電車に乗って……
俺が闇夜の元へ来たのは、それから一週間後だった。
すぐにでも美人から受け取った手紙を届けたいと思ったけれども、学生だからそうはいかなかった。この事は、すぐに謝ろうと思っていた。
そんな気持ちをずっと胸に秘めてたせいか、廃屋に行ってドアを開けた闇夜に発した最初の一言は挨拶では無く「ごめんなさい!」だった。
「どうかしましたか?」
何の事情も知らない闇夜は困惑したようだった。
「あの――――えっと、これ……」
一瞬、何を言ったのか、何をしようとしていたのか……わかんなくなった。
思い出して、慌てて鞄から手紙を差し出した。
「一週間前に、闇夜に手紙を渡したいって……この前、此処にやってきたら家の前に立っていた女の人に渡すように頼まれて……」
説明しようとして、ぐちゃぐちゃになってしまった。
「一週間前に女性の方からワタシへの手紙を渡すよう、頼まれたのですね」
闇夜が主旨を汲み取って解り易く言い直してくれた。
「そうそう! ……あ、だから! 遅くなってごめんって!」
「わざわざ、ありがとうございます……中へ、どうぞ」
いつも通りに俺はソファーへ、闇夜は安楽椅子へ腰掛ける。
闇夜は懐から木製のペーパーナイフを取って、慣れた手つきで封筒を切った。
「……いやぁ~、それにしても凄く綺麗な人だったなぁ。
あの人も俺と同じく常連さん? 怖い話をしに来たって言っていたけれど?」
闇夜は手紙を黙読している。
俺の質問は聞こえて無いのか無視しているのか、答えない。
「あー、何の話をするつもりだったんだろう?
聞けば良かったー! もう、ここには来ないって言ってたし!」
「来ない?」
闇夜が不意に顔を上げたので、白い仮面と目が合って俺はぎょっとした。
「う、うん。あの綺麗な人は、もう来ないので……じゃなくって『もう此処には来られないので』って言ってたけれど……?」
俺は闇夜から視線を床へと落とした。
いつもの言葉『初めまして、闇夜と申します』がないと、どうも決まりが悪い。
「夏生」
「はい!?」
「一緒に来てくれませんか?」
「……一緒に、って?」
唐突すぎて意味がわからず、尋ねた。
「この手紙を書いた人のところへ、これから行こうと思っているのです。
一緒に来てくれませんか?」
「こ、これからぁ!?」
「何か都合がありますか?」
「いや無いけど……」
「一緒に来てくれませんか?」
「いやいや! 何で、俺まで?」
「袖振り合うも他生の縁……」
「はあ?」
口をあんぐり開けている俺を放置して、闇夜はドアへと向かう。
本当に、これから向かうつもりのようだった。
「ええっ!?」
「夏生、共に来ないのならば……今日はお帰りになられた方が良いですよ。
ワタシは……しばらく帰って来ませんから」
前回も怖い話を聞けなかった。今回も聞けない……?
既に恐怖の中毒者である俺には耐えられなかった。
「あ、闇夜についていけば話をしてくれるのか!?」
「そうですね……行く道すがら、この女性の事を話しましょうか」
片手で封筒を弄びながら、闇夜は言った。
闇夜が話をしてくれるという……もう、俺には断る選択肢などなかった。
俺は即座に立ち上がって、闇夜と一緒に行く事を示した。
外出の際は余所行きの服へ着替えるものかと思ったら、闇夜は白い仮面に黒いマントを着たまま恥ずかしげも無く駅まで向かった。
多くの人目に触れようが、一向に気にしてないようだ。
一方、至って普通の格好をしている俺の方が恥ずかしかった。
穴があったら入りたい、こんなに切実に思った事は無かった。
けれども電車に乗れば他人はたちまち無関心になった。
好奇心による一瞥はあっても、すぐに目は逸らされる。
そして異端者を綺麗に自分の世界から消して、世界に没頭する。
ある者は、漫画誌に……ある者は、携帯に……。
皆が俯いている様は、さながらお通夜を思わせる。
俺は窓から外の景色を見た。
今日は雲が少なく……澄んだ青空が、とても綺麗だった。
久し振りに見た空は感動するほど綺麗だった。
「この手紙の送り主を、夏生は美人だと言っていましたね」
中性的な声に……俺は左隣の席に座る闇夜を見た。闇夜の左隣に座るOL風の女性も、その美しい声に驚いたように闇夜を見たがすぐに目を逸らした。
「夏生、聞こえていますか?」
「あ、あぁ! 聞こえてるよ! ……あんまり名前呼ばないで」
「何か言いましたか?」
「何でもない、何でもない! あの、手紙をくれたお姉さんだよね?
とても美人だったよ、俺の好みバッチグー♪……死語?」
「そうですか……」
闇夜は手紙に視線を落とした。
「――――それさ、もしかして不幸の手紙? 回さないと、不幸になるやつ?
俺にも届いた事あるー! 小学校の頃なんだけどさあ!
大事に取っておいたのに担任教師のババアが没収してさあ!
しかも、俺がクラス中にバラ撒いたって疑うしさあ!?
あれは絶っ対、本物だっただろ!
何で入学したての小学一年生が、常用漢字を使って手紙を書けるんだっつーの!」
「不幸の手紙……懐かしいですね。でも、この手紙は違います」
「じゃあ、ラブレター……いや、ファンレター?」
「いいえ」
「じゃあ、彼女が話しそびれた怖い話が書いてあるのか?」
闇夜は手紙を懐にしまいながら、首を横に振った。
「ワタシは聞けない話を聞きに行く為に向かっています」
「じゃあ、その手紙は何なんだよ?」
「ワタシとの昔の思い出を振り返って、綴られています」
「――――えっ!? 元カノ!?」
「安直な考えですね」
闇夜にしては冷たい物言いだった。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はありません。この手紙の送り主と出会ったのは、7年前です」
いつもの言葉無しで闇夜の話が始まった。
「ワタシが彼女達と出会ったのは7年前の、とある図書館。
静寂な場所のはずなのに、クスクスと明るい笑い声が聞こえたので自然と声のする方へ足を進めました。すると二人の中学生がいました。
彼女はワタシを見ると、すぐに笑うのを止めました。
そして照れを誤魔化すように背伸びをして本棚から本を取ろうとしました。
けれども少し高い所にある本は、どんなに手を伸ばしても爪先立ちをしても、取る事が出来そうにもありませんでした。
『どうぞ』
ワタシが素早く近寄って本を取って手渡しました。
『あ、ありがと、ございます……』
『行こう、アーちゃん!』
少女が友人の手を引いて足早に去って行きました。
『走らないで下さい』
通りかかった司書に小声で注意されて、二人は同時に肩をすくめました。
『ごめんなさい』
『すみません……』
二人の子供の声も軽い足音も、それっきりで途切れました。
ワタシは周囲をゆっくりとした足取りで進み、本棚からお気に入りの本を目ざとく見つけてそれを持ってテーブル席へ向かいました。
ページをめくる音、本を探して歩き回る足音、何かを書き綴る音。
本の世界へ入りこむと――――雑音が全く耳に入って来なくなりました。
けれども誰かからの強い視線を否応なしに感じて……ワタシが顔を上げると、先程の彼女達が目の前に座っており、マジマジとワタシを見ていました。
目が合うと慌てたように二人同時に目を逸らしました。
二人の親密さに微笑ましい気持ちになり、二人が一緒に読んでいた本の題名を見たワタシは立ち上がり、二人に顔を寄せると小声で囁きました。
『怖い話に興味があるようですね?
ワタシも同じです、どこか別の場所でお話しませんか?』
私語禁止の図書館から、喫茶店へと場所を移して――――。
『≪新・学校の怪談≫……ですか』
ワタシは二人が図書館から借りた本のおどろおどろしい表紙を眺めました。
『実は私達の学校にも、伝わる怪談があって』
長い髪を三つ編みにした≪チーちゃん≫が、興奮で早口気味で話し始めました。
『それが他校の物と違っているらしいので、調べてみようと思って!」
『その学校だけに伝わる怪談ですか?」
『い、いいえ! ……そうじゃなくって」
驚くほど大きな声を出してしまって、慌てて閉口した短い髪の≪アーちゃん≫。
『アタシ達の学校には四つの怪談があって……生徒は皆、信じているんです。
≪三階のトイレのはなこさん≫
下校の時間に現れる、≪口裂け女≫と≪ひきずり女≫
……そして…………≪アリスさん≫』
『≪アリスさん≫? 前の三つの話は聞いた事ありますが……』
『やっぱり、変わっているんだ』
親友であるという二人は、顔を見合わせました。
『良ければ、その学校に伝わる怪談を話して頂けませんか?』
二人が顔を見合わせると困ったように俯いてしまいました。
『学校に無関係な人に話をすると、不幸な目に遭う……。
その事を恐れているのですか?』
ワタシの言葉に二人は、ハッとした顔になりました。
『な、何で知ってるんですか!?』
『≪聖童学園≫に通っていましたから』
学校の名前を出した事で二人の中学生は、安堵の息を吐いたようでした。
『卒業生なら、セーフだよね?』
『多分、大丈夫だと思う……』
『多分って、何よ!? もし何か遭ったらどうすんの!?』
『いや……大丈夫だよ。無関係な人じゃないし……』
『でも卒業生なら、何で≪アリスさん≫を知らないん……ですか?』
途中でチーちゃんが訊ねてきました。
『ワタシの時代で、一番恐れられていた者は≪口裂け女≫でした。
そしてワタシは高等部に上がって、すぐに転校したのです』
『じゃあ、最近出来た怪談なのかな?』
アーちゃんは、首を傾げながら言いました。
『無関係じゃないから話しても大丈夫だと思うよ、チーちゃん』
親友からの言葉に少女は、頷いて話し始めました」
――――電車が止まった。
「乗り換えましょう」
話を中断して、闇夜は席を立った。
俺は電車に乗っている事をすっかり忘れていて、慌てて後を追った。
「闇夜! 聖童学園に通ってたって、本当かよ!?」
多くの人が行き交うホーム、はぐれない様に早足で追い掛ける。
黒いマントが、時々見えなくなる様な気がして……俺は、マントを掴みたい衝動に駆られたが闇夜はマントに触れられる事を非常に気にする。
暴力を以てして拒絶を表す位だ。
別の路線の電車に乗った所で、俺は闇夜に再び訊ねてた。
「聖童学園、本当に通っていたのか? あそこ、有名な私立学校だよな?
俺の大学よりも有名で……だって、すっげー頭の良い子供が通ってて……。
小学校から高校まで繋がっていて……とんでもなく偏差値が高い学校だって。
――――なあ、本当に通ってたのか?」
闇夜は無言で頷いた。
「マジで!? すげえ!」
「話を再開してもよろしいですか?」
「えっ? あ、あぁ……」
俺が闇夜の私的な事を知ったのは、初めての事だった。
実に変わった格好をしていて、あんな廃屋みたいな建物に住んでいて、ハイカラな趣味を持つ……奇妙な怪談蒐集家。
普通の人ではないのではないか、と思ってはいた。
そんな闇夜が、全国的に有名な私立学校に通っていたという。
都市伝説の存在が、どんどん身近になっていく。
同じ、生きている人間である事を感じていく。
となれば、気になる事……素性だ。実名は? 性別は? 年齢は?
知りたくて堪らない欲求を必死に抑えつけて、闇夜の話の続きを傾聴した。
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