第十六話「アイズ・アンド・ノイズ④」

第五節


 トオルに促されて、俺たちは正式に崎下アカリのいる離れにやって来た。正直、今さっきのいざこざに意味があったのかはなんとも言えないが、それでも過去と未来を観測できるアカリちゃんの能力が本物なら意味があったのだろう。


 ……というわけで、ほむらとしては二度目の道を歩きながら、俺たちは開けた場所までやって来た。


「ほむらは知っているんだろうが、今来た道を振り返ってみろ」


 言われて俺とムネナガは振り返る。ほむらは若干トラウマを感じていたようで、少しだけ遅れて振り返った。

 ――そこには


「こんばんはー。諍いの後は一段と仲良くなるってホント? ……あ、それは河原での殴り合い? ヤンキージャンル?」


 ほむらが出会ったホラー少女とはとても思えない少女が、縁側からのんきに両手を振っているのが見えた。一体何だというんだマジに。


「神崎先輩、あいつっす! あいつにめっちゃ驚かされたんす!」

 ……とりあえず彼女がアカリちゃんで間違いないらしい。


「なあアカリ。お前また狙われてるぞ」


 トオルが慣れた口調で話す。今過去未来を観測できるのだから、狙われることもおかしくないのだろう。冷静になって考えてみると、それはとても異常な状況に思えるのだが、この一族にとっては当たり前のことだったのかもしれない。

 だがそれでも、アカリちゃんが発した次の一言はトオルにとっても予想外だった。


「ええ、私、このままじゃそいつに殺されるわ」


「――――なッ」


 トオルの顔がこわばる。無理もない。あんな真顔でそんなことを突然言われたら誰だってそうなる。


「お兄ちゃんだけだと始末できない。――アイツは、は、そういうヤツだから」


 まるで既に見てきたかのような物言いをするアカリちゃん。――これが、未来を視る力なのか。


「何言ってんだよアカリ! 僕の能力を以ってすれば敵の暗殺なんて容易いじゃないか! 今回だって僕が守る! それでいいだろ!?」

「……確かに、あの弾丸じみた突貫なら、たいていの物なら突き破れると思うッス。人間なんて目じゃないッスよ」


 実際に体験したほむらが説得力をブーストする。……だが、現にほむらは生きている。つまり、穴があるとすればそこだろう。


「待てほむら。お前みたいな霊体化するヤツなら突破できるんじゃないのか」

「あ。それもそうッスね」


 うーん、と唸るほむら。だが、それをムネナガが否定する。


「んーにゃ。ここの建物には対霊結界が張られている。それもかなりの物だ。多重層どうたらこうたらって親父が言ってたタイプの結界でな、そもそも肉体を持っていないヤツはここの建物の中には入れねえ。その選択権は崎下一族にしかねえ」

「ああ。ほむらの行動は必要っぽかったから目を瞑っておいたよ」

「うわぁ、バレバレだったんすね私たち」


 なるほど。俺には見えていない結界も、ムネナガには視えているようだ。

 ――だが、それならどうしてアカリちゃんは、そのアルファルドという人物に殺されるなどと言ったのだろうか。謎は深まるばかりである。


 その時である。


「――ふむ、【不可視系統インヴィジブル】の亜種か。不可視の結界を生成することよりも、不可視の認識に特化していると見た」


 黒いコートにさえかかる長い銀の髪を持った、目元の皺が特徴的な男が現れたのだ。


「な、バカな……。 僕は確かに衛兵を配備していた筈なのに――」

 トオルの言葉が突然詰まる。その顔には冷や汗がにじんでいる。


「どうした、トオル」

「――嘘だろ、おい。こんなことってあるのかよ……なあ」


 視線の先にいる男の口元が歪む。その欠けた月に、得体の知れない恐怖を感じる。

 そして、トオルが再び口を開く。


「――僕が気付かないうちに、衛兵の六割がロストしていた……脳内モニターから消失していたんだよ!」

「うむ、殲滅とまではいかなかったのが残念だが、致し方あるまい――――だがまあ、そういうことだ。そこの和装少女が言ったことの意味は理解していただけたかな」


 ――男が、こちらに向かって歩いてくる。……何故だかわからないが、男の姿がノイズのように微かにブレる。それも永続的に、である。


「――トオル。まずい、コイツはヤバい」

 俺は混乱するトオルに対して明確なことだけを告げた。


「ああ、分かってるさ。けどどうすればいい? この得体の知れないヤツをどうにかするには何をするべきだ? 六割の衛兵が破壊された以上、僕にできることと言ったらもう突貫させることだけだぞ」

「いや、それでいい。それで十分だ。お前の衛兵がどのように破壊されたかを確認する必要があるからな」

「――オーケー、やってやる」


 そう告げた直後、襲撃者の周囲三六〇度全てから、鉄屑に意味を付与して生成した残骸弾スクラップ・ヴァレットが射出された。本来ならば避けられない攻撃。だが襲撃者は何らかの方法を用いてそれを破壊した。今は、それを確かめなければならない。


「――ぇ」


 トオルが声にならない声を上げる。……一瞬だ。一瞬だった。全方位を埋め尽くして襲撃者に殺到した残骸弾は、一瞬で砕け散った。一瞬の金属音と、絶えず蠢くノイズだけが、襲撃者の周りにはあった。


「――ムネナガ!」


 俺はムネナガの名を叫ぶ。今のが不可視の結界なのではないか、と。――だが。


「いいや違うぜカイ。ありゃあ視えねえもんじゃあねえ。確かに見えてやがる。あのノイズ、速すぎて視認しづらいだけだ」

「――――!? なら、なんだアレは」


 言いながらも、俺は黒いナイフを生み出す。ヤツがこの場で発した言葉で作り出したものと、単純にその辺に転がっていた記録を物質化したものの二本だ。……この二本で、ノイズの正体を見極める。


「フ、分からんだろうな。恐ろしいだろうな。正体不明というものは、えてして人を恐怖させる。だがそれでいい。それが正常な認識だ。故に、私には盾突かないことだ――――む」


 言い終わらないうちにナイフを投擲する。――前者はヤツの記録で生成したものであるが故に、あらゆる物理防御をすり抜けて記録の主へと還ってゆく。――そして後者は、単なる物理攻撃なのでほとんどブラフである。後者を一瞬早く投げることで本命の記録攻撃への注意を逸らせるという狙いがある。


「無駄なことを」


 物理攻撃は容易くノイズに砕かれる。金属音は当然しないが、これで、こちらで用意できる物理攻撃では対処できないことが判明した――ならば、記録攻撃はどうだろうか。


 続けてノイズに迫る記録ナイフ。実体はなく、ただナイフの形をしただけの記録。これを以って、決着を付ける。あのノイズの構造的に、対物理攻撃としか思えない。ならば、あらゆる障壁すら掻い潜る記録攻撃ならば通り抜けるはずなのである。


 ――だが。


「甘いぞ。それもまた、


 実体のない記録であるはずのナイフですら、そのノイズに掻き消される。――だというのに、ヤツの周りに生えている草木には傷一つついてはいない。――これは一体、どういうことなのか。


「まだっすよ!」


 その一声と共に繰り出される火炎弾――――ほむらの攻撃だ。

 その数、約十発。一瞬でこの量なのだから実際凄まじいものである。

 加えて火炎弾は固形攻撃ではない。俺の記録攻撃ですら届かなかったのは不可解だが、火炎弾なら可能性があるかもしれない。


「特定の形を持たぬ攻撃ならばもしや――とでも思ったのだろうが、残念だがそれもまた無駄なあがきだ」


 搔き消えるのではなく、削れていった。炎が、削れていったのだ。


「…………え」


 ほむらは普段のキャラを忘れたかのように素の反応を示す。実際まずい状況なのだからそれでいいのだが、しかしこれは――何だ……?


「――これで分かっただろう。私に盾突くことの無意味さを」


 男は言い放つ。そこに恐れなど存在していない。俺たちを微塵も恐れていないのだ。人としても、能力者としても、俺たちでは倒せないと確信を持った声色である。俺にできるのも、せいぜいヤツの自信を読み取る程度のことだ。これでは、倒すことなどできないだろう。


 ――ならば、俺にできることを増やすしかない。


「アンタが、アルファルドか」

「いかにも。我が名はアルファルド・リゲルゼン。――魔術師である」


 男――アルファルド・リゲルゼンは、自らを魔術師と名乗った。その名乗りに意味があるのかどうかは分からない。だが、少なくともアルファルドにはあるのだろう。自身の存在を確固たるものにしようとするための名乗りが。わざわざ名乗ったということは、俺たちにアルファルド自身を明確に認知させようとする意志があるはずなのだから。彼にとって魔術師を自称することは、無意識化に置かれた彼自身の本心のように思えた。


「――だが、これをどう生かすかだな」

 わざと呟く。


「――? どういう意味だ」

 銀髪の魔術師は怪訝そうに眉を顰める。


「――いや、何でもないさ。その魔術師という呼称について考えてみただけですよ」


 砕けた口調と丁寧な口調を混ぜ合わせ、無意識化でペースを乱す。――ここまでの発言から、この男は細かいところを気にしそうだと感じたので効果があるやもしれぬと試してみたのだ。


「――貴様が何と言おうと、私は魔術師だ。常人には使うことの許されない魔術を行使できる人間なのだ。お前たちですら私の領域に到達することなどできない――故に、魔術師と名乗れるのは私一人なのだ」

「そうですか。別に、俺たちは魔術師という呼称に憧れているわけではないのですが」

「フン、魔術師とは孤高の存在。群れている貴様らでは到達できんのは当然だ」


 ……どうやら魔術師という称号に相当なこだわりを持っているようだ。言い換えるとその称号にひどく依存しているとも言える。だがその依存が強力な防御壁となって俺の能力を阻んでいる。——そのようにも考えられる。真偽のほどは定かではないが、それでもある程度は的を得ているように思えた。


「とにかく、崎下アカリは頂いてゆくぞ。安心しろ、殺すことはない」


 俺たちになど目もくれず、アルファルドはアカリちゃんの元に歩いていく。その際も、やはり削り取られるものは何もなかった。


「オイ、待てよ――待てよおまえ……!」


 トオルが叫ぶ――叫ぶことしかできなかったから。

 誰もが動きたかった。アルファルドの歩みを止めたかった。だが、それはできなかった。たとえ命を賭そうとも、歩みを止められるイメージが浮かんでこなかったからだ。このままでは無駄死に以外の何物でもなくなってしまう。その予測が、俺たちの足を凍てつかせていた。それほどまでに、アルファルド・リゲルゼンの能力は正体不明で恐ろしいものなのだ。


「心配しないでいいよ、お兄ちゃん。猶予はあるから」

「――アカリ?」

「うーん、そうだね……神崎カイさんだっけ。あなた、明日ひとりで散歩に行くといいよ。がんばって

「――――俺? 都合の良い可能性?」

「うん。これ以上は私にもはっきりとは分かんないけどね」


 それだけ言い残して、彼女は連れ去られていった。彼女は、俺たちとは反対に、アルファルドに対して敵意も恐怖心もなかった。

 ――不思議なことに、アカリちゃんがノイズに削り取られることはなかった。




第六節


 結局、碌な打開策も見つからず、俺はアカリちゃんに言われた通り一人で散歩に出かけることにした。あまり遠出はせずに、観崎町のみを散策している。


 いったいどうしたものか。そう思うだけで何もできない。それがもどかしく感じる。

 自分自身、そんな風に思えるとは思っていなかったので、もどかしさを感じる自分に妙な新鮮ささえあった。冷静に考えてみると、昨日の俺は、まるで熱病に侵されていたかのように冷静さを失っていた。未知への好奇心が高いのか、ただただ感受性が高いだけなのか。そのあたりはよくわからないが、とにかく俺は、アカリちゃんに何かを感じていたようだ。それは程度の差こそあれ、アカリちゃんが同類だからなのか。

 ――そう考えてみたが、それだけではないのだろう。俺の周りには同類が何人もいる。その中でアカリちゃんだけを特別視するのもおかしな話だ。別にアカリちゃんではなくても好奇心を感じることはあるはずなのだ。

 にも拘らず、何故かアカリちゃんの時は異常に興味をひかれた。普段以上に、である。それが不思議でならない。こんなにも興味が惹かれたのは、俺の能力が無意識下でアカリちゃんに関する話に染み込んだ潜在意識を読み取ったのだろう。そういうことはあるようだ。俺がそれをはっきりと理解している時点で、これが俺の奥底にある深層意識からのメッセージなのだろう。

 ……ただ、それにしても不思議ではある。何故なら、先にも触れたが、俺がここまでの感情を抱くことが珍しいからだ。興味を持つことはあっても、このレベルとなるとそれは珍しい。ここまでの物となると、今までには一度しか経験がない。……そう、あれは――――


 俺の視界に奇妙な店が映ったのは、あの春のことを思い出そうとした時だった。


「……?」


 そこにあったのは、小奇麗なカフェだった。別にカフェ自体におかしなところはないのだが、規則的に作られた田んぼの真ん中に建っているので奇妙この上ない。店の名前は『しんきろう』。カフェテラスにも店内にも客の姿は見えなかったが、妙に興味を惹かれた。


「……入ってみるか」

 もしかすると、煮詰まりすぎて冷静な判断ができていないのかもしれない――そう思い、カフェで一度落ち着くことにした。


「いらっしゃいませ」

 店の扉に取り付けられた呼び鈴が鳴り、店主と思しき男性が俺を出迎える。バンダナを頭に巻いた、がっしりとした体格の中年男性である。


「お好きな席にどうぞ」

 店主に声をかけられたので、カウンター席……ではなく窓際の席に座る。混む気配もしないので、四人席を陣取っても大丈夫だろう……と思ったのだ。


「…………」

 暫し沈黙。時には何も考えずに、ただぼんやりと外の景色を眺める時間も必要なのだ。そのようなことを心の中で呟いている時点で考え事をしてしまっている事をおかしく思いつつも、暫く沈黙を貫くことにした。


 

 沈黙すること数分。いい加減に何か注文した方が良いだろうと思い当たり、俺はメニューを覗く――覗いて、絶句した。


 ……これは、何だ? 初めに浮かんだ感想がこれだ。我ながらメニューに絶句するのはどうかとも思ったのだが、ここまで奇妙だと絶句以外には悲鳴やうめき声が適切なのではないだろうか――とさえ思ってしまう、そんなが広がっていた。

 ……字でもイラストでも写真でもなく、『風景』がページ全体に広がっていたのだ。それがどこの風景なのかまでは分からないし、ところどころノイズが走って、一番重要と思われる建物が視認できなくなっている。……これは、一体何だというのか。


「それが――お客様が欲している情報なのですね」

「――アンタ、いったい何者だ」


 驚きを隠して、背後に迫る店主に尋ねる。


「何者か――と、お聞きになられますか」

「ああ。何かおかしいか?」


 そう返すと、店主は微かに笑みを浮かべる。


「ええ。おかしいですとも――私のような存在など、別段珍しくもない筈でしょうに」

「――ああ、それもそうだな」


 言われて気付く。……この男は単に能力者だ。別にその存在が異常という訳でもない。彼が異常なら俺たちも異常ということになる。――いや、異常ではあるのか、実際。

 ――変だ。この空間は何かがおかしい。いくら何でもぼんやりとしすぎている。思考も空気も、何もかもが曖昧だ。――それこそまるで、


「――まるで蜃気楼だ」

 その呟きを聞いた店主は、再び笑みを浮かべた。


「ええ、それゆえ店名が『しんきろう』なのです」

「――俺をどうするつもりだ」

「どうもしませんよ――貴方の深層意識がここを見つけ、そして選んだのです。ここはそういう場所なのです。波長の合った人間が、特別波長の合った日にのみ観測を可能とする領域、それがここなのです。そして私は、そんな貴方の要望に応えるだけです……貴方はただ、その情報を買うかどうか決めればいいのです」


 カフェに見えたこの店は、その実全く別の物を取り扱う店であった。いったいなぜ、俺はこの店を見つけ、そして入る気になったのか。それはやはりよくわからない。……だがそれこそが、アカリちゃんの言っていたお告げのようなメッセージの正体なのではないか――とさえ思えた。そこまでの確信を、アカリちゃんの言葉からは感じ取れたのだ。


「――いくらだ、その光景は」

「おお、お買い上げいただけるのですね」


 男はまたも笑みを浮かべる。読み取るまでもなく、悪意のない純粋な笑みである。


「買うと言っているだろう。……いくらなんだ、それ」

 それに対して男は「ふーむ」と唸り、そして、こう答えた。


「――貴方の対価は、『恋』です」


 ――――――直感が告げる。……コイツはヤバい、と。昨夜のアルファルドとは別の意味で恐ろしい男が今、俺の目の前にいる。


 この男からは、。俺の能力ですら感知できないということはつまり、この男は本当に悪意なしで俺に取引を持ち掛けてきたのだ。


「――さあ、どうしますか」


 迫りくる店主。だがその前に一つだけ確認せねばならないことがある。


「――対価について聞きたい。……その、『恋』が対価とは一体どういう意味なんだ」


 当然の疑問である。対価が金銭のような物理的なものではなく恋という概念的なものとなると、おそらく店主の能力によって俺から抽出するのだろうが――その規模によってはここで倒さねばならない脅威になるかもしれない。そういう意味合いも込めた上での疑問である。


 店主は再び「ふーむ」と唸り、


「今現在貴方が抱いている恋心のみを対価にしていただくというのはどうでしょうか」


 なんて、俺ですらはっきりとは知覚していなかったことを口にした。


「……それは、今までのでもなく、そしてこれからのでもない――今現在の恋心のみを対価にするということなんだな?」

「ええ、その通りでございます」


 言って、恭しく礼をする店主。


「本当に、それでその情報をくれるんだな」

「当然でございます――ですがよろしいのですね? その恋は、貴方に大きな影響を及ぼすものかもしれませんよ?」


 今更そんなことを言われても困る。俺はもう決断を済ませたのだから。


「構わない。別段、特別意識しているわけでもない」


 彼女のことは確かに特別な存在だと思っている。……けれど俺にとって彼女は愛したい存在ではなく、ただ興味深い存在でしかなかった。だからこそ、ここで小さな恋心を暴かれたことが衝撃でもあったし、同時に、中途半端な状況を仕切り直せるいい機会であるとさえ思えたのだ。


「――では」


 そして、そもそも俺は、アカリちゃんを助けなければならない。それこそが崎下家の秘密を暴こうとした俺にできる筋の通し方であろう。

 だからこそ、俺は。

 俺は。

 俺は彼女への恋心を――――




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