チャプター7

 達哉は、三春から聞いた行き方に従って電車に乗って廃れた商店街を通って、闇夜の住むといわれている建物までやって来た。


「廃屋じゃないか……」


 どう考えても人が住んでいるとは思えなかった。

 塗装はところどころみすぼらしく剥がれているし、家の周りを蔦が生い茂っているのも不気味だ。全体的に空気が重い気もする。

 家の裏にある小さな曇りガラス窓からは、家の中を窺う事は出来なかった。

 家の周囲を巡回してから、達哉は意を決して出入り口のドアをノックした。


「はい」


 家の中からは当たり前のように、人の声がした。

 そして静かにドアが開いて白い仮面を被った者が応対した。

 奇抜な格好だとは聞いていたが、実物を見た方が衝撃が大きかった。

 達哉は冷静を保つよう努力した。

 相手のペースに巻き込まれたら、終わりなのだ。


「闇夜さんですか?」

「はい」

「お話を窺いたいのですが」

「……どうぞ」


 ドアが大きく開いた。内装は、達哉の予想とはだいぶ違っていた。

 人が住むには充分な家具、そして設備がきちんとされており、居心地は悪そうには見えなかった。


「初めまして、闇夜と申します」


 紅茶を差し出しながら闇夜が言った。

 ソファに腰掛けた達哉は黙って頭を下げながら、闇夜を観察した。

 こんな家に住んでおり、見た目が仮装パーティーのような非常識な格好だ。

 しかし話し方からは知性の高い、好感を抱ける人物に思える。

 人物像が掴めない。せめて年齢と性別さえわかれば……。


「それでは、高城 達哉」


 闇夜は自然に言った。まだ名乗ってないのに名前を。


「……妹さんの事、お悔やみ申し上げます」


 驚愕のあまり、すぐには言葉が出て来なかった。

 必死に自分を叱咤し、ぐらついた正気を保った。


「な、何で知ってる! 俺の名前を! 美麗の事を!」

「前から知っていました」


 当然、といった口調で闇夜は言った。


「だ、だから何故だ!?」


 闇夜は沈黙した。達哉は無機質な白い仮面を凝視した。

 不変の顔の裏にある本当の顔を見てみたい。

 仮面を無理矢理、引き剥がしたい思いに駆られた。

 必死に自分を押さえつつ、身分を隠しても無駄だと思って警察手帳をかざした。


「管轄内で起きた事件を調べておりまして……お話を」

「真野 七夏の死の事ですか?」

「……ええ。彼女を始めとして、同じ地域で続いて二つの怪死が起きています」

「ワタシです」

「え?」

「直接手を下したわけではありませんが、殺したのはワタシです」


 自分のした事の反省など微塵も感じられない。

 まるで台本を朗読しているかのように、淡々と闇夜は言った。


「…………何故だ?」

「動機なんて、人の価値観によって決まるものです。

 だから、ワタシの動機は達哉には理解出来ないでしょう。信じられないのなら物的証拠として指紋を取って下さい。送った茶封筒に残っているはずです」


 そう言って闇夜は、マントから両手を出した。


「ふざけるな!」


 達哉は両手で頭を抱えた。脳裏を巡るのは闇夜の言葉と美麗の笑顔だった。

 胸の内に燻る黒い感情は、晴れない。真実を知れば、収まると思ったのに。

 そんな考えを読み取ったかのように、闇夜は安楽椅子に座り直した。


「そんな馬鹿げた話なんかいらない! 真実を話してくれ!」


 弾かれたように闇夜の胸倉を掴んで怒鳴った達哉。


「ありのままを包み隠さず述べている。お前が認めないだけだ」


 あまりに冷たい声だったので、達哉は返事が出来なかった。

 闇夜は乱暴に達哉の手を外すと、指先でフードをつまみ深く被り直した。


「大体、真実を……全てを知り得たとしても亡くなった者は戻って来ない」


 冷淡な言葉に達哉は絶句した。

 ふつふつと湧き上がる怒りと憎しみの感情が、湧き上がってくるのを感じた。

 その感情によって手を出す前に、言葉にして吐き出す事にした。


「闇夜さん。俺の妹は、クレーンの鉤が首筋に突き刺さって死んだんです。

 この一件は事故で処理されています。

 けれど調べてみたら美麗にも、真野さんにも、屋代 浩太さんにも同じ送り主から死を願う文書が入った茶封筒が送られていました。

 こじつけなのかもしれない。俺の妄想かもしれない。

 でも、三人の死には、茶封筒が大きく関わっているはずなんです!

 どの死も、単なる怪死事件として処理していいものじゃない! だから」


「だから殺したのはワタシだと言っている」


 興奮状態の達哉とは対照的に、冷静沈着な闇夜は冷淡な言葉を吐いた。


「ワタシは、素直に罪を告白している。それ以上に何を求めている?

 凝り固まった常識に囚われているようだが、ワタシが四人を死に至らしめたのは事実。連中は、ワタシの復讐の物語で死んだ……その事実は不変だ」


 そんな対応に達哉は、ますます激昂した。


「物語で死んだ、だと!? そんな供述が通用すると思ってるのか!!」


 テレビなどの所為で、一般人に精神鑑定というものが広がってしまった。

 その所為で精神鑑定を悪用して心神喪失を狙う悪人がいる。

 闇夜も、わざと的外れな事を言ってるのかと疑った。


「奇想天外な主張をすれば罪が軽減されるとでも思ってるのか!?

 何が物語だ、笑わせるな! それが真実だなんて俺は認めない!

 どうして死ななければならなかったのか、俺には知る権利があるんだ!!」


 もはや、達哉は刑事としてはなく遺族の代表として話していた。


「認めないのは御勝手に。ワタシは主張を変えるつもりはない」


 闇夜の開き直った態度が苛立った。

 このまま一緒にいたら、どうにかなりそうだ。

 達哉は、自分を抑えてくれる同僚がいる所に移動する事にした。


「話の続きは、署の方で窺いたいのですが」

「全て話した。もう話す事などない」

「しかし!」

「ワタシは出て行かない。話がないなら帰れ」


 闇夜は敵意剥き出しで吐き捨てた。

 達哉は、外に出て頭を冷やそうと逃げるように家を出た。

 そこで三春と咲と鉢合わせをしてしまい、互いにびっくりして仰け反った。


「うわっ、三春さん!」

「た、達哉さん! どうして……」

「あ……闇夜さんに話を窺いに来たんです」

「あの、電話のメッセージ聞いてないようなので、言います!

 お姉ちゃんの友逹の宇都木 真司さんが亡くなりました」

「何だって!?」

「そしてやっぱり茶封筒が届いてました」


 三春が差し出すと、達哉は目を皿にして文書を見た。


「そして闇夜が、その茶封筒を死んだ皆に届けていたんです!」

「……それは本人から聞きました。これから署の方で、詳しい話を聞きます」

「待って下さい! 何で、闇夜を警察に!?」


 咲が達哉の前に出て猛然と食って掛かった。


「何でって……事情聴取をするだけです」

「それって任意でしょ?」

「闇夜さんは、御協力してくれると」

「捜査なんてしてないんでしょ!?

 たった一人で調べているだけなんでしょ!?

 一連の怪死事件は事故ってことで、既に解決しているんでしょ!?」


 必死に言い募る咲に、達哉は我慢していた怒りが抑えきれなくなった。


「でも闇夜は殺したって言っているんだ!!」

「達哉さん……」


 激情を爆発させた達哉を見て、三春は目を見張った。

 彼が、個人の私情で発言しているのは、中学生の彼女でもわかることだった。


「連れて行くのは、もう少し待って下さい!

 あたし……じゃなくって三春が、闇夜と話をしたいんです」


 咲が怒りを静めて、頭を下げた。


「お願いします」


 三春も倣って頭を下げると、達哉は苦々しい顔をして小さく頷いた。


「そんなに待てません。三十分経過したら連れていきます」

「ありがとうございます!」


 三春はドアを叩いた。


「闇夜!」


 激しくノックしていると、ドアが開いて白い仮面が見えた。


「闇夜、話があるの! 中に入れて!」

「ごめんなさい……今は、ちょっと」


 闇夜の声が微かすぎて、良く聞こえない。


「お姉ちゃんの事について話したいの!

 お姉ちゃんが、どうして急に死んだのか!」

「闇夜! お願い、三春の話を聞いて!」


 ギィッ! ドアが鋭く軋んだ。


「――――どうぞ」


 低い声音だった。闇夜はドアを開けて二人を招き入れた。

 中に入ろうとした三春の腕を、咲は掴んだ。


「何?」

「声が……」

「えっ」

「……ううん。何でもない」


 三春が中に入った途端、闇夜は荒々しくドアを閉めた。

 締め出された咲は一瞬ポカンとしたのち、ドアをノックした。


「三春!? ちょっと闇夜!」


 達哉もノブに飛びつくが、鍵が掛かっていた。


「開けろ! ここを開けろ!」


 一人、部屋に連れ込まれた三春は、ソファに突き飛ばされていた。

 彼女の目の前に仁王立ちの闇夜。


「あ……あ……あ、なた……は……だれ?」


 顔を合わせ、言葉を交わしたのは限りなく短い時間。

 でも、三春も目の前の存在が、闇夜ではないことはわかった。


「知ってどうするの?」


 口調が、ガラリと変わった。


「ど、どうするって」

「関係ないでしょ」


 両手が伸ばされて、三春の喉元を掴んだ。ありえないくらいの力だった。


「この、偽善者」


 ギリギリと柔らかい皮膚に爪が立てられた。

 気道が圧迫され、呼吸が出来なくなった。三春は小さくもがいた。

 撥ね退ける事は苦しくて出来ない。 何で私を殺そうとするの?

 三春の視界が闇に浸蝕されていく……。


「麻実!」


 白くて細い手が、締め上げる手首を掴み上げた。


「止めなさい」


 その白い手は仮面を静かに取り去った。

 闇夜によって仮面を剥ぎ取られた黒江 麻実は左目を押さえて、呻いた。

 咳き込みながら、膝を着く三春に優しく頭を撫でた闇夜。


「三春、大丈夫ですか? 落ち着いたら、ドアの鍵を開けて下さい」


 状況がわからなかったが三春は頷いた。


「申し訳ありません、三春。こんな事になるなんて……思いませんでした」

「う……うん……」


 フラフラと覚束ない足取りで三春は、ドアへ。


「待てぇ! 逃げるなぁああ!」


 血を吐くような声に、ドアノブを掴んだ三春の全身が強張った。


「麻実。あなたの憎悪は、まだ晴れないのですか?

 あなたを苦しめた四人は亡くなりました。憎んでいた者は、もういません。

 だから、もう復讐は終わりではありませんか?」

「終わり!? じゃあ……どうして苦しみが消えないの!?

 いつまでワタシは苦しめばいいの!? 死ぬまで!? 嫌! 嫌嫌嫌嫌ぁ!!」


 麻実が、両手の拳で床を叩く。

 その左目が醜く焼き爛れているのを見て、三春は顔を背けた。


「麻実、落ち着いて下さい……」


 闇夜が手を差し出すと、麻実は振り払って頭を掻き毟った。


「何なのよ! せっかく、死ぬ前に奴等を地獄に叩き落とす事が出来たのにぃ!

 どうして楽にならないのよぉおおおお! ううううううううううう!!」


 ドアを開けると、達哉が飛び込んできた。


「一体、何が!?」


 目の前には、黒いフードマントを着た闇夜と……同じ黒いマントを着た少女。

 先ほど、家の中にいるはずの闇夜が大通りからやって来たのを見て、咲と絶句していたのだった。


「その人が、この茶封筒の中身を書いていた!

 その人に茶封筒を四人に渡すように言われて、行動しただけなんでしょ!?」


 咲が三春を抱き寄せて、怯えた眼差しで床に伏した麻実を見ている。

 一同を見渡した後、両手を美しく組んで闇夜は静かに語り始めた。


「黒江 麻実は、ワタシが月に一度で通っている児童養護施設にいました。

 実の母親から虐待され、愛情というものを他人から知った少女でした。

 人前では明るい笑顔を絶やさすことなく常に浮かべていましたが、独りになると表情に暗い影が差す。彼女の孤独な空気が気になって交流を持っていました。

 麻実は、ワタシを慕っていました。

 でも、ワタシは……麻実を守る事は出来ませんでした。

 彼女が心ない他人に深く傷付けられ、心に憎悪を刻み込まれて……変わってしまうのを、止められなかった」


 麻実のすすり泣きが響く中、闇夜は話していた。


 時刻は夕方になっていた。

 茜色の夕日が小さな窓から室内を照らして紅く染めていた。

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