最近の我らの星活報告

第25話 枯れた技術で空を飛べ！

トリープは死んだ。これはもう、テスカでもどうにもできない。

黒蛇族の能力の及ぶ人間の条件は二つ。一つは愛するに足る人間であること。一つは生きていることだ。

トリープのことは、友人として好きではある。だがそれは愛とは違う、もう少し単純なものだ。よって一つ目の条件には合致しない。もう一つの条件は言わずもがな。

だからテスカにやれることは、彼の亡骸の傍にいることのみだ。

脅威が片付くそのときまで、スバルとの約束を守り続ける。

「やれるものならやってみなさい。単なる地球人類が！」

亀の怪物と化したサンディラが啖呵を切る。

同時に、巨大な部屋の中に寒気が満ちたような感覚が起こり、テスカの心臓が跳ねあがった。

寒気の正体はサンディラの殺意。むせ返る程の死の臭いだ。

――あの亀女、強い！　とてつもなく！

体の奥底から震えが溢れて止まらなくなる。息苦しくてたまらない。一刻も早くこの場から逃げ出したくなるが、足がすくんで動かないという矛盾。

だが、その中にあっても動じないスバルの背中を見て、テスカは自分を奮い立たせる。

恐怖の潮流の中で耐える決意を固めた。

彼はサンディラを見上げ、急に驚く仕草をとる。

「……はっ！　あまりの恐怖に立ったまま気絶してしまっていた！」

テスカは脱力のあまり仰け反ってしまった。

体勢を立て直し、叫ぶ。

「しっかりしろよ！　私じゃそいつに勝てないんだから！　林太がいないし！」

もちろん、テスカも怪人なので第二形態にはなれる。

しかしそれで能力が強化されたとしても林太がいないのであれば意味がない。ただ的が大きくなるだけだ。

スバルは振り返らないまま、ふらふらと手を振って応える。

「わかってるとも。大丈夫だ。もうサンディラの検証は大方終わっている」

「へえ。随分と舐めてくれるっすね」

「二回だ」

半ば被せるような調子でのスバルの宣言。

サンディラがその意味を計りかねていると、バリアにヒビが入った。

ヒビの中心は、ロボの拳。

「オ？」

サンディラが状況を理解する寸前に、再度ロボが腕を振り上げ、寸分たがわず同じ場所、ヒビの中心に拳を叩き込む。ガラス質の何かが割れる音が豪奢に響き渡り、貫通した拳に亀の横顔が破壊される。

「二回攻撃すれば受け止めるバリアは壊れる」

スバルのスーツが風にはためく。ポケットに手を入れている彼は、バリアの破片など意に介さない。

床に落ちた破片は、ふわりと消滅した。

しかし口の中を血で滲ませたサンディラは、余裕を一切崩していない。

一瞬、希望に拳を固めたテスカは、それを見て再度恐れおののく。

――素の防御力、それそのものがバリアみたいなもんじゃねーか！

ダメージはゼロではない。だがこの分だと、千回ほどロボのパンチが入ったところで倒れるかどうかといった調子だ。バリアを崩す手間も考えると三千回ほど攻撃を叩き込まなければならない計算となる。

勝機が未だに一切見えない。

ギロリとロボを視線で捉えたサンディラは、足の筋肉に力を込める。床が貫通するんじゃないかと疑うほどに強く。

「む！　これはいかん！　テスカ！　床のコードが無事なところ……モンスターの後ろに隠れろ！」

スバルの指示を受けて我に返ったテスカは、トリープの体を抱えて、繭のような装置の影へ隠れる。

そこで、テスカは気付いた。あの吹き飛ばすバリアには、弱点があったのだ。それにスバルは既に気付いていた。

床に伸び放題になっていたコード類は、ほとんどがあのバリアに破壊されズタズタになっている。だが、サンディラの対角線上、繭の影となる部分のコードは一切破損していない。

衝撃波ではなく、単純に円形のバリアを瞬時に拡大させ、衝突させる能力。これがサンディラの第二のバリア、吹き飛ばす能力の正体。

当たれば人体がバラバラになる程度の威力はある。だが単純に、それなりの丈夫な盾の後ろにいれば難を逃れることができる。

そして再度訪れる破壊力による蹂躙。やはり、テスカは無事だった。

「スバル！」

破壊力が去った後、繭の影から顔を出す。

スバルはロボの中に隠れることによって難を逃れているようだ。中にいる姿は見えないが、この能力の性質上無事だろう。

一方ロボはというと、ダメージを全身で受けることとなったので、装甲がいくらか吹き飛び、関節部に受けた衝撃によって煙を吹いている。

だがもう一つ、そこにあったのは予想だにしない光景だった。

「貴様の吹き飛ばすバリアの弱点は二つ。一つ目に、不意を打たない限りはチャージに時間を取られてしまうこと。そして二つ目に、破壊力は絶大ではあるが、一瞬で過ぎ去る。つまり防御性能は一切ない。ならば対処法は一つ残る」

巨体の亀の体が、壁にめり込んでいた。ロボの体から立つ煙は、攻撃によるものだけではない。ジェットエンジンによって急加速した直後の残り火だった。

バリアを受けたその瞬間に、渾身の一撃を、最大のエネルギーに乗せて繰り出したのだろう。

そのパンチは、先ほどまでのとは比べ物にならないものだったはずだ。事実、あの巨体が無抵抗に吹っ飛んでいる。

「カウンターに、こっちもチャージが必要な特大の攻撃を繰り出してやればいい。どうやら貴様が出せるバリアは一度に一つのみのようだからな」

スバルは続けて、力強く言い放つ。スピーカーにもダメージが入っているようだが、ノイズが入っているにも関わらず声はよく響く。

「これですっきりした。私に働いた狼藉の分は許してやろう！」

「……何を勘違いしてるんすか」

亀が蠢き、壁から剥がれ、床に落ちた。

甲羅の各所に亀裂が入り、そこから夥しい量の血がしとどに流れ落ちている。

だが、あの眼光は緩んでいない。部屋に充満する殺意も、まったく緩和されていなかった。

「これやると本当に元の姿に戻った後、三日の間、一歩も動けなくなるから凄いイヤなんすけど」

亀は大きく息を吸い、能力を発動させる。

亀の甲羅全体が淡く光り輝き、彼女の周りにバリアが現れた。だが、それだけではない。更にエネルギーを蓄積させるように、甲羅の光が増していく。

「ぬ……！」

「気付いたっすね。そうっす！　このバリアは先ほどの全力の一撃でも破壊できない！　そして今、私が溜めているエネルギーは、あなたたちを欠片も残さず消し去る全力の一撃！」

「違うバリアを同時に使えないというのは勘違いだったか！」

スバルがコクピット内部で見ている分析情報は、明確に、あのバリアが破壊不可能であることを示している。

型落ち機だとはいえど、レッド・プレアデスの戦闘予測装置（バトルシミュレーター）は正確だ。

燃料は充分に残ってはいるものの、先ほどと同じ一撃を加えてもビクともしないだろう。

仮に逃げ出したとしても、サンディラは追ってくる。愚鈍そうな見た目だが、加速する前に妨害する程度のことはしてくるに違いない。音速で動ける機体だが、初速はそこまで速くない。

――何かないか！　この状況を覆す一手は！

そのとき、スバルの脳内によぎる光景は、ジャンクポットで林太と戦った一幕だ。あの状況は、奇しくも今と似ている。今度はチャレンジャーがスバルの方で、強力なライバルはサンディラだ。

そういえば、あのとき林太はレッド・プレアデスの破壊を諦めた。しかし、実際に彼はスバルに勝ってみせたのだ。

スバルは重大な思い違いをしていたことに気付く。

バリアを破壊する必要はない。

というよりは、攻撃の必要すらない。

ロボのエンジン全てに着火。

スバルはサンディラに向かって突進する。

バリアをフルパワーで、抱え上げるように掴んだ。

「ふん！　何をしようと無駄っす！」

「それはどうかな？」

サンディラが散々暴れたせいで脆くなった天井を壊し、サンディラの入ったバリアごと、ロボが空へと飛びあがる。

高く、高く。

雲よりも高いところへ。

元々音速よりも早く飛べる人型戦闘機。この程度なら簡単にできる。

サンディラは怪訝に声を上げる。

「……まさか、今さら空から落とせばどうにかなるなんて」

「思ってるぞ」

「拍子抜けっすね」

仮に、このまま落ちたとしても、落下の衝撃がサンディラを傷付けることはない。それほどまでに固いバリアだからだ。

そして、その前に極限にまで溜めたエネルギーによって放たれる第二のバリアに、ロボは粉々に吹き飛ばされる。

一方向にしか影響がないが、狙いさえ定まれば。

そこでサンディラは気付く。空中では、狙いが取れない。

先ほどのバリアは、威力こそ低かったものの三六〇度、全方位への攻撃だった。故に、今回のバリアも全方向に向かうものだとスバルは思い込んでいるはず。

――どこだ。どこでバレた。

サンディラは無言のまま考えるが、ついぞ答えはわからなかった。

実際に、スバルは『今回のバリアも全方位への攻撃だろう』と思い込んでいたからだ。

狙いはそこではない。しかし、サンディラの予測は近いところまで及んでいる。

「時間切れだ。お前のバリアアタックが、充填途中のエネルギーでも攻撃できるようなものでなくて命拾いした」

スバルは、勝利宣言として言い放つ。

エネルギーの充填完了まで、残り十秒のことだった。

街は遥か二万三千メートルほど下方。

「答えはお前自身の体で思い知れ！」

そしてサンディラは落とされる。重力加速によってスピードが付いていく。最初の内は、まだ余裕を崩していなかったが、確かに思い知ることになった。

体が勝手に回転してきている。

「そ、そうか……お前っ！　これはっ！」

単純な落下のダメージだけならバリアで防げる。

ただしバリアを貼るには、サンディラの意識がはっきりしていなければならない。

落下ではない。この高さと慣性、スピードそのものが凶器。

生物である限り、重力からは逃げられない。

一度スピンがついたが最後、落下するまで延々と回転することになる。それは勢いを増し、落下のスピードと相まって、強烈なダメージと化す。

引きちぎれるような痛みが、体に纏わりつく。もうどこが上で、どこが下なのかもわからない。

当然、そんな不規則なスピードに長時間晒されれば、脳に向かう血液が不足。結果、サンディラは気絶することになる。

備蓄したエネルギーが、痛みのあまりどこかへと散ってしまった。身を守るバリアも霧消する。

「がっ、あア……痛い！　痛いよ……！　それに寒い、よぅ！」

第二形態も解けてしまった。

形振り構わず変異したときに破けたため、服もない。

痛い。寒い。そして、寂しい。

死が彼女の全てを侵食していく。

「誰か、助けっ……」

声は風に掻き消える。

彼女の最期の願いは、誰にも聞き届けられることはない。

ただし――

「……まったく。殺すわけないだろう。貴様には聞くことが残っている」

頼まれなくても、その命を助ける者はいた。