいいのだ。


 お茶会は王城の一室で、美衣歌が部屋に入るとすでに参加者が皆集まっていた。

 美衣歌の遅れに皆がツンとしていた。美衣歌が部屋に入る前、扉越しに聞こえてきた弾んだ声と、漂ってくる穏やかな雰囲気が全くない。

 主催者であるニコジェンヌは席に座って、美衣歌を冷たい視線で迎えた。

(……うう、帰りたい)

 すでに、心が折れそうになる。

「遅くなって、申し訳ありません」

 部屋に入って、時間に遅れてしまったと、謝罪した。

 指定された時間よりも随分早く来たのだが、それよりもはるかに早く参加者が部屋にきていたのだ。

「スティラーアさま。わたくし、時間はお伝えしましたよね?」

「そう、ですね」

「折角用意した焼きたてのスコーンが冷めてしまったわ」

 あからさますぎる嫌味だ。テーブルに置かれたスコーン。そこから白いものがたちのぼっている。

 美衣歌には出来立てにしか見えない。

「出来立てを食べ損ねて残念です……。紅茶の方は冷めてしまいましたか?」

「そうね、冷めてしまったわ」

 ニコジェンヌがつんと素っ気なく返す。

 ニコジェンヌの後ろに立っている給仕が持っている大きなポットから湯気がみえる。

「とても美味しそうな湯気がポットから見えるんですが、いれたてみたいですね」

 スコーンとは別に、給仕がポットを慌てて背に隠す。

 隠した場所から湯気が立ち、湯を入れて蒸しているところだと一目でわかる。

 こういう時の対処法をファリー夫人から教えてもらっていなければ、なにも言い返せなかった。

「い、いま二回目を入れ直しているところですのよ」

「それなら、カップは裏返されていないはずですよね?」

 上手く逃げられ、今度はテーブルにそれぞれ置かれたティーカップを指摘した。

 薄い色の綺麗な薔薇が描かれたカップは、全て底が上にされてティーソーサーに置かれていた。

「ふふ、ニコジェンヌさまの負けですね。さあ、スティラーアさま。こちらにお座りになって。紅茶ができるまでまだ、時間がかかりますから」

 ニコジェンヌがなにか言い返すことを探して、口を噤んだその間に、ニコジェンヌの右隣に座っている女性が微笑んだ。

 薄い青が混じった金色の髪を波うたせ、蒼い瞳をした落ち着いた女性。両手をテーブルの下に隠し、首にとても大きな透明の宝石があしらわれたネックレスをしていた。

 美衣歌はニコジェンヌの左隣に空いている椅子に座った。

 ニコジェンヌは美衣歌をちらりと盗み見て、目が合うと慌てて紅茶のポットへ視線を向ける。そむけた横顔は頬が赤く染まっていた。

『いいですか? ニコジェンヌさまはアルフォン殿下よりもケイルス殿下を大変お慕いしています。ケイルス殿下はアルフォン殿下よりも魔力をお持ちで、魔法も使われます。そして同じように、魔力のあるスティラーアさまのことは尊敬を通り越して敬愛していました。だからこそ、魔法が扱えないアルフォン殿下の婚約者となられたスティラーアさまの選択が気に入らないのです』

 ファリー夫人から、ニコジェンヌのことは聞いていた。それを聞いていなかったら、ニコジェンヌが頬を染めた理由に思い至らず首をかしげていたに違いない。

(本当に好きなんだなぁ。彼女のこと)

 誰かを尊敬したりすることがなかった美衣歌にはさっぱりわからない感情だ。

「スティラーアさま、お久しぶりです。覚えていますか?」

 左隣に座る女性から、訊ねられた。

『スティラーアさまは以前こちらの王城へ、フィリアルさまから魔法の知識を学ぶために一年間滞在していたことがありました。その時、とても仲良くされていた方がおられました。お名前は……』

 ファリー夫人が教えてくれた特徴から、一人の女性の名前を思い出した。

「あ、はい。セレーナさま、お久しぶりです。以前はお世話になりました」

 本物のスティラーアとして、挨拶をした。

 ニコジェンヌの友人だという女性二人が順に名前を言った。

「このたびはアルフォン殿下とご婚約おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 美衣歌は緊張しながら笑みを浮かべた。

 おめでとうと言ってくれたのはニコジェンヌ以外の三人。ニコジェンヌは婚約と聞いて表情がむっとなった。アルフォンの婚約は認めていないと言っているかのようだ。

「失礼ですが……。婚約指輪を見せていただいてもよろしいでしょうか?」

 ニコジェンヌの伯爵位をもつ友人が遠慮がちに尋ねてきた。

「いいですよ」

 美衣歌は快くうなずき、左手の甲を胸の前にもってきた。二本の指輪がシャンデリアの光をはじいて輝きを増す。

 美衣歌の隣に座っているもう一人の公爵位をもつ友人が、瞳を輝かせるだけで、指輪へ手を伸ばしてくることはない。こちらの友人は大丈夫そうだ。

「指の根元に近い方が婚約式で交換された指輪ですよね?」

「そうです」

「もう一つの指輪はアルフォン殿下から?」

「そ、そうです」

「まぁ、とてもいいですわ! スティラーアさまによくお似合いです」

 褒めて、きれいな指輪にうっとりとした。

 美衣歌の隣のニコジェンヌは、相手がアルフォンで不満ながらも指輪は気になるらしい。

「よく見せてくれてもよくって?」

 予想はしていたけれど、油断した。ニコジェンヌは美衣歌の手を自分に引き寄せたのだ。

 あろうことか、指輪に手を伸ばしている。

『この指輪に誰も触れさせることはするな。指輪が外れることがばれる。あと、この指輪、外されるなよ。特にニコには気をつけろ。あいつは指輪を抜いてくる』

 ニコジェンヌが主催するお茶会に出席すると聞いたアルフォンが、昨夜部屋に来て注意を促してきた。

 その通りで、今にも指輪が抜き取られそうだ。

(指輪に触られたら困る!)

 興味を指輪からそらさないといけない。

 美衣歌の目に、給仕がティーポットを持ち上げたのが映った。

「ニ、ニコジェンヌさま!」

「なんですか」

「紅茶が、できたみたいですよ!」

 主催者であるニコジェンヌのティーカップにきれいな色をした紅茶が注がれる。

 とても甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 フレーバーティーのようだ。

「いい香りね」

 ニコジェンヌの意識が紅茶へ移ったところで、そっと手を引き抜くと、難なく抜けた。薬指に指輪が二つ。ほっと安堵する。大丈夫、指輪は動いていない。

 油断はできない。ニコジェンヌは隣で、それも指輪が近い側。指輪へ興味が戻ってしまったら、今度はとられかねない。

 美衣歌は淹れたての紅茶よりも、スコーンに手を伸ばす。

 暖かいスコーンを一口食べると、口の中で甘さがひろがった。

「それにしてもアル兄さまは、婚約する相手がいらっしゃるなら、先月の夜会でおっしゃればいいのに、と思いません?」

 スコーンを口に頬張った美衣歌に、鋭い視線が突き刺さった。

「スティラーアさま。お兄さまとの婚約……いつ頃お決めになられたのですか?」

 お茶会とは、そんな突っ込んだ話までするのだろうか。噂話をする場だと思っていた。美衣歌はいい噂、悪い噂どちらの話も好きじゃない。

 いい噂なのに、女性が数人集まると、噂の当人を、これでもかと貶す人は必ずいる。ようは羨ましいだけなのに、それを悟られないようにしているのだ。

 そういうグループを見てきた美衣歌は、噂話をお茶のさかなにするようなお茶会はでたくない。楽しくないのがわかるから――。そして、いま。まさにその状況になってしまった。

「ええと、それって、言わなきゃいけないですか?」

 スコーンを飲み込んで、お茶で一息ついてから、ニコジェンヌに向いた。

 彼女は興味津々な目で美衣歌を見ている。

 ここで、この時期です。と、明確に答えたら美衣歌のいない別のお茶会で、噂と陰口を言うつもりだ。

 お茶会の新しい話のネタを提供するつもりはない。

「とっても気になるから。スティラーアさまのような、お母さまの次に魔法を使う技術が優秀な方が、ケイルス兄さまじゃなくてアル兄さまを選んだ理由が私たちは聞きたいのよ」

 ニコジェンヌは紅茶を一口飲んだ。

 集まった女性のうち、ニコジェンヌの友人二人が相槌を打った。婚約までの経緯に興味があるのは、ニコジェンヌだけではなかった。

 セレーナは話を聞いていないのか、テーブルの焼き菓子に手を伸ばしていた。

「すいませんが、アルフォンさまとのなれ初めを今ここで言いたくないです」

 そもそも、魔力を持つスティラーア本人じゃない。お茶会にいるのは、なんの魔力も持たない高校生だ。

「それなら、ケイルス兄さまを選ばなかった理由は? 婚約パーティで聞けなかったのですから、これぐらいなら言えるわよね?」

 ニコジェンヌは口角をあげた。

 納得がいく理由を聞かせてもらいたいと言うことなのか。

 どうもニコジェンヌは、ケイルス推しらしい。ファリー夫人のいうようにニコジェンヌは、ケイルスと一緒になるべきだと決めつけている。

 美衣歌が名前を借りているスティラーアという人は優秀な魔法使い。優秀と言われる人が、魔法が使えないアルフォンを選んだことが気に入らないのだ。

 ニコジェンヌとしては、魔法を使う技量のあるケイルスの方がお似合いだと思っているからこそ、相手にアルフォンを選んだのか理解できない。

 アルフォンよりも、ケイルスの方が魔法を使う力が長けているから、余計に疑問なのだろう。

 なぜ、アルフォンなのか――。

 婚約式のパーティのときと変わらず、アルフォンのことを貶している。

(そんなの、こっちが聞きたいわ)

 どうしてそこまで、アルフォンを慕えないのか。ニコジェンヌとアルフォンの間になにがあったのだろう。

 美衣歌が知ることができないけど、気になる。

「ニコジェンヌさまは、それをお聞きになって、どうしたいのでしょうか」

 美衣歌のなかで、ケイルスに対して、いい印象はこれっぽっちもない。

「もちろん、アルフォン兄さまがどれだけスティラーアさまに向いていないか、力説させてもらうつもりよ」

「それなら、丁重にお断りです。アルフォン殿下がどんなにお優しいか、あなたにお話しする義務は私にない、です」

「なんですって?」

 美衣歌の答えがきにいらないのか、声音こわねが一段低くなる。

「パーティで、魔法が使えないって、見下したあなたが、納得のいく理由を私が話せると思わないです。アルフォンさまが魔法を使えなくてよかったって、思います。魔法がどうとかで、人生を共に歩む人を決めたりしない。その人の性格とか、優しさ、気遣いだとか。そっちの方が大事じゃないですか。私は魔法を使えない、アルフォン殿下だから、彼と婚約したんです。それのなにが――」

 悪いの。

 言い切る前に、ニコジェンヌが怒りに任せて手前にあるカップに入った紅茶をかけられた。

 注がれてから時間のたった紅茶は熱くなかったけれど、ドレスを汚した。

「ニコジェンヌさま、いくらなんでもやり過ぎよ」

 口を閉じていたセレーナがニコジェンヌをたしなめた。

「セレーナお姉さまは黙っていて。あなた、バカなの? 魔法が使えるってこの国ではすごいことなのよ? 魔法が使えるだけでどれだけ優遇してもらえるか!」

 気持ちが高揚したニコジェンヌは、聞きはしなかった。乱暴に椅子から立ち上がり、てのひらを 美衣歌に向ける。

 それだけで、美衣歌は恐怖に目を見開いた。

 思い浮かぶのはフィリアルの姿。

 口角をあげて、勝ち誇った笑みで美衣歌を見下す。

 手にした杖を美衣歌に振り上げ――。

(もう、魔法は、やめて!)

 急いで立ち上がり、脇目もふらず後ずさる。

 距離、とらなければ。離れないと。

『ウィン・ティグラー・フォル!』

 ニコジェンヌは腕の袖の中に杖を隠し持っていた。

 その先端が裾からでて、美衣歌に向く。

「弾き返してみせなさいよ! 簡単でしょ? 母さまからじかに教えてもらったのだから!」

 美衣歌の身体めがけて、ニコジェンヌが放った魔法がまっすぐとんできた。

 薄い青みがかった光は美衣歌を包みこみ、美衣歌の視界を青く染めあげて奪う。

(なに、これ!)

「ぃやっ!」

 なにが起きているのかわからない。

 周りが見えない。人の姿がぼやけて見える。

 青いもや。ゆらゆらと揺れて、人の形をなさなくなる。

 徐々に、頭がぼうっとしてくる。

「どうしたの、早くしなさいよ。早くしないとあなた――」

 ニコジェンヌの声がやけに大きく聞こえる。物音が遠くなって――意識が飛んだ。

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