【再会】


 まぎれもなく未弥の顔だった。

 目を閉じているので生きているのか死んでいるのかはわからない。


「未弥! 未弥! 未弥!」


 僕は繭状になっている未弥を抱きかかえて叫ぶように声をかけた。


 未弥はまったく無反応だ。


 包帯のようなものはきっとクヴァブイの糸だろう。糸で簀巻きのようにされ、壁の中に貯蔵されていたんだ。ここがやつの獲物の隠し場所だったんだ。それとも巣なのか。


 じゃあ、ほかのかたまりは? ほかの繭状のやつは?


 目をやり、もっと注意深く見てみて僕は思わず叫びを飲み込んだ。

 ほかのおくるみは、よく見たらみな骸骨の顔を覗かせていたからだ。


 きっとなんらかの理由でこの屋敷にさまよい込み、クヴァブイの犠牲になった過去の人びとに違いない。卵からかえった子どもに体を食い破られて顔の部分だけが髑髏となって残ったということなんだろうか。いい方は悪いが、未弥だけがここでは新鮮な獲物だったということだ。


 それにしても、未弥はまだ生きているのか死んでいるのか。


 確かめるヒマはなかった。


 気がつくと、壁の穴のすぐ向こう側に無表情の紗織さんが立っていて、風切を高く振り上げているところだったからだ。

 思いがけなく未弥を見つけたおかげで紗織さんのことをすっかり忘れていた。


 攻撃を避けるだけの時間はなかった。振り下ろされた刀は穴をさらに広げるかのように壁面を粉砕し、次に僕の抱える未弥の体にざっくりと斬り込んできた。


「あっ」


 未弥を包んでいた繭状の糸のかたまりがパカッと割れた。


 未弥の全身が現れた。かわいそうに彼女の服はボロボロだ。それをいうなら僕もまったく同じだが。しかし未弥の体はまだ無事だ。食い破られていない。


 それにしても今のは威嚇のつもりだったんだろうか。直接僕に斬りかかってこなかった。今なら僕を確実に僕を一撃でしとめられたはずなのに。


 いやそんなことよりさっさと逃げなきゃ。


 僕はぐったりしている未弥の体を肩にかついだ。


(あれっ? 重いっ)


 重いはずだよ、いつのまにか僕は驟斬鬼を手放していた。パワーもエナジーもすっかり消え去った満身創痍のこの僕にひとりの女の子をまともに担げるはずがない。


 それでもやるしかないんだ、でなきゃ……殺される。


 未弥の体は、温かくないかわりに冷たくもない。僕じしんが焦っているからかどっちなのかわからない。生きてろよ未弥。絶対に助けてやるって誓ったんだ。死ぬなよ、死んでるなよ。せっかく再会できたんだ。


 彼女を担ぎながら一歩二歩と歩き出した僕は、まるで苦役労働者のようだった。アサシンから逃げるという行為などとてもじゃないが及びもつかない。足取りが重すぎる。こんなので紗織さんの攻撃を避けられるわけがない。畜生、もうダメなのか。今度こそ本当にダメなのか。


 どうして紗織さんは攻撃してこないんだ。往生際の悪い僕たちをあざ笑っているのか。たいした余裕じゃないか。


 やがて僕は腰からガックリと崩れ折れた。全身の激痛が一気によみがえる。未弥を肩から下ろし、そのまま抱きしめるような感じになる。

 もはや万事休すか。ここに至ってとうとう力が尽きてしまった。


 首を回すと、表情のない紗織さんがゆっくりとこっちに近づいてくるところだった。やっぱり彼女は完全に余裕モードに入ってるようだった。もう絶対に射程から外れないことを確信したんだろう。僕はものいわぬ未弥に顔をくっつけんばかりにして呼びかけた。


「……未弥、未弥、目をさましてくれ。せめてきみだけでも助かってよ。てかきみは紗織さんとは無関係なんじゃないか。ああ、ひょっとして僕はきみを巻き添えにしてしまったのかもしれないな」


 なんでバカなんだ僕ってやつは。助けたい一心で真逆のことをしてしまった。大作戦の大作戦による大作戦はいろんな意味で大失敗だ。


「紗織さん!」


 顔を上げた僕は彼女に向かって叫んだ。


「こうなったら僕はもう殺されてもいい。変な怪物にやられるくらいならきみに殺さたほうがマシだ。でもそのかわり、この子だけは助けてやってよ! お願いだ。僕の命のかわりにこの子さえ助かれば、せめて僕も死にがいがあるってもんだ。頼む!」 


 しかし、相手に僕の言葉が届いたようには思えなかった。


 まったく表情を変えない紗織さんは、とどめの一撃を食らわせるべく、まるでもったいをつけるかのようにゆっくりと風切を振り上げた。


 僕は最後の力を振り絞って未弥の体を離して突き飛ばした。両方ともいっぺんに斬り捨てられるわけにはいかない。未弥の体は廊下のまんなかにくにゃりと横たわった。僕は観念して両目を固く閉じ、できるだけたのしいことを考えようとした。


 耳の奥で汽笛のようなものが聞こえてきた気がした。

 これは何の思い出だろう。ちいさな頃、両親に連れられて旅したことの記憶だろうか。青い空や緑の山、郊外の美しい自然が頭の中に広がっていく。その中を一台の観光列車が走っていく。のどかに汽笛を鳴らしながら、牧歌的な風景がどこまでも続いていく。


 しかしいつしか汽笛は激しい警笛に変わっていた。おいおいそんなに激しく鳴らさないでもいいだろう。雰囲気ぶちこわしじゃないか。山羊か鹿でも線路に居座っているんだろうか。うるさいうるさいやかましい、せっかく思い出に浸っているのに邪魔しないでくれ。


 現実に戻ると、僕が廊下に手をついているそこは、ちょうど敷かれている鉄道のレールの上だった。そのレールは今、警笛と同時に、しだいに震動の激しくなっていくのがわかった。


「……!」


 紗織さんも異変に気づいたようだ。風切を頭上で止めたまま、ふとうしろを振り返った。


 するといきなり廊下の角から、ものすごい光が轟音とともに差し込んできた。激しい警笛を響かせながら現れた電車は、次の瞬間紗織の体を猛烈な勢いではね飛ばしていた。

 紗織さんは車輪のように宙で回転しながらあっというまにどこかに消えた。列車はなおも止まらない。


 いったい死にかけの僕の体のどこにそんな力が残っていたっていうんだろう、気がついた時には僕はゴロゴロ回転し、未弥の横たわっているところまで転がっていくと、かばうように抱え片隅によけた。

 間一髪でその脇を列車が通り抜けていく。その際、わずかに車両のどこかの出っぱりが僕の服の裾を引っかけてしまった。


「ぐあっ」


 僕は未弥を抱えたままものすごい勢いで電車に引きずられていった。



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