§2-2 今だけ、まだ、ごめんなさい
伯父さんと今度は役所で住居移動の手続きをして、さらに転校先の小学校に挨拶に出かけて、卒業までの半年間ですがよろしくと頭を下げた。
新しい学校の校長先生もあたしの事情に同情してくれたけど、熱心に話をきいてくれたのはやっぱり伯父さんが公務員だったせいかもしれない。教育委員会のナントカさんが同期でどうのこうのという話題で打ち解けていた。
それから初登校日までに揃える学用品リストと学校行事のプリントを貰って、ファミレスで遅いランチを食べて半分残した。
ちょっと休憩したあとはホームセンターで学習机とベッドの配送を頼んで、机のデザインを選ぶ過程でちょっぴりケンカしてしまったあたしたちがカフェでコーヒーとオレンジジュースを飲む頃にはすっかり日が傾きかけていた。
あたしは何度も伯父さんに「変な男の人につきまとわれているんですけど」って打ち明けようとしたんだけどタイミングがつかめない。
きっとそんなことを言ったら病院に連れて行かれる。
「新しい学校は、前のところと違って雰囲気もよさそうだったね。先生もよく見てくれそうだし」
「でもあたしはひたすら受験勉強しなくちゃいけないんでしょ?」
「もちろん。今日のうちに塾の手続きもしておかなくちゃなあ。駅前の早蕨進学館がいいと思うんだよ。スクールバスが家まで送ってくれるし」
「あたしはべつにどこでもいいです」
伯父さんはコーヒーカップを持ち上げようとした手を止めた。
「……意見があるなら素直に打ち明けて欲しいな。僕はまたしても暴走してる?」
「いや、あの、そういう意味じゃなくて、ほんと、あたしこの町のことなんて全然わかんないから、これからのことを相談するような友達もいないし、今は全部伯父さんに決めてもらったほうがいいんです。中学受験なんて考えたこともなかったし」
誠実な言葉というのはいったいどんなふうに話せば伝わるのだろう。
喋れば喋るほど性格の悪い子だとバレちゃいそうで怖い。
今のあたしは伯父さんの親切を失ったら本当の家なき子になってしまう。ただでさえ今は頭が壊れかけて幻影に悩んでいるというのに。
あたしはいい子にしてなくちゃ。
誰からも愛される可愛い女の子にならなくちゃ。
伯父さんは気を取り直したような声で、うん、と頷いてくれた。
「そろそろ真南が帰ってくる頃だ。塾の手続きが済んだら真南を呼び出そう。今夜は外食だ、もつ鍋でも食べに行こうかね」
悪い誘いではないけれど、お昼のハンバーグランチも食べきれなかったし食欲がなくて気が重い。
外食なんて気分にはなれなかった。
胸の中にはまだ奈那さんのことがいっぱいに詰まっている。今夜もきっと眠れないと思う。
でも断れない。
あたしはいい子でいなくちゃ、可愛い素直な子にならなくちゃ捨てられる。
喫茶店を出て早蕨進学館の入校手続きをした。
月謝についての細かいことは事務員さんと伯父さんの問題だ。その間、あたしは三階建ての建物の中を見学した。
やる気とか根気とか努力とか、あたしの大っ嫌いな単語が壁に躍っていた。
『本年度躑躅丘学園中学校受験合格者 当校より十名!』
これ多いの? 少ないの?
事務室から伯父さんが出てきたのであたしは駆け寄る。
「あたしいつから通えますか」
「入塾は来週。秋開講のクラス分けテストが土曜日にあるからそのタイミングで合流」
「土曜日? ずいぶん遠いんですね」
「事務長さんは、躑躅丘を受けるんだったら受験まで残り半年もないし明日からでも全力で頑張らなくちゃやばいだろうって言ってたけど、君、明日から全力で毎日勉強できる?」
「……それは」
「たしかに大人に比べて子どもは傷口の治りも早いけど、だからって痛みが軽いってわけじゃないよね。君のママ、──妹と僕も子どものときに両親を亡くして親戚の家に居候させてもらってたから、君が心配していることも萎縮していることも理解できるよ。捨て猫みたいに拾われて養われるのってさ、意外と安心できないよね。皆はアタラシイカゾクが出来てヨカッタネって言ってくれるけど、地面が崩れて半分浮いてるみたいに気持ちがフワフワしてさ、どこにいても肩身が狭くて呼吸が苦しい。心配されてるのに申し訳ないって思うよね、でも同情で餌付けされてるくらいならめんどくさいからいっそもう死んじゃって思ったりして」
伯父さんは立ち止まってあたしを見おろした。
「あやちゃん。君が今日まだ一度も泣いてないからおじさん心配してるんだ」
「あ……」
思わず伯父さんのスーツの裾を握った。
うまいこと言おうとしたけど失敗して、うう、ああ、と赤ちゃんみたいな泣き声が出た。
甘えてばっかりでだめだ。あたしぜんぜんだめだ。
まだまだ悲しくて、まだまだ、ぐちゃぐちゃなんだ。
いい子になれなくてごめんなさい。可愛い子じゃなくてすみません。
今だけ、まだ、ごめんなさい。
*
ぐちゃぐちゃのままでも太陽は昇り太陽は沈む。
晩夏と初秋は一進一退の攻防を繰り返して、暦の上ではとっくに秋半ばを過ぎて朝晩の風はすっきりしているけれど、昼の間はうだるほど暑い。
秋の高温は異常気象のせいだとテレビは言っている。
*
新しい小学校に転入した。
それから今日まで一週間と少々、あたしはまだ一度も学校を休んでいないし、もちろん保健室のお世話にもなっていない。
時期はずれの転入生だし、しかもあと半年もせずに卒業するクラス。正直いってあたしは浮いてる。でも平気だ。こういう環境で焦るとろくなことにならない。あたしはまだ小六だけど、前にいた小学校での経験からそれくらいのことはわかる。
前の学校はクラスからも担任からも嫌われていたしあたしも嫌っていた。だけど今のクラスは強いて言うなら好きでも嫌いでもない。
空気でいいんだ。背景でいい。
目立ちたくない。
――って言ってるのに!
「真南、もっと離れて歩いてくれる?」
朝の通学路が苦痛だ。
駅に向かう真南と途中まで一緒になる。あたしは別々に家を出たいのだけれど、またしても伯父さんが暴走して「おまえたちはもう兄妹なんだから」と途中まで一緒に登校するように言いつけたのだ。
躑躅丘学園のブレザーは濃紺でスタイルがいい。
ネクタイもボタンでぱちんと留めるインチキなやつではなくて、毎朝自分でしゅるしゅると結ばなくちゃならない。真南はこのネクタイが苦手で毎朝のように伯父さんに直してもらっている。
たぶんどんな不細工が着ても上品に見えるように仕立てられている。だから元から悪くない顔立ちの真南にとっては、さらに百倍増しというか。
……目立つ。すごく。
「真南、あたしと一緒に歩くのやめて。目立ちたくない」
あたしが三歩離れると真南は三歩近寄ってくる。
わかっている。
これは厭がらせなのだ。
あたしが部屋の半分を横取りしたことを根に持っている。たぶんあたしが部屋のスペースを返上して階段下の倉庫で寝起きしますって言いだすまで地味な厭がらせを続けるつもりだ。
でも、もう机もベッドも買い揃えてもらったし、クローゼットも貰っちゃったし。
「自信過剰なんじゃないの? 世界の全部がおまえのこと見てるような気がしてるんだろ。転入生にはよくあることだけどそういうの何て言うか知ってる? 中二病」
「あたしまだ小六だし」
苛々する。
あたしは歩幅を広くした。
「おうおうやるかっ、ぼくの無敵のパンチが炸裂するぜ!」
真南はいきなりあたしの前に立ちふさがり、腰を落として両の拳を構えた。
「ヘイカモン、負けたらぼくの部屋を返せよな!」
「……」
あたしは無言で真南の脇をすり抜けた。
「おいってば! クソバカ女、待てよ!」
男子ってバカだ。
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