第19話 人間の描写。

 たいていの小説には人間が出てきます。

 以下は青空文庫から、ディケンズ著『クリスマス・キャロル』の中のスクルージの紹介文です。


>ああ、しかし彼は強欲非道の男であった。このスクルージは! 絞り取る、捩じ取る、掴む、引っ掻く、かじりつく、貪欲な我利々々爺がりがりじじいであった! どんな鋼でもそれからしてとんと豊富な火を打ち出したことのない火燧石ひうちいしのように硬く、鋭くて、秘密を好む、人づき合いの嫌いな、牡蠣カキのように孤独な男であった。彼の心の中の冷気は彼の老いたる顔つきを凍らせ、その尖った鼻を痺れさせ、その頬を皺くちゃにして、歩きつきをぎごちなくした。また目を血走らせ、薄い唇をどす蒼くした。その上彼の耳触りの悪いしわがれ声にも冷酷にあらわれていた。凍った白霜は頭の上にも、眉毛にも、また針金のような顎にも降りつもっていた。彼は始終自分の低い温度を身に附けて持ち廻っていた。土用中にも彼の事務所を冷くした、聖降誕祭クリスマスにも一度といえどもそれを打ち解けさせなかった。


 これだけでも長いのですが、実際はこの三倍以上に渡って、スクルージの描写が続きます。ちょっと吐き気がしそうな文量ですが、これが基本だと思ってもらえれば、人物描写の難しさが分かってもらえるかと思います。もっとも、ディケンズは上手く書きすぎました。その結果として、スクルージは守銭奴の代名詞になったわけです。


 我々は凡人を頭に描きがちです。「私はA子。いたって普通の女子高生です」という書き出しを想像してしまいがちです。ですが、実際は「雑草という名前の草は無い」の言葉通り、「凡人という名前の人物は存在しない」のです。おそらく、A子はこのように書き出されるべきでしょう。(書き出しの例にするつもりでしたが、本文が伴わないと説得力が無いとの判断で、長文になりました)



 今日、芥川全集を読み終えた。それでも私は夏目漱石のほうが好きだ。『吾輩は猫である』の第一節は丸暗記している。吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪どうあくな種族であったそうだ。

 朝。食事を終えた私は薙高の制服、紺の冬服に着替えて、長い黒髪をとかし、姿見で最終チェックをしたあと、家を出た。B子はあえて冬服でなくセーターを着るのが萌えるとかなんとか言っているけれど、服装のセンスが無い私にはよくわからない。昨日までの雨は上がり、今日は晴天。私は自転車に跨って、薙高までの道のりを駆けた。途中の十字路で茶髪ショートカットのB子と合流する。

 薙刀高校は一言で表すなら「とても危険な場所」だったから、私は文芸部員でありながら部から貸し出されたグロック26を腰に差している。グロック26というのは、主に西欧の警察機構で採用されている拳銃の小型版で、日本人にも扱いやすい。別に使わないに越したことは無いし、私のゴム弾射撃の腕は下手くそだけれど、銃を持たないことを選択した生徒はまさしくカモであり、すぐに「悲しい事故によって」不登校に追いやられた。通学距離が短いから、というだけで薙高を選んだのは間違いだったかもしれない。

 入学後すぐに、B子にそのことを言ったら、思いっきり笑われた。B子は言った。薙高は米帝も恐れて手を出せない悪の秘密結社だよ、と。当時はそんなバカなと思ったが、私はそれが真実であるということを、日々、身をもって理解していった。私は文芸部に所属し、シークレット――秘密に満ちた地下組織だ。そんなものが薙高にはある――のチーム「クローゼット」に入ることで、一応の薙高での立場を手に入れた。

 先輩のC男と出会ったのはそんなめまぐるしい春も終わろうかというときだった。C男は現れるや否やいきなり文芸部永世名誉部長を名乗り、一方的に同人誌「キップル 第一号」の製作計画と六月一日という締め切りを決めた。私ことA子は、ぜひもなくその企画に乗った。

 私は一週間、放課後の教室に残って原稿用紙に恋愛小説を書いた。ところが書きあがったそれを一読すると、C男は楽しそうに原稿用紙を縦に引き裂いた。どうしてそんな酷いことするんですか! と泣いて叩いて抗議してもC男は知らん顔だった。C男は言った。没。リジェクト。やり直し。

 放課後、私の悪戦苦闘の日々が始まった。B子はそんな私の苦難を横目に、ノートパソコンに向かって、がーっと小説を書いた。これはC男の基準ではあっさりとOKになった。えこひいきだと思った。

 私は毎日、教室に残って、りることなく原稿用紙に恋愛小説を書いた。新しく書き上げる度に、C男の態度は少しずつ変わり、ついに原稿用紙を破らずに赤ペンで改稿を指示するようになった。真っ赤になった原稿用紙を見て、いままで自分がどれだけ変な文章を書いていたのかを、私は急に自覚した。

 私はC男の才能が羨ましかった。B子の才能が妬ましかった。それはいつのまにかC男への憧れに変わり、B子への対抗心となった。恋愛小説は徐々に完成度を増していき、ようやく締め切りの二日前にC男のOKをもらった。かくして同人誌「キップル 第一号」は無事刊行された。薙高新聞の一面に広告が掲載され、多くの読者が私とB子とC男の書いた作品を読んでくれた。そして熱心な読者たちから、いくつかの感想メールをもらった。飛び上がるほど嬉しかった。

 夏になり、秋になった。文芸部に入部する生徒の数が増え、「キップル 第二号」「キップル 第三号」は順調に厚みを増して刊行された。

 そんなある日のことだった。私ことA子とB子とC男は唐突に、エッセイ「誰でも分かる!小説の書き方入門」への出演が決まった。話を聞くと、十一月から十二月にかけて連載される作品らしい。初の主演である。私の胸は高鳴った。親友だが、小説書きとしてライバルでもあるB子にも負けてはいられない。

 私は本番の前に、唇に新品のリップクリームを塗った。舞台の幕が上がる。私は満身の力を込めて喋った。



 こんな書き出しのほうが、A子を何倍魅力的にするでしょうか。

 人間には特長があります。それを最初にもってこないといけません。そして、ディケンズほどではなくても、延々とその特徴を描写することです。そうすることで、読者はリアリティを感じ、絶対に抜け出せない感情移入を起こします。


 そうすればしめたものです。

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