第三部 四章 -契約で将来設計!-

 フエンテ、という単語が何を意味するかは分からない。だけど、ニクス様やカルディナさんの推測では個人の名前ではないだろう、との事。あのアマドルとレジェス以外にも何者かが複数人いる、とレブも同意見だった。

 レブに抱えられて着いたロカという村はニクス様の到着に、夜分にも関らず歓迎してくれる。トーロの怪我も村にいたお医者様に急患として診てもらえた。

 怪我の理由を伏せながら私達とは別に召喚士が来なかったか尋ねたところ、反応は誰からも返ってこなかった。どうやら彼らはロカには入らずに私達を待ち伏せしていたらしい。

 「せめてもの救いは、ロカの人達を巻き込まなくて済んだ事かな」

 「連中には連中の拘りがあるのだろう」

 この村で一番大きな家に泊まらせてもらう事になった私達は村長の家に訪れていた。案内された客間には、レブと私だけしか今はいない。私はベッドに横たわって天井を見詰めている。

 「……あのさ、レブ。なんでカルディナさんに部屋の割り振りを代わってもらったの?」

 「召喚士からインヴィタドが離れる必要はあるまい」

 視線をレブに移したけど、彼は簡潔に答えて椅子に腰掛けた。この構図、トロノに居た頃と変わらないなぁ。

 最初、私はコラルの宿や船旅と同じくカルディナさんと相部屋の予定だった。しかし実際には運び込んでくれたレブがそのまま居座っている。

 「ニクス様は?」

 「若造二人が警護するそうだ」

 「そっか……」

 チコとフジタカが……。二人だって疲れてるのに。

 「……ゴホン」

 二人の事を考えていたらレブが露骨に咳払いをした。私が少し身を起こすと手で制止する。……横になったままでいいのかな。

 「貴様は自分の心配をしていろ。牛男の召喚士は今晩だけでも看病に集中するようだしな」

 カルディナさんはトーロにつきっきり……そうか。

 「私が一人にならないように、こっちにはレブが来てくれたんだ?」

 「……そうだ」

 あれ……。すぐに否定すると思ったのに。

 「貴様の容体が気になった。あれだけの事をしたのだから」

 「え……どうしたの?」

 真剣に言われても、私は今もこうして起きている。ゴーレム退治の疲れはあっても歩こうと思えば歩けるし、しばらく話すのにも問題ない。

 「魔力の供給……足りてるよね?私、何かしちゃった?」

 「………」

 レブが私を見る目に疑いというか、何かを窺っている様な光が宿っている。なんとなく居心地が悪くて聞いてみたけど、しばらく黙ってしまう。

 「あ!あの魔法を使った時!レブ……何かしてくれた?」

 「……!」

 レブの目が丸く見開かれる。

 「レブの声が聞こえたんだ。無茶はするな、って」

 「……確かに念じた」

 互いに離れていたのだから声が届く様な状況ではなかった。だけど、耳元で囁かれたのではないかと思う程近くにあの時は聞こえたんだ。

 「念じたと言うよりは捻じ伏せた」

 「ね、捻じ伏せた?」

 私を、って事……?てっきりもっと優しげなものだと思ってた。

 「言っただろう。私は静電気でも出してくれれば、と」

 「うん」

 少しでも出せたら、私達の勝ち。結果はあの通り、見事私達はニクス様を狙った召喚士を捉えた。……逃げられたのは、あの場に居た誰のせいでもない、と思いたい。

 「貴様は静電気の域を超えた電撃を、自身の消耗も顧みずに出そうとしていた。だから私が蓋をしたのだ」

 「……私が?」

 レブに抑え込ませないといけない程の雷を出そうとしていた?……違うな、私が制御していないからだ。

 「ごめん……」

 「謝罪は不要だ。失敗ではないのだから」

 私が倒れたのだって、原因は魔法を制御しないで放出したからだ。だからレブに運んでもらって、今も横になっている。心臓は警告していたのに、無視して使った代償。思ったより軽く済んだと言った方が建設的かな。

 「それよりもどうだ。消費を抑えれば再び使えそうか」

 「……私、一応は使えたんだよね?」

 実感が湧かないままにレブは頷いてくれる。その顔を見て一度力を抜く。枕に頭を委ねて私は天井にぶら下げられた灯りをぼんやり眺めた。

 魔法で出したのはこの灯りの比ではない閃光だった。浴びせた者をタダでは帰さない、圧倒的な攻撃の光。それを私の手から出した。

 「以前、貴様は私が魔法を使う際に消費を肩代わりする事に対して気にしていたな」

 「まぁね」

 「だが、今回は自力でやったのだ。やり遂げたのは、誰でもなく貴様自身だ」

 レブが真っ直ぐに私を見て強調してくれる。それでやっと自分にもあの力が宿ったのかな、と信じられるようになってきた。

 「私は感心した」

 加えてレブが続ける。

 「貴様はいつも、あんな思いに耐えながら私に魔法を使わせていたのだな」

 「……あんな思いって、胸の痛み?」

 そうだ、とレブは軽く口を開くだけで肯定した。

 「私は自力で使うだけだった。だから貴様が魔法を使った時に初めて引き寄せられる……心臓を握られる感覚を味わった」

 レブが魔法を使う時は私も魔力を消費していた。レブが今言ったのは逆の事だ。つまり私がレブの魔力も使って、彼の魔法を使わせてもらった……?

 「……だったら、やっぱり私の自力じゃない?」

 「厳密に言えば、今はまだ、な。私の技術を知っていた貴様は、私の体に魔力線を通してその技術を盗んでいる段階だ」

 盗んでいる、か。

 「後ろめたく思う必要は無いぞ。それが多くの召喚士の目標だった筈」

 私の考えを読んだのかレブは私を落ち着かせるように静かに言った。

 「一度はできた。馴染むまで反復すれば、完全に己のみで扱う事もできる。極めれば召喚陣を描くなんて手間は不要になろう」

 召喚士は魔法を教わる事を目的にしている。私も……レブに頼らずビアヘロと戦えるくらいになれるのかな。

 「反復……近道なんてないよね」

 「取り組み次第だな。効率良く吸収すればその分、完成は早まる」

 当たり前の事だよね。

 「じゃあ、私の物覚えが悪いとレブに負荷がどんどん掛かってしまうんだね」

 「今回程度の電撃なら平気だ。存分にやれ」

 椅子から降りて自信の塊の様に腕を組んで笑い、鼻息を鳴らすレブは頼もしい。甘えると頼るは違う。……レブという力の使い方、向き合い方を自覚しないといけない。

 「それに……だ」

 「それに?」

 「貴様に頼られていると思うと、酷く興奮する」

 「……」

 ……そして、レブという異性に対しての寄り添い方も。あんなにどっしりと構えていたのに、彼の尻尾は揺れて床を擦ってはザリザリと落ち着きない音を立てている。

 「な、なんだ」

 「酷く興奮してちゃ、魔法を使うのに支障が出ない?」

 「酷くというのは比喩!過剰表現だ……!い、いや、だからと言って貴様を軽んじているわけでは……」

 興奮している部分に補足はないんだね。自ら主張するところじゃないと思うけど、そこが私達との差なのかな。

 「あの……」

 「今日は疲れただろう。もう休め」

 口を開きかけたのをレブの方から遮る。無かった事にしてほしくない、とは言ったけど向こうから止めるのは良い、のかな。掘り下げるべきじゃないって自分でも思ったらしい。

 「レブはどうするの?」

 「私は契約者の番をする。あの二人にはこの建物内を、私は外で不審者を見張る」

 平気そう、だけど任せてばかり。気にしている様子も無いけど余計に悪い。

 「あの……レブ」

 なのに。

 「どうした」

 「少しだけ、お願いしちゃダメかな?」

 扉に向かおうとしていたレブの足を止めさせてしまう。

 「言ってみろ」

 「寝付くまで傍に居てほしい、とか……」

 レブが振り返る。何というか、凄い顔をしてる。私の我儘があの顔にさせたんだ。視線があまりに強烈で私は思わず毛布を額まで引き上げる。

 「……構わん」

 だけどレブは引き返す。足音が少し近付き、再び椅子に座ってくれた様だ。

 「割り振りの話をしたり、また見張りを任せたりして……」

 「眠れ」

 謝ろうとしたけど、レブは一言で私を黙らせる。そっと毛布を捲って彼を見ると、灯りをぼんやりと眺めていた。ぼんやりと、ではなく何か考えているんだろうけど。

 「……おやすみ、レブ」

 「………」

 レブからの返事は無かった。

 「………」

 それからどれくらい時間が経ったかは分からない。でも、私はまだ寝付けずに何度か寝返りを打っていた。

 「……これは独り言だが」

 無音だった部屋で急にレブの声がした。私は咄嗟に返事をしようとしたけど、どうにか思い留める。

 「貴様が私を通して魔法を使った時、懐かしい感覚だった。この世界へ召喚された時にも感じた、手を包まれて引っ張られる様な温もり」

 あの時、私も声が聞こえただけではない。レブに手を包んでもらえた様な気がした。

 「今更かもしれないが、やっと……もっと、貴様と深く繋がれた気がした」

 「………」

 そう感じたのは私一人ではない。貴方一人でもない。私達二人だ。

 「……おやすみなさい、で合っているのだったな」

 返事をしたかったけど、レブは最後の独り言で止めて再び黙ってしまう。あまりに遅い挨拶を聞いて、私は何故か胸の鼓動がやたら速くなっていた。

 それから私が寝付くまで、レブは何も言わずに部屋に居てくれた。

 翌朝、レブがいなくなっていた部屋で私は目を覚まして身支度を整える。外に出るとチコ達が集まっていた。

 「おはようございます、ニクス様」

 「おはよう」

 まずは契約者のニクス様に挨拶。既に村人の多くが依頼と見物に集まっていた。

 「……契約者って偉いんだな?」

 「偉いっつーか……。俺達の世界じゃ大事な存在なんだよ」

 フジタカの漠然とした質問にチコも困りながら答える。私だって、今の質問にはどう答えていいか悩むもん。

 偉い、という事ではない。トロノでは寧ろ召喚士の方が買い物で割引されたり、町の人も優しくしてくれた。

 一線を引いている、という表現の方が近いかも。下手に踏み込まない距離感で、ちょっとの時間とお金で召喚士やその向こうの魔法使いになる力を得られる……かもしれない人間にしてくれる。それを未だに信用していない人もいる。だから当然、無理強いなんてしない。親が子の将来を願うか、子どもの頃から力を求めるか。少なくとも力なんてなければ、と嘆く人を見た事はない。……セルヴァから出て、トロノくらいしか知らなかったせいでもあるけどね。

 「よく眠れたか」

 ゆっくりと歩いてきたレブが私の隣に陣取ると、こちらを見ずに質問してきた。

 「うん」

 「それは何より。今日は忙しくなるぞ」

 「ニクス様が、ね」

 私達では契約はしてあげられないから。

 「……で、あの人達はどうするんだ?たぶん、待ってるよな?」

 「うん、契約したがってると思う」

 子連れがやっぱり多い。そわそわと遠巻きに私達を見ているだけでこちらに来る様子は今のところない。

 「整理、しないとね」

 「カルディナさん!……トーロも!」

 私達で取り仕切って良いものか、と迷っていたところに、後ろから声がした。振り向くとそこにはカルディナさんと、彼女の肩に手を乗せゆっくりと歩いてくるトーロの姿があった。トーロの方は珍しく真っ黒に染まった長袖の上着を羽織っている。

 「大丈夫なのか?」

 「フフ……俺を心配するとは、そんなに気になるんだな」

 「あぁ、いや……怪我、だぞ」

 フジタカの質問にトーロが含み笑いを見せる。慌てて捕捉するとカルディナさんの肩から手を放した。

 「分かっている。前に比べればかなり軽い。だが、怪我をしていると知られたくない」

 「うん……」

 まだ朝早いから、噂が広まるまでは時間があった。仮に、ロカにもアマドルとレジェスと繋がりがある人物がいればトーロが狙われる。いなかったとしても、もしかして近所にビアヘロが現れたのではないかと村の人達を不安にさせてしまう。口止めはしていなかったから余計にお医者様から話は広まる。……田舎の小さな村だもん、お昼前には皆知ってしまうかな。あまり長居はしない様に気を付けよう。

 「さ、時間もないから始めましょうか。私達で列の整理をします。貴方達はニクス様をお願い」

 「はい!」

 カルディナさんもあまり休めていないだろうに、しっかりとした足取りで自分からロカの人達に近付いていく。トーロも続いて行ってしまった。私達は連れてきてもらえたけど、勝手が分からないからまずは指示に従う。

 「………」

 ニクス様はあっさりと案内された屋内へ戻ろうと踵を返した。

 「あの……ニクス様。何か準備でお手伝いできる事はありませんか?」

 「準備に必要な物は場所だけだ。他は何も要らない」

 契約者の事、私は何も知らない。いや……ニクス様の事なら、少し分かってきた。

 羽の手入れに時間を掛けている。それだけでなく、服装も含めて身だしなみ全般。食べ物の好き嫌いは言わないけど、魚を食べているところは見た事が無い。基本的には無愛想だけど話し掛ければ答えてくれる。偉そうにふんぞり返って威圧する訳ではないのだけど、口調からは妙に年季を感じた。何歳かは知らない。レブ曰く、人間の寿命の数倍は生きているそうだ。

 ニクス様自身は置いて、契約者とは何か。契約をしてくれる人だけど、どうやってその契約をするのかは知らない人がほとんどだ。質問にも場所だけあれば十分と言った感じ。特殊な紙やペンが要る訳でもないらしい。

 ニクス様が案内された部屋に戻って窓の外を見ると、すぐにカルディナさんが順番に村人を並べてこちらへ案内していた。気が急いてもニクス様は静かに座っているのみ。緊張している様子もない。

 「……」

 「言っただろう、契約者はこういう存在だ。行為に意味も価値も見出していない」

 「うん……」

 本当にニクス様にとって契約者としての力ってできるからやっているだけ、なんだ……。

 「勝手に納得されては困るな」

 そこで会話に入って来たのは、当の本人ニクス様だった。まさかの反応にレブも口を少し開いた。

 「……二人と話してからだ。自分の在り方、理由……意味を考える事はあった」

 「ほぉ。契約者にしては異端だな」

 「レブ!すみません、ニクス様……」

 ニクス様は誰にでも態度を変えない。だけどレブは違う。ニクス様に対してはどこか高圧的に接するんだから。

 「良い。武王には蔑まれても当然だ。自分も、他の契約者もな……」

 目を伏せたニクス様が、どこか自嘲している様に見えて私は首を横に振る。

 「でも、ニクス様は違います」

 「……自分の命を狙われたから、というのもあるかもしれぬな」

 レブが腕組みを止めて、一歩ニクス様に近付く。

 「まさか……アルパの時点で気付いていたのか」

 「えっ」

 アルパでニクス様の命を狙ってきたゴーレム。それは最初、レブも私もビアヘロだとばかり思い込んでいた。

 ニクス様はこうなる覚悟はあった、と言っていた。自分が優先的に襲われると知っていた?最初から言っていたのはビアヘロではなく……フエンテ、だったとしたら。

 「入ります」

 そこにカルディナさんが扉を叩いてから入室する。私達の固まった表情を見て、カルディナさんとトーロは顔を見合わせた。

 「……話は後にするか」

 レブが押さえてくれる。ニクス様も頷いて顔を上げる。

 「始めよう」

 すぐに一人の赤ちゃんと母親が部屋に通された。敷物もない床に赤ちゃんを置いて母親は部屋から出て行ってしまう。

 「え?挨拶も会話も無し?」

 「契約者は儀式に集中する為に村の連中とは話さない」

 フジタカが目を丸くしたけど、チコが解説してくれる。

 「本当はニクス様が少し嫌がっていたから、私で説明とか済ませてただけなんだけどね」

 「嘘だろ……?」

 カルディナさんがクスリと笑い付け足す。フジタカはもっと目を大きくしたし、チコと私も面食らって言葉を失った。威厳漂うあの姿がただの人見知りって……。

 「……今後は少しくらい、会話もするか」

 「無理なさらないでくださいね、ニクス様……」

 咳払いして言う本人はお茶目さも持っていると思うんだけど、カルディナさんが困ったように止める。

 「イメージダウン……印象操作ってやつだ」

 「ニクス様はこう!って感じあるもんね」

 フジタカの言葉に少しだけ共感する。会話を楽しむニクス様も良いけど、物静かな方が当たり前になっていた。決め付け、ってのは良くないんだろうね。さっきの契約者の話も然り。

 「始まるぞ。少し静かに」

 トーロの低い声が部屋に広がり、私達は口を閉ざした。ニクス様がゆっくりと窓際から赤ちゃんの前へと移動する。

 「………」

 ぶつぶつとニクス様の嘴から、知らない言葉が絶え間なく紡ぎ出され始める。するとゆっくり部屋の空気が流れだしたのを感じたが、窓は閉め切られていた。

私も契約の儀を見るのは初めてで目を離せない。何が起きるのか、私やチコは何をされたのかを見る、良い機会だった。

 「………」

 ニクス様の詠唱は止まらず、少しずつ床が淡く輝き始める。それが赤ちゃんの周りを囲う陣だと分かってきた頃、光と風が急激に強まった。

 私の髪とローブも風にはためき、風圧に目を細めそうになった時だった。魔法陣にも変化が起きる。

 「うっ……!うぇぇぇぇぇえん!」

 陣から次々光が針の様に伸び、赤ちゃんの足首に刺さり始めた。それと同時に眠っていた筈の赤ちゃんも泣き出す。血はまったく流れ出していないが急に泣き出した辺り、何らかの苦痛は伴っていると思う。

 「これ……!」

 「もうじき終わる」

 止めなくちゃ、と思ったけどレブが私を止める。しかも、その声は妙に穏やかだった。まるで、懐かしい物に再会した様な。その横顔に私は踏み切れずに視線を前へ戻してしまう。

 「うえ、うぇぇぇぇぇん!」

 「…………」

 その間も赤ちゃんは大きな声で泣き続けているのに、私はハラハラしながら様子を見守るしかなかった。誰も止めようとしないから余計に焦ってしまう。

 「……終わった」

 その時は急に訪れた。無数の光が静かに赤ちゃんの足首から抜けて陣に戻り、その陣も霧散してしまう。静寂の訪れた部屋に赤ちゃんの泣き声もしなくなっていた。

 「あ、あの……」

 「大丈夫よ、ほら」

 私が近付こうとしたら、カルディナさんが微笑んで先に屈む。そして赤ちゃんを抱き上げると、彼女の腕の中で小さな命は手をもぞもぞと動かしていた。顔を覗き込むと、涙の跡はあるけど今は痛がっている風には見えない。

 「幸先が良いですね。いきなり当たりですか」

 「うむ。健やかな子に育てば良いが……」

 カルディナさんとニクス様の口振りからして、上手くいったみたい。

 「今ので成功なんだ。思ったよりもあっさり……」

 「ふむ……」

 フジタカはカルディナさんの手で外に運ばれていく赤ちゃんを見送りながら呟く。レブは床だけをじっと見ていた。

 「レブ、今の仕組み……分かった?」

 「うむ」

 生返事の様だけど、レブは確かに頷き私の顔を見た。

 「知りたいか」

 「お願い」

 私が頼む横でフジタカも首を縦に振った。

 「理屈はそう難しいものではない。魔法を発動させて、足元から魔力線を広げていく」

 「頭からじゃないのか?」

 フジタカの質問にレブは静かに首を横に振った。

 「頭や胴は魔力線が集中する。末端の構造が単純な部位から徐々に広げた方が安全だ。それが足首か手首かまでは知らないがな」

 頭で考えて、胸から体中に力を流し込む。だから魔力線が集中していると言われて、私も納得できた。使っている分にはどこが複雑かなんて分からないけどね。

 「……それって凄く難しいんじゃない?」

 「当たり前だ」

 聞いてみて、理屈は分かった。私だって召喚士だ、インヴィタド相手に魔力線の繋がりを強め、弱めと調整する事はある。だけど私達は、作られた水路に流し込むだけ。広げたり縮める事なんてそもそも考えた事もなかった。人にそれを一から作るなんて……。

 「才能が無ければ足首に触れた時点で気付くだろう。無駄に相手の体を弄くりはしまい」

 「一度見ただけでそこまで見抜かれるとはな」

 あれ、ニクス様……少し笑った?

 「真似はできぬがな」

 そうだよね。私達が第三者に魔力線を与えるなんて無理だ。レブがやったら、それこそ相手の魔力線を爆発させかねない。

 「人に魔法をくれる人……」

 「世界の役割を人に与え、結び繋がらせる者。故に契約者と呼ばれる」

 レブがフジタカに付け加える。フジタカは契約者についてほとんど知らなかったもんね。

 「その魔法陣、毎回出してたら辛いんじゃないんですか?神経使うって言うか……」

 チコが床を指差して顔をしかめた。

 「使い回しが効くものだ。一度出せばしばらくはすぐに展開できる」

 「まして才能を持った子らならば、魔力はそこから調達すれば良い」

 レブが笑うとニクス様は目を逸らした。どうやら、図星らしい。

 「じゃあ今みたいのが続くけど、そこまで消費しなくて済むって事か?」

 「失敗続きの方が負担は大きくなる」

 「ニクス様自身で判断しないといけないからね」

 フジタカの結論に先輩召喚士とインヴィタドが答えてくれる。やっぱり二人は原理も知っていたんだ。

 「……続けよう。次の子を」

 「はいっ!」

 時々待っている人達の様子を見に外へも出たけど、夕方までずっとニクス様の契約を真横で見ていられた。結果は成功したのが最初の赤ちゃんと村の小さな子三人。魔力線を確認できなかったのは赤ちゃんが五人、小さい子は八人。合わせて十七人が契約の儀を受けた。

 「やっと終わったな」

 「途中で飽きてたでしょ、レブ……」

 外には一度も出ないでレブは途中からニクス様が儀式の途中でも窓や花瓶を眺めていた。ニクス様は見られて緊張するよりは良い、と言ってくださったけど……。私達は全員で一度外の空気を吸おうと思い、使わせてもらっていた部屋から出て村の中をのんびり歩いていた。

 「同じ魔法を繰り返す事、十七。一日中見ていてずっと心躍らせていたのか貴様は」

 「それは……」

 楽しいから見る、楽しくないと見ないってのは違うよ。……私も途中で休憩してたけどさ。

 「あ、でもさ!ロカにも色々な人がいるってのが分かったでしょ?」

 ルナおばさんみたいに積極的にレブに話し掛けようとしたお母さん、魔力線の無い子に落胆していたお父さん。力に目覚めてはしゃぐ子。それぞれ違って見えた。

 「そうだな……。どこにも、同じモノなど存在しない。契約者も含めてな」

 レブが夕陽を見詰めて眩しそうに目を細める。

 「レブ?」

 「最初は、世界の意思を謳う奴らが個性を持つなんて話が可笑しいと思った」

 「そんなの……」

 私が言う前にあぁ、とレブが笑う。

 「物事に絶対は無い。私の知る契約者は無個性だった。だが、奴は違う。それが今日知れたのは幸運だったかもな」

 「……うん!」

 レブのニクス様を見る目が良い方に変わった。それは言葉よりも雰囲気で伝わってきた。

 「時に。貴様、子どもは何人欲しい」

 「あぁ……いっぱい赤ちゃんも見たもんね。私は三人くらいかなぁ」

 歩きながら普通に答えちゃった。別に具体的な理由がある訳じゃないし、レブからしたら計画性がないとか、適当に言うなって怒られ……ん?

 「分かった」

 「何が!?いや、ちょっと!分かってないでしょ!」

 思わず大きな声を出したけどレブはツン、と横を向いて行ってしまう。他の人達も私を見てるけど言っておかないと!

 「は、張り切んないでよ!?ねぇレブ!今の無し!」

 「顔が赤いぞ。そして自分の発言には責任を持て」

 「夕陽のせいだってば!」

 夕陽は悪くない。私が勝手に言ってしまったんだ。だけど、そんなさり気無く聞いて、勝手に話を進めないでもらいたい!

 追い掛けてもレブは先へトコトコ走っていく。自分の横をすり抜けていく彼を見てフジタカは溜め息を吐き出した。

 「ハァ……。元気だなぁ、デブは」

 「フジタカはお疲れだね」

 レブを捕まえようと思ったけど、フジタカの様子も気になって私は一度足を止めた。チコもその場から動こうとはしていない。

 「昨日の疲れは残ってる?」

 「ぶっちゃけ、怠い……」

 チコの口数がいつにも増して少ないと思ったら、やっぱり体調が良くないらしい。……無理もない、あの襲撃から一夜も経っていないんだもん。その割に、私は元気だ。その分、レブが頑張ってくれたって事かな……。

 「スライム……あんな大きさのもよく動かせたよね」

 「物は使い様、ってな」

 チコが笑って自分のこめかみを指で叩く。

 「ほとんど水っぽかったけどな……。お前もそう思ったろ?」

 「訓練のよりはびしゃびしゃしてたかな、言われてみれば。わざと?」

 「いや……狙ってたわけじゃない」

 スライムに水っぽい、固いなんてあるんだ。そう思った時点で自分がスライムという経験を持った事が無いんだ。私が魔法を使った時に初めて手を突っ込んだくらい。無我夢中で、感触も思い出せないや。

 「フジタカもありがとう。私一人じゃ核潰しはできなかったよ」

 レブなら電撃だけでゴーレムの核を破壊できたかもしれない。私に合わせたから、機能を停めるだけで魔法を終わらせたんだ。

 「チコが言ったんだよ。ザナを手伝ってやってくれって」

 「え?」

 フジタカの言葉に私は顔をチコに向ける。そう言えば、スライムを出してチコだって疲れ切っていたのに誰も隣にいなかった。

 「ゴーレムを倒して、俺がスライムで止める。……そしたら、弓矢どころじゃないと思ったんだよ。ザナは倒れるだろうし、人手が要ると思ってさ」

 「そしたらまさかの乱射だったよな……」

 フジタカって運動神経良いよね。ずっと私達から矢を打ち落としてくれてたし。やっぱり獣人ってだけでもかなり人間と違う。

 「……あの二人、どこ行ったんだろう」

 表情を険しくしてフジタカは俯いた。私達も、まさかあんな訳の分からないまま取り逃がすなんて思わなかったし。

 「死んだんじゃねーの?かなり苦しんでたろ」

 「そんな言い方すんなよ!」

 チコが手を頭の後ろで組んでのほほんと言うと、フジタカは牙を見せて吠えた。

 「……んだよ、お前だって狙われてたのに」

 「それでも……それでも……」

 人が死ぬとか、殺すとか。フジタカはやけに敏感だ。……そっか、フジタカの暮らしてた世界は平和だったもんね。

 「……ふん。で、村の連中はどうすんだろうな」

 チコはフジタカの剣幕に顔をひきつらせたけど、服の襟を正して向こうを見る。立っていたのはニクス様とカルディナさん、そしてトーロだった。

 「えぇ!召喚士がこれだけいるのに、選定試験はないんですか?」

 「……申し訳ありません」

 村の男性が困ったな、と言って頭を掻く。カルディナさんは深々と頭を下げていた。

 「理由の説明は?俺達、これでも一生懸命練習してきたんだ!」

 肌は黒いけど声変わりもしていない少年がカルディナさんに詰め寄る。他にも、少し遠巻きにこちらを見てうんうん頷いている女の子達もいた。

 「……ビアヘロ、です」

 「なんと……!」

 白髪のお婆さんがカルディナさんの答えに声を洩らし、杖を取りこぼす。

 「最近、この近辺でもビアヘロが増加傾向にあって……。安定した召喚陣の作動が確認できないため今回は中止とさせて頂きました」

 「………」

 カルディナさんの説明に皆が言葉を失う。

 「……昨日、貴女のインヴィタドが怪我をして運ばれてきたのもビアヘロに依るものか」

 村人達の集まりから、髭を蓄えた白衣の中年男性がのっそりと出てくる。あの人、トーロの治療をしてくれたロカのお医者様だ。お医者様からの言葉に、集まっていた人達がざわめき始める。噂は流れていたんだろうな。

 「……そんなところだ」

 「ふーん……」

 肩を押さえたトーロの返答に、お医者様はじろじろと彼を見る。……もしかして、傷口で何の傷なのか気付かれてしまったとか。

 「……夜になったら包帯を替える。忘れずに来てくれ。治りが遅くなってもしらねーぞ」

 「分かった。必ず行かせてもらう」

 それだけ言ってお医者様は村の人達に見送られながら帰っていった。伝言にしてはぶっきらぼうだったけど、トーロに気は遣ってくれたのかな。

 カルディナさんはトーロの肩を気にしていたけど村人達は納得し切れない。向こうの言いたい事も私は分かるから、少し言葉に詰まった。

 このオリソンティ・エラで召喚士を目指す者は後を絶たない。その中で召喚士として生きていける者がどれだけいるか。喉から手が出るくらいになりたいと切望しても、生まれて数年経つかどうかで契約者に才を決められてしまう事も多々あるのだ。運良く契約者に才能を開花してもらい、今回再びニクス様が来訪した。その機会に、ただ指を咥えて見送るしかできないなんて私だったら認めたくない。

 「………」

 ロカの人々も気まずい沈黙に肩を落としながら私達を見ていた。ビアヘロの恐怖はこの場にいる誰もが分かっている。そこらへんの害獣で済めばまだ我慢や対処ができると思う。しかしビアヘロとなれば、例え子どもよりも背が低くても魔法で畑を焼き尽くす事だって可能だ。召喚士とインヴィタドでもいなければ対処はできない。

 「話の途中、でした」

 その沈黙を破ったのはカルディナさんだった。

 「ロカでの召喚士選定試験は今から一年後に行います。契約の儀に関しても同様、来年もまた開催させて頂けないでしょうか?」

 カルディナさんからの提案にロカの人々は一斉に顔を見合わせた。今回を許してもらう代わりの提案は、セルヴァにいた私やチコからすればとても魅力的だった。

 数年に一度しか姿を見せず、いつ現れるかも分からない契約者が、一年も前から再訪を約束する。掴みどころのない霞の様な相手を明確に捉えられる機会はそうそうなかった。

 「来年だってよ?」

 「まぁ……一年なら?」

 「もう一年あるなら、俺も試験受けてみようかな……」

 「アンタじゃ二年でも足りないでしょ」

 「なにっ!」

 口々に話し声が乱雑に耳へ入ってきて私は頭痛がしてきた。だけど、皆の考え方はまとまっていた。

 「……来年のこの時期にまた来てくださるのですね?」

 「契約者ニクス・コントラトの名において、誓おう」

 村の代表らしき男性が恐る恐る念押しする様に尋ねると、ニクス様が直々に回答した。カルディナさんを見ていた男の人も契約者自ら答えると思っていなかったのか、細めていた目をぱちくりと瞬かせる。

 「あ、はぁ……。では、来年もお願いします……」

 「承ろう」

 堂々と嘴から放たれた一言で全てが決した。そこまで断言されては誰も、何も言い返せなかった。

 村人達もそれぞれ家に帰り、私達も使わせて頂いた部屋に戻っていた。私の部屋には、引き続きレブ、そしてニクス様とカルディナさんもフジタカを連れて来ていた。五人も集まると、さすがに少し狭い。

 「思ったよりもチコ、回復してなかったみたいだ。ちょっとうたた寝って言って、すぐに爆睡しちまった」

 「寝かせておいてあげましょう。チコ君も頑張ってくれたんだし」

 そう言えば、初めてレブを召喚した日は私もすごく眠かった。チコは一度寝てもまだ怠かったみたいだし、本当に捨て身で召喚してくれたんだろうな。

 「トーロの容体はどうなんですか?」

 「元々が頑丈だから大丈夫よ。……癒しの妖精でも呼んで、すぐに楽にしてあげたい気はあるんだけど」

 トーロには個室でゆっくり休んでいてほしい。魔力も体力も精神力も……一番消耗しているのはたぶん彼だから。

 「レブも。今日は寝ようね」

 「……貴様の指示に従おう」

 指示なんてつもりないんだけどな。やっぱり、連日の徹夜に少し堪え始めたのかな……。だとしたら、もう少し気を遣わないと。

 「ロカ……怪しい気配はなかった、ですよね?」

 確認で私が聞くと全員が頷いてくれた。

 「今夜なら大丈夫だと思います」

 「周りに敵意は無かったと思うぞ」

 フジタカも外ではおとなしかった。彼なりに警戒してくれてたんだとしたら、私は気配も感じなかった。相手に悟られず観察する技術って猟師の才能とかもあるのかな。

 「狙う隙なら幾らでもあっただろう」

 「あぁ。私が狙う側なら何度襲撃したか」

 ニクス様に対してレブが無遠慮というか、無礼な発言をしている。……この場にいる人達ももはや何も言ってくれない。

 「……ロカはこのまま終わりそうだね」

 「やり残しがあるまま、な。来年などと簡単に約束してしまって良かったのか」

 ようやく心から一息吐けそうと思ったところに、更にレブがカルディナさんを見上げる。本当に気を抜くのは、まだ少し早いみたい。

 「来年の予定を今から決めておきます。ロカを基準に他も合わせて計画を組めばできると思うけど?」

 「他の課題も忘れるな」

 ロカに来年も行くよりも、もっと優先しなくてはいけない事がある。それを忘れている者はもちろん誰もいない。

 「聞かせてもらおうか、今朝途中で放り出してしまった話の続きを」

 「承知した」

 向き直り、ニクス様がレブへ静かに軽く頭を下げる。……改めて思うと、レブは異世界じゃ偉そうじゃなくて、偉かったんだよね。力を持っているのは今も変わらずとも。

 「……そうは言っても、改めて自分から言える事は多くない。フエンテという名前も初めて聞いた」

 「源、という意味だったか。小者が大層な名を持ったものだ」

 小者、ってレブは言ったけど私はあの二人を前にしたら何もできない。ピエドゥラやアルパで立て続けにゴーレムを召喚したり、まさか専属契約で操ったりするなんて。召喚士としての能力だったら私もチコも、足元に及ばない。カルディナさんやソニアさんだってどうなっていたか。

 「フエンテ……と聞いて、辻褄が合う話を知っている」

 ニクス様がゆっくりと椅子に腰掛ける。

 「私がこの世界に来る前から、召喚士は存在していた」

 「えっ……!?」

 契約者に魔力線を解放してもらい、召喚学を基に修行で養った魔力を通して異世界からインヴィタドを呼び出す。それが召喚術だ。元の元に契約者は必要不可欠の筈だ。私は思わず声を出したけど、話の腰を折った事に平謝りしてニクス様の続きを待った。

 「今の育成機関とは別の召喚士集団がいるのは知っていた。知ってはいたが、自分は出会った事はない。人目に触れるような真似をする連中ではなかったらしい」

 「私も知りませんでした……」

 カルディナさんも顎に手を当てて唸る。

 「年季の入った召喚士なのにな」

 「……ッ!」

 「キャウン!……す、すみませんっした……」

 凄い、カルディナさんが視線だけでフジタカが委縮して謝った。トーロがいたら止めてくれただろうに……。でも、ちょっと失礼だよ。

 「そいつらがフエンテなのだろうな。成程、聞いてみれば源とは言い得て妙だな」

 今の惨状をすぐ横で見ていてレブもよく話を続けられるよね……。自分の年齢じゃないからかな。

 「……同じ召喚士なのになんでニクス様を狙うんだろ」

 片や私達は契約者と行動を共にして、新たなビアヘロに対抗する力を求めようとしている。それに対してフエンテは契約者の殺害なんて、真逆の行動を取っていた。

 「ほざいていただろう。契約者が悪戯に増やすのが気に入らないと」

 「それだけ聞くと、ガキみたいだったよな……」

 フジタカも思い出しているのか天井を見上げてぼんやりとしている。あのアマドルとレジェスから放たれていた殺気と暴力的な言葉の数々は衝撃だった。今まで見てきた召喚士とは何もかもが違う。

 「だが、根本はもっと単純だ。要するに、自分達にとって不都合で邪魔で嫌なのだろう」

 「そんなのニクス様を殺しても良い理由じゃない!」

 レブの要約は、きっと正しいのだろう。私が怒鳴るのが間違い。だけど……納得する理由には成り得ないくらいに単純で幼稚過ぎる。

 「その通りだ」

 「レブ……」

 怒鳴ったにも関わらず、レブは私を静かに肯定してくれた。どこかで冷静な私が実際の理由なんてその程度かもよ、と囁いていたのに。

 「だが、だったらどうする」

 レブが次に言うと思った。自分が正しいと思うのならば、何をすべきか。どの様にして相手に向き合うべきか。レブは私だけでなく、この場にいた全員を一度だけ見回して話している。

 「俺のやる事は変わらないぞ。もう一度でも、二度でも三度でも奴らは俺が捕まえる!」

 フジタカの返答に具体性は全く無い。だけどレブの笑みに小馬鹿にするような含みはなかった。

 「獲物を逃がさないのが狼、だったか」

 いつも犬とかわんわんとか言うのに。少し、フジタカのやる気というか執念に感化されてるのかな。

 「へへ……まぁな。……だけどどうするんだ?やっぱり手掛かりは無いし、トロノへ戻るのか?なんつーか……せっかく来たのにって言うとだけど、ロカで契約だけでとんぼ返りってのもな」

 フジタカのもっともな意見にカルディナさんが頷く。

 「私も最初はやはり、戻ろうかとも考えました。一度は退けたのだし、貴方達だけでもと思ったけど……。実力はともかく、船酔いもあるでしょう?」

 「うっ」

 「げ……」

 船酔い、という単語を出されただけで私は胃を持ち上げられた様な不快感が込み上げてきた。フジタカも同じなのか、似た様な呻きと一緒にお腹を押さえてる。おへそ出してるのもしまった方がいいんじゃないかな、フジタカは。毛皮があるからあんまりお腹は冷えないんだろうけど、私は少し心配になるなぁ。

 「ブラス所長なら何か知っているかもしれないですよね、フエンテについて……」

 「奴は臭い」

 船酔いを乗り越えても必要ならば、と私がトロノ支所を思い出す。ソニアさんはビアヘロに詳しいけど、この世界の召喚士に関しても勉強しているのかな。……となれば、と次に思い付いた人物を口に出したらレブがすぐに首を横に振った。

 「く、臭いって……。煙草でしょ?」

 「いや……なんつーか……うん、胡散臭い?」

 フジタカまで……。人望無いんだな、あの人……。私は別に悪い印象持ってないのに。

 「……ともかく。私達はトロノには戻りません。フジタカの言う通り、目的はアマドルとレジェスの捕縛が裏にあったとして、理由はどうあれ失敗。ここで契約だけして引き返したら成果がありません」

 目を伏せてカルディナさんは腕を押さえた。

 「よって、トロノへは報告書だけ送ります。貴方達には、戻る前にもう一か所だけ寄り道に付き合ってもらう事になります」

 周りの情報が勉強だと思える限り、寄り道にはならない。カルディナさんに私から反論する事はなかった。

 「寄るってどこにですか?」

 召喚士選定試験をしないなら、ここみたいに契約だけして戻るって事かな。他にも保留を増やしてしまうのは、得策ではないと思うんだけど……。

 「……契約者のところだ」

 「は?え?ニクスさん……様、じゃない?」

 私の質問にニクス様が答える。返答に対してフジタカがおろおろと首を傾げた。ニクス様の呼び方に迷ってて少し笑っちゃった。

 「あぁ。居場所が分かっている契約者がこの地方に丁度来ている。……フエンテの件も知っているとは限らない」

 「元々、ロカの後は落ち合う予定にしていたの。ロカでどうなるか分からなかったから、申し訳ないけど伏せていました」

 知っていたのはニクス様とあとはトーロだけかな。……少し、大人の中に入れない自分がもどかしい。

 「その契約者って無事なのか?」

 「分からない……。ただ、ブラス所長からはもう各地方の支所に連絡が行っている筈よ」

 ロカに誘き出したのは言ってないと思う。連絡したとすればアルパの件だ。専属召喚したゴーレムが暴れ回り、犯人は逃走中。警戒するには十分過ぎる情報だ。

 「傭兵なり召喚士とインヴィタドの警護くらいはいるだろう」

 「もちろん」

 それもそうか。ニクス様にとってのカルディナさんとトーロみたいな関係の人が、他の契約者にもいるよね。

 私はニクス様以外の契約者は知らない。世界に一人しかいないと思っていた時期さえあった。今でこそ、一人でこのオリソンティ・エラを回っているなんて考えは絶対にしない。他には何人いるかまでは分からないけど……。

 「でも、急ぎません。もう強行軍も必要ないし、明日は陽が昇ってから陸路を使っての移動にします。異見は?」

 カルディナさんが私達を見回す。強いて言うなら、レブが引き続き警戒を提案するかと思ったけどそれも無い。

 「……では、私達の中では決まりね。トーロにはこれから話してきます」

 「チコには俺から言っときます。……たぶん、反対はしないでしょうし」

 「お願い」

 こうして私達の打ち合わせはそれぞれの落としどころを持って終わった。

 「では自分は失礼する」

 ニクス様が最初に退室した。続いてカルディナさんとフジタカも席を立つ。

 「場合によっては通り道の近くだからコラルにも寄りましょ。ミゲルとリッチはもういないでしょうね……」

 そう言えば、今度はトロノに行くって言ってたっけ。無事に着いてるといいな。

 「じゃあ、おやすみなさい」

 「俺も!おやすみ、ザナ、デブ!」

 「うん!おやすみなさい、また明日!」

 二人が部屋から出て、残ったのはもう私とレブだけ。閉まった扉を見てしばらく私は黙っていた。


 ……自分の中の、召喚士という存在が揺らいでしまったから。

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