第五章 囚われの地
55話 カリ・ユガ調査団
――3年前――
王国軍とエルフ合わせて4千の調査団は、カリ・ユガで起きているとされる不穏な動きを調べるため、女神の魔法で一斉にカリ・ユガに送られた。
元の世界とカリ・ユガとを繋ぐゲートも設けられていたが、ゲートはむしろ、そこを通れば帰還できるという安心感を与える目的で設置されたものだった。
なぜなら、表向き調査と銘打たれた行軍の参加者を、女神は最初から元の世界に戻すつもりなどなかったからである。
調査団がカリ・ユガに到着すると、それは俄かに実行された。ルカキスとその配下のロイヤル・ガードたちが、突如として味方に攻撃を始めたのである。
全軍の指揮を任されていたトライセンは、突然始まった同士討ちに驚愕しながら血相を変えた。そして、勢い込んでルカキスに詰め寄った。
「いったい何の真似だ!? 血迷ったか、ルカキス!?」
ルカキスと同じくロイヤル・ガーディアンであり、国王の腹心と言われるトライセンの問いに、しかしルカキスは答えない。不気味な雰囲気を漂わせながら、なお味方への攻撃をやめようとしなかった。
それを見たトライセンは激しく動揺する。ルカキスがまるで血の通わぬ、無機質な存在に感じられたからだ。
代わりにトライセンの問いに答える者があった。それは魔法の名門ドルニア家の長子。行軍に参加したもう1人の勇者エミリアだった。
「ぜ~んぜん、迷ってなんかない。これは全部予定のこーどー。計画通り……作戦通り!」
「計画通り……だと?」
「そう。それがどんな計画かエミリア知ってる。……聞きたい? 教えてあげようか?」
そう言った時には、エミリアの正面に幾つか魔法陣が展開していた。
間を置かず、それが答えと言わんばかりに魔法が発動する。トライセンを含む周囲にいた者たちは、エミリアの放つ
「うぐっ!」
「ぐわああああぁぁぁぁぁっっ!」
兵たちが苦悶の声を上げながら次々と倒れる中、それを回避できたのは、属性攻撃無効のマジックアーマーに身を包んだ、トライセンただ1人だった。
仲間の惨状を茫然と受け止めるトライセンに、エミリアが淡々と続きを語った。
「これは実験。ついでに不要な人間をしゅくせーする。……しゅくせー? クサいの?」
誰かの受け売りなのか、エミリアは自分で口にした言葉に疑問を覚えているようだった。
エミリアは、物語冒頭に登場した勇者セレナの姉である。
少し小柄ではあったが、外見はそこに疑念を抱くことのない歳相応の少女に見えた。ただ、口調や思考からはもっと幼い印象が感じられる。
そして、今しがた複数の兵士を殺めたというのに、エミリアがそこに罪悪感を抱いている様子はなかった。その何かが欠落した無邪気さは、幼さと相まってトライセンに畏怖の念すら抱かせた。
その時、背後から迫る殺気にトライセンは後ろを振り返った。
そこには今にも剣を振り下ろそうと迫る、ルカキス配下のロイヤル・ガードの姿があった。
――いつの間に背後を!?
驚きながらも、トライセンは相手の攻撃を反射的にガントレットで受け止める。そして、そのまま反撃に転じ、手にしたスピアで鋭い突きを放った。
スピアは見事相手をとらえ、喉を貫き首の後ろから突き抜けた……かに見えた。
しかし、実際にトライセンが繰り出した攻撃は虚しく空を突いていた。その時既に、ロイヤル・ガードはトライセンの脇を抜けていたのだ。
「な、何!?」
焦ったトライセンは、またもや背後を振り返る。だが、そこにロイヤル・ガードの姿はなかった。
少し離れた視線の先には、混乱している味方兵たちが見える。その中に、攻撃を仕掛ける幾人かのロイヤル・ガードの姿もあったが、今しがた剣を交えていた相手がそこまで移動したとは考えられなかった。
疑問を覚えるトライセンの耳に、再びエミリアの言葉が届いた。
「今回の1番の目的。サイボーグのせーのー試験。だからエミリア、いっぱい殺しちゃダメだからね。――ダメですよ、エミリア。……分かった。エミリア、分かった」
途中に誰かの語り口を交えながら、エミリアは語る。
おそらくそんな忠告を受けているのだろう。エミリアの周りに展開されていた魔法陣は、言葉と共に解除された。
しかし、エミリアはどこかウズウズしているように見えた。
自分の気持ちを必死に抑えつけているように見えた。
まるで我慢の利かない子供のように……
エミリアの説明にトライセンが納得する筈もなく、このまま放置していれば部隊に甚大な被害が出るのは目に見えていた。
少女とはいえ、平然と人を殺すエミリアを手にかけることに迷いはない。トライセンは即座に間合いを詰めると、手にしたスピアをエミリアの命を絶つべく突き出していた。
「死ねええええぇぇぇぇっ!」
俄かにスピアはエミリアのもとに達し、エミリアの纏う
エア・ウォールは、空気を凝縮して作られた気圧の壁である。素材が空気なので視界を遮ることはなかったが、決して強固な防御魔法ではなかった。守りの保険、或いは別の用途で使用される魔法だった。
しかし、その上位魔法には、エア・ウォールを実戦使用に足るレベルに高めたものがある。それがエミリアの纏う
スピアは簡単にエア・ウォールを破壊したが、モルティプル・プロテクションは破壊された瞬間に、そのすぐ内側に再度エア・ウォールを構築する。
実際にエミリアの体に触れるためには、相当数のエア・ウォールを破壊する必要があり、6つ目を貫いたところでスピアは止まっていた。
「――なっ!?」
対するエミリアが、即座に魔法で反撃した。
「――ッ!?」
その時、トライセンは思わず息を呑んだ。瞬時にして、空に幾つもの魔法陣が現れたからだ。
複数の魔法を同時に操ること自体、使い手は限られたが、それでもある程度効果の高い魔法を使用する場合、片手でおさまるくらいが限界と言われていた。
にもかかわらず、その時空には高い殺傷能力を持つ
トライセンの装備の前に、それがダメージを与えることはなかったが、付近にいた百を超える味方は一瞬で屍に変わっていた。
「なっ……何ということを……」
「――ダメですよ、エミリア。……分かってる。エミリア、分かってるから」
そう言って自分に何かを言い聞かせるエミリアは、エタリナきっての魔法の名門ドルニア家の次期当主である。
魔法の優れた血統を受け継ぐ事実はもとより、その才が破格なものだという噂は、国内に広く知れ渡っていた。
ただ、それを間近で目にした者はほとんどなく、噂が独り歩きしているとタカを括っていたトライセンは、想像を遥かに上回るエミリアの力量を知り、思わずその場から一歩後退していた。
そこにまたしても背後から凶刃が迫る。動揺の内にありながらも、トライセンはすぐさまその接近に気づいた。
ロイヤルガーディアンに任じられ、王の信頼を勝ち取った事実は伊達ではない。手にしたスピアを真横に大きく振るいながら、相手の方を振り返った。
ガギンッ
スピアは相手をとらえたが、攻撃は受け止められた。
すかさず、その先に視線を向けたトライセンは、瞬間的に怒りにかられた。
そこにいたのがルカキスだったからである。
「……ルカキス、貴様っ!」
俄かにスピアを地面に突き刺したトライセンは、腰から新たに剣を抜いてルカキスに斬りかかった。
その攻撃はルカキスをとらえはしなかったが、同時に剣身からは激しい炎が噴き出した。それはルカキスに襲いかかりながら、辺りを一瞬で炎の中に包み込んだ。
トライセンが手にするのは、炎の魔力を宿した剣『フレイムブレイド』である。
そこから生じた炎は、剣を向けた相手にダメージを与えるだけでなく、周囲を広範囲に渡って焼き尽くしてしまう。
エミリアの魔法で凍りついていた周辺は、数メートルに渡って溶かされ炎に呑み込まれた。
微調整が利かず扱いの難しい剣だったが、周囲に味方がいない時は絶大な効果を発揮する。属性攻撃無効のマジックアーマーを身に付けるトライセンは、炎を盾として使うことができるからだ。
トライセンにとってフレイムブレイドは、一方的に攻めを行使できる非常に相性の良い武器だったのだ。
炎に包まれたルカキスを追ってトライセンも自ら炎の中に飛び込んだ。しかし、そこにルカキスの姿はなかった。
そのまま炎を抜けて辺りを見渡したものの、やはりルカキスは見つからない。トライセンは口惜しそうに顎をしゃくった。
「……フンッ、逃がしたか。だが、あの炎に巻かれたんだ。致命傷ではないにしても、火傷は免れなかっただろう。フフッ、逃がさんぞルカキス!」
エミリアの対処をあとに回し、トライセンはルカキスの行方を探すことにした。
捜索を始めたトライセンの目には、そこらじゅうに転がる味方兵の死体が飛び込んできた。既に陣形も崩れ、皆チリヂリになっている。
一刻も早くルカキスたちを始末して、状況を立て直さなくてならない。そう考えるトライセンのもとに、近づいてくる者たちがあった。
「「トライセン様!」」
そう呼びかけてきたのは、トライセン直属の部下たちだった。
「おお、お前たち、無事だったか!」
「はい。ですが、これはいったいどういう状況なのでしょうか?」
問われたトライセンは渋い表情を浮かべながら、疑問に答えた。
「……俺にも分からん。だが、勇者2人とルカキスのロイヤル・ガードが味方を攻撃しているのは間違いない。エミリアがわけの分からんことをほざいていたが、もはやそれもどうでもいい。国王への申し開きは俺がする。全軍で、ルカキスたちを始末するぞ!」
「「「ハッ!」」」
その時、部下の1人が不安げにトライセンを仰ぎ見た。
「ですが、トライセン様。この地で下手に手を出せば、我々は元の世界に戻れないのでは……」
そう問いかけてきた部下に、笑みを浮かべながらトライセンが答えた。
「その件なら案ずるな。この地に我らを送り込んだ女神の魔法には、加護も含まれていたと聞いている。それがある限り、我らがここから出られなくなることはない」
「おお、そうだったのですね!」
頷きながらトライセンが続けた。
「だいいち奴らの行動は、女神のご意思に反するものだ。遠慮することはない。思う存分、日頃の鍛錬の成果を発揮するがいい」
「「「ハッ!」」」
部下たちの迷いを解き放ったトライセンは、そのまま部下に指示を下した。
「お前たちは味方の統率を図りながら、ルカキス配下のロイヤル・ガードを排除しろ。だが、俺の見た限り、奴らは意外に素早い身のこなしをしていたし、エミリアの魔法がいつ飛んで来るかも分からん。周囲を十分警戒しながら事に当たれ」
「「「ハッ! 了解しました!」」」
「勇者2人の対処は俺に任せておけ。手負いのルカキスをやったら、そのあとでエミリアも俺が殺る。たまたま勇者に選ばれたくらいで、いい気になりやがって……上には上がいるということを、俺が思い知らせてくれる!」
配下の者たちと別れたトライセンは、その後すぐにルカキスを見つけた。
しかし、手負いと思われたルカキスは、火傷の後遺症を感じさせない素早い動きで味方兵に斬りかかると、たちどころに3人を葬り去った。
それだけでなく、ロイヤルガーディアンを象徴する白銀の鎧には煤ひとつ付いていなかった。そこにトライセンは疑問を覚えた。
……あの状況で、炎の影響を受けなかったのか?
そんな思いを頭に過らせながら、トライセンは一気に距離を詰めた。兵を手にかけた直後のルカキスは、ちょうどトライセンに背を向けていたからだ。
その好機を逃がさぬよう忍び寄ると、背後から無慈悲な一撃を浴びせかけた。
「フンッ!」
気合と共に振り抜いた剣身から激しい炎が噴き出す。ルカキス共々、トライセンの正面は一瞬で炎に呑み込まれた。
だが、トライセンの表情はさえない。そこにルカキスを斬りつけた感触がなかったからだ。
「――うがっ!?」
直後にトライセンは思わず呻き声を漏らした。背中に斬撃と思われる強い衝撃を感じたからだ。
チッ、ルカキスに気を取られて、背後の敵に気づかなかったか……
不意打ちを食らったものの、幸い相手の攻撃は装甲に阻まれ身体まで及んでいなかった。
トライセンは追撃を躱すために自ら目の前の炎に飛び込み、態勢を立て直してから相手を振り返った。
そこにはおそらく、ルカキス配下のロイヤル・ガードがいると思われた。
しかし、そう考えながら見据えた視線の先には、なぜかルカキスが立っていた。
その事実にトライセンは激しく動揺する。
なっ……なぜ、ルカキスが俺の後ろにいるんだ!?
自分が斬りつけた筈のルカキスが、逆に背後から攻撃を仕掛けてきた。
トライセンは、その答えを即座に導き出していた。
……そうか、幻影魔法か。
そんな小細工まで使えたとは。俺としたことがぬかったわ……
相手の策に嵌められたと考えるトライセンは、憎悪に顔を歪める。だが、それはすぐにドス黒い笑みに塗り替えられた。
フフンッ。だが、今のチャンスをものにできなかったのは、痛恨だったな。
終わりだ、ルカキス。お前にもう勝機はない!
必勝を期するために、トライセンは先ず自分の周囲に何度か剣を振るった。すると、背後や側面を覆っていた炎がたちまち勢いを増した。
その激しい炎に守られながら、トライセンは涼しい顔でルカキスに歩み寄った。
過去、この戦闘形態をとったトライセンが敗北したことはない。そこから来る安心が余裕を生み、トライセンを饒舌にさせた。
「ルカキス。お前が何を考えているかは知らんが、お前の行為は国王に対する立派な反逆罪だ。よって、俺の判断で直ちにお前を処分する。この期に及んでは、申し開きに応じる気もない。……死んで詫びろ、ルカキス。そして、ここカリ・ユガで永遠に罪を償い続けろ!」
そう告げるなり、トライセンは炎の中から2度剣を振るった。
そこから生じた炎はルカキスの両サイドを走り抜け、そこに炎の膜を作り出した。
トライセンは、ルカキスから背後以外の逃げ場を奪ったのだ。
「俺に背を向け、逃げてもいいんだぞ? もっとも、お前が俺の炎より速く逃げきることができるならな」
言葉と共に剣を振り上げたトライセンは、そのままの姿勢でいたぶるような視線をルカキスに向ける。
どうした、逃げないのか?
それとも命乞いするか?
そんな思いで笑みを浮かべるトライセンの背中に、その時またしても強い衝撃が走った。
「……ぐっ、何っ!?」
周囲を炎で守られているトライセンに近づける者はいない。にもかかわらず感じたあり得ない衝撃に、トライセンはすぐさま背後を振り返った。
だが、そこに誰かがいる筈もない。そして、目の前には依然としてルカキスが立っている。その答えをトライセンは、エミリアの魔法だと考えた。
エミリアが遠距離魔法で無差別攻撃をしていると考え、エミリアを放置している危険性に気づいたのだ。
「悪いな、ルカキス。お前と遊んでいる場合ではなくなった。自分の行いを後悔しながら炎の中で焼け死ぬがいい……さらばだ、ルカキス!」
言葉と共に振り下ろされた剣先から強烈な炎が伸びてゆく。それはまるで生き物のように襲いかかり、ルカキスを呑み込んでなお10メートル以上先にまで及んだ。
逃げ場を封じられていたルカキスが躱しきれる筈もなく、炎の中からそれを見届けたトライセンは、僅かに口の端を緩めた。
しかし、これで終わったわけではない。即座に気を引き締め直したトライセンは、次のターゲットへと思考を切り替えた。
「残すはエミリアか。あいつの魔法は少し厄介だが、俺にはまだ切り札がある。すぐにルカキスのあとを追わせてやる」
その足で、トライセンはすぐさまエミリアのもとへとって返した。
そこへ向かう途中、トライセンは先ほどより状況がかなり悪化しているのに気づいた。
いや、悪化しているどころではない。見渡す限り、未だ抗い戦っている味方兵の姿はどこにも見えなかった。
そして、目に映るおびただしい数の死体。トライセンの頭に最悪のシナリオが過った。
ま、まさか全滅なのか!?
俺がルカキスの相手をしていた、たったあれだけの間に……
倒れている死体の様子を見る限り、斬り捨てられた数より圧倒的に魔法で殺された者の方が多かった。
その時、誰かの話し声がトライセンの耳に聞こえてきた。
「――エミリア、ちゃんと言いつけは守りましたか?……うん。エミリアぜんぜん殺さなかった~。ちょっとしか殺さなかった~」
そんな言い訳を練習するエミリアに、トライセンが背後から歩み寄った。
そして、怒りを押し殺しながら恨み節を告げた。
「お前を侮っていた。俺はルカキスでなく、お前を先に殺さねばならなかった……」
その声に振り返ったエミリアは、咄嗟に魔法を発動させようとする。
しかし、俄かにそれをキャンセルすると、かぶりを振ってから応じた。
「……もう、エミリア殺さない。これ以上殺すと怒られるから」
それを聞いたトライセンは、思わずその場で吹き出していた。
「フハッ!? フハハハハハハハッ! 何だそれは? 命乞いか? 今さら反省したところで、俺に許してもらえるとでも思っているのか?」
告げると共に全身に殺気を漲らせるトライセン。同時に、エミリアが身構えるより先に剣を振るった。
正面を薙いだトライセンの剣から激しい炎が吹き出す。それはエミリアに向かい、瞬く間にエミリアもろとも周囲を炎の中に呑み込んでしまった。
だが、それを突っ立ったまま見つめるエミリアには、全く炎が及んでいない。
エミリアが常時発動させている8つの補助魔法の1つ、
トライセンはそのまま幾度も剣を振るうと、エミリアの周りを広範囲に渡って炎で包囲してしまう。そして、炎の中に身を隠しながら、声高に話しかけた。
「フフッ、俺がどこにいるか分かるか? 分からんだろう! だが、俺にはお前の位置が手に取るように分かっているぞ!」
どんどん勢いを増す炎の中、トライセンの言葉通り、エミリアの位置からでは炎の中で黒い影が動く様子すらとらえることはできなかった。
しかし、当のエミリアがトライセンの居場所を気にかけている様子はなく、1人で言葉遊びを続けていた。
それは先ほどエミリア自身が口にした『もう殺さない』という言葉。それを撤回するために、必死になって誰かと言い争っているように感じられた。
一方、この状況を作り出したトライセンは、炎の中に身を置きながら、心の底から自分の勝利を確信していた。
先ほどまでに何度か目にしたエミリアの力量は、トライセンの知る魔法使いの中でも屈指のものだというのは分かっていた。さすがにエタリナの二大巨頭と言われる魔法の大家、ドルニア家の正統後継者だけのことはあると舌を巻くほどに。
ルカキスを仕留めたフレイムブレイドの炎も、あっさり対処されている現状を考えても、簡単に葬れる相手でないのは分かっていた。だが、それでもトライセンはエミリアに一撃を食らわせる自信を持っていた。
それはトライセンがエミリアを甘く見ていたのでも、過信が生んだのでもなかった。トライセンには対魔法使い用の秘策があったのだ。
トライセンの腰には、フレイムブレイドとは別にもう1本剣が差さっていた。
黒い鞘に収まる刀と呼ばれるその剣は、親交の証にとアバネの手を介してトライセンにもたらされたものだった。
その本来の持ち主はアバネではなく、狭間が異世界から持ち込み所持していたものだった。妖刀と呼ばれる特殊な力を秘めた剣だったのだ。
妖刀は凄まじい斬れ味を誇るだけでなく、この世界の魔力と呼ばれる力を吸い取ることができた。それは魔法に対して高いイニシアチブを持つ優れた効能だった。
例を挙げよう。
たとえば妖刀の力で、トライセンの周りに広がっている炎は消せるか?
答えはNOである。魔法で具現化された炎は、物質界に存在する炎と同質のものである。従って、それは既に物質であり妖刀では消せないのである。
では妖刀の力で、エミリアのエアスプラッシュを無力化できるか?
答えはYESである。エアスプラッシュで具現化された風の刃には、魔力で指向性と形が与えられている。妖刀はそこから魔力だけを吸い取る。すると指向性も形もない、単なる空気だけが残されることになる。
もはやそこに殺傷能力はなく、エアスプラッシュは無力化されてしまうのである。
このように妖刀は魔力だけに作用する。
当然、物質が具現化される前なら魔法の発動自体への干渉も可能だし、常時発動の防御魔法などは常に魔力を帯びているので、効果を打ち消すこともできる。
魔法使いにとって厄介な武器であることに間違いはなかった。
その効果を知ったトライセンは狂喜した。そして、対魔法使い戦において絶対の自信を持ったのである。
相手の警戒を完全に逸らすため、トライセンはエミリアの正面に向けて1度剣を振るった。
そこから生じた強烈な炎がエミリアに向かったが、それはエミリアを守る冷気の壁に苦もなく受けとめられてしまう。
しかし、トライセンはそれでいいと言わんばかりに頷くと、炎を生み出しているフレイムブレイドを、鍔の突き出た部分を地面に向けて斜めに突き刺した。
そして、炎を解除することなくその場を離れた。
いくら炎を向け続けたところで、エミリアのカウンター・プロテクションを突破することはない。
だが、炎が生じ続ける限り、エミリアはそこにトライセンがいると思い込む。その隙をついて、背後に回り込むのがトライセンの作戦だった。
「――エミリア、そんな言い訳は通用しませんよ。……じゃー、エミリアもう、このままお家帰れない?」
そんな能天気なことを口するエミリアは、全く警戒している様子もない。
その間に背後を取ったトライセンは、一気にエミリアとの距離を詰めた。そして、マジックアーマーの効果で冷気の壁をすり抜けると、腰から妖刀を抜きエミリアに斬りかかった。
刀身がエミリアに向かう中、身体に触れるより先にモルティプル・プロテクションの効果でエア・ウォールが生じたが、それは妖刀の力の前に掻き消されてしまう。
エア・ウォールは
そう思われた瞬間、しかし刀は何かに受け留められていた。
そして、強い力でトライセンを押し戻すと同時に、巻き上げられた刀がトライセンの手元を離れた。
「――なっ!?」
驚きの表情を浮かべるトライセンの前には、いつの間にかエミリア以外に立つ者の姿があった。
「ル……ルカキス!? お前、生きていたのか……」
その言葉に応じることなく、空から落下して来たトライセンの刀をルカキスが手にした剣で弾いた。
至近距離で弾かれた刀が回転しながらトライセンに向かう。それをトライセンは反射的に首をひねって何とか躱したが、代わりにマジックアーマーの右肩部分に妖刀がめり込んで止まった。
その直後、目の前にいたルカキスが突然消えた。そう思った時には、トライセンの背中に
三度目の正直。
それは斬撃ではなく、腰の辺りを突き飛ばすように蹴られた感覚だった。
「ぬおっ……」
それが致命傷になることはなかったが、押された勢いでトライセンは前に向かって走り出す。俄かに目の前にいたエミリアとぶつかりそうになった。
だが、それより一瞬早く、エミリアの姿もまた消えた。トライセンを避けるように、転移魔法を使って移動してしまったのだ。
その先に待っていたのは、フレイムブレイドから放たれた紅蓮の炎である。
エミリアがいなくなると同時に、冷気の壁も失われてしまった。遮るものを失った炎は、もの凄い勢いでトライセンに迫っていた。
トライセンは驚愕の
思わず、叫び声を上げた。
「ま、待て! 待って――く、ぎぎゃあああああぁぁぁぁ――――――――っっ!」
自らの炎に焼かれながら、トライセンはなおその中を走り、そして転んだ。
吹き荒れる熱風、燃え盛る炎のど真ん中で転んだのだ。
妖刀の一撃を鎧で受けたことで、マジックアーマーの効力が失われたのはトライセンにも分かっていた。そして、鎧に突き刺さる妖刀に炎を消す力はない。
指向性を奪われた炎はトライセンのいる場所に留まり、巨大な炎となっていつまでも燃え続けた。
妖刀はトライセンにとって諸刃の刀であり、だからこそ、ここぞという時以外は決して抜かない懐刀でもあった。
そして、今回その力は自身に牙を剥く結果に終わったのだ。
トライセンの1つの誤算は、ルカキスを仕留めたと勘違いしたことだった。
それは、トライセンがサイボーグの尋常でない速度を理解してなかったことと、ルカキスやロイヤル・ガードたちが、サイボーグだと知らないことでもあった。
もっとも、それを理解していたところで、初めからトライセンに勝機などなかった。
トライセンが目にしたのは、エミリアが使う魔法のほんの一端に過ぎず、そこには埋めようのない力の開きがあった。エミリアは、妖刀一本で太刀打ちできるような、そんな生半可な魔法使いではなかったのだ。
トライセンの断末魔の叫びは、ルカキスを伴い少し離れた場所に転移していた、エミリアの耳にも届いていた。
しかし、エミリアがそんなものに関心を示す筈もなく、その目は全身鎧に身を包むルカキスの足に向けられていた。
ルカキスは、澄ました様子でエミリアの傍らに立っていたが、普通の人間ならそんなことはあり得ない。なぜなら、ルカキスの脇には、もげた彼の片足が無造作に横たえられていたからだ。
どうやら、トライセンを蹴り飛ばしたあとに膝から下がもげたようだったが、それは蹴った衝撃が大きかったのではなく、尋常でない速度での度重なる移動が、耐久を上回ったのが原因のようだった。
「とれてるじゃん。……痛くないの?」
ルカキスの足を指さしそう指摘するエミリアに、ルカキスは何も答えない。
その答えを自分の中で導き出してから、エミリアが続けた。
「エミリアのために頑張り過ぎちゃったの?……よしよし」
背伸びして手を伸ばしたエミリアは、労うようルカキスの頭を撫でてやる。
その横で、剣を支えに片足で立つルカキスは、ただ不動を貫いていた。
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