7-4 怒りMAX! 彼女の胸に触っていいのは
川崎の右手がポケットから引き出される。
照子は片足を大きく後ろに引いて、しっかりと大地を踏む。
何とか体勢は安定したが、相手に技を出されても対応しきれないと照子は察していた。
負けるの? と考えると、頭がかぁっと熱くなる。
川崎の右手に何か黒いものが。
それが何か見極められないうちに、照子の両胸の上に軽い衝撃が走った。
しかし思っていたような強いショックも痛みもない。
一体、何があったの? といぶかしむ照子の耳に、いくつかの小さな声が聞こえてきた。
「……星……」
「あー、あれか」
「なるほど、あれはショックだ」
まさか、――まさかっ!
照子はジャケットを前へと引っ張った。
予想通りだが見たくなかったものがそこにある。
照子の赤のジャケット、ちょうどバストトップにあたる部分に、黒い星印が描かれている。もちろん両胸に、だ。
「ちょっとおぉ! わたしのてりこねぇさまに何すんのよこの変態親父!」
あやめが喉が裂けんばかりの金切り声をあげている。
「じょせいのむねにらくがきなんてっ。セクハラですっ!」
神奈も続く。闘気をフル解放して飛びこもうとするのを透が止めているのは言わずもがな。
他にも、ざわざわと空気を揺るがす声。笑いを含んだものもある。
だが照子にそれらは聞こえない。
彼女の周りの空気が熱を帯びて行く。闘気を操らぬ者でも、今彼女の周りを包むオーラが爆発的に膨れ上がっているのを見て取ることが出来るだろう。
「……あんっ、……ったぁ! またかあぁぁぁぁっ!」
最初、地の底から絞り出すような照子の声は、一度たっぷりと溜めてから一気に膨らみ、終わりの方では空気どころか大地も揺るがすほどの勢いを持っていた。
光の闘気は勢いよくほとばしり、まるで燃えたぎる白い炎だ。
「よくも、よくもよくも、ジャケットに落書きなんてしてくれたわねっ、しかもこんなとこにっ!」
ジャケットを震える指先で指さしながら、全身をわななかせる照子に、観客達は顔をひきつらせてどよめいた。
だが怒鳴られた川崎はけろっとしている。
「もうさっきの試合で触られてんだから、いいじゃねぇか。それにおれは直接触ってないぜ?」
川崎の言葉に照子のこめかみに大きく青筋が浮かぶ。
「そっちの『またか』じゃないわよっ! それに神代さんのは不可抗力でしょっ。あんたはわざと書いたんじゃない」
「ん? なんだ? 実はペンで書かれるだけじゃなくて直接触ってほしかったってか? おいおい、彼氏の前で大胆だなぁチャンプさんは」
本当は何に対して照子が怒っているのか察しているであろうに、わざとはぐらかしてからかう川崎に、ついに照子の堪忍袋の緒が盛大な音を立ててはじけ飛んだ。
「んなわけないでしょーがっ! わたしの胸に直接触っていいのは結だけに決まってるじゃない!」
何かとんでもないことを絶叫しながら、照子は川崎に殴りかかる。
理性などもう完全に吹き飛んでしまった照子に、川崎はしてやったりと笑って身構える。
だが、川崎はちょっとばかり照子の怒りボルテージを上げ過ぎてしまったようだ。
嵐のように繰り出される、とめどない突きと蹴り。
川崎はよけるばかりで反撃は出来ない。
それでもまだ、危機迫る照子の顔に苦笑を洩らしながら「ちょっとあおりすぎたか?」と余裕は見せている。照子の攻撃が短兵急に陥ってしまっているので回避自体はさほど難しくないようだ。
「ふん。手数が増えようとパターンさえ読めれば」
川崎がついに、照子の右腕を掴んだ。
このまま投げが決まれば照子は相当のダメージを負いかねない。
試合を観戦する極めし者達から、危険を訴える叫喚が上がる。
「させない!」
照子の憤激の声が観客達の声を吹き飛ばす。
腕を掴まれたまま、照子はひざ蹴りを繰り出した。
急所を狙った攻撃に、そんな所を蹴りあげられてはたまったものではないと川崎が慌てて手を放して飛び退る。
待っていたとばかりに、照子は怒りの鉄拳を川崎のみぞおちに叩きこんだ。
川崎は息を詰まらせる。かなり有効な打撃だったようだ。
「これでおあいこって事にしてあげるわっ」
屈辱には屈辱を、とばかりに照子はにんまりと笑う。
試合が始まってから、初めて狼狽した顔になる川崎に、照子は追撃の手を緩めない。いや、足を、と言ったところか。
照子は右足に闘気をためていく。みるみる膨らんだそれはもちろん今までの比ではない。これが直撃すればおそらく勝負ありとなるだろう。
しかし川崎はまた、口元に笑みを取り戻す。
照子の攻撃が読めたからだろう。
「喰らええぇ、怒りの――」
「甘い!」
照子の絶叫と、川崎の一喝が重なり合った。
照子が右足を振り上げる。
川崎はそれにあわせるように地を蹴った。彼の体は数メートルほど一気に上昇する。
シャインウェイブは闘気が地を這い進む技だ。高く跳びあがれば攻撃が届くことはない。上を飛び越して、超技を放った後の隙に飛び込めば確実に自らの攻撃を当てることができる。
川崎はそう見越していたに違いないし、照子も、川崎がジャンプのそぶりを見せた時点で、しまったと思った。
だが、彼らの予測は見事覆された。
地を這うはずの照子の闘気が、振り上げた脚の先から上空へとほとばしったのだ。
口を大きくあけた獣が空中の獲物に食らいつくかのように、白熱色の闘気が川崎に襲いかかる。
川崎も、自分の先読みが外れていたことに気づいている。照子の闘気に呑まれる直前、彼の唇が「信じられない」と言うようにわなないた。
天属性にふさわしく、まさに空にきらめく太陽のようなまばゆい闘気が川崎を包み込み、翻弄する。照子の元に飛び込んだはずの川崎は、押し戻されるように再び空に持ち上げられた。
照子はそのさまを茫然と見上げる。
技を喰らった川崎よりも、誰よりも、照子が己の技に驚いていた。
やがて光が失せると、放り出された川崎は地面に叩きつけられる。
照子もまた、ぺたんと膝から座りこんだ。
彼らの周りは沈黙に包まれた。遠くから、まいかた公園の正規の大会に沸く声が聞こえてくる。
(どうなったの? さっきの技って……? あの男は?)
照子の頭の中に質問が渦を巻く。
とにかく立ち上がろうと足に力を入れるが、照子は自分の体がとても重たく感じた。
「……あ、闘気が……」
よろりと立ち上がりながらつぶやく。
照子の闘気が、すっかりなくなっているのだ。
もしかして、極めし者としての力をすべて使い果たしてしまったのかと照子は愕然とした。
が、落ち着いて呼吸すると、少しずつ闘気を操れるようになってくるのを感じる。つまり、先程の技は、体のうちに宿る闘気を一気に放出した、ということではないだろうか。
「うー、いててて……」
川崎が頭を押さえてのっそりと身を起こす。
「ふん、まさか
「絶技?」
首をかしげる照子に、川崎はぽかんと口を開ける。
「最後の技だ。……なんだ? ひょっとして偶然か?」
「あれが、絶技」
絶技というのは、超技をさらにパワーアップさせた技のことだ。
大きな威力を持つが、内包している闘気をすべて使い果たすので実戦には向かないと、そう言えば極めし者である道場の師匠が言っていたのを照子は今さらのように思いだした。
「つまり、おれはあんたの怒りボルテージをあげすぎて、絶技を習得させちまったってことかぁ? やれやれ、そんなのが敗因とは情けねぇ。これからはあんまり相手をからかうのはやめにしておこう」
川崎は苦笑している。
「敗因? ってことは、わたし――」
まだ信じられないという顔の照子に、ゆっくりと立ち上がった川崎はにやりと笑った。
「あんたの勝ちだ。チャンプさん」
「勝った。……勝った。あの男に? ほんとに?」
確認するかのようにつぶやく照子に、一番先に抱きついてきたのは、もちろんあやめだった。
「やったね、てりこねぇさま! おめでとう!」
あやめの声を皮切りに、試合を見守ってくれていた者達が次々と賛辞を口にする。
笑顔の彼らに囲まれて、やっと照子にも実感がわいてきた。
「勝った、勝ったんだ! ありがとう。みんな、ありがとう!」
照子はあやめを抱き返して、歓声に応えた。目じりにうれし涙をため、声と腕を高らかに挙げる。
四年越しの雪辱戦の願いは、勝利と言う素晴らしい結末で果たされた。
これで危険な闇大会とはおさらばだ。結にも、誰にも余計な心配をかけなくてすむ。
そう思うと、年甲斐もなくはしゃがずにはいられない。三十路手前のいい大人が、中学生並の喜びようだ。
「お喜びのところ口をはさむのは悪いんだが」
川崎が声をかけてくる。
「……何? まさか今度はそっちがリターンマッチを、とか言いだすの?」
「馬鹿言え。おれはそんなにヒマじゃねぇ」
「悪かったわねヒマで」
「それなりに退屈しのぎになったから、それはいい。ところでチャンプさんとその相棒さんは、世界大会はどうするんだ? あんたらだったら、世界のつわものとも十分やりあえると思うんだが」
世界のつわもの。
照子は思わずぐるりと辺りを見て信司と結を捜す。
祝福の輪の外の方で信司は微笑している。照子に判断は任せる、と言っているような顔つきだ。
結はと言うと、丁度信司の反対側で苦笑している。言わなくても判ってるよな、と念を押されているような気がした。
二人にうなずいてから、照子は川崎に向き直る。
「世界のつわものにはすっごく興味あるんだけど、危ない大会はこれっきりって約束してるんだ」
「職場に『格闘大会に出るから休職します』とは言えないし、ってか」
『ふざけないでよ! なにが世界大会よっ。わたしに休職しろっていうのーっ?』
照子の絶叫を知る者達から笑い声があがる。
「とにかく、これでお互い恨みっこなし。わたしと信司くんは世界大会辞退。それでいい?」
「恨んでたのは一方的にあんただけなんだけどな。まぁいいだろう。それじゃ準優勝の関東ペアが世界大会に――」
「ふざけるなぁ!」
照子と川崎のやり取りに水を差す、神経質な中年男の声があがった。
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