7-7 まいかたチャンプの新たなる挑戦

 季節はあっという間に、春から梅雨へと移り変わる。


 雨の日のバイクは少し面倒だし、週末に降られると、まいかた公園の格闘大会が中止になってしまう。

 少々憂鬱な日々を過ごす照子だったが、今日は久しぶりに結とデートなので、外の雨に負けない、明るい笑顔を浮かべていた。


 昼食に訪れたレストランで向かい合わせに座って、久しぶりに会う恋人をじっと見つめる。


 店内の照明が少ないわけではないのだが、外が雨模様なので薄暗く感じてしまう。せっかく久しぶりに会えたのだからもっとはっきりと結の顔を見たいのに、と照子は少しがっかりだ。


 結と会うのは、あの、川崎と闘った日、照子のリベンジマッチがようやく果たせたあの日以来だ。

 彼が忙しい職であることは理解しているので、一か月近く会えないことは仕方ない。寂しくはあるが、貴重な余暇にこうしてデートに誘い出してくれるだけで十分だ。


「で、あれからいろいろあったって?」


 ウェイトレスにそれぞれ注文を済ませると、結は穏やかに尋ねてくる。

 あれから、というのはリベンジマッチからのことだ。照子は、うん、とうなずいて話し出す。


 この一カ月、電話やメールでちょっとした連絡を取ってはいたが、あまり長電話、長文メールにしては、激務に疲れている結の負担になるだろうと思って控えていた。

 デートの約束をした電話で、会ったら話したいことがたくさんある、と伝えておいたので結は何があったのか考えていたのかもしれない。少し興味深そうな目で照子を見つめてくる。


「うん、まずは、あやめちゃんが『これからは、てりこねぇさまの熱烈なファンじゃなくて、フツーよりちょっとだけ熱心なファンになる』んだって」

「なんだそれ」

「あれから週末は雨が続いて、まいかた公園で大会が開かれてないから、しばらく見ないうちに熱が冷めちゃったんじゃない? 元々、格闘大会が大好きで見に来てたってわけでもないし、他に興味が移ればそっちに熱心になるよね」

「他に? 今度は何に夢中になってるんだ?」

「何、というか、誰、なんだけどね。透くんの追っかけやってるみたい」


 照子の報告に、なるほどと結は笑った。


「でもそれじゃ、妹さんは面白くないんじゃないか?」


 なかなか鋭いところを指摘してくる、と照子はうなずいた。


「『お兄ちゃんになれなれしくしないで!』『いいでしょー。神奈ちゃん、ちょっとブラコンすぎだよ』『ブラコンだなんてしつれいです! じゅんすいな兄妹あいです』って感じで、相変わらずバトってたよ」

「見たのか?」

「うん。この前、用事があって透くんとこに行ってきたんだけど、あやめちゃんも来てたよ。勉強教えてもらってるんだって。透くん、頭いいみたいだからね、純粋に勉強だけやってればすごく伸びると思うよ」


 照子は皮肉っぽく肩をすくめた。あやめがただ勉強のためだけに水瀬家を訪れているわけではないことは、確かめるわけでもなく明らかだからだ。


 透は苦笑しながらも、あやめに勉強を教えることは承諾しているようだ。人に教えるのは自分の勉強にもなると考えてのことらしい。


「へぇ、偉いなぁ水瀬君。確か富川君といろんな格闘大会に出てるんだろう? よく時間があるな」

「信司くんは相変わらずいろんなところに行ってるみたいだけど、透くんは今は大会には出てないんだって。バイトも少しだけ減らせたから時間が作れるようになったって言ってた」

「バイト減らして大丈夫なのか?」


 水瀬家は、早くに父を亡くし、母親も病気で長期入院中だ。結の心配は当然だろう。


「実はね……」

 照子が結に顔を寄せて、声をひそめる。

「例の大会の賞金、半分透くんに渡したの」


 窓を叩く雨の音に紛らわすように小声を飛ばすと、結はわずかに目を見開いて照子を見る。


「……なるほど。当面の生活費は困らないわけだな」

「うん。本当は全額渡すつもりだったんだけど、それはもらいすぎだから、って」

「全部あげるつもりだったのか」

「だって、急に貯金増えたら変でしょ? ってことで、あの賞金はこっそり換金してたんす預金してるのよ。しばらくデート代はそこから出すわ」


 照子が笑って顔を離すと、それを待っていたかのように料理が運ばれてきた。

 照子の前には、温かな湯気を立てるドリアが、結の前にはカルボナーラが置かれる。

 それぞれにサラダの小鉢を添えて、ウェイトレスは軽く頭を下げて立ち去っていった。


 いただきます、と手をあわせてスプーンを手に取り、ドリアの表面をつついて中を冷ましながら、一通り報告を終えた照子は、さぁ食事だと心を躍らせる。


「それだけあったら……」


 結がぼそりとつぶやいた。

 照子が顔をあげると、フォークも持たないまま、結が照子を真剣な顔で見つめていた。


「え? 何?」

「あぁ、いや……。それだけあったら、海外旅行とかも行けるんじゃないかな、って」


 表情を和らげて結が言う。


「それいいね。あんまり友達と海外旅行とかって興味ないんだけど、これを機に行ってみるのもいいかも」

「あ、あぁ、そうだな」


 結が苦笑いしたので照子は首をかしげる。


「え? 違った?」

「そこで『友達と』なのか、って」

「だって結、海外行くぐらいの連休、取れないでしょ?」

「……まぁ、うん、そうだな」


 そう言うと、結はフォークを手にとって器用にスパゲティを巻きつける。

 照子もドリアをすくって口に運ぶ。思っていたよりもまだ熱くて、慌てて口の中で転がすと、チーズの濃厚な香りが遅れてやってくる。上品な味と香りに照子はまさにほくほく顔だ。


「そう言えば」

 結がサラダをつつきながら照子の右手を見た。

「右手と左手の指の太さって、女の人でも結構違うものなのか?」

「何それ、唐突ね」

「職場で、利き手の方が指が太いなって話になってさ。うちの部署には女の子がいないから、どうなのかなぁ、って」


 結が、なぜだか意味ありげに笑ったので照子は首をかしげつつ、右手の薬指にはめている指輪を外した。

 これは結からプレゼントされたものだ。格闘大会に出る時は外しているが、デートの時は必ずつけている。


 指輪をもらった時のことを思い出して、口元をほころばせながら照子はそれを左手の薬指にはめてみる。

 なるほど、右手だとぴったりの指輪が、左手だと少しだけ余裕があるように思える。


「そんなにぶかぶかってわけでもないみたいだけど、やっぱりちょっと違うみたいだね」

「そうか」


 結が納得顔でうなずいて、その後に小さく何かをつぶやいた。


「なぁに? 今日の結、ちょっと変だよ」

「そのうちな」


 答えになっていないような事を言うと、結はスパゲティを美味しそうにほおばる。


「ほんと、変なの。……わたしも食べよっと」


 何が何だか判らなかったが、照子もドリアを食べることにした。

 受け皿に添える左手を見て、まだ指輪を左の薬指につけたままだったと気づいた。なんだか婚約指輪みたいだな、と照子は笑みを漏らす。


(って、もしかして?)


 顔をあげると、なんだか少しだけ嬉しそうな結と目があった。


(……もしかして、期待しちゃって、いいのかな)


 雨雲が空を覆って少し暗いレストランの、彼らのテーブルの周りだけほんのりと明るい空気に染まったように、照子は感じていた。




 次の週末は、久しぶりにすっきりとした晴天だった。

 空がまぶしいくらいに輝き、風が初夏の熱気をはらむ。ここしばらくの雨で十分に水気を得た植物たちの緑は一層深みを増し、照りつける太陽に新緑の香りを放っている。


 照子はいつものスタイル――ジーンズと赤いジャケット、同色のバンダナで、まいかた公園にやってきた。


「そろそろジャケットは脱いで、白き光のてりこ、の季節かな」


 伸びをしながらひとりごちる。


 駐輪場から大会の会場に向かう間で、川崎と拳を交えた場所のそばを通った。

 川崎と闘ってからひと月と少ししか経っていないのだが、随分前の出来事のように感じられる。


 闇大会関連の接触は、当たり前のことだが一切ない。今はもうすっかり過去のことになったのだ。

 それでも、この場所にやってきて川崎や葉月の姿をつい探してしまう。


「うん、いるわけないんだけどね」


 照子は小さくつぶやいて、四年前に川崎が根元に座っていた木を手で軽く叩いてその場を離れた。


「あ、てりこさん。お久しぶりです」


 公園で開かれている正規の格闘大会の会場にやってくると、大会主催者達から声がかかる。とても嬉しそうな笑顔だ。


「うん、久しぶり。ずっと週末は雨だったもんね」

「まったく、誰でしょうね雨男、雨女は」


 周りで、おまえだおまえだと天気の責任を押し付け合う声が上がっている。和やかな雰囲気が、なんだか懐かしい。


「今日は富川さんはいらっしゃらないんですね。個人戦の方ですか?」


 信司の名前が出て、照子はどきっとした。

 ペア戦に出場していたのが闇大会の関係だったなどとは、まいかた公園の関係者は全く知らないと言うのに、もうあの大会は終わったのかと聞かれた気がした。


「うん、信司くんはいろんな大会に出てるみたいだから、今頃どこにいるのかわたしも知らないんだ」

「へぇ。また来てほしいですね」

「そうね。また闘いたいわ」


 そういえば信司とは結局試合の決着はつけずじまいだったことを思い出した。

 不思議な縁だったな、と照子は微笑する。


「てりこねぇさまー」


 遠くから懐かしい声が聞こえてきた。

 そちらを見ると、あやめと神奈が走ってくるではないか。


「あやめちゃん、と、神奈ちゃん」


 この二人が仲良く一緒にやってくるとは予想外だ。


「ねぇさま、お久しぶりですぅ」


 あやめが飛びついて来た。今日も相変わらず少し大人びたワンピースを身にまとって、うっすらと化粧もして、中学生には見えない外見なのに、あふれんばかりの笑顔が年相応だ。この年頃のアンバランスさを一身に背負っている。


「照子さんのおうえんに来ました」


 神奈は、水色のTシャツとショートパンツで、いつものように快活なスタイルだ。真っ黒に日焼けした手足がいかにも小学生らしい。


「ありがとう。二人が一緒に来てくれるなんて思わなかったわ」

「だって、透さんは信司さんとどこかに行ってしまったんですよ。で、今日は晴れてるからここの大会もあるかなぁって」

「照子さんのしあいを見に来ました。悪をほろぼすたたかいのさんこうにさせていただきます」


 透がいると彼を取りあうが、基本的なところでは気が合う二人なのかもしれない。


「わたしは別に悪を滅ぼそうと闘ってるわけじゃないけどね」

 あはは、と笑い声があがる。


「ところでてりこさん」主催者の青年が尋ねてくる。「前のペア戦の後、あっちの方で何かあったみたいですけど、何だったんですか? てりこさんもその場にいたってウワサですけど」


 彼が指さしたのは、川崎と闘ったあの場所だ。


「あぁ、うん、試合に興奮した連中が騒いでて、度を越して乱闘みたいになったから警察に捕まったみたいね」


 微妙な笑みを浮かべて照子が応えると、「へぇ」「バカな奴らもいるもんだ」などと周りで声が上がる。


 森口達は、照子の言葉通り、乱闘騒ぎで捕まった。葉月がそういうことにしたのだ。なのでこの騒ぎの件で誰かに何か尋ねられたら、照子達もそう応えるように、と言われてある。

 しかしそれではすぐに釈放されるのではないかと案ずる照子に、葉月がにこりと笑った。


「大丈夫よ。うちの社長を怒らせたんだから、当分出てこないわ」


 社長とは川崎のことだ。


 そう言えば森口は川崎を排除して大会の実権を握る、というようなことを言っていた。それに対して川崎は、おまえが戻ってくる頃には今までの居場所はないだろう、と応えていた。

 川崎の「本気」の顔を見た照子は、彼なら口だけでなく本当にそうするだろう、と納得できた。


「……もう終わったことだよ」


 照子が言うと、大会主催者達もうなずいた。


「そうですね。おれらはここで、楽しく大会を開いてればそれでいいですよね」

「うん。――さぁ、今日はどんな相手が現れるか、楽しみね」

「『赤き光のてりこ』ねぇさまに勝てる人なんて、そうそういませんよ」

「そうです! 正義はかつのです」


 歓声が上がり、照子達の周りは活気づいた。




「これより、異種格闘技戦の決勝戦を行います!」


 拡声器のアナウンスに、いつものようにロープで区切られたバトルフィールドの周りを取り巻く観客達から大喝采が上がる。

 片や、柔道着をまとった体格のいい男。厚い胸板と太い手足が、熟練さを物語っている。

 対するは、ジーンズに白いシャツ、赤のジャケットを身にまとい同色のバンダナを鉢巻状に頭に巻いた上背の女性。


「あんたがここのチャンピオンだって? 大したことなさそうだな。全国の格闘大会であまたのチャンピオンと闘ってきたおれに挑戦しろ!」


 男の挑発に、観客達からブーイング混じりの野次が飛ぶ。


「ねぇ、ちょっとひっかかるんだけど、ひとつ聞いていい? あまたのチャンピオンと闘って、どれぐらい勝ったの? 勝率は?」

「細かいことは覚えてない!」

「……負けが多いのね」


 ぼそりとつっこんだ照子に、周りは大爆笑だ。


「なにを? 失礼な! おれの強さをその身で味わえ!」

「大きく出たわね。いいわ、挑戦しようじゃない。この先いつまで負け知らずでいられるのかを!」


 余裕たっぷりの照子の応えに、会場が沸き立つ。


「では、試合はじめ!」


 レフェリーの声とともに、照子は闘気を解放する。

 白熱色のオーラの中でひときわ目立つのが、ジャケットとバンダナの赤。


「さぁ、いくわよ!」


 白く輝く赤い光がバトルフィールドに躍動し、あふれかえる歓声を更に沸き立たせる。


 まいかたチャンプ、照子のひとつの挑戦は、輝かしい勝利に終わった。

 不敗伝説をどこまで伸ばせるのか、新たな闘いの始まりに、照子の心も体も高らかに踊るのであった。



(まいかたチャンプの挑戦 了)


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