61話 後悔


 一方、セレナと共にゲートに引き返していたルカキスは、落ち込んだ様子で歩いていた。その原因は、今置かれている状況に対する後悔に他ならなかった。

 

 ルカキスがセレナに魅了されていたかといえば、全くそんなことはない。セレナにアントリッネほど強力なチャーム性能は無かったし、ルカキスは十分理性的に物事を判断できるくらい冷静だったからだ。

 しかし、あの時セレナはトロンとした表情をしていた。瞳を潤ませていた。そんな態度は男に何かを期待させる。そこを邪推したルカキスは欲望に屈したのだ。


 結果として、ロボたちとは別れることになったが、ルカキスはそれほどそのことを問題視していなかった。

 セレナと共に向かうのは元の世界であり、用が済めば2人もゲートを通って戻ってくる。再会した時に多少ギクシャクするかもしれなかったが、そんなものは簡単に修復できる。そう考えていたからだ。

 ロボの強さを知った今となっては2人の安否を気遣う心配もなく、なにより置いていかれたのはルカキスの方だという事実もある。道義的観点からも、か弱い女子に付き添うことが裏切りとは呼べないと思ったし、そこに多少の役得があったとしても、それは不可抗力から生まれた望まぬ結果だという言い分まで用意していた。


 そうして今を迎えているのだが、ルカキスの淡い期待は完膚なきまでに打ち砕かれていた。ロボとカリューの2人が見えなくなった途端、セレナがコロッと態度を変えてしまったからだ。

 手元にそれがありさえすればいい。ルカキスをまるでアクセサリーの1つとでも思っているように、その後のセレナからは一切の情熱が感じられなかった。

 話しかけても会話は弾まず、場はそうそうに沈黙に支配される。2人の間には醒めた雰囲気も漂っていて、ついにはルカキスも口を閉ざし、ただ黙々とあとに続くより他なかったのだ。


 な、なぜこんなことになってるんだ……?


 自分の選択を悔やむルカキスは、何が今の状況を招いているかを考える。

 その理由を、自分の抱いたよこしまな思いと結論づける筈もなく、頭を巡らせると、過去の記憶に戦犯を見つけ出した。

 

 ……やはりそうか。今も俺の心に深い傷痕を残す、酒場でのぼったくり事件。あの時ドナに会ったせいで、俺はこんな状況に追い込まれてるんだ!

 あの一件から俺が得た教訓は、自ら決断することに旨みはないという強い思いだった。当然だろう。たった一夜にして俺は大富豪から大貧民に落ちぶれたのだから。

 その対価として手に入れた2人の部下は、共に扱いづらく自己中な奴らだ。俺が失ったものに見合うにはまだまだ時間がかかるし、だからこそ、あの出来事は俺の中でトラウマになった。『自分で決めた未来に良いことなんて何もない』というジンクスが、俺の心に刻まれたんだ!

 だから俺は、セレナを振り切ってロボたちを追うのを躊躇した。

 そして、その結果が…………このザマだ!


 せめてセレナの態度に、もう少し愛を感じられたら俺の気も紛れただろう。

 だが、なんだ? 実際以上に感じる、この隔たりは?

 セレナは、なぜ俺を引き止めたんだ?

 こんな塩対応をするなら、俺なんて必要なかったんじゃないのか!?

 

 ああ! 

 

 なぜ、俺はドナに変な先入観を擦り込まれてしまったんだ! 

 なぜ、俺には未来を見通す力がないんだ!

 こうなると知っていれば、絶対に俺は2人に着いて行ったのに……


 さんざん嘆き悲しんだあと、それでもルカキスは怒りの持って行き場を持て余していた。

 そして、視線を彷徨わせることもなく、目の前に対象となるべき存在を見つける。

 言わずもがなのセレナである。

 俄かにルカキスの恨みがましい視線がセレナの背にねちっこく絡みつく。向けられた負の感情に気づいたのか、その時、セレナが振り返って軽やかに話しかけてきた。


「ああ、ごめんなさい。少しつっけんどんな態度になっちゃってた?」

「…………」

「でも、それは仕方がないわ。だって、私が必要としているのは、あなたじゃない本当のルカキスなんだもの」


 そう言って微笑むセレナを見ながら、ルカキスは激しい怒りを覚えた。セレナの目的がアクマイザーなのは、既にルカキスにも分かっていたからである。


「何が本当のだ!? 今お前と向き合い話している俺こそが、この体の正当な所有者なんだ! 俺が本家であり元祖だ!」

「ああ、ごめんなさい。別にそこに拘ってるわけじゃないの。不当だろうと仮初めだろうと構わない。私はあなたじゃないルカキスに会いたい。ただ、それだけなの」

「…………」


 ルカキスは、自分の存在やアイデンティティーを完全に無視し、ないがしろにするセレナの物言いに、一時たりともここにいたくないと思った。

 そして、ロボたちが向かった先に視線を向けると、今からでも追いかけようという素振りをして見せた。

 それを見たセレナの顔に、妖しい笑みが浮かんだ。


「2人を追うつもり?」

「…………」

「もう随分遠くに離れてしまったけど、追うつもりなら止めはしないわ。だけど、果たして無事たどり着けるかしら? まだ夜になってないとはいえ、ここはカリ・ユガ。探し当てるだけが障害じゃないわよ?」

「――ッ!?」


 そう警告してきたセレナに、ルカキスは絶句する。全てが仕組まれていたことに気づいたからだ。

 ルカキスはセレナに敵意の眼差しを向けながら、言葉を紡いだ。


「……騙したのか?」


 怒りを押し殺してのルカキスの問いかけに、しかしセレナは平然と、逆に咎めるような口調で応じた。


「騙した? それはこっちのセリフだわ。あなたの中身を知った私が、いったいどれだけ落胆したかわかってるの?」

「…………」


 セレナはルカキスに詰め寄りながら、なお続けた。


「あなたと私の知るルカキスとでは、天と地ほどの開きがある。その事実を飲み込んで、あなたに辛く当たってない私を逆に褒めてほしいくらい。それに引き止めたのは私だけど、最後にそうすると決めたのはあなたじゃない」


 話しながらどんどん近づいてくるセレナに気圧され、ルカキスは後退する。ついには木を背にして逃げ場を失ったところに、セレナの右手が突き出された。

 殴られると思ったルカキスは咄嗟に縮こまる。そのおかげかどうか分からなかったが、衝撃は木へと向かった。

 それでもセレナは止まらず、なおルカキスとの距離を詰めてくる。そして、身動き取れないルカキスの唇にセレナの髪が触れた。そう思った時には、頬に柔らかい感触を感じていた。


「えっ?」


 構図としては、セレナからルカキスへの壁ドンである。

 ルカキスの頬に口づけたセレナは、なおルカキスの目を覗き込みながら続けた。


「あなたはこんな展開を期待してたんでしょう?」

「…………」

「でも、今以上のことを望むなら、もっと時間が必要だわ。だって、私はあなたがどんな人なのか、ほとんど知らないんだもの」

「…………」

「だけど、私は好きになった人の全部を好きになる努力を惜しまない。だから、今は無理でもきっとあなたのことも好きになるわ。そうなったら、あなたは私に何をしたって構わないのよ?」


 少し頬を赤らめ、いたずらっぽい笑みを見せるセレナ。その態度に、ルカキスの心拍数は激しく上昇した。

 セレナの態度はルカキスを興奮させるものだったが、最もそれを煽り正常な思考を取り払ったのは最後につけ加えられたセリフである。

 その言葉はルカキスの頭の中で激しく渦を巻き、とぐろを巻いていた。


――何をしても構わない――


 これは男の心を狂わせる、究極ワードとして認定されている言葉の1つである。

 特に妖艶な美女から語られた時鉄板となるこのワードは、しかしルカキスにとって、それほど高くハードル設定されているわけではなかった。経験のほとんどないルカキスには、やりたいことが山積みだったからである。

 そして、ボーダーレスの意味を持つこのワードは、すべての望みを叶えてくれる。

それが耳に入った瞬間から、ルカキスの妄想は止まらなくなっていた。

 だが、心配には及ばない。やりたいことがあるなら、片っ端からやればいいのだ。だって、何をしても構わないのだから。あんなことや、こんなことや、そ、そ、そんなことまでっ!?……できてしまうのだから。


 セレナはまだ若く、女としての魅力も完全に開花していなかったが、だからといって究極ワードの力を発揮できないほど粗末な容姿もしていない。セレナは十分にチャーミングで可愛らしい女の子だったのだ。


「行きましょう」


 笑顔でそう言って歩き始めたセレナを、どぎまぎしながらルカキスが追う。そこに先ほどまで抱いていた後悔は微塵もなく、逆にワクワクが止まらないとテンションを上げている様子が不快に感じるくらいだった。

 ルカキスを見事手玉にとったセレナの手腕もあり、その後2人は諍いもなく順調に歩を進めた。障害となる魔物についても、広範囲の魔物を掃討していたロボのおかげだろうか、未だ一匹たりとも遭遇することはなかった。

 しかし、どのくらい歩いただろう。そろそろゲートに着いても良さそうな頃合いになっても、一向にゲートは見えてこなかった。

 体感から、いくらなんでももう着いてなければおかしいとルカキスは感じていたが、仮に道を間違えていても、方向音痴のルカキスにはそれが分からない。

 少しイラつきが見え始めたそんな時、セレナがポツリとこんな言葉を漏らした。


「おかしいわね……迷ったのかしら?」


 その衝撃発言には、さすがのルカキスも声を荒げた。


「迷った!? ちょっと待て、セレナ。迷ったとはいったいどういうことだ!?」


 動揺のあまり、ルカキスの口調には怒気が混じる。

 しかし、セレナはそれを意に介すことなく冷静に言葉を返した。


「どういうもこういうも、迷ったという説明をそれ以上噛み砕くことはできないわ。それとも自分の驚きを表現するための、単なるアピール? だったら教えてあげる。どうやら、ゲートの場所が分からなくなったみたい。だから、ゲートにたどり着くのはフ・カ・ノ・ウ……ということよ。ドゥーユーアンダースタン?」


 ルカキスの鼻の頭を指先で突っつきながら、そう返事を返すセレナ。その顔には笑みが浮かんでいた。

 だが、ルカキスは笑えない。焦燥にかられてなお声を荒げた。


「ふ、不可能って、笑い事じゃないだろうっ!?」

「だったら、あなたがゲートまで案内してよ?」

「――!?」

「ゲートからこっちに来たんだから、あなたが道を知らないわけがないわ。私にだけ責任を押しつけるのは筋違いじゃない?」


 途中、そんな会話を交わしていたおかげで、ルカキスの方向音痴はセレナの知るところである。二の句を告げず苦虫を噛み潰したような表情のルカキスは、ここにきて、他人任せで来た手痛いツケを払わされることになった。

 少し辺りを見回したものの、木の生い茂る付近の状況はたとえ方向音痴でなかったとしても場所を特定するのが難しい。ルカキスは唇を噛みしめながら、セレナを見返すことしかできなかった。

 しかし、セレナはそれを見越していたように、余裕たっぷりに笑った。


「ウフフ、別に私はあなたを咎めたりしないわ。でも、今日はもう諦めましょう。日も暮れて周りが見えにくくなってきたし、何より今からは魔物が活性化し始める。下手に動くより、日が昇るまで待った方が能率も上がるわ」

「日が昇るまでって……まさか、ここで夜を明かす気か!? ここはカリ・ユガだぞ!? そんなことをすれば――」

「ちょっと待って。ここで既に3年近くを過ごしている私に向かって、まさか意見してるんじゃないでしょうね?」


 そのキツい口調と鋭い視線に、思わずたじろぐルカキス。

 それを尻目にセレナが続けた。


「いくら日中でも、さっきから魔物と一切出くわしていないのを、不審に思わなかったの?」

「えっ!?」

「私の勇者としての能力は戦闘向きじゃないけど、逆にカリ・ユガでは有利に作用している。私が纏っている領域魔法サークレッド・スペースは魔物が畏怖するものだから、昼間は簡単に近寄ってこない。それを強化して絶対領域と化した私の結界には、夜でも入ってこれる魔物はほとんどいない。だから安心していいわよ。あなたが私の結界から出ない限り、何事もなくカリ・ユガの夜は終わるんだから」


 言い終えると、セレナは足元の地面に何かを描き始めた。それはおよそ1メートル四方の魔法陣。手にした魔法の杖、神器『サンクチュアリ』で描かれたそれは、光の線になってくっきりとその場に浮かび上がった。

 描き終えた魔法陣のすぐ脇の地面をセレナが杖で軽く突く。すると、魔法陣がその場で幾重にも複製された。

 もう1度地面を突くのを合図に、魔法陣は周囲に飛び散ってゆく。それはセレナとルカキスを取り囲むように配置された。

 それぞれの魔法陣の中心からは、青白い光の帯が立ち昇る。そのエフェクトが収まった時、場の空気は一変していた。

 清浄な空気で満たされたその空間には一切の淀みがない。周りの音すら届かないその場所は、遮断された隔離空間になっていた。

 10メートル四方の広さを持つ結界を作り終えたセレナは、その場に腰を下ろすとルカキスを見上げた。


「そんなところに突っ立ってないで、あなたも座ったら?」


 周りをキョロキョロ見回していたルカキスも、セレナに促されて正面に腰を下ろす。落ち着きのない感じでセレナに話しかけた。


「な、なんか雰囲気が変わったが、さっき言ってた結界を張ったのか?」

「ええ。それほど大きい結界じゃないけど、代わりに効果は申し分ないわ。魔物たちに結界の内側は見えないし、障害物としてしか感知できないから近寄ってさえ来ない。周りで殺戮が繰り返されてよほど瘴気濃度が上がらない限り、ここカリ・ユガでも侵入できる魔物はまずいないわ」

「な、なるほど! それでお前は今日まで無事に過ごせたのか! 凄い能力じゃないか! さすがは勇者だ! ここカリ・ユガでなら無敵の能力じゃないか!」

「……そうね」


 その恩恵にあずかれるのがよほど嬉しいのだろう。ルカキスはまるで自分の手柄のように、セレナに称賛を浴びせた。対するセレナの返答が、暗く沈んでいることに気づくことのないまま。

 しばらくは落ち着かず、ルカキスは何度も立ち上がってはちょこまか動き回っていたが、ふと目をやった視線の先に、湧き出してきた1体の魔物を見つけた。辺りが暗くなるのに合わせ、付近にも魔物が現れ始めたのだ。

 あまりに至近距離だったのでルカキスは叫び声を上げたが、魔物はその声に気づくことなく何処かへ歩いて行ってしまう。それを見てようやく完全に安心したルカキスは、顔に余裕を浮かべてセレナの前でくつろぎ始めた。


「声すら届かないとは驚きだな」


 言いながら、魔物の背に向け「バーカ、バーカ」と悪態をつくルカキス。その声に反応するかのように、魔物が振り返ってルカキスを睨みつけた。

 しかし、偶然そう見えただけのようで、魔物はまた向きを変えると、どこかへ行ってしまう。おかげで、それ以後ルカキスはおとなしくなった。


「ねえ」


 ルカキスが落ち着くの待ってから、セレナがそう声をかけた。

 立て膝を両手で抱え、上目使いにルカキスを見つめている。


「あなたがここに来るまでのことを聞かせてよ」

「あ、ああ……」


 ルカキスはいつもの軽い口調で応じようとしたが、そんな雰囲気じゃない気がして、言葉を詰まらせた。


「そ、そうだな。どこから話そうか……」

「全部話して。私が女神の手でカリ・ユガに送られた瞬間から、今日までに起こったことを全部。その時あなたがそれをどう受け止めて、どう感じたのか。心に沸き起こった思いも含めて全部私に教えて」


 まとわりつくようなセレナの口調に、ルカキスの背を悪寒が走る。

 しかし、自分の身の上話を聞かせるという自尊心にくすぐられ、虫の知らせとも取れるその直感は掻き消されてしまった。


「いいとも。では俺の波乱に満ちた今日までの日々を、セレナ……お前に余すところなく聞かせてやろう」


 そして、ルカキスは語った。全てを語った。

 セレナの態度に影響を受けてか、思いのほか事実を逸脱した部分は少なく、ルカキスの不甲斐ない一面が赤裸々に語られたりもした。

 セレナが女性だということもあり、アントリッネやレンピに抱いた邪な思いは伏せられたが、聞き上手なセレナの誘導もあって、心情を明け透けに語る場面すら交えた話は、セレナとの再会を果たすまでの全てを網羅した。

 だが、その話の中身は、ある1つの強い印象をセレナに抱かせる。

 ルカキスの過ごした充実した時間が、まるで繰り返しのような日々を過ごすセレナの3年間との強い対比を生んだのだ。

 それがセレナの表情に途中から変化をもたらしていたことに、ルカキスは気づかない。結果として、その変化を見逃したことが、セレナのある決意を促したのだった。

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