第三報告【恋愛市場は荒れ模様】

15:いくつかのすれ違い

 希月は、休日デートの翌日以降も、我が家まで毎朝迎えにやって来た。

 もう屋上の告白から、半月ほどが経つ。

 そのあいだ継続しているわけだから、この子もなかなか粘り強い。


 通学バスでは、相変わらず途中の停留所で、遥歌と毎回乗り合わせた。

 ただし以前までと違って、俺と遥歌の過去にあった出来事を、今の希月は断片的であるにしろ知っている。

 その事実は少しだけ、三者間に捉えどころのない空気を立ち上らせるようになった。

 それを、俺たちが明確に察知したのは、遥歌が偶然切り出した話題からだ。


「最近、砂世ちゃんと一緒に本屋さんへ行ったんですけど、そこで買った小説を読んでる途中なんです。何でも映画化もされている話題作らしくて――」


 バスの吊り革に掴まりながら、遥歌は隣に立つ希月に話し掛けた。


「『この手の雪がなくなる前に』というお話なのですが。ご存知ですか?」


 俺と希月は、目だけで顔を見合わせてしまう。互いに咄嗟の反応だ。

 その様子を見て、遥歌の顔にかすかな疑念が生じたみたいだった。

 我が幼馴染たる学級委員長には、洞察に鋭敏な部分がある。


「どうかしましたか?」


「あ、ううん。何でもないよー」


 希月は、ちょっと慌てて、取り繕うように答えた。

 だが、それはかえって、遠回しに「何かある」と言っているようなものだろう。

 仕方なく、俺は横から話題に口を挟んだ。


「実は昨日、俺と希月の二人で、その映画を観て来たばかりなんだ」


 ここで殊更隠すことでもない。

 不自然に誤魔化して、あとからぎこちないやり取りをするのは面倒だ。

 俺の言葉を聞くと、遥歌は何やら瞳に不思議な色彩を宿らせた。


「まあ、そうだったんですか」


「……うん。まあ、本当のところ言うと、そうなんだよね」


 希月は、一拍置いてから、照れ笑いのようなものを浮かべる。

 こいつにしては、少し意外な素振りだ。

 三人で登校するようになった当初なんて、他の乗客が居る前でさえ、大っぴらに俺との関係性を強調していたのに……。


 遥歌は、それに自らも穏やかな微笑で返して、うなずいてみせた。


「日曜日にお出掛け――お二人の仲は、順調に進展しているみたいですね」


 それから、嬉しそうに昨日のデートの出来事を、あれこれ詳しくたずねはじめた。

 遥歌の物腰には、決して揶揄するようなところはない。俺と希月が親しくなることを、心から祝福しているらしかった。




 ……ちなみに、同じデートの報告を受けて、遥歌とは対照的な態度を示した女子も居る。

 言うまでもなく、恋愛相談所の担当相談員・天峰未花だ。

 天峰は、経過報告のレポートを受け取ると、口頭でも仔細な説明を求めてきた。

「より具体的な当日の状況が知りたい」ということだそうだ。


 とはいえ、それがどこまで他意のない理由かは、かなり眉唾に思われる。

 何しろ、希月の話を聞いているあいだ、ずっと天峰はにやにやしっぱなしだった。

 取り分け擬似結婚式のくだりでは、漏れ出そうになる笑い声を必死で堪えているようにしか見えなかった。


「――それで指輪を薬指に嵌めたとき、私は逢葉くんに初めてを捧げたんだよ……」


 希月は、ちょっと伏し目がちに、もじもじしながらつぶやいた。

 テーブルを挟んだ向かい側の席で、天峰はそれに何度となくうなずいてみせる(ただし笑いすぎのため、目の端には涙がうっすら滲んでいた)。


「そうかそうか、なるほどねー。あの日とうとう逢葉くんが、絢奈ちゃんの初めての人になっちゃったかー」


「おいこら人聞き悪い言い方するなや!」


 ここで話題にしている「初めて」というのは、もちろん希月が「男子に手を握られた」ことについてである。

 あのとき俺も「ひょっとして……」と思ったのだが、やはり花嫁役だった希月も意識していたらしい。


「言い方なんて、どうでもいいじゃんかー。実際、絢奈ちゃんの手を握っちゃったことは事実なんだし。これは大変だね、何たって女の子の初めてだぞっ。男らしく責任取って、仮交際を受けた方がいいんじゃないの?」


「おまえの言い分に従ってたら、小学校じゃ学校行事のフォークダンスや肝試しのたびに、新しいカップルが強制誕生しなきゃならんだろうが」


「もぉー、往生際が悪いなあ。ここまで絢奈ちゃんと既成事実を積み重ねておいて、今更どうこうないんじゃないのー? 今朝だって自宅まで迎えに来てもらったんでしょ。それもう実質、じゃん」


「通い妻言うな!」


 よくまあ、こうも第三者の誤解を招く表現が次々と出てくるもんである。

 それに元はと言えば、希月が家まで毎朝来るのも、休日デートに付き合わされたのも、すべて希月や天峰がゴリ押ししてきた結果だ。

 こちらは無理強いされているに過ぎない。

 ……あと強いて言うと、うちの母親のせいだな……。無駄に希月と仲良くなったせいで、身内に退路を塞がれている。

 駄目だこいつら早く何とかしないと。



     ○  ○  ○




 さて、そんな日常に頭を悩ませていたある日――

 突如として、予期せぬ事態が我が身に降り掛かった。


 それは十一月十八日(水)、学園の六時限目終了後。

 俺のところへ、ふらりと棚橋がやって来た。日頃の気安い雰囲気と違って、何やら目に困惑が見て取れる。

 どうかしたかと訊いてみると、棚橋は顔を寄せて耳打ちしてきた。


「逢葉。一年五組の近江おうみが、おまえと放課後に話したがっている」


「――五組の、近江?」


 反射的に訊き返してしまった。

 面識がある生徒の名前じゃない。

 まして同学年と言っても、五組にほとんど知り合いは居ないはずだ。

 けれど、まったく記憶にない名前かと言うと、なぜかそうとも思えない。

 おぼろげだが、どこかで聞き覚えがあったような気がする。

 棚橋は、口元を歪めて補足した。


「そうだ。陸上部の近江征志郎せいしろうだよ。文武両道の背が高いイケメンで、やたらと女子から人気があるとかって噂の」


「……ああ。あいつか」


 ようやく把握した。

 いや、容姿までは思い出せないのだが、そういう男子生徒が居るってことは知っている。

 俺たちの学年じゃ、ちょっとした有名人だ。


 近江征志郎。

 たしか、北区の星澄第一中学校出身だったと思う。

 一年生の短距離選手だが、すでに自己記録は学園内の上級生を上回っているとか。

 スポーツ強豪校の推薦を断り、一般受験で藤凛学園へ入学してきたらしい。


「棚橋って、近江と知り合いだったのか」


「いや、ちっとも。ただ、昼休みに合コンの話で、占星術研究会まで次の開催予定を訊きに行ったら、あそこの部室で会ったんだ。近江は、俺が来るのを待っていたらしい。俺とおまえが同じクラスだからってさ」


「それで、伝言を押し付けられてきたと?」


「まあ、そういうこったな」


 棚橋は、ちょっと渋い表情で首肯した。


「なあ、逢葉。近江から恨まれるような心当たりでもあるのかよ。あいつ、何だか難しい顔してたぜ」


「言い掛かりもいいとこだ。というか、近江とは面と向かって会話したことすらない」


 かぶりを振って否定すると、棚橋は「だよなあ」と言って髪の毛を掻き回す。


「でも、どうすんだよ。――近江のやつ、今日の午後四時に校舎裏にある焼却炉のところで待ってる、って言ってたぞ」


「そうだな……」


 腕組みして、あれこれ思案してみる。

 それから数秒置いて、一応の結論を固めた。


「随分一方的だが、ひとまず向こうの話を聞きに行ってやるか」


 いかにも怪しい呼び出しではある。

 けれど、まさか暴力沙汰に及ぶつもりはなかろう。

 藤凛学園は進学校であり、学園内にチンピラじみた生徒を見掛けたことはない。

 しかも近江は運動部員だ。不祥事を起こせば、個人的な問題に留まらなくなる。


「ふーん。……まあ、それじゃ伝えるだけは伝えたからな。俺はもう帰るわ」


「おう、じゃあな」


「もし何かあったら、連絡入れろよ」


 棚橋は、それだけ言い残すと、片手を上げて立ち去った。

 軽薄そうだが、あれでわりとお人好しなやつなのだ。



 俺は、教室を出ると、指定場所を目指した。

 スマートフォンを取り出し、時刻を確認する。

 午後三時四十五分。

 それほど時間に余裕はない。


 そのままメッセージアプリを立ち上げた。

 これから近江との話が長引けば、下校時間が遅くなるかもしれない。

 念のため、希月に「今日は一人で先に帰れ」と、一言送信しておく。

 校舎を出たところで、返信はすぐに届いた。

 今日は希月もバイトがあるらしくて、元々一緒に帰れなかったらしい。

 ……というか本来、俺も希月にこんな気を遣う義理などないはずなのだが。

 どうも最近、調子が狂わされっぱなしだ。



 校舎裏まで来ると、すでに焼却炉の傍には先客らしき人影があった。

 長身で、肩幅の広い男子生徒だ。やや明るい色の頭髪は地毛だろうか。陸上部の練習用ジャージを着用している。顔は彫りが深く、鼻筋が通っていた。

 どちらかというと、男らしいタイプのイケメンだ。


「よく来てくれたな、逢葉。――まずは礼を言っておこう」


 イケメンも、俺がやって来たことに気付いたらしい。

 口元を引き結び、こちらへ歩み寄ってくる。

 どうやら、このイケメンが近江征志郎で間違いないみたいだった。


「おまえは、俺のことを知ってるみたいだな」


 俺は、咄嗟に疑問を抱かずにはいられなかった。

 たった今、近江はこちらへ迷わず声を掛けてきたのだ。

 でも、お互い相手と会話するのは、これが初めてのはず。


「……ああ。そ、そうだな。一応、逢葉の顔ぐらいは見知っていたというか……」


 問い掛けられて、近江は少し怯んだように言葉を濁した。虚を衝かれたのか、にかわに目を横へ逸らす。


 ――いや、待て。

 よくよく見てみると、俺もこいつに何だか見覚えがある気がするぞ。

 この長身で長い足は……? 


「……そうか! おまえ、もしかして六日に本屋をうろついていた――」


 記憶をたどるうち、はっきりと確信した。

 こいつは、先々週の金曜日に赤根屋書店で見掛けた男子生徒だ。

 背格好も一致するし、たぶん間違いない。

 あの日の素行が勘付かれていたことを、このとき近江も察したみたいだった。


「逢葉。どうしても、おまえに訊いておきたいことがある」


 イケメン陸上部員は、こちらへ目線を戻すと、おもむろに問い質してきた。


「おまえは希月さんと、今後どういう関係になるつもりなんだ?」


「どういう関係って……」


「この際、もっと具体的に訊こう。を経て、するつもりがあるのか。それとも、いずれはっきり交際を断る気なのか。どうなんだ」


 俺は、一、二度、瞬きしてから、近江の顔を覗き込んだ。

 見て取れる面持ちは、真剣そのもの。

 悪ふざけといった様子じゃない。


 何より、今の「仮交際」や「正式交際」という言葉が引っ掛かった。

 そいつは本来、婚活用語の一種みたいなものだったはずだ。

 そう言えば、たしかさっき棚橋から聞いた話によると、近江とは占星術研究会の部室で出くわしたという。


 つまり、この男も恋愛相談所がらみの人間ってことか……


「どうだ、答えろ逢葉」


 近江は、僅かに熱の篭もった口調で、返事を催促してくる。

 努めて淡々と、俺は事実を説明した。


「近頃、希月が俺と一緒に居るのは、あいつが勝手に付き纏っているだけだ。――俺にはあいつとの関係を、仮交際まで発展させる気はない」


「何でも、希月さんから告白されたとき、おまえはその場で断ったらしいな」


「それを知ってるのか」


 ちょっと驚いて、思わず訊き返した。

 近江は固い表情のまま、ゆっくりとうなずいてみせる。


「恋愛相談所で、ある程度のことは天峰未花から聞いた」


 あいつめ……

 情報の入手経路は頑として秘匿するくせに、自分が知ったあとの材料ネタは流出させまくりじゃねーか。


「事情がわかってるなら、俺に訊くまでもなかったんじゃないのか」


「改めて、逢葉本人に直接確認してみたかったんだ。その――」


 近江は、かすかに顔を赤らめる。


「おれは、希月さんのことが好きだから」


 ……まあ、それは会話の流れからいって、概ね想像が付いていた。

 何だかややこしいことになってきたみたいだ。

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