5-4 彼氏にナイショの北海道旅行

 涼しい、空気がさわやか。

 北海道の地に降り立った照子が最初にいだいた印象だ。


 近畿の空気はなんてしけっているのだろうと、改めて痛感する。気温は少し低いくらいのはずなのに、体感温度が違いすぎる。


「てりこねぇさま、これからどうするんですか? すぐにホテル?」


 あやめが腕にしがみついてきて、照子を見上げて問う。せっかく来たのだから観光したい、と期待を込めた目だ。


「そうね。先にホテル行って荷物おいたら、ちょっとぶらぶらしようか」

「わぁい。てりこねぇさまと観光だー」


 腕にしがみついたまま、あやめはきゃっきゃっとはしゃいで跳ねている。

 可愛いなぁと照子はにっこりと笑った。これで思い込みが激しかったり、愉快な方向に思考や行動が突っ走ったりしなければ申し分ないのに。


 タクシーでホテルに到着し車を降りると、照子は「思っていたよりも長旅だったね」と体を伸ばした。


 目的地の近くの空港までの直通便ではなく、少し離れた空港からタクシーで一時間以上もかかったのには驚いた。これで同じ道内、しかもほんの一部を移動したに過ぎないのだから、さすが北海道は広い。


 本来、照子達が利用する関西の空港から札幌には直通便がある。

 しかし、あやめ達が同行すると信司から連絡を受けた葉月の計らいで、彼らの航空チケットやホテルの手配も大会側で受け持ってもらえた。急遽変更となったので、遠回りのルートしか押さえられなかったのだそうだ。


 照子はホテルを仰ぎ見る。お世辞にも高級ホテルとは言えない外観だ。実のところもう少し有名なホテルに宿泊できると思っていたので照子は少しだけがっかりした。しかしこぎれいな感じで好感が持てる。そして何より、あやめが離れたところで宿泊とならずによかったと思う。


「こんにちは」


 涼やかな女性の声が聞こえてくる。

 ホテルの前に葉月が立っていた。今日は藍色のスーツで、相変わらずグラマラスでクールないでたちだ。ワンレングスの髪を、ついっと指で掻きあげるだけで、周りの雰囲気がオフィス内と化すほどに。


「葉月さん、こんにちは」

「元気そうね。何よりだわ」


 葉月が微笑を浮かべた。

 もしかして、買収されそうになったことを気にかけていると思っているのかな、と照子は笑みを返した。実際、あの話し合いは今思い出しても腹立たしいが、だからと言っていつまでも引きずっているわけではない、と訴えるように。


「元気ですよ。あと二回、ですからね」

「そうね。彼も、あなた達が勝ちあがるのを楽しみに待っているわ。個人的には、わたしも、ね」


 葉月が笑みの形を変える。

 営業スマイルを本音の笑みで上書きしたかのような変化に照子は驚いた。なぜ葉月が自分達を応援するのかは判らなかったが、なんだかとても心強い味方を得たようで嬉しかった。


「このたびはあやめちゃん達のお世話までしていただいて、ありあとうございます」

 照子が頭を下げると、あやめと田村もつられるようにお辞儀する。

「この観光シーズンによく取れましたよねー」

 信司が言うのに、葉月は微笑した。


「実は、不測の事態に備えてホテルは最初から部屋を余分に押さえていました。ギャラリーが増えるという事態は想定外でしたが。航空券は、いい具合にキャンセルが出たので同じ便になってよかったです」


 選手や、闇大会そのものへの妨害なんかも考えてるんだろうか、と照子は相槌をうつ。


「この後の予定ですが――」

「観光に行くの。ねぇさまと一緒に」


 葉月の言葉をあやめが遮った。どうしてもそれは譲れないとばかりに、精一杯葉月を睨むように凝視して主張している。

 葉月への態度とは対照的に、拒絶しないでとばかりに照子の腕をぎゅっと掴んでいるのに照子は気づいて笑みを漏らした。


「今日は自由行動ですので、どう過ごしていただいても結構です」


 葉月も微笑している。目ざとい彼女のことだからあやめの強がりも判っているのだろう。

 あやめは、ほっとしたように軽く息をついた。


「ですが、十分に気をつけてください。あなたがたの出場を快く思わない人もまた、この地にやってきておりますので」


 葉月の口調が厳しいものに変わる。特にあなたが足を引っ張らないように、とでも言うように、涼やかで凛とした視線があやめに向けられた。


「もうてりこねえさまの足手まといにはならないわ。あのおっさん、今度見かけたらけちょんけちょんにしてやるわ! ――田村が」

「俺がっすか?」


 突然話を振られて、あやめのうしろでのほほんとしていた田村が素っ頓狂な声をあげた。


「田村、わたしのボディーガード役でしょ? しまりのない顔してないで、しっかりしてよね」


 あやめに見上げられ、田村はしゃきんと背筋を伸ばした。


「お任せください。不肖この田村、お嬢を守るためなら命に替えてでも!」

「命までいらないからっ」

「は、はいっ」


 真剣なやり取りのはずなのになぜか微苦笑が浮かんでくる。照子は思わず信司と葉月を見たが、やはり二人とも似たような顔をしていた。


「明日の試合は午後の二時からエントリーだそうです。なのでそれまでに会場に到着しておいてください」


 ひとつ軽く咳払いをしてから、葉月が言う。

 会場は、このホテルから近い、全国的にも有名な公園だ。

 照子達がうなずくと、葉月は穏やかに笑み、「では、健闘をお祈りしております」と一言添えて、去っていった。


「葉月さんから応援されるなんて思わなかったな」


 照子にとって葉月の印象は、誰にも肩入れしない中立の立場を崩さない人だった。第一印象だけで人のことを決めつけてはいけないということねと照子は認識を新たにした。


「さて、これからどうする?」

 信司がのんきに尋ねてくる。照子はうーんとひとつ唸ってから、はたとひらめいた。

「会場の下見に行こう。ちょっとでも現地を知っておいた方がいいかもしれない」

「なるほど、それはいいかもね」


 信司もうなずいたので、四人は早速、チェックインをしてから明日の試合会場である公園に向かうことにした。


 公園は、ホテルから徒歩で三十分とかからないところにある。とても大きなところで、動物園や球場、競技場なども備えられている。公園と呼ぶにはあまりにも巨大なスペースだ。


 その広さもさることながら、四人の目を引いたのは、今まさに満開の桜達であった。

 北海道の桜は五月が見頃だとは聞いていたが、地元ではもうとっくに花を散らせて新緑になっている桜が、今、目の前で最盛期を迎えていることに、照子達は歓声を漏らす。


 公園の中へと足を踏み入れて行くと、日本国内でも有名となったソメイヨシノの名所だ。別の種類の木もあるようだが照子には桜の知識はさほどないので、何と言う種類かは判らない。

 知識はなくとも、桜の美しさを愛でる心に変わりはない。薄桃色の花弁が枝をにぎわす様も、そよりと吹く風に舞う様も、感嘆のため息を誘う。


「うわぁ、綺麗!」


 あやめが照子の腕にしがみつきながら歓喜の声をあげた。照子もうなずきながら桜並木に見惚れていた。


 桜の木の近くの広場には、レジャーシートを敷いて花見を楽しむ人達がたくさんいる。昼間から酒が入っていて、どちらかと言うと花より団子な人達もいるのはどこでもおなじみの光景だ。


「大会はこっちの広場みたいだよ」


 信司も綺麗な桜を見てにこにこしながら、公園の北東の方を指差した。

 レジャーシートがぽっかりと開けた場所がある。そこでは花見とは違う観客でにぎわっていた。


「ここの公園の大会は今日もやってるみたいだね」


 信司の言葉通り、人垣のさらに中では激しく動く人影がちらちらと見える。試合に興じる人達の熱い応援が、舞散る桜の花びらとともに風に乗って聞こえてきた。


「桜の花びらの中でファイトか。風流だねぇ」

「風流、なのかな」


 信司のつぶやきに思わず照子が疑問を唱えた。


「まぁまぁ。どうする? 試合見てく?」

「そうねぇ。明日の試合に出る人とは違うんだろうけど、雰囲気を味わっておくのは、いいかもしれないね」

「えぇー? 観光はぁ?」


 照子達の会話にあやめが割り込んできた。


「今回の旅行の目的は大会なんだから、下見が終わったら観光しよう、ね?」


 なだめるようにあやめに言うと、「はぁい」とうなずいた。それじゃ早速とばかりに広場の中央へ向かおうとする照子達だったが。


「あの、すみません。写真とっていただけませんか?」


 しゃきっとした若い女の子の声が照子達を引きとめた。

 声の方を見ると、二十歳代前半の、茶色のショートヘアできりっとした顔立ちの女性が姿勢よく立っている。その隣には、彼氏なのか、へらへらとしまりのない笑顔を浮かべた同年代の男。


 服装も、彼らの性格を表しているようで、女性の方はパリっとのりのきいたシャツとパンツで格好良く決めているのに対して、男性の方は少ししわの寄ったポロシャツとスラックスだ。


「彼とお花見に来たんだけど、せっかくだから写真撮っておこうかな、って。あ、かわりにそちらの写真も撮りますよ」


 はっきりした物言いの女の子が二人の主導権を握っているようだ。


「あ、はーい。いいですよー」


 照子はにっこりと笑って女性からカメラを受け取って、二人と桜をフレームにおさめ、シャッターをきった。

 女性は、彼氏とぴったりとくっついて、照子に話しかけていた時よりも柔和な顔で微笑んでいる。結構ラブラブなんだなぁと照子はちょっとうらやましかった。ここに結がいれば、と恋人のことを思い出したのだ。


「ありがとうございます。そちらは、旅行? 言葉のイントネーションからして関西の人?」


 照子からカメラを受け取ると、女性はにっこりと笑って尋ねてくる。


「うん、関西から」

「それにしても面白いカップル達ね。あなた達二人はちょっと歳の差って感じだけど、そっちの二人は犯罪チックというか」


 どうやら信司と照子、田村とあやめがそれぞれ恋人同士だと思われたようだ。


「ち、違う違う」

 照子とあやめの声が見事に重なった。


「あれ? 相手違った? じゃあまだバランス取れるかもね」


 今度は田村と照子、信司とあやめをくっつけられたようだ。


「それはもっと違いますぜ」

 思いがけず田村から訂正が入った。保護者代わりとしての発言か、それとも別の何かか、照子は思わず笑みを浮かべた。


「そーよ。二人とも対象外。わたしはてりこねぇさま一筋だし」


 あやめがそう言って照子の腕にしがみつく。田村のちょっとがっかりした顔と、満面の笑みを浮かべたあやめを見比べて照子は苦笑した。


「そ、そうだったの。まぁいろんなカップルがいてもいいよね」

 女性は少し体を引いて照子とあやめを見た。

「いやいやいやいや、とんでもない誤解しないで」

 女性が真顔で言ったので、照子が慌てて否定した。


 女性は「なぁんだ」と笑っている。その様子からして、はじめからあやめの言葉を真に受けたわけではなさそうだ。からかわれてしまって照子はやられたと肩をすくめた。


「友達で旅行っていいね。なんかあまり共通点なさそうな顔ぶれだけど」

「そう言えば、あんまり共通点ないね」


 女性の指摘に照子は思わずうなずいた。


「ねぇさま、早く大会見て、観光行こうよ」


 あやめがまた話しに入ってきた。かまってほしいからと大人同士が話している間に割り込んでくる小さな子供のようだ。


「大会って、あの格闘大会?」


 女性が不思議そうに広場の中央を見てから照子に向き直る。照子はうなずいた。


「実は格闘技に興味があって。最近あちこちで大会とか開かれてるのを見ると、ついつい観戦したくなるんだよね」


 格闘大会に出る目的で来た、とは言えなかった。話せば、なぜわざわざ関西から北海道まで「この」大会に来たのか、ということまで疑問が及ぶのは目に見えている。さすがにそれは話したくはない。


「そうなんだ。わたしも格闘大会、好きよ。ねぇ、よかったら大会見た後、お茶でもどう? このあたりの観光案内もできると思うよ」


 旅行先で思いがけず趣味が一致する相手と出会って、照子は嬉しくなって「いいよ」と即うなずいていた。

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