エピローグ

 引越しトラックが走り去っていくのを眺めていた。

 距離が離れていくに従って言い表せない気持ちが湧き上がる。

 

三春は、深呼吸してから家に戻った。

 家具や電気製品が運ばれた後の、がらんとした自宅をうろうろする。

 自家用車に詰め込む荷物を用意している母親から、二階にいなさいと言われて自室へ行く。部屋の真ん中で携帯を意味もなく弄る。

 そうしたら苑原 咲から電話が掛かってきた。ワンコールで出る。


「もしもし」

《三春? ちょっと出て来れない?》

「いいよ」


 咲の指定した喫茶店へ向かう為、駆け足で階下まで駆け降りて母親に出掛けて来ると言い捨てて家を飛び出した。玄関出る時、父親とぶつかりかけた。

 いつも放課後に内緒で立ち寄っていた喫茶店。

 顔なじみのウェイトレスさんに咲がいるテーブル席に案内して貰った。

 テーブルには、ちゃっかりケーキセットを頼んでいる咲と……。


「闇夜――――」

「お久しぶりです」


 口元だけ空いている白い仮面をつけていたが、黒いフードマントを着ており、良い香りの紅茶を目の前に心地良い声で話すのは闇夜で間違いなかった。

 三春は、咲の向かいの席に向かった。


「引越しされると聞きました」

「うん。まあ、色々遭ったからね」


 三春の姉……真野 七夏を始めとした高校生怪死事件は、公衆の面前で公開自殺をした一人の少女によって報道が過熱し、三春は学校でも注目の的だった。

 それは両親も同じく、周囲から同情と好奇の眼差しに疲れてしまい、家族会議を何度も重ねた結果、心機一転引っ越す事に決めた。


「ごめんね。連絡もせず、いきなり闇夜を連れて来ちゃって」


 咲は、一連の怪死事件の事も三春を気遣って今まで口に出す事は無かった。

 心優しい親友に、三春は屈託ない頬笑みを浮かべて応えた。


「ううん。むしろ、ありがとう。

 この土地を離れる前に話す機会を作ってくれて」


 そう言うと三春は闇夜に真剣な眼差しを向けた。

 闇夜も、背筋を伸ばして彼女からの言葉を待った。

 周囲の人間に聞こえない程度に、でもBGMよりも若干大きめに三春は言った。


「私、闇夜の事、まだ許せてない」


 咲は息を呑んだ。闇夜は何も言わなかった。

 三春は唇を湿らせて、深呼吸をしてから一気に言った。


「黒江 麻実さんの辛い過去、そして白血病の事も同情はする。

 でも、それを理由に復讐してはいけないと思うの。

 どんな理由があっても復讐は正当化されてはいけないのよ!

 今回の復讐は、誰が幸せになった? ……誰もなってない!

 ただ周囲に悲しみと憎しみが残っただけ!」


 闇夜は相槌も頷きもしなかった。三春は躊躇わず話し続ける。


「闇夜は、復讐は愚かな事だと知っていたはず!

 だから私は、最後の……宇都木 真司さんに物語を届けた事が許せない。

 闇夜が届けていなければ黒江さんの罪は、そこで止められたのよ。

 もっと前から……闇夜には黒江さんの復讐を止めるチャンスがあったはず!

 闇夜は、黒江さんと親しかった。

 彼女の心の闇に気付く機会は、いくらでもあった!」

「三春……」


 捲し立てる三春に、咲がおずおずと声を掛ける。


「――――その通りです」


 闇夜はしばらくしてから、頷いた。


「ワタシには、麻実を止められました。

 彼女は、ワタシには本心に近い部分を見せてくれていたと思います。

 彼女の悲しみ、苦しみを一番解り得る立場にワタシはいました」


「そうでしょ!? それなのに! 闇夜は、彼女の支えになろうとしなかった!

 上辺だけの関係を築いて、それだけで満足していた!

 本当に苦しんでいる出来事を知る事も、共感する事も出来なかった!

 だから彼女の復讐に、まんまと利用されたんだ!!

 あの日だって……私達が家に行くまで、彼女と一緒だったんでしょ?

 その時に、どうして復讐の物語の事を話さなかった!?

 どうして彼女の心の闇に立ち向かわなかった!? どうして!?」


「……既にワタシも共犯でしたから」


「だから彼女と共に堕ちて行こうと!? ふざけるな!

 闇夜がする事は、そんな事じゃなかった! 彼女を救い出す事だった!

 絶望の淵に両手で掴まって奈落に落ちる恐怖に怯えている彼女と、一緒に落ちてあげるんじゃなくって、両手を掴んで引っ張り上げてあげるべきだった!

 そうすれば……そうしたなら、彼女は……!!」


 もはや周囲の目を気にしないで、泣き出す三春。

 やりきれなかった。誰も、死ぬべきじゃなかったのに。

 苛めを犯した四人も。復讐に取り憑かれた少女も。

 死んでしまった人達を想って、その死を心から悼んで……三春は泣いた。

 BGMが美しいピアノに変わった。闇夜は三春を見据えて話し出した。


「『言葉が役に立たないときには、純粋に真摯な沈黙がしばしば人を説得する』

シェイクスピアの言葉です。

 復讐に囚われていた麻実には、もはやワタシの言葉は届かないだろうと思い、何も行動しませんでした。

 今回のワタシの独善的な思考の所為で、多くの方々に悲哀と憤怒……そして憎悪を振りまいてしまった事、後悔してもしきれません。

 三春の仰るとおりです。ワタシは最低でした。申し訳ありませんでした……」


 闇夜は深々と頭を下げた。三春は紙ナプキンで涙を拭く。

 ……わかってる。物語の作者が死んでしまった今……真実を知った事で生まれた負の感情をぶつけられるのは闇夜だけだから。

 わかっているから三春は、ひどい言葉を闇夜に投げつけている。そして闇夜が心から悔いており、麻実の死を悲しんでいる事も――――わかってる。だから。


「私だけの許しの言葉じゃ闇夜は救われないよね」


 精一杯の気持ちを込めて、三春が言うと闇夜は微笑んだ気がした。


「大丈夫ですよ、三春。移転した新たな土地で、幸多き事を願っています」

「うん、ありがとう」


 闇夜が右手を差し出したので、三春は握手を交わした。


「……あ、ありがとうで思い出した!

 この前、貧血起こした時、運んでくれてどうもありがとう」


 そう言うと、闇夜も咲もクスクスと笑い出した。


「どういたしまして三春」

「そうだぁ! あたし、けっきょく闇夜の怖い話聞いてないんだった!」

「また遊びに来て下さい。いつでもお待ちしております」

「うん! また三春と一緒に行くから!」


 和やかな空気に戻った時、携帯が鳴った。

 簡易メールが母親から送られていた。


「ごめん、咲。そろそろ出発みたい」

「あ、わかった!」


 三人して喫茶店を出る。三春と咲、闇夜……互いに別方向へ歩き出す。

 また不思議な語り部と会うのは、遠い様できっと近い将来。

 二人が三春の自宅に戻ると見慣れた人影が玄関の前にいた。


「あ! 達哉さん!」


 高城 達哉が片手を上げて応えた。


「あれ? 仕事は、どうしたんですか?」

「はい。謹慎中に捜査していたのがバレてしまって、謹慎が伸びました」

「ええっ?!」

「大丈夫ですよ。免職になったわけじゃないんですから。一応、公務員ですし」


 一瞬だけ冗談っぽく笑ったが、すぐに笑みを消して神妙な顔つきになった。


「俺の所為で、三春さんには余計に辛い思いをさせてしまったな」

「私だって、お姉ちゃんの死の真相を知りたかったから……そりゃ辛い事や悲しい事もありましたけれど黒江さんの事を知らないままだったら、きっと私……」


 姉の死は悲しみを生み出し、ずっと秘められていた心の裏側……醜悪な負の感情を次々と喚起させて、三春を振り回して苦しませた。

 それから救われたくて、もがいた。

 一人では真相には至れなかった。そして苦しみも乗り越えられなかった。


「だから、感謝しています」


 三春が右手を差し出すと達哉は恥ずかしそうに笑った後、握手してくれた。


「向こうでもお元気で」

「ありがとうございます」


 三春は、見送ってくれた咲と達哉が見えなくなるまで、手を振っていた。

 引越し当日、清々しい気持ちで新天地へ向かう事が出来る。

 まるで神様が気持ちを切り替えられるように計らって、出発前に人を集わせてくれたのではないかと思った。三春は笑顔を浮かべて席に深く座り直した。


 その時、視界の端の窓に一瞬、黒いマントを着た人が過った気がした。


 慌てて振り返ったが、交差点を行き交う人達が多くて見つけられなかった。

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