3-6 荒野の疾風 VS 野花を愛でるそよ風

 照子達が先にバトルフィールドで真田達を待つ。

 やがて、試合の間の休憩時間を終えて真田達がやってきた。


 休憩があると言っても相手は五分ほど体を休めただけだ。まだ先の試合の疲労が残っているかもしれない。

 対し照子達は真田達の試合の間にゆっくりと体を休めることができた。体も冷えない程度のちょうどよい休憩と言える。

 先に勝ち上がっていてよかった、と照子はマッチメイクをした誰かに感謝した。


 真田はタンクトップに、現れた時から穿いている黒のジャージタイプのズボン。今はその上に膝までのレッグガードをつけている。左手首だけにリストバンドをつけているのはファッションだろうか、それとも何かの願掛けだろうか。


 パートナーの香澄は、柔道着のように見える袖なしの道着に、下は地面に擦るほどの濃紺の長い袴だ。手には袴と同色の手甲をつけている。


「どうぞよろしくお願いいたします」


 香澄が先に会釈をした。優雅な動作の中に凛とした雰囲気がある。なるほど真田がパートナーと選ぶ人だと照子は思った。

 プロレスラーの真田のパートナーはやはりレスリング系かと思っていたが、この服装からするとそうでもなさそうなのは予想外だったが。


「こちらこそ」


 照子も会釈を返し、真田や信司も互いに挨拶をすると、バトルフィールドの両サイドに別れてゆく。


 果たして真田達はどちらが先に出てくるだろうか。

 今までは真田が先鋒を務め、すべて勝利を収めていた。なので香澄の闘い方はまったくのナゾだ。一体香澄はどのような動きでどのように闘うのだろうか。


 真田は決勝まで残ることを想定して、対戦相手に香澄の手の内を読ませない作戦を取ったのかもしれない。

 改めて、真田は闘い慣れているのだなと感心する。ただがむしゃらに突っ込んでいくような豪快なイメージがあるが、これは戦術という面でも強敵だ。


「おれが先に出るよ」


 信司が言う。自分ができるだけ真田と香澄の体力を減らしておく、と。もしも照子が今日、あの男と合間見えることになればできるだけ力を温存しておいたほうがいいだろうとの考えだ。


「それでいいの?」

「てりこさんの目的のための出場じゃないか」

「ありがとう。大感謝だわ」


 いいパートナーを持ったものだと照子が感動していると、信司が軽く笑ってから付け足した。


「それに、先に出ておいたほうがたくさん闘えるからね」

「……感謝の気持ちを半分返して」

 思わずツッコミを入れた。


「では、決勝戦を行う」

 レフェリー役の男が短く告げる。


 いつも出ている大会なら決勝戦ともなれば選手の紹介などがあって周りも盛り上がるものだが、そもそも観客は基本的にいないのだからデモンストレーションの必要すらない。

 信司がバトルフィールドに進み出る。


「信司さーん、がんばってねー」

 あやめの声援に信司は手を挙げて応えた。

 真田ペアは、香澄が出てきた。いよいよ彼女の闘いを拝見できるというわけだ。


「試合、はじめ」

 レフェリーが短く言う。二人は礼をして、構えを取った。


 信司と同じく、香澄の体も空色の闘気に包まれている。二人とも属性は風だ。これは素早い試合展開が予想される。

 彼らの一挙手一投足を見逃すまいと観戦する照子の目にも自然と力がこもった。


 まずは両者とも相手の動きを牽制している。

 信司は軽めのフットワークだが香澄の足さばきは袴に隠れて見えない。あれだけ長い袴にしたのは、なるほど足元を隠すためかと照子は感心した。


 信司が先に攻撃を仕掛ける。彼の体術は「風禊かぜみそぎ」という空手に似た格闘術なのだそうだ。空手に似ていると言っても主に使うのは蹴り技だ。


 足元を狙ったローキックを信司が放つと、香澄はすぃっと後ろへ下がってこれをかわす。

 そのよどみも無駄もない動きに照子は目を見張る。

 一見、おっとりとしたお嬢様なのに、この女性は体裁きがずば抜けている。


 信司も意外だといわんばかりに少し口を歪めたが、それもすぐに好敵手を前にした喜びの笑みに変わる。

 続けざまに蹴りを放つ信司。

 香澄は横へ後ろへとこれをかわしてゆく。


 一見、信司が押している試合に見えるが、照子はこのままではまずいなと行く末を案ずる。

 果たして、信司の中段蹴りを上体を軽く傾けてかわした香澄の口から、可憐な、そしてきりりとした声が発せられる。


揚羽あげは


 超技の宣言と共に信司の足を下方へ流し、その勢いを利用して彼の体を地面に叩きつけた。


「おぉ、アレンジしたな」

 バトルフィールドの向こうにいる真田の感心した声がかすかに聞こえた。


 アレンジということは、これは元々もう少し違う形の技なのだろう。投げ技ということはもしかすると相手の腕を取る技なのかもしれない。


 投げられた信司は、いててと苦笑いしながら起き上がった。その動作からあまりダメージは受けていないようだ。

 香澄の技のきれは鋭いが威力がないのだろう。


せんの達人か。厄介だなぁ」

 信司が間合いを取りながらつぶやいた。


 後の先とは、武術において相手の攻撃を見て初めて動くことを言う。つまり反撃主体ということだ。


 信司は蹴り技メインで性格的にも自分から攻めるタイプだ。相手の動きを見切ることに長けた者と対すると分が悪いと言える。

 信司の動きが慎重になる。むやみに技を仕掛けるとそれだけ反撃のチャンスを与えてしまうことになるから。


 軽快なステップで相手の近くを移動しながら、攻撃の機会をうかがう。信司が仕掛けてこないことに焦れて動いてくれないかという算段もあるのだろう。

 だが香澄は落ち着いている。フェイントを仕掛ける信司の心を読むかのように無駄な動きをせず、じっと信司を見つめている。


「だめだ。性に合わない」


 相手があまりにも動かないので信司が痺れをきらした。後ろへ下がったと思ったら足が強く地を蹴り、体が宙を舞う。

 香澄を動かす作戦だろうに先に信司が動いてどうするのだと照子は思わず肩をガクリと落とした。

 相手の二の腕を狙った飛び蹴りに香澄が狙いを定め、足を取ろうとした。


はねっ」


 短く気合の入った声と共に信司の足が見えない床を踏むかのような動作をすると、彼の体は物理法則に逆らって再び高度を増す。

 びゅうっと吹いてきた浜風に乗るかのように香澄を跳び越し、右肩に一撃を与えた。


 香澄は前のめりになる。さすがに倒れたりはしないが顔をしかめているのがはっきりと見て取れた。

 これは結構効いたなと照子はほっと息をついた。


「よしっ」


 己の技の手ごたえに短く気合の声を発すると、香澄の後方に着地した信司は勢いに乗って攻め立てた。

 香澄は肩への打撃がこたえているのか、動きに先までのきれがない。だが信司の猛攻はどれも紙一重でかわしているあたり、まだ余力を残しているのかもしれない。

 あまり手数を増やさないほうがいいのでは、と照子は思う。


「信司くん、焦っちゃだめよ!」


 このまま優位に試合を進めようとしている信司に、この忠告は意味があるのかと思いつつも照子は一声かける。

 信司は声を出して返事こそしなかったが、判っている、というように軽くうなずく。


 信司と香澄は同じ風属性と言っても対極的だ。

 たとえるなら、信司は荒野を吹きぬける疾風だ。さえぎるものがない風は力強く吹きすさぶ。

 対し香澄は、野の花を愛でるように揺らすそよ風。一見静かでいて、綿毛をはるか遠くへ運ぶ力を持っている。

 攻め続ける信司も、しのぎ続ける香澄も見事だ。

 照子は瞬きすら惜しいとばかりに二人の闘いを凝視する。


 足元を狙うと見せかけた信司の中段蹴りが香澄の腹を狙う。

 今まで猪突猛進ともいえる素直な攻撃ばかりだったのでこのフェイントには香澄も表情を変えた。

 体をひねって回避するものの、香澄はバランスを失い足元がふらついている。


 これぞ絶好のチャンスとばかりに信司は踏み込んでフィニッシュブローを狙っているようだ。

 だが香澄は信司の想像以上に体裁きに長けていた。左脚で踏ん張ると即座に右脚を振り上げて信司の首を狙う。


「えっ」


 思わず信司が驚くほどに素早い香澄の脚。

 見事に信司の首を捕らえ、その時には右脚も信司の首にかけられている。体を下にして首を両側から挟みこむ形だ。


 まずい! 照子は息を呑む。


紋白もんしろ


 鈴を鳴らすような香澄の超技の宣言と共に、信司が背中から地面に叩きつけられた。


 相手の頭を脚で捕らえてそのまま投げるとは、プロレスで言うところのフランケンシュタイナーの変則技だなと照子は見て取った。


 しかしこの技なら、相手の頭から落とすことも可能だろうに、なぜ香澄は背中から落としたのだろう。別にその後フォールするわけでもないのに。

 照子が首をかしげる前で、まずは香澄が、続いて信司が身を起こす。信司は立ち上がって戦闘続行の構えを取っているがかなり辛そうだ。


「信司くん!」


 交代しよう、と言いかけた照子だが、信司がゆっくりとかぶりを振ったので二の句が継げなかった。

 ダメージは負っているが闘志は衰えず、いや、さらに増したといった信司に、照子は任せてみることにした。


 信司の足さばきが明らかに今までの精彩を欠いている。どうするのだろうかと照子は固唾を呑んで見守る。

 香澄に一足飛びでせまった信司は、目の前で一瞬動きを止めた。


おぼろ!」


 超技の宣言。信司の姿が香澄の目の前、真後ろ、左手二メートルに現れる。

 あぁ、分身を使ったんだ、と照子は目を輝かせた。これでうまく香澄の目を欺ければ反撃される恐れなく攻撃ができる。


 分身の超技――信司命名「朧」は、闘気を術者に模す技だ。よくみればそれが闘気による虚像であることは判る。

 だが闘いの中では一瞬で判断せねばならない。ほとんど勘と、相手の闘い方を知るならその知識に頼ることになる。


 目の前、真後ろ、左方向。信司とその虚像が同時に蹴りを放つ。果たして本物の信司は?


 香澄は、真後ろから蹴りを放ってくる信司に狙いを定め、繰り出される脚を受け止めようとした。

 が、香澄の手が触れるとそれは一瞬にして消えうせた。


なぎ!」


 信司の声が鋭く響く。香澄の左方向にいた信司が蹴りを放つと、その脚から闘気がほとばしる。

 空気を歪ませる空色の闘気の波。

 風の唸り声のような低音を発して扇状に広がりながら香澄に襲い掛かった。


 香澄は咄嗟に腕を掲げるが間に合わず、押し寄せる闘気が叩きつけられた。

 信司の全身全霊の超技は香澄の体を吹き飛ばす。

 地面に転がった香澄はしばらく身動きができない。相当効いたようだ。


 まだ闘うのだろうか、闘えるのだろうかと照子や真田が見守る中、ようやく香澄が体を起こした。だが地面にぺたんと座り込んだ香澄は「……まいりました」と敗北を宣言した。


 信司は構えをといて、香澄に近づいて手を差し伸べる。香澄がその手を取ると、信司はそっと引き起こした。


「決勝戦、第一試合勝者、富川信司」

 レフェリーが試合の終了を短く告げた。


「お手合わせ、ありがとうございました」

「こちらこそ。いい試合だったね。またぜひ対戦しよう」


 香澄と信司は笑顔で握手をすると、それぞれのパートナーの元に戻った。


「お疲れ様。勝ててほっとしたよ」

「うん。できるなら手の内はもうちょっと隠しておきたかったけど負けたら元も子もないし」

「最後のは飛び道具? ……ううん、範囲攻撃の方?」

「そう、範囲の方」


 飛び道具と呼ばれる超技は闘気を相手に飛ばす攻撃技。範囲攻撃は自分の周りに闘気を立ち上らせる技だ。

 信司の「薙」は全方位に闘気をめぐらせるのではなく前方に広がるタイプで、一般的な範囲攻撃からすれば亜種にあたる。


「それにしても、随分痛そうな技もらっちゃってたけど大丈夫?」


 照子が信司を気遣うと、信司は尻をさすって苦笑いした。


「結構きいたよ。あれ、頭から落とされたらこっちがKO負けだったと思う」

「わたしもそう思った。なんで背中からだったんだろう」

「多分……、それがあの人の優しさ、いや、流儀なんじゃないかな。危険な技はそのままかけない、っていう」


 信司の分析に、照子はなるほどとうなずいた。


「しっかし、それでも痛いもんは痛いんだけど。次は負けるにしても、まぁ少しでも粘ってやるさ」


 信司は、にやっと笑う。また好敵手と闘える。その喜びを表した笑みだと照子は思った。この調子なら次の真田との試合も善戦してくれるだろう。


「決勝戦、第二試合を始める」

 レフェリーが鋭い声で選手を呼ぶ。


「それじゃ、せめててりこさんが少しでも楽になれるように精一杯やってくるよ」

「うん、任せたよ」


 信司とパチンと手を打ち鳴らし、照子は笑顔で見送った。


 浜風が吹き抜けるバトルフィールドに進み出る信司と真田。信司がそれほどたくましく見える体躯ではないので、二人の体格差は実際よりも大きく見える。

 それを言い出したら照子と真田の見栄えの違いはもっと歴然としたものなのだが。


 風は信司の後方から吹いている。追い風だ。これはいい感じかも、と照子は期待した。


「試合、はじめ」


 試合開始が告げられた。

 さあ、どんな闘いを見せてくれるのだろう。


「うおりゃああぁぁぁっ」


 裂帛れっぱくの気合と共に信司が真田に突っ込む。

 きっとああやって強攻すると見せかけてフェイント技なんだ、と照子は信司の手を読んだ。

 照子の読みどおり、そのまま突っ切るかという勢いで走っていた信司は真田の手前二メートルで止まり、超技を繰り出した。


「薙」


 なるほど、もう技を見られたから隠す必要もない。どうせ敗戦色が濃いならせめて超技の一撃をと狙ったのだろう。

 これを真田が喰らってくれれば照子としてはとてもありがたい。

 だが。


「雷神」


 真田の太い声が彼の口から飛び出した、と同時に彼も一気に前進して信司と距離を詰める。

 豪腕が振り上げられる。向かい風も、信司が繰り出した闘気の風も突き抜けて来た真田に、思わず信司は「うそだっ?」と驚愕の声を上げた。

 超技をものともせぬ真田の強靭さ、恐るべし。


 真田の腕が信司の首を捕らえる。

 筋肉と骨がぶつかり合うなんとも痛々しい音が響く。

 真田の豪快なラリアットが綺麗に決まった。


 あっという間に信司の足が地面から離れる。

 空中でひっくり返るように上向きになった信司はそのまま後頭部から地面に落ちて目を回した。


「あ、あらら?」

 思わず照子が拍子抜けした声を出した。


 信司は脳震盪を起こしているのか起き上がってこない。

 しばらく待っても起き上がる気配がないのでレフェリーがやってきて信司の顔を覗き込んだ。


「試合を続けられますか?」

 なんだか聞くだけ無駄な気もする質問をマニュアルどおりに尋ねるレフェリー。


 しかしその声が届いたのか、信司は跳ね起きた。


 ゴン!


 今度は骨と骨がぶつかり合う音が重く響く。

 信司は再び目を回して地面に大の字になり、その横にレフェリーが額を抑えてうずくまる。


 笑っちゃいけないが思わず笑いを誘われる。

 それまで控えめな声で応援していたあやめ達も声を失い、スタッフたちも固まっている。


「お約束のコメディね、こうなったら」

 照子はがっくりと項垂れた。

「……だっさー」

 あやめがつぶやきを、照子は否定することができなかった。

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