ROUND7 これもひとつの大団円
7-1 分身、分身、また分身
よく晴れ渡った空の下、いよいよ照子が待ちに待った格闘大会の決勝戦が行われようとしている。
表向きは、いつもの公園でのいつもの格闘大会だ。だが裏では多額の賞金を賭けた闇大会がマッチングされている。
しかし照子にとって優勝賞金などどうでもいい。彼女がこの闇大会に出場する理由はただ一つ。名前も知らない「あの男」との雪辱戦に臨むためだ。
思い起こせば四年前。あの男に瞬殺された野試合からすべてが始まった。
そんな敗戦一つ、気にしなければいいと笑う人もいるだろう。だが照子はリベンジをと望んだ。
長かった、と照子はバトルフィールドを見つめる。ここに立ち、幾多の試合を経験して、ついにあの男にたどり着こうとしている。
「行きましょうか、てりこさん」
信司に促され、照子はうなずいて足を進めた。
この試合に勝って、あの男を引きずりだす。
ただそれだけを胸に、バトルフィールドの中央まで進み出る。
三メートルほど先に、相手チームの二人が立っている。二人とも若い男で、そこそこの身長と体格の持ち主と、ひょろりと細長い体躯の青年だ。
きっと、ガタイのいいのが天属性で、ひょろいのが月だろう。
照子は直感でそう思った。
『それではペア戦の決勝戦をはじめます』
拡声器から、おなじみの主催者の声が聞こえる。観客達が大いに沸き立った。
『選手の紹介です。遠く東京からお越しくださった、
おおぉ、と大きなどよめきと拍手の中、名を呼ばれた二人は軽く手をあげて応えた。
『そして対するはもうおなじみ、このまいかた公園の個人戦において初代かつ現チャンピオンの他戸さんと、愉快な相棒、富川さんです。もちろん極めし者で、属性は天と風』
愉快な相棒、のくだりで、どっと笑い声が上がる。
「愉快って、なんでだ?」
信司は苦笑している。
「反則勝ちの時のことじゃない?」
「……あれはおれのせいじゃないんだけどなぁ」
照子が指摘すると信司はますます笑みに苦いものを混ぜた。
確かに、相手チームのひげ親父が勝手に乱入して来て、どでかい腹の下敷きにされたのだから信司としてはとばっちり以外の何物でもない。
『えー、最近は極めし者の方々がたくさんいらしてくださって、白熱した試合を見せてくださり、主催者としては嬉しい限りです。二組とも、頑張ってください!』
主催者がそう締めくくると、空気を揺るがす人々の歓呼が一層大きくなった。
「どっちがでる?」
「おれが行くよ。てりこさん、この後に『あの男』とやるかもしれないし、ね」
「あと、強い相手と闘いたいから?」
照子が、近畿大会での信司の言葉を思い出して言ってみた。信司は笑ってうなずいている。
理由は何であれ、ありがたいことだ。今日このままあの男と闘うなら体力を温存しておきたい。
できれば信司一人で勝ってほしいところだが、それは贅沢すぎる願いだろう。ならば一人には勝利してほしい。二人目も相手の手の内を見せてくれればもう言うことはない。
「それじゃ、お願いね」
照子はフィールドの外に出て、中央を見る。
信司の前に立っているのは、体格のいい男の方だ。短く刈った髪と精悍な顔つき、いかにもパワータイプに見える彼がきっと天属性なのだろう。しかも力押しの技を駆使するタイプと見た。
『えー、まずは神楽さんと富川さんの対戦のようですね。属性月と風の闘い、さてどんな展開になるでしょうか』
主催者のアナウンスに、照子は思わず「えっ」と短く驚きの声を漏らす。
月は変異変則の技に長けている属性だ。どちらかと言うとトリッキーな闘いを好む者が多いと照子は聞いている。
しかし神楽と呼ばれた青年の体躯は、どう見ても「ガチンコ勝負」系だ。
「……まぁイメージだけで決めちゃだめなんだけどね」
照子は小さくひとりごちた。
属性が必ずしも本人の闘い方や好みに合うとは限らないのだ。属性はその者の「資質」にあわせて決まる。つまり本人が闘気を得るまでに闘ってきた戦法とは違う資質の属性を会得することだって十分にある。
変異技に長けていて、なおかつ真正面からの攻撃にも対応できるとするならば、この闘いは信司にとって不利かもしれない、と照子は固唾をのんだ。
「それでは、試合はじめ!」
バトルフィールドのすぐそばからレフェリーの声がする。
すると、真剣勝負を妨げるものの侵入は許さないとばかりに、フィールドの周りに結界が貼られる。照子や、相手のパートナーも結界の中なので選手交代に支障はないはずだ。
翼だ、と照子は会場のどこかで試合を見ているはずの青年に感謝した。
だが相手チームには意外だったことのようで、神楽が驚いた顔をした。今まさに試合が動き出そうとしているのに、一瞬、注意がそれた。
今だとばかりに信司が走りよる。疾風怒濤の速さで一瞬ののちに相手の目の前で蹴りを放つ。
神楽が短い驚きの声をあげたかと思うとバックステップ。
追撃のモーションに入った信司は、してやったり、の表情。彼が続けざまに繰り出した蹴りが、今まさに神楽の腹を捉えようとしていた。
「転移!」
神楽の短い気合いの声が途切れるか途切れないかの間で、彼の姿がかき消えた。
信司の足がむなしく空を切る。
観客のざわめき声の中、信司が足を下ろす頃にはすでに神楽は信司のすぐ後ろに現れている。
信司もすぐにそれを察しているようで、地に足をつけるとともに振り返る。
神楽の突きが容赦なく信司の顎を狙う。
これはまずいと照子が目を見張る。が、信司は腕を跳ね上げて相手の攻撃を阻止していた。
思わず、ほぅ、と照子の口から息が漏れる。
信司の反撃も、神楽の追撃もなく、二人を一旦距離を取った。
決勝戦にふさわしい好ゲームに、バトルフィールドの周りから歓声が上がった。
これは長引くな、と照子は感じていた。
二人とも、技量は伯仲している。信司のあの速さに対応できるとは、神楽の素早さと判断の的確さはずば抜けている。これが長期戦、技と技を駆使した最高の勝負にならないはずがない。
そんな試合を観戦できるのは、照子にとってラッキーだ。もちろん信司に勝利を収めてほしいところだが勝敗を度外視しても楽しい試合となるだろう。
だが、予想通りに進まないのが勝負というもので。
「
信司が短く超技を宣言すると、神楽を囲んで三方向に信司の姿が現れる。
「出た」
「分身だ」
観客席から、待ってましたとばかりに声が上がる。本物はあれだと当てものを楽しんでいるような声も聞こえてくる。
「ギャンブルじゃないんだから」
思わず照子はぼそりと小声でつっこんだ。
「ならばこっちも、『分身』」
三人に別れた信司を見て、瞬時に神楽が取った行動は、自らも複数に増える超技を発動させることだった。
「わぁ」
「すげぇこっちは四人だ」
「ってか超技の名前、まんまだな」
最後に聞こえてきたツッコミに、今度は照子もその通りねと思わずうなずいた。
都合七人に増えた選手。そのうちの本体が、それぞれ対戦相手に向けて技を放つ。信司は空を蹴り、神楽もまた明後日の方向に突きを放っている。
「ありゃ」
「はずれたか」
二人は苦笑してまた相手に向き直る。ギャラリーからどっと笑い声が上がった。
さぁ次からはまた息詰まる格闘の応酬か、と照子は期待して二人を見る。
「今度はこっちからだ! 『分身』」
神楽がまた四人に増える。バトルフィールドのあちこちに散開する若者の中から本物を一瞬で見極めるのは至難の業だ。
「どれだっ? えぇいそれじゃおれも『朧』」
信司が三人に別れてそれぞれが神楽の前に立つ。
「とりゃっ」
二人の繰り出した技はまた空振りだ。
「やるな」
「そっちこそ」
「朧!」
「分身!」
「朧!」
「分身!」
フィールドに現れては消える信司と神楽の虚像の数々。右に左に、手前に奥に、最後には空中も使った分身系超技が次々と放たれる。しかしなかなか攻撃を当てることができない二人に、会場は爆笑だ。
いいぞもっとやれと野次にも似た声援が飛び、会場全体が沸き立つが、照子は冷静に状況を見つめて忠告を飛ばす。
「信司くん! そのままじゃガス欠よっ」
「うん、もう闘気からっぽ」
パートナーへの警告は一歩遅かったようだ。信司は肩で息をしながら苦笑いしている。
「……何やってんの……」
思わず照子は頭を抱える。
見れば神楽のパートナー、神代も肩をすくめていた。
きっと対戦相手も似たような状況だろうと照子は神楽を見たが、まずいことに彼には余裕があった。
「闘気の量はこっちが上だったってことだな!」
得意満面の青年はまた「分身」を発動させる。へばっている信司の前後左右に神楽の姿が現れる。
「くっ、どれだっ」
信司の顔に初めてあせりの色が浮かんだ。視線を巡らせ、なんとか本物を見極めようとしている。
万が一、本体に背中を見せていては、信司の敗北はほぼ決定。
照子もじっと信司と神楽達を凝視する。
四人の神楽が一斉に信司に飛びかかった。
「左!」
何がどうというわけではない。とっさに照子は信司の左の神楽が本物だと感知し、叫ぶ。
「えっ、――『薙(なぎ)』!」
照子の声に信司は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに意味を察したようだ。
体を左にひねり、徐々に回復してきていた闘気を超技として放つ。振り上げられた信司の右足を中心に、扇状に空色の闘気の風が広がった。
今まさに、信司に突きを繰り出していた神楽が、信司の超技を至近距離でまともに食らい、後ろへと吹っ飛ぶ。
試合が大きく動いたことで、観客達の声援が一層大きくこだまする。
「……おおぉ。ナイス」
信司の口から洩れた賛辞のつぶやきは照子の判断と信司自身の反射神経の両方に捧げられたものかもしれない。
「まさか見破られるなんてなぁ」
地面に転がった神楽が頭を押さえながら上体を起こした。
彼がまだ闘えるなら、信司が不利だ。攻撃をクリーンヒットさせたが信司はまた闘気が枯渇している状態なのだから。
どうかこのまま試合終了となってと照子が祈る中、神楽が立ちあがり身構える。
信司は特にあせったりなどということはなさそうだ。内心では、どう思っているかは照子には判らないが。
二人は再び距離を取って身構える。
「まだまだ、勝負はこれからだっ」
神楽が一気に前へ出た。信司の目の前まで走りよると拳を引いて勢いよく突きだす。それに合わせるように信司も蹴りを放った。
リーチは信司の脚の方が長い。これはいただいたなと照子は笑みを浮かべる。
が。
「転移!」
超技の宣言とともに神楽の姿が信司の目の前から掻き消える。次の瞬間には信司の真上にその姿があった。
信司が相手の位置を察した時にはもう神楽が脚を突きだしながら落ちてきている。
地面に転がって難を逃れた信司。その勢いで膝をついた状態で上半身を持ち上げる。
ほっと息つく間もなく神楽が迫る。信司の顎のあたりを狙って脚を振り上げた。
対し信司はまだ腰を落としたまま。
どうする? 照子が眉間にしわを寄せて凝視する中、信司は更に身をかがめて脚をふるった。
信司の頭の上を神楽の脚が薙ぐ。信司の蹴りは、片足で立つ神楽の軸足を綺麗に払った。
「――あっ」
短い悲鳴の後、神楽が後ろへと倒れる。体勢を立て直す間もなく見事に後頭部から地面にひっくりかえった。
鈍い音が地面から聞こえる。思わず照子は「ひえぇっ」っと小さく悲鳴を上げた。
信司も目を大きく見開いて神楽を見下ろしている。
しん、と鎮まった会場。数秒の静寂の後、動かない神楽を案ずる囁きが広がっていく。
レフェリーがバトルフィールドに入ってきた。そっと神楽の顔を覗き込み、声をかける。
神楽が身じろぎする。とりあえず動けていることに照子はほっとした。会場からも安堵のため息が聞こえる。
「ま、まだまだぁっ」
神楽は不屈の闘志で立ちあがる。しかし完全に足に来ている。すぐに尻もちをついてしまった。
これはもう無理だろうと照子は思った。レフェリーもそう判断したようで、両手を振って神楽を制する。
「神楽選手、試合続行不可能状態。勝者、富川選手!」
レフェリーが高らかに宣言すると、観客達は二人の健闘と信司の勝利をたたえる声を張り上げた。
勝利にガッツポーズを取った後、信司はその手を神楽に差し出した。神楽はその手を握り返し、二人は笑みを浮かべる。
手を離すと、神楽はふらつきながらパートナーの元へと戻っていく。
信司も照子のそばにやってきた。
「さっきはありがとうてりこさん。助かったよ」
「どういたしまして。あたっててよかったわ。それより次、大丈夫?」
「ちょっと調子に乗って闘気使っちゃったからなぁ、厳しいかも。行けるところまで行ってみるよ」
信司は照れ隠しのように頭を掻いて苦笑している。
ちょっとどころじゃないでしょ、と言いたいところであったが心のうちにとどめておいた。
「頑張ってね。……始まるみたいよ」
照子が信司の向こう側に視線を移すと、信司もそれにならう。
次の対戦相手がゆっくりと近づいて来ていた。
「それじゃ、行ってくるよ」
信司は表情を引き締めて踵を返し、フィールドの中央へと向かった。
『さぁ、続いては神代選手と富川選手です。これで富川選手が勝利すると他戸、富川ペアの優勝となります。富川選手も神代選手も、頑張ってください!』
本部席のアナウンスに沸き立つギャラリー。
神代という名の青年は、神楽よりも華奢に見える。それでも格闘家としてはそこそこの体躯だと照子は思う。
身長百七十五センチほどの信司と背の高さはほぼ変わらない神代だが、信司の方がたくましく見える。
一体、神代はどのような闘い方をするのだろうと照子はこれから始まる試合に心を弾ませた。
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