第5章

【無表情の戦鬼】



 打ち上げられた肉体に自分の魂が戻った時、僕は目をさまし、まだ自分が死んでいないことをおぼろげに悟った。


 僕の冷えきったずぶ濡れの体は、しっかりと驟斬鬼を握ったままでいる。


(こいつのおかげで助かったんだろうか……)


 驟斬鬼を支えに上体を起こそうとするが、あまりにも体が冷えきっているので、うまく筋肉が動いてくれない。


(僕はいったいどこにいるんだろう)


 見回してみるが、妙に狭い。しかも暗い。どうやらまだ膝栗毛屋敷の中であることは間違いないようだ。


 僕がうつ伏せに横たわっていたのは古い木の階段の途中だった。


 周囲は水に濡れた状態になっていて、少し前まで水の中にあったことが窺える。あの時のカタストロフで地下最深部まで水が流れ込んだため、こっちの水位が下がったようだった。僕はあの濁流の中を流れ流され、どういうルートを辿ってかは知らないがこの場所に打ち上げられたということなのか。


 だとすればほとんど奇跡に近い。この驟斬鬼は手にした者の生命維持のためには悪運まで引き寄せるというのだろうか。


 ともあれ僕はまだ生きている。ほかの連中はどうなっただろうか。やはり全滅したんだろうか。いや、この僕が助かったんだ、ほかにも生き残った者がいるに違いない。


 というかこうなったらぜひとも全員助かっていてほしい。紗織さんともあんなかたちで最後にしたくない。あれじゃあんまりだ。ポローニャも生意気なやつだったが死んだなどとは絶対に考えたくない。ルベティカたちも同じだ。めぐみや未弥にも影響が及んだだろうか。ともあれみんなまとめてぜひ無事でいてほしい。


 僕はようやく立ち上がると、自分の倒れていた階段を途中から上りはじめた。とりあえずどこに行けばいいのか、もはやそれさえよくわからない。でも、ここでずっとじっとしているわけにはいかない。


 階段を上り切ると、かなりおおきな広間があった。そこから複数の廊下の入り口が四方八方から口を開けている。まるで円形闘技場のようだ。


 この光景に僕は強い既視感をおぼえた。そっくりなのだ、ちいさな頃に見た鉄道博物館の広場に。


 というかそのものだ。


 広場の中心部からたくさんの廊下へ向けて線路が放射状に延びていて、当の中心部には電車の車両を回転させるための転車台がものいわないオブジェみたいに固まっていた。この位置から電車は屋敷内のさまざまな場所を巡っていたのだ。


 雨だれのような水の落ちる音がそこかしこから聞こえてくる。


 暗いことは暗いけれども、電灯はちゃんと点いているのが不思議だ。消えていたり点滅していたりしているものもあるにはあるが、少なくとも足元に不自由はしない。水が引くと自動的に復旧するようなシステムがこのエリアには生きているのかもしれない。


 でもそんなことに関心するのはあとまわしだ。僕は今からさすらいびととなって、生存者を探す旅に……。


 ものすごい衝撃音が遠くで聞こえた。


 どこだ。

 どの廊下から聞こえてきたんだ。

 僕は広間のまん中でキョロキョロと見回した。


「あの廊下からだ」


 はっきりとした確信が持てたわけじゃなかったが、僕は音が聞こえてきたと思われる廊下の入り口に飛び込んでいった。


 あんのじょうだった。


 廊下の行く先の奥に、殺気を帯びた人影があった。

 黒いレザースーツに身を包んだスリムな紗織さんの姿がくっきりと浮かんでいる。


(彼女、僕を探してたのか? まるで殺人マシーンだな)


 紗織さんが遠くから風切を高く掲げたのがわかった。廊下の両側は障子戸が並んでいる。水没したあとなので、すべての障子紙は破れ、骨組みだけになっている。僕はとっさに一枚の障子戸をぶち破って中の部屋に転がり入った。


 間一髪、ハデな衝撃音とともに廊下にある障子戸がすべて吹き飛んだ。


 どうやらこの階の各部屋は四方が障子戸になっていて、真四角の部屋が碁盤目のように整然と配置されているらしい。廊下を経由しなくとも、次々に別の部屋に移動できるというわけだ。


「かくれんぼにはもってこいだよ」


 僕は障子戸を次から次へと驟斬鬼で破壊していきながら、部屋から部屋へと移動していった。水をたっぷり吸い込んだ畳がジュクジュク音をたてる。


 でも、そこではたと気がついた。どうして自分は逃げてるんだと。このままでは埒があかないではないかと。紗織さんの意識を元に戻さない限り問題は絶対に解決しないじゃないかと。


 じゃどうすればいいんだ。


 逡巡しているうちに僕の背後から破壊された障子戸がバンバンと吹き飛ばされてくる。追いつかれるのは時間の問題だ。


 と、すぐ背後に急激に迫り来るものの気配を感じた。とっさに振り返ると、飛ばされてきた障子戸がくるくる回転しながらもう僕の目の前にあった。


「どあっ」


 障子戸の角がまともに僕の顔面に命中し、僕はもんどり打って倒れた。

 その体が背後の障子戸を倒し、僕は次の部屋にまろび出た。

 鼻血が吹き出し、涙で目が開かなくなった。


 間髪入れず、猛スピードで駆けてきた紗織さんが、ひるんだ僕をぶった斬ろうと風切を高く降り上げたのが気配でわかった。


「……っ」


 反射的に僕は、紗織さんの刀を驟斬鬼で受けた。怒りが猛烈に沸いてきた。



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